作者のいないハードカバー
今回は長めです。
何度も何度も失敗する、何をやってもうまくいかない
そんなアニメみたいなことがあると思うか?
大体、俺は鬱になんかなったこと無い。
そもそもストレス自体感じなかった。
感じたとしてもすぐに発散した、同じ高校の気の弱い女
菊田菜奈ってやつを虐めていた。
そして、その女は自殺をすることになる。
正確には未遂か、だがそんなこと俺にはどうだって良かった。
人間って言うのは、どうにも何か起きてからじゃないと学習出来ないらしい。
俺はその知らせを聞いた日の夜に、のしかかってくる罪悪感に気が付いた。
逆に言えば、それまで、先生にばれたらまずい程度には思っていたが
そこまで罪悪感と呼べるものは無いように思える。
夜中になると、俺が俺を責め。
「もしお前が何もしていなかったら、あいつは今頃普通に生活して……
死にたいとも思わなかったんじゃないか? あいつがまた死のうとしたらお前のせいだ」
毎晩そんな夢を見る。
その時からだ、何もうまくいかなくなったのは。
あらゆるものが呪われたように空回りして
何もうまくいかない。
全てにけじめをつけたい、それも自分の罪から逃れようと必死だったのかもしれないが
自殺未遂をした女も、病院が変わって勝手に転校してしまい。
俺は永久に謝罪するタイミングを逃してしまった。
嫌な事ばかり重なり、しかしこれも罰だと思いながら毎日を過ごす。
いつも下ばかり眺めていた、昨日の天気なんか聞かれても分からなかったと思う。
いつものように下を向いて逃げるように帰っていた時だ。
矢印が落ちていた。
紙に青いマジックで矢印が書かれている、昨日はこんなもの無かったし
二、三回踏まれている所を見ると、そこまで長い時間落ちているわけでは無いらしい。
矢印があったらとりあえずそっちを見たくなるのが人間だ。
矢印の方を向くと、古本屋があった。
小さい古本屋だ。
見たところ誰もいない、店主すら居るか怪しい。
俺は矢印を拾うと
これまた無意識にその本屋に足を運ぶ。
「お、いらっしゃい」
どうやら店主は居るようだ、カウンターで本を読んでいる
白髪が少し混じっているおっさん。
ひげは生やしていないが、髪の毛がクシャクシャ。
俺は店主に軽く会釈をして、奥に進んだ。
店主以外は誰も居ない。
「あの……これ」
「お? なんだこれ」
「店の前に落ちてたんですけど」
「そうか、じゃあ預かっておこう」
店主は矢印を受け取ると、また本を読み始めた。
俺は、目に映った薄い緑色をしたハードカバーの本を手に取りゆっくり開いたときに
本屋で立ち読みはあまり良くないことを思い出し後ろを振り向いたが
店主は本を読み、こちらを一瞬見たが何も言わない。
立ち読みは別に良いようだ。
そして、その本の内容が凄かった。
「死」に関する本で、目の前で何人もの人の死を体験した物語。
主人公は医者見習い、看護師と医者の中間点くらいで仕事をしている人だ。
しかし、医者なのだから、人の死に真っ向からぶつかることになる。
そして、人は少なからず死んでいく。
死にゆく人を見ると、悲しいでは表せない感情がこみあげてくるらしい。
救える命か、安らかにこの世を去ったのか
書いている人の心の動きが痛いほど伝わってきた。
何より、吸い込まれるような文章の書き方だ。
そしてあとがきは書き方が急に変わり
今の大人は遊びより勉強を優先させます、それは遊びが無駄だと思っているからです。
確かに大人にとって遊びは無駄なのかもしれません
しかし、子供には非常に大切な時間なのです。
私は今まで自分の人生がほとんど無駄だと思ってきました。
しかし、私に笑顔で感謝の言葉を言ってくれる人たちがいる。
そう思った時世界がガラッとそれこそ音を立てて変わりました。
私が無意識にしていた事が役に立ったこともあります。
無意識にしていたことで失敗してしまったこともあります。
でも、無駄と決めつけないでください。
自分がやってみたいと思ったら、無駄だと言われても
ぜひ、飛び込んでみてください。
最後に読んでいただいてありがとうございました。
手紙のようだった。
とはいっても、これは後で読みなおしたときに読んだもので
その時は本の内容に引き込まれ泣く寸前だったため
あとがきを読まずに本を閉じて目を擦っていた。
すると後ろから肩を叩かれ、俺はそっちを振り向くと
もじゃもじゃの頭の店主がこっちを見て笑って。
「その本、気に行ったか?」
