国家反逆者にされた元勇者は、今日も平穏に暮らしたい
王道ファンタジーものが書きたくなりました。少しでもお楽しみ頂ければ嬉しいです。
はぁ、はぁ、はぁ。
息を乱しながら、深夜の森を駆け抜ける。
木々の隙間からわずかに差し込む月明かりだけを頼りに、少女はただひたすらに前を向いて走り続けていた。
手足にはすでに限界に近い疲労が蓄積し、走る速度は目に見えて落ちている。それでも、足を止めることなどできなかった。
(――嘘よ。そんなの、絶対嘘に決まってる)
胸の奥で、何度も同じ言葉を繰り返す。
町の至る所に貼り出された指名手配書。そこに描かれた険しい顔は、記憶の中の人物とは似ても似つかなかった。それでも、その名を見た途端、鮮烈に思い出されてしまったのだ。あの少年のことが。
『――大丈夫か、お前?』
陽を背にしていたからか、その時は顔が影になってよく見えなかった。
差し出された泥だらけの手を受け取ると、ぐいっと力強く引っ張られて立ち上がった。
『次からは気ぃつけろよー』
ニカッと笑って、背を向けてひらひらと手を振りながら遠ざかっていく、少しぶかぶかの服を着た背中。
(あの人が、国家反逆者? ――絶対に、信じない)
何日も何日も、町角で声を枯らして訴え続けた。あの手配は冤罪だと。誰かに届くまで、諦めるつもりはなかった。
けれど、届いたのは町長と衛兵隊の足音だった。
「その不届き者を捕らえよ」という怒号が響いた瞬間、彼女はすぐさま走り出していた。荷物も持たず、着替えも持たず、ただ手配書だけを握りしめながら。
(せめて、本当のことを知りたい)
張り出た枝が頬を掠め、小さな痛みが走る。それでも構わず走り続ける。
あの人と初めて出会った、あの小さな町へ続く道を。
*****
「かぁ――っ! やってらんねーぜ!!」
中身を勢いよく飲み干したガイは、ガンッと木製のジョッキをカウンターに叩きつけた。
苛立ちから、蜂蜜色の髪をガシガシと乱暴に掻きむしる。若草色の瞳には、あからさまな不満の色が浮かんでいた。
「まぁーた、何かやらかしたのか?」
ガイに背を向け、手際よくグラスを拭きながら声をかけたのは、この店のマスターだ。
彼が営むこの店は昼が食堂、夜はバー。食事の味は「そこそこ」な為、昼間でも客足はそこまで多くない。しかし、その静けさを好む固定客が、この店をひっそりと支えていた。
「聞いてくれよ、マスター!」
十八歳らしい中肉中背の体躯ながら、まくり上げた袖口から覗く二の腕には、どこか引き締まった確かな筋肉がついている。ガイはカウンターに身を乗り出して、一気にまくし立てた。
「マーラ婆さんが倒れたって聞いたからよ、慌てて見舞い品を見繕って家に行った訳よ! そしたら、あの婆さん、ピンピンしてやがってよ! いやなに、右足首は捻挫したとか言って、確かに包帯はしていた。でも、それ以外は何もなかったんだぜ!」
「足首捻挫でも、マーラさんの年齢を考えたら大変だろうよ」
「そう! だから俺も気ぃ使って、『何か手伝えることはないか?』と聞いた訳よ! そしたらあの婆さんめ、ここぞとばかりに俺をコキ使いやがって!」
溜まった洗い物の片付けから、部屋の掃除、窓の立て付けの修理に、屋根の雨漏り修理。果ては一日分の食材の買い出しまで頼まれてしまったのだ。
「挙句の果てに、『肩が凝った、揉め!』とか命令しやがって! やったらやったで、『痛いわ、もっと優しくせんか!』だとよ! くっそー! 俺はてめぇの小間使いじゃねーんだよ!!」
大声で荒れるガイの様子に、少し離れたテーブル席の客が、隣の席の馴染み客にこっそり耳打ちした。
