予想
「よろしく!」
偽名というにも違和感が拭えない名前を、疑いなく信じられるこの娘が怖い。
男の方は何か考えるような顔をしていたが、まあいいかと言わんばかりに目の前のパスタを食べ始め、
「お前も遠慮するな」
と俺にサラダを勧めてくる。隣の少女は俺の前にあった皿を取って、パスタを食べていた。
たぶん……
俺がやってくるのが見えた→新しい椅子が必要→ランが椅子を取りに行く→ガルムがランの椅子を俺に勧めてしまった→仕方なく自分は新しい椅子に座った。
……だろう。きっと。
なんだかいつも以上に妄想力――改め妄想りょ……うん、妄想力が逞しい。俺の思考は俺に想像力という言い訳すら与えてくれないようだ。あといつも以上って何よ、いつも、って。
「あの、俺お金ないんですけど……」
サラダを勧められるのはいいが、払う金がない。この人も請求するつもりで勧めたんじゃないだろうが、一応言っておかなければ。礼儀、大事。図々しく始めるのは俺の主義じゃない。
「ならなおのこと喰え」
「そうです、食べてください」
「……どうも」
二人が勧めるので、ありがたく――皮肉は一切なしに――頂くことにする。お箸もフォークもなかったのでつまむ羽目になりました。
しゃきしゃきのサラダが……うん、普通。
さすがに一人素手でつまみ続ける気もないので、カウンターにフォークをもらいにいく。木彫りで手作り感があっていいなと思った。
戻りながら、二人の様子を窺う。
ガルムさんは、さっき見たとおり顎鬚の似合うナイスガイ。眼の色はなんと言えばいいのだろう。狼を連想させるような黄色がかった銅の色、だろうか。あまりそういうのは詳しくないので分からない。髪は黒でそこそこ伸びている。サングラスがあれば完璧だと思う。
対してランは、お姫様と呼ばれるのも納得な、朗らかで愛らしい表情をしている。円らな瞳はグレーで、長い髪はブロンドのストレート。顔もお人形というような言葉が似合う。
俺が見ているのに気付いたのか、ランはニコっと笑ってくれた。
うっ……何もしてないのに心が痛い。
「ああそうだ、姫さんが煽ったとか言ってませんでした?」
だからどんなドS女が出てくるかと思っていた訳なんだが、こんな純真無垢な少女(対して年齢変わらないだろうけど)で驚かされた。
「あぁ、それも嘘だ」
「オイ」
人を食ったような態度にツッコミを入れる。しかしこの男、堪える様子はない。ナイスガイとか褒めた俺に謝れ。
「じゃあどうしてあの人たちは襲ってきたんだ?」
ギルドに戻ってきた人たちを指して訊く。
「あぁ……カルシウムが足りてないんじゃないか?」
「ガルムがつっついたんでしょ!」
ランがガルムに怒る。
「この人ったら、『賭けをしよう。次来る男に勝てたら金貨をやる。負けたらプライドを売り飛ばせ』とか言って、あの人たちを焚きつけたんですよ」
似てない声マネをして、むぅと言わんばかりに頬が膨れ上がるラン。
ランの言う言葉だけで、あそこまで殺気立つとは思えない。もっと罵詈雑言を吐いたんじゃないだろうか……。恐ろしい。本当に俺に謝れ。
「いいじゃねぇか、勝てる勝負だったんだから。お陰であいつらの面目丸つぶれ。バカどももここでいい顔できないってな」
せせら笑うガルム。ガイって感じの印象はもう欠片も残っちゃいない。ただ、それでも絵になるこいつもこいつだ……妬ましい。
「そろそろ本題入っていいですか?」
なんかこの男に遠慮するのも嫌になってきたので、俺はさっさと本題に入ることにする。
「『予言』ってなんですか?」
「私の《力》ですよ」
「力?」
「はい。と言っても、《継承》したものなんですけどね」
《継承》? 誰かから受け継いだの?
俺が疑問符を浮かべていると、それを察したのかガルムが問うてくる。
「どうした?」
「え、えーっと……」
何も覚えてないんですと答えるのは簡単だが、さっきバカみたいに偽名を名乗ったばかりだしなぁ。ええい、ままよっ。
「俺、名前以外全く覚えてない訳でして」
かくかくしかじか、と言うほどのことはない。とりあえず名前だけ覚えてたという嘘をついて、起きたところから今までのことを全部話した。もちろん、襲われた恨みをふんだんに込めて。
「そりゃ大変だったな」
「大変だったんですね……」
オイ前のどうでもよさそうな奴。オイ後ろの頭回ってない奴。
もう嫌だ……
「そーゆー訳でして、この世界について聞かせてもらえませんか?」
かったりぃ、と面倒そうな顔をするガルムと、喜んで、と嬉々として話し始めるラン。ずっと思ってたけど、なんでこの二人一緒にいるんだ?