今度こそ怒られると思っていた俺は用心深く俺は頷く
店主の後ろでは、すっかり空が暗くなっていた。
店主は俺につられたように頷くと。
「じゃあその本持って帰れ」
「でも今、お金を持ってないんですけど……」
「いらんいらん、どうせあいつは気ぃ付かんだろ」
「あいつ?」
「ここの店今日だけ任されとるけどな、どーせ副業程度にやっとる奴の店だ
一冊無くなっとっても気が付かん、持って帰れ」
俺は店主……じゃなかった、おっさんにお礼を言って、その本を持ち帰ることにした。
少し不思議な気分で家に帰り
家に帰り、椅子に座って読みなおそうと本を開こうとしたとき
そうだそうだ、パソコンでこの本を書いた人でも調べてみるか
そういう思考が頭をよぎった。
まずは書いた人と出版社で検索しようと本を見回すが……
「……ん、これ作者が書いてない」
表紙にも、背表紙にも、本のどこにもこの本を書いた人の名前が出てこない。
かろうじて表紙に小さく出版社の名前が書いてあったが
それを見た俺は去年のニュースを思い出した。
『作者の書かれていない実体験小説』
作者がいないからと言って違法にコピーした人が一斉に摘発されたのを覚えている。
確かに、この本だ。
そして、この事件がきっかけでこの本が飛ぶように売れ
『作者不明の名作、その真実に迫る』
バラエティーもそんな企画をやっていた。
しかし、どの番組も出版社まではたどりつくのだが
出版社の社員、社員の家族、社員の友達
誰からも情報が手に入らず
中には「大物作家が実験的に名前を隠して出版した」
などという人もいたらしいが、結局真実は闇の中。
この本のブームも去って行った。
調べてみても仮説ばかり、この本を売っている通販サイトがやっと見つかるくらいで
とても情報が集まるどころの話ではない。
本の内容から作者が医者らしい、と言うことがなんとなく分かったので
駄目もとで、この近辺の病院のサイトを手当たり次第探してみる。
とはいえ公式サイトに個人情報、ましてや本を誰が出したなどということが載っているはずない。
しかし、一つ、気になるサイトがあった。
「……七草病院?」
全く関係が無いが清掃ボランティアを募集しているようだ。
時期は秋、あの近くには街路樹が多く
掃除しても一週間もすればまた、赤茶色と黄色の混じったカーペットが敷かれてしまう
……これ以上探しても何もなさそうだ、とりあえず無駄な事でもして気分を変えるか。
もしかしたら、この病院にあの女がいるかもしれない
そう思ったこともあるかもしれないが
とにかく、俺はこのボランティアに参加することにした。
ボランティアは他にも何人か来ていて……結果を言うと。
むしろ迷惑をかけた。
何度竹箒を動かしても、カーペットは一つにまとまるどころかどんどん面積を広げていく。
なんとか一つにまとめたが、ゴミ袋に入れるときに手間取り
それはもう、「使えないやつ」を絵にかいたらこうなるんだろう。
他のやつの気を使っているような、帰れと言っているようなそんな視線は
あの事件の後浴び慣れたものだった。
とりあえず箒を倉庫に片付け、病院の入口付近にある自動販売機に気を取られていると
後ろからポンと肩を叩かれた。
「うおぁ!」
「おわぁ!」
驚きながら振り返ると。
年齢的には二十代くらいと思われる女の人がいた。
そこまで長くない髪をまとめて、ナース服に身を包んでいる。
「……そんな驚くこと無くない? 私、結構ショックかもしれない」
「……すみません」
何故か俺は謝り、まぁいいけどね。とつぶやくそのナースにもう一度目をやった。
「ボランティアの人だよね?」
「ええ、まぁ」
「じゃあ、お疲れさん、何か飲む?」
俺は割と必死で断ったのだが
「いいって、ほら、君が選ばないと私が勝手に選んで押しつけてどっか行くから」
まさかの切り返しだった。
それに、なんか地味に困る。
俺は仕方なく適当なジュースを選び
ナースはポケットから五百円玉を取り出して、俺の選んだジュースのボタンを押し
出てきた缶を俺に差し出してから、おつりをもう一度自販機に入れ
コーヒーを買った。
「じゃ、また」
そう一言だけ言って、忙しそうに去って行ってしまった。
お礼を言うことも出来ずにその日は家に帰り、もやもやした気分のまま眠った。
次の週、高校が終わったころにまた病院へ向かう。
ボランティアのメンバーが先週とあまり変わっていなかった所を見ると
俺以外は別の学校のボランティアに参加する団体らしい。