「……なぁ、あいつ大丈夫か? あんなに酔っ払って大騒ぎして」
「お? アンタ、もしかしてこの店は初めてか?」
「あ、ああ。旅の途中で、つい昨晩泊まりに来たばかりだ」
「なるほどな。ま、心配いらねえよ。あいつは大丈夫だ」
「?」
「あいつがジョッキでさっきからガブガブ飲んでるの、ただのオレンジジュースだしな」
「はっ!? オレンジジュースであんなに荒れてんの!?」
「そこ! うっせーですよ! 俺ぁ傷心中なんだから、放っといてくれよ!」
噛み付くようにガイが唸った。オレンジジュースで何が悪い。
この国では成人は十八歳と決まっており、その日から酒類が解禁となる。昔、誕生日を迎えた日、仲間達がこぞって祝ってくれ、初めての酒を飲んだ。たった一口だった。
――気が付いたら、宿屋が半壊しており、仲間達は各々の武器を構え、悪友は凶悪な魔法を放つ寸前だった。ちなみに、その時の自分はズタボロで倒れており、仲間の一人に泣きながら回復魔法をかけられていた。
(――あん時は、アイツが怒り狂って出てきてたから、マジでやばかったな)
使命を果たす前に身内の内輪揉めで街が消えるところだったと思うと、いまだにゾッとする。死人がいなかったのは本当に幸いだった。半壊させた張本人の自分は、手足が半分炭になりかけてたが、綺麗に修復してもらったので今は何ともない。
そして、それ以降、酒類は全面禁止になった。
〈――ィ、ガイ〉
不意に、頭の中に無機質な少女の声が響いた。いや、頭に直接語りかけてきた、と言ってもいい。
(おっと、噂をすれば、だな)
ガイは空のジョッキを弄びながら、自然に頭の中で返事をした。
〈噂、ですか。貴方のことだから、大した内容ではなさそうですが〉
(そうだな。ま、大したことじゃない。それより、何だよ。急に)
〈暇です〉
(は?)
〈ここには何も娯楽がありません。暇すぎます〉
(仕方ないだろ、立場上。大人しく飾られてろ)
〈もう飽きました。そろそろ、そちらに行ってもいいですか?〉
(おいおい、勘弁してくれよ。俺はこれ以上、国からの罪を背負うつもりはないぞ)
〈全て冤罪ではないですか。それに、貴方は別に、私を盗む訳ではありません〉
(お前が勝手にこっちに来ても、それを手元に置いてたら、俺が盗んだことになるんだっつーの)
「――お? もしかして、あの子からかい?」
急にピタリと動きを止めて黙り込んだガイに、マスターが声をかける。
「おお。暇なんだそうだ」
ガイは現実の口を動かしてため息をついた。
「ま、そりゃぁ仕方ないんじゃないか? ――取り上げられちゃったんだろ?」
「おうよ。『式典前に清める』とか言うから預けたら、そっから返ってこなかった」
「いくら状況が状況でも、自分の得物を他人に渡しちゃうのはなぁ」
〈そうです。アホなんです、貴方は〉
「うっせー! 渡しちゃったもんは仕方ないだろ! ――って、悪ぃ」
我知らず大声を張り上げてしまい、ガイは慌ててマスターに手を合わせた。
「気にしてねーよ。それより、そろそろ飯食わんとまずいだろ」
そう言うと、マスターはガイの前にサンドイッチの乗った皿を置いた。
「お、ありがてぇ。いつも悪ぃな」
礼を言うなり、ガイは豪快にパンにかぶり付いた。
「午後も仕事あるんだろ?」
「おう。確か、ユナンさんの配達を手伝った後、広場の草むしりを町長に頼まれてたっけな」
「なかなか忙しいな、お前も」
「ま、俺は『何でも屋』だからな。頼まれた仕事は、何でもやるのさ」