「ナナメさんは、この世界に『上の世界』からやってくる人間がいることを知っていますか?」
上の世界? 日本とか、アメリカとかがある世界のことだろうか?
「えと、たぶん。あと呼び捨てでいいよ」
そう言うとランは「えーと……」と躊躇い、
「ナナメ……さん」
ハードルが高かったようだ。
俺は苦笑して、続けて、と流した。
「上の世界の人間は、この世界に降りてくる時『案内人』に出会います。そこで《力》を望めば、対価を支払うことでそれを得ることができるそうです。そうして降りてくることを《降臨》と呼んでいます」
ああ、それなら『上の世界』ってのはさっきの認識であっているな。
「そして昔から今に至るまで、何千何万という人が《降臨》したわけなのですが、そこで戦人の多くがあることに気がついたのです。《降臨》した者が得た《力》というのは、必ず何かに受け継がれているということに」
「……?」
「ある人が得た《魔法の才能》は子供に受け継がれ、またある人が得た《新しい武術》は弟子に授けられ、《強力な剣》ならば持ち主から奪い取った人が使い、またその人から奪い取った人が使う、という風に。受け継がれるというより残されていると言うべきかもしれません。《財産》などは使えばなくなるものですからね」
才能も、武術も、剣も、金も、なんらかの対価を支払い、そして得たもの。仮に〈対価〉と《力》が等価ならば、《力》は残される分、二人目以降は純粋なプラス。三人、四人と続けていけば、それが無形物の場合ならば顕著になる。結果、プラスマイナスゼロではない……?
「何故そうなるのか、正確なところは分かっていません。ただ『案内人』が世界に物語を満ちさせるため『案内』をしていることを考えると、世界に『物語』を作るための基盤作りでは、と言われています」
話がややこしくなってきた。ただ、意外なことに頭の中ではそれに対する答えが既にあった。
――世界は物語で成り立っている。
――そのために世界は、閉じた世界の外側から、新たな因子を取り入れる。
だから世界に因子は残る。
だから《力》は受け継がれる。
「そしてその《力》の、特に希少性の高い力を継いだ者は《継承者》と呼ばれます」
「それがランというわけか」
「はい」
ちょっと整理させてくれ、と腕を組んで唸る。
数十秒の思考の末、
「ハァ……」
思わず口から溜め息がこぼれた。
「どうしたんですか?」
「いや、どうにも分からないことがあって」
それと聞いてばっかりな自分が情けなくて。
「なんですか? なんでも聞いてください」
「いや、そういうんじゃなくて、道理として分からない話。
どうして俺が記憶を持ってなくて、《力》を持っているのか。いくら考えてもきっちり嵌まる答えがなくて」
肩を竦める俺。
「ナナメさんはどう考えているんですか?」
「うん、まずは盲点から考えていった」
「盲点?」
まあ気付いてたら盲点じゃないからな。
「と言っても、俺の盲点じゃなくて、漫画やゲームの主人公がよくやる盲点」
疑問符を盛大に浮かべるラン。これだけだとよくわからないだろうから続ける。
「記憶喪失って、物語のキーになることって多いからね。傍から見たらフラグが乱立してあからさまなのに、何故か主人公たちってそれをつなげられない。仕方ないとも思うけど、俺はそうじゃない――と思うからね。気付く限り、王道に対するメタ行動をさせてもらうよ。
こういう特別な人の話を聞いたら、聞いた本人は『そんな人いるんだー』って他人事で済ましてしまう。本当は記憶喪失のお前もなのに――そんな感じに進むのが主人公だと思うんだよね」
「???」
「ああ、俺が主人公だって言ってる訳じゃないよ。そんな熱血的な、運の強い人間になった覚えはないからさ。
何が言いたいかっていうと、俺はその可能性を考えて自分のことを振り返ってみた訳。そしたら矛盾にぶつかった」
ランは俺の言葉についてこれていないようだ。
「何か質問ある?」
「まんがやげえむって何ですか?」