いわばボランティア部とでも言ったところか。
もう来るなよ、帰れよ、といった視線を送ってくるが
おめでとうお前ら、俺は今日あの人にお礼を言ったらやめさせてもらう。
そう心の中で拍手をしながら、毎週のように散らばるカーペットに
箒で地面の色を塗っていった。
何故か昨日よりうまく出来た気がする。
しかし、周りの視線が気のせいだと言うことを物語っていて
「まぁ、そうだよな」とつぶやいた。
俺は箒を片付けると自販機の前で昨日のナースを探す。
はたから見れば、自動販売機を見張っている不審者とも思われかねない状態だった。
そして
「お? 今日はおねだり?」
待ちに待った人が現れた。
「昨日の御礼をと思って……」
「ってことは、ケーキでも買ってくれる?」
二回目の会話で分かったことは二つ
一つ目、この人は初対面の人でも遠慮をしない
二つ目、この人は俺の予想の斜め上を行く
奇跡的に、二千円が財布の中に入っていることを確認すると
ナースはプッと吹き出した。
「冗談だって」
さらに笑いながら続けた。
「そんな必死でお財布かき回さなくても大丈夫、今日も奢ったげる」
「い、いえ、今回は俺が払いますから、新しく出来たケーキ屋さんにでも……」
「お? ちゃっかりデートの約束に持って行ったか、これは彼女が居るか前まで居たって感じがする」
何だろう……こう……壁を殴りたくなる。
「待っててね、私あと三十分位で仕事終わるから。あ、帰っても良いよ」
「大丈夫です、ずっとここで待ってますから」
「ほぉ……うまいな、グッと来る」
しまった、「ずっと」とか言うんじゃなかった。
訂正しようとしたが、さっさとどこかへ行ってしまい。
微妙な後悔だけが残った。
その後ぴったり三十分後に私服のナースが現れ。
「じゃ、ケーキのおいしいカフェにでもご案内するとしよう」
俺は言い返す暇もなく、一キロほど離れたカフェに連れ込まれた。
そして、俺が注文に手間取っていると勝手に注文して
さっさと世間話を始める。
「そういえばまだ名前聞いてなかったね、私は宮間涼香」
「俺は井本太一って言います」
「それで? どうしてうちの病院のボランティアしようと思ったの?」
まだ多少困惑している俺に容赦なく質問を投げかけ
とりあえず俺もその質問に答えた。
「本を読んで、そこにとにかくやってみろ……みたいなことが書いてあって」
「へぇ~誰が書いてるの?」
「それが……書いてないんですよ」
宮間さんは急に目の色が変わった、俺さらに話を続ける。
「去年話題になった本がありましたよね?」
「……そ、そうだっけ?」
「ニュースとか見ないんですか?」
「あ、あんまりみないかな?」
そう言いながら俺から目をそらした。
「それで君……来週も来る?」
あからさまに話題を変えた。
「いえ、今日でやめるつもりです」
「あら残念、でもなんで?」
「御礼言ったらやめようかと、迷惑ばかりかけてますし」
俺がそう説明すると、ナースはコーヒーに口をつけ
一息つくと、思いついたように俺に提案した。
「……来週、もう一回だけ来てみない?」
「……どうしてです?」
「なんとなく」
なんとなく……か。
「来週来てくれたら、ご飯を奢ってあげる」
「ご飯?」
「おいしいところ知ってるんだよ」
俺は考えておきますとだけ言って
カフェを後にした。
その日、もう一度俺は本を読み
結果的には行くことに決め、ボランティアの日を待つ。
そして、悪夢にうなされながら一週間が過ぎ
最悪の気分のままボランティアを終え、宮間さんと待ち合わせると。
「どうせなら渋い大人の通うとこで食べない?」
そう言われて、二キロほど離れた所にあるオレンジ色の屋根の一軒家に連行された。
とても渋い大人が通うとは思えない。
宮間さんは何の疑いもなく家のドアを開け
「おやっさーん! また来たよ」
玄関で大声を上げた。
どうやら自分の家ではないらしい。
「おー、涼ちゃん、ご無沙汰だ」
白髪が少し混じった四十代後半くらいのおっさん。
……ん?
「あ」
俺は無意識に声を上げた。
このおっさん、知ってる。
「ん? ……あ、本屋のボウズか」
向こうも覚えていたようだ。
「え? 知り合い?」
「先週、本屋で本買っていった子だろ?」
俺は一応頷いておいた。
「へ~知り合いなんだ」
納得して頷き、思い出したように続けた。
「あ、今日はいくら?」
「お、飯食ってくのか?」
「そゆこと、二人だから二万円?」
俺はぎょっとした、二万円?