マスターに出してもらった水を一気飲みすると、ガイはお金をカウンターに置いて立ち上がった。
〈今の職業は『何でも屋』ですか〉
再び、頭の中で声が聞こえる。
(そ。だから仕事中は、声かけてくんなよ)
〈気が向いたら善処しましょう〉
(頼むぜ、元相棒)
〈私は『元』になったつもりはありませんが〉
(へいへい。『現』相棒様、頼みますぜ)
ガイは念話を続けながら、テーブルの間を通り抜ける。外に出ようとして、ふと扉の横の壁に貼ってある羊皮紙を見た。
『元勇者、ガイアス』
『魔王討伐後、国家転覆を狙った反逆者』
『見つけた者には褒賞を与える』
(国家転覆を狙った反逆者、ね――)
悪友が旅の後半から勝手に認識阻害の魔法をかけていたせいか。もしくは、複写を繰り返しすぎたのか。そこに描かれた似顔絵は、まるで金髪碧眼の『ゴリラ』だった。
(いくら顔バレしないようにとはいえ、やりすぎだろ、アイツ)
かつての悪友の姿が目に浮かぶ。
『俺は悪党だからな、同じ悪党の臭いを嗅ぎ分けるのさ』
『たぶん最後に騙されるぞ、お前。アイツらは、お前の存在をよく思ってないはずだ』
悪友の予想は的中してしまった。完全な騙し討ちだった。
(そんなつもりは、全くなかったんだけどなぁ……)
フッと鼻で笑いながら、扉を押した。外に出ると、夏の日差しが肌を刺した。
今日も暑くなりそうだ。
*****
いつからこの世界に『魔物』という存在が現れるようになったのかは、人類史の記録には残っていない。
徐々に数を増やし、獰猛化し、人間を襲うようになった魔物。やがて魔物を総べる王が現れ、統率された魔物達は脅威と化した。対する人間側も、武器を作り、身体を強化し、やがて『魔法』という未知の能力を見出して対抗していった。
そうして、人間と魔王達との戦いがなされるようになって数百年。
何度も『聖剣レーヴァテイン』に見出された勇者と魔王の戦いが繰り返され、ある時は勇者が魔王を倒し、ある時は人類が敗れ、そして二百年前に復活した魔王を勇者が封印してからは、世界はひとときの平和を享受していたのだが――
数年前、その封印を破り、魔王が完全復活を遂げてしまった。
絶望に染まる世界。しかし、運命は人類を見捨てなかった。三年前、二百年ぶりに聖剣に選ばれた新たな勇者が現れたのだ。
当時、わずか十五歳の少年。名は『ガイアス』。彼は四人の頼もしい仲間と共に過酷な旅路を乗り越え、ついに魔王を討伐し、世界に平和をもたらしたのであった。
(――と思ったら、城に帰った途端に『この国家反逆者め!』だもんなぁ……思い出すだけでも、本当に笑えてくるぜ)
死んだ魚のような目をしたガイは、花壇の前にしゃがみ込みながら雑草をぶちぶち抜いていく。
(人の名前まで勝手に改名しておきながら、よくやるぜ、本当に)
聖剣レーヴァテインに見出されて王城に召喚されたガイに対し、国王は「勇者としての威厳が足りない。『ガイアス』と名乗るが良い」と有り難くもない新たな名を下賜した。
それから三年。
引き合わされた仲間――かつての悪友である魔術師ゼノフィスら四人の仲間と共に、過酷な旅をして、ようやく魔王を討伐することができた。これで再び平和な世界に戻ると、仲間達と安堵しながら帰還したのだが。
待っていたのは、国王による『切り捨て』だった。
共に戦った仲間達とは引き離され、聖剣は「凱旋式の前に清める必要がある」と取り上げられ。玉座の間にゼノフィスと共に通されたと思ったら、突然「貴様、勇者の力に溺れて国家転覆を狙うとは何事か!」と叫ばれたのだ。