そこか、と自分の迂闊さに苦笑。
「マンガはイラスト仕立てで進む物語。ゲームは……説明しにくいな。テレビとか言っても伝わらないだろうし……」
冷静に考えると、ゲームというものの不可思議さが知れるというものだ。
「説明が難しいね。言ってしまえば『音や映像に合わせて操作する遊び』だろうか? 俺が今回言いたいのはそれにストーリーをつけたもの……だけど、忘れてくれていいよ」
縁もないだろうしね、と付け加えると、ランはそれで納得したようだ。
「ではふらぐやおうどう、めた行動とはなんですか?」
質問を重ねてくる。……少し発言がマニアックすぎたようだ。
「……ごめん、次から言葉を選ぶことにするよ。
フラグってのは、言うなれば使い古された設定、あるいは前触れかな。いや、ちょっと違うか。
いいや、具体例を挙げよう。まずストーリーの最初に『お姫様が攫われた』としよう。これをフラグとすると、次の展開がいくつか想像できるんだ。代表的なもので言えば『赤い帽子の配管工が助けに来る』……今のは忘れて(言ってる俺が分からないし)。気を取り直して、『王子様が助けに来る』を挙げることができる。お姫様が攫われた以上、誰かが助けに来るという流れがなければ話として成り立たない。だから次の展開を決定づける出来事のことが『フラグ』。一応付け加えるなら、普通の人は使わないので安心して」
「なるほど……」
真剣に頷くランを見て、下らないことを吹きこんでしまったと自己嫌悪。
「王道ってのは、物語でよくつかわれる基本的な展開。
メタは超越したって意味だったはず。今回言いたいのは、王道――つまりよく使われる展開とは違う行動をとりたいってこと。
他に何か質問がなければ元の話に戻す――前に」
下らないことを喋り続けたせいで、喉が渇いた。ちょっと水をもらってくると言ってカウンターの前に立つ。水の入ったコップはこちらも木製で、グラスじゃないことに激しい違和感を覚えるが、これが普通だろと常識が訴える。違和感は常識に負けました。
テーブルに戻りながら、考えに耽るランを見る。可愛い顔に皺を寄せ考える様は、まるで……まるで……女神のようだ。いい喩えが思いつかなかったので安易な言葉に頼ってしまいました。ごめんなさい。
「で、質問ない?」
「大丈夫です、続けてください」
続き促すランに、水を得た俺の舌は滑らかに語りだす。
「もし俺が記憶喪失だった理由が、『《超越者》になるため、〈記憶〉を対価に支払ったのだとしたら』、という前提で話を進める。
まぁ現段階で一番ありそうだと思うし、謙虚な人間や『主人公』って奴ならそういうのが一番盲点になりやすいからね」
ずっと黙ってるガルムを不思議に思い、初めてそちらを意識した。見事にいなかった。音も動く気配もしなかったが、俺の能力がそこまで優秀なはずはないから、見逃したのだろう。あるいはあちらが気取らせないよう動いたか。どちらにしろここにはいない。さて、どこに行ったのやら……
「それで思った矛盾なんだが、一つ目は俺が自分の記憶を対価に支払うとは思えない」
「どうしてですか?」
「簡単な理由でね。記憶喪失って言葉にするは簡単だけど、それはその人の死と同義だと思うから」
並行世界が存在する、そう仮定する。そこで自分が並行世界の自分と出会う。そこで出会った相手は顔も名前も人格も同じだが、自分は相手の考えていること、記憶していることを知ることはできない。並行世界の自分とは、果たして本当に自分なのか?
自分は相思相愛の相手がいて、その人と死別した、と仮定する。そして自分はその後、愛する者との死別を乗り越え、また新たな相手と関係を築き上げた、とする。さてこの状況で死者の蘇りというものが存在する、と仮定しよう。死者は蘇り、自分は過去愛した女性と出会う訳だ。さてその時、自分はどちらの女性を選ぶのだろうか?
記憶喪失なんて、それらと同じこと。
認識できない自分は自分なのか? 過去の自分と現在の自分は同じなのか?