何考えてるんだこのおっさんは
「いっつのまにそんな値段になったのか」
「あ、三万円?」
「……わし、そんな高いもん出しとらんぞ?」
宮間さんは財布から万札を取りだした。
「ここに来たら一人一万円ずつ叩きつけて帰る、それがルールでしょう?」
「そんなもん叩きつけられても困る」
おっさんはどうにも金には固執しないタイプの人のようで
宮間さんがおっさんの目の前で万札を揺らすと指ではじき飛ばした。
料理を出す側がもう少し安くしろと提案する奇妙な交渉を終え
俺たちは席に着く、と言っても普通のリビングテーブル。
出てきた料理も、見た目はうちの母さんが作る料理とそう変わりなかった。
ただし、味が半端ない。
俺は出てきた肉じゃがを一口食べた一瞬固まり。
宮間さんは、うまいでしょ?でしょ? と言わんばかりに覗きこんでくる。
そんな視線は無視して、とにかく食べた。
米もみそ汁も、何もかもがうまい。
高級というより、懐かしい味と言った感じだ。
いつも食べているお母さんの味とはまた違った、とても心に響く味だった。
おっさんは、そんな俺を見て上機嫌だったらしい
「おー、さすがに育ち盛りは違う」
「悪かったね、成長止まっちゃって」
「それにしてもこの子は勉強ができそうな気がする」
宮間さんの愚痴を無視しておっさんは話題を切り替えた。
「その心は?」
味噌汁をすすりながら宮間さんが訪ねた。
正直どうでも良さそうな尋ね方だ。
「なんせ、薄緑カバーの本を買って帰った」
その返事を聞いた瞬間宮間さんは味噌汁を吹き出した。
おっさんは慌てて布きんを持ってきて、こぼれた味噌汁を拭く。
「ゴホッ……あの本……ケホッ……売ったの?」
むせ返りながらもおっさんに聞いた。
おっさんは机を拭きながら。
「おお、売った」
正確にはもらった、しかし、俺は話を聞きながら飯を食うのに必死だった。
「なんでぇ!」
「なんでってなぁ……本屋が本売らんで何するんだ」
呆れた口調でそう言うと、おっさんは布きんを台所へ持って行き
ごしごし洗っているようだ。
「そんなに大事な本だったんですか?」
飯を食い終わった俺はひと段落つき
おかわりを勧めるおっさんの言葉に甘えた。
「大事な本て言うか……あ、おやっさん、私もおかわり」
話をそらす宮間さんは、少し困った顔をしていた。
米一つ残さずたいらげた俺たちを見てご機嫌なおっさんに
一万円札を叩きつけ不機嫌な顔にした挙句、逃げるように出てきた俺達は
お互いに話す気配のない帰り途を歩き始める。
しばらくすると、宮間さんが恐る恐る聞いてきた。
「あのさ……さっきおやっさんが言ってた本って……」
「薄緑の本ですか? 俺、その本に感動して今のボランティアしてるんですよ」
「あ……そう……なんだ」
急に挙動不審になったと言うか、何か探っているようだ。
「その本がどうかしたんですか?」
「その本……私に……譲ってくれないかな?」
「……どうしてまた」
「どうしてって……深いわけは無いけど」
どう考えても訳ありなその行動に、俺は少し深追いしてみることにした。
「本を持つと良くないことが起こるとか?」
「そ、そう! そうなんだよ!」
……なんだこの人は
「だったらもっと渡せないですね」
「良くないことが起こったら困ると思うよ?」
めちゃくちゃ必死になっているが俺の考えは変わらない。
「俺はそうなるべきなんです」
「……どういうこと?」
急に真剣な声になった、俺は少し驚いたが
「俺はその……人を一人殺しかけまして」
どうしてこんな軽々しい言い方をしたのかは分からない
でも、宮間さんはそれには触れず、もう一歩を踏み出してきた。
「君が良かったら詳しく聞かせてくれる?」
丁度近くにあった公園に立ち寄り、ベンチに座る。
そこで俺は菊田菜奈を虐めたこと、自殺未遂のこと。
被害者は引っ越してしまい謝るタイミングを失ったこと。
「で……君は深く反省していると」
「はい……」
「じゃあもういいんじゃないの?」
「え、いや、そういうわけには」
「じゃあ、どうしたいの?」
「……俺はその……償いたいです」
「どうやって?」
「……わかりません」
「じゃあ、考えても無駄、君が悩んでてもそれは償いにはならないよ」
「……じゃあ、どうすれば?」
「私にはちょっと分からないかな……」
「……ですよね」
俺はため息をつき、地面に目をやった。
「でも、君みたいな人が増えないようにするにはどうすればいいか考えればいいんじゃない?」
「俺みたいな人?」
「悩んでないで行動する、とにかくやってみな」
宮間さんが笑顔でそう助言してくれた。
気のせいかもしれないけど、急に道が開けた気がする。
妙にこう……気持ちが軽くなるような。
「はい!」
「あ、それで、私の本返して」
「……私の?」
「あ……いや、私の書いた……え、あれ」
「……え?」
「……私の本」
俺は何となくピンときた。
と言うかもうこれは確定だろう。
「もしかしてその……あの本書いたのって……」
「……私」
……やっぱり
「長い話だけど……聞く?」
「俺も聞いてもらったので、聞きます」
宮間さん曰く、あの本は
小説家をしている宮間さんのお兄さんのパソコンを無断で借用し
勝手に書いて勝手に書き終わったから消した……はずだったのだが。
お兄さんは小説家という職業柄、原稿を何度か間違えて消してしまったことがあり
画面を閉じると自動でUSBメモリにバックアップを取っていたらしい。
そんなこと知らない宮間さんは書き終わって画面を閉じ
書いたことなどすっかり忘れていた。
その後、出版社から『原稿の内容が違う』といった電話があり
送ったデータを確認して貰った結果。
大まかな内容は宮間さんが書いたものだった。
大まかな内容はというのは、大体の内容と作者名はそのまま
天才的な文章に書きなおされていた。
出かけていたお兄さんに連絡を取ると慌てて家に帰ってきて本物を送りなおし
無事、出版には間に合ったそうだ。
文章もお兄さんの仕業だったらしい。
「でね、問題はここからだったわけ」
俺は続きを催促するように頷くと
「出版社の人がね、『前の原稿はどこの出版社から出す予定でしょうか?』って私は別に出版する気は無かったんだよ、恥ずかしくて消しちゃったし」
「消しちゃった? え、でも今出版されて僕のところにありますよね?」
「兄貴だよ」
「……またですか」
「偶然残ってたみたいで、それでね、私の名前で出すことになりそうだったんだけど、恥ずかしくって」
「名前を入れずに出版したと」
「そ、出版社の人も面白がって表紙のタイトルと背表紙に会社の名前入れるだけで
ホントにシンプルな本を作って、売り込んだのね」
「良く売り込めましたね」
「兄がいろいろ根回ししてくれたみたいで、別に良いのに……それに百冊しか作らなかったんだよ?」
「たった百冊ですか?」
「だって薄緑の表紙にタイトルだけ書いてあってそれ以外何もない本なんて買う? 私なら買わない」
「……まぁ、それもそうですね」
「その後あの無名天才作家騒動で……」
宮間さんは照れ臭そうにため息をついた。
「でも俺、その本に会えてよかったと思ってます」
「今思い返しても顔から火が出る内容だよ……」
「でも、そのおかげで……何か吹っ切れそうです」
俺の肩を強めに叩いた宮間さんは腰を上げ。
「じゃあ、そろそろ帰るよ」
「そうですか」
俺も後を追いかけるように立ち上がり砂を払った。
宮間さんが家の近くまで送ってくれたが。
「じゃあね、井本君」
「あ、はい」
始めて名前を呼んでもらった気がする。
結局、本を返すことは無かったし
その後宮間さんには会えなかった、何度か顔を出したのだが
どうにも俺は間が悪いようで、宮間さんは転勤になってしまったらしい。
タイミングを逃すのは二度目だったが、不思議と後悔は無かった気がする。
「井本先生、何の本を読んでいるのですかな?」
「うおぁ! こ、校長先生……」
「……学校で読書は結構ですが、授業、始まっていますよ?」
「え?! な! あ、ほんとだ すみません! いってきます!」
職員室にあわただしい足音の後を追うように扉の閉まる音が響く。
「……フゥ、青木先生と言い井本先生と言い……ん?」
校長先生は無造作に置かれているタイトルすら、かすれて読めない
本当に薄い緑色のハードカバーのシンプルな本を不思議そうに眺めたあと
ぶつぶつ言いながら校長室へ帰って行った。
おわり
読んでいただきありがとうございました。
誤字脱字発見、ここおかしい、ここわからない等
一言でも感想をいただけるとありがたいです。