だから俺は、記憶なんて大それたもの、対価に支払うとは思えない。感情が昂ってつい言ってしまったとか、自分の死を対価にしてでも得るべき何かがあったとか、そんなことがない限りは。
「だから俺が、自ら望んで記憶を捧げるとは思えない。
理由その二。知識になにか齟齬がある」
「ソゴ?」
「ああ。その前に一つ質問なんだけど、『神様』と出会ってからこの世界に降りてくるんだよね。その時、『神様』から何か与えられたりしないの?」
少女はえと、と様子を見るように語りだす。
「ほとんどないと聞いています。唯一やることと言えば、元の世界の言葉をこの世界の言葉に直すことくらいのようです」
「うん、なら俺の推論通り、かな。この話の前提は『俺が〈記憶〉を払った』ということ。だが、俺は見ての通り聞いての通り、結構悪知恵の働く人間でね。もし俺が〈記憶〉を払ってまでこの世界に降りてきたのなら、同時に記憶がない状態で生きられるよう、なんらかの補助を入れると思うんだ」
「……?」
首をかしげるラン。だが俺はまだまだ饒舌に語りだす。妄想が止まらない。そしてこんなのを静かに、呆れる様子なく聞いてくれる人とも久しぶりに出会った――気がする。
「〈対価〉で《力》を得るなら、そこに《記憶を失ったが、そのことに納得する》という結果を加えるか、〈記憶を失うことに了承する今の記憶は失わない〉という前提を付け加えるはずなんだ。得るものが《力》になるもの限定なら、後者だろうけどね。
それでなくとも、俺の持っている知識はどこか半端だ。頭の中を探れば、さっき外で使った《力》の知識や使い方は出てくるけど、原理やどこで手に入れたかは全く出てこない。ここにたどり着いたのも『冒険者ギルド』の話を聞いたからなんだけど、でもギルドという存在の知識はあった。なのに《超越者》や《継承者》なんていう、知らない単語が出てくる。もし本当に知識を《力》として得たなら、こんな不完全にするはずないんだ。やるならもっと徹底的にする。だから『俺が〈記憶〉を払った』という前提は間違い」
「なるほどー」
結構難解な話をしたつもりなんだが、先方は全く気にしていない。理解しているのかいないのか。
「それではナナメさんは《継承者》でしょうか? ギルドは知ってて当たり前ですが、《超越者》や《継承者》なんて言葉は、騎士や冒険者みたいな戦いを専門にする人間しか知りませんからね」
……分からないこともない。財産を継承しても、あるものを継ぐのは当たり前。美しさを継承しても、遺伝子を考えれば違和感はない。戦いの技能、それもとりわけ特殊なものでなければ、継いだとも意識せずに継いでしまう。だからそれに気付いたのは戦闘にかかわるような人間だけ。
「確かにそうかもしれない。でもね、俺には上の世界の知識もある。だから《超越者》と《継承者》、どちらかというと《超越者》よりだ」
ランに話したことで、答えが絞り込めた。
「論点は三つ。俺の性格、知識、技能。それぞれ考えていくと、答えは二つ……あ、いや、三つに絞り込める」
わくわく、と次の言葉を期待するラン。
「一、《魔眼》を持って《超越者》となり、しばらくこの世界で生活したが、なんらかの要因で記憶喪失になった。
二、俺は上の世界からの人間であったが、元《魔眼》の持ち主から《魔眼》を受け継ぎ、なんらかの要因で記憶を失った。
三、この世界に住む一般人であったが、何らかの要因で《魔眼》を持ち、その時記憶を失った。同時に上の世界の知識が流れ込んだ。
この三つだ」
一は〈記憶〉を支払わない俺と、上の世界の知識と《魔眼》を持っていることからの予想。
二は一の《超越者》が《継承者》に変わっただけのパターン。
三は《魔眼》こそが諸々の鍵を握っているという予想。論点を挙げていったら思いついた。
「一は俺が《超越者》、二は《継承者》、三は力には対価が必要だろうって考えから。絞れるのはここまで。
……ふぅ。聞いてくれてありがとね」
俺も俺自身の素性を予想できてよかった。寝る前に一人でうんうん唸るとか、寂しい。
「いえ、こちらこそ。おもしろい話ありがとうございました」
丁寧に頭を下げるラン。いい子だなぁと改めて思ったところで、
「話は終わったか?」
ガルムが現れた。
「はい!」
元気よく返事するランと頷く俺。ガルムは椅子には座らず、立ったまま話を続ける。
「こっちは仕事ができた。お前のお守りもこれまでだ。王都まではそこの少年にでも連れてってもらえ」
そう言って肩に提げた剣を示す。二メートル近い長さの大剣が背負われていた。その大きさと、それを平然と提げるガルムに驚きの表情を隠せない。
その俺のマヌケな顔を見て何を勘違いしたか、ガルムが「オイオイ」と呆れるように、皮肉るように言ってくる。
「俺がタダでメシを食わすと思ったのか? あのサラダは姫さんのお守り代だ。足りない分は講義代だと思っとけ。あと自分の金ないのに水も頼んでたし、文句はないよなぁ?」
クッ! いい人だと思った俺に謝れぇ!
「え?」
ラン、お前は悪くない。悪いのは全部そこの男だ。
「って水、タダじゃないの?」
俺の言葉に怪訝な顔をするガルム。
「当たり前だろ。一部の流域ならともかく、王都への休憩地点として作られたこの街に、水が余ってると思ってんのか?」
水と安全はタダ。そういう考えが、頭のどこかにあったようです。
「あ、あの……ナナメさん? 嫌なら別にいいんですよ?」
悲しげな顔で聞いてくるラン。潤んだ瞳が反則すぎる。
「いや、そうじゃない、あの男に嵌められたことが悔しいだけなんだ……」
そう言うとランはニパーッと笑い(あれ、それはそれでどうなんだ?)、
「お願いします!」
俺の手を両手で握りしめる。
「お、おう……?」
俺はそんな、肯定とも否定ともとれない言葉を、疑問交じりに返すしかなかった。