まさに寝耳に水。青天の霹靂。あまりの出来事に、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていたら、ゼノフィスが突然杖を構え、足元に魔法陣が出現した。
『そういうことだからよ。悪ぃな、悪友。恨むんなら王様を恨めよ』
その次の瞬間。
ガイは王都より遠く離れた森の奥深くに飛ばされていたのだった。
後日説明されたゼノフィスの話によると、あの時、どこからか調達してきた身代わりの死体と入れ替えた直後、火魔法で瞬時に焼き尽くしたらしい。残されたのは黒焦げの炭のみ。あまりの早技に、居合わせた人の誰もが入れ替わりに気付かなかったそうだ。
『国王よ。この通り、裏切り者の勇者ガイアスは、私めが討ち取りました。どうかご安心を』
そうやって、一芝居を打ったのだった。
『強すぎる力は、平和になった世の中にとっては畏怖の対象になるから、排除したいんだってよ。勝手な話だよな、本当に。ま、旅の途中からそれに気付いて、お前を全くの別人に見えるように仕掛けておいたからよ、今のお前の姿が元勇者だなんて、誰も気付かねぇ。後は好きに生きな』
そう語ったゼノフィスは、魔王討伐と国家反逆者を討ち取った褒賞で宮廷魔術師になり、好きな魔法研究を続けているそうだ。「悪人共の金を使って好き勝手やれるのは最高だぜ」とは彼の台詞である。何とも強かな男だった。
「おお、ガイ君。もう草むしりは終わったのかね」
恰幅がよく、穏やかな表情の中年男性がガイに声をかけた。いつの間にか、ガイの隣には雑草の山ができていた。
「――ああ、町長さん。そうですね。これで全部かなと思います」
ぼーっと考え事をしている内に、全ての雑草を抜き終えていたようだ。
「君はいつも仕事が早くて助かるよ。冒険終わって、またこの町に戻ってきてくれて本当に良かった」
「……いえ。また何かあれば、いつでも声かけて下さい」
報酬の金を受け取ると、町長は笑いながら帰っていった。
ガイは少しだけ、複雑な表情で見送る。この町の住民は、孤児だった頃からガイを知っている。バーのマスターに拾われて『何でも屋』として働き始め、魔王討伐の旅に出て戻ってきてからも、変わらず接してくれた。指名手配犯として周知されたのはつい最近のこと。人相書きが明らかに違う人物になっていても、ガイが旅に出たということは皆が知っていた。
それでも、変わらず接してくれているのだ。ただただ、有り難かった。
広場では子供達が遊びに来たのか、数人の子供達が走り回っていた。この後の予定は特にないガイは、ベンチに座って子供達の様子を眺めていた。
「――あっ!」
一人の男の子が足をもつれさせて転ぶと、突然泣き始めた。足を怪我したようだ。周りの子達が心配して取り囲む中、ガイもゆっくりベンチから立ち上がって子供達の元に向かう。
「うわああぁぁぁん!」
「おい、どうした?」
「あ、ガイだ!」
「怪我しちゃったみたい。血が出てる」
子供の前に膝をついて見ると、右膝の服が破れて血が滲んでいた。
「おっと。こりゃあ、ちと痛そうだな」
ガイは「どれどれ」と手を膝にかざして小さく呟く。淡い光が手から発せられると、膝の怪我があっという間に塞がった。
「――あれ、痛くない?」
「すっげー! 怪我が治った!」
「ガイ、やるじゃん!」
泣いていた子がきょとんとした顔をし、周りの子達は賑やかに叫んだ。
「ほれ、服が破れてるだろ。俺様が繕ってやろう」
ガイはベンチに連れて行くと、上着を腰に巻き付けてやり、破れたズボンを脱がせた。懐に手を入れると、針と糸が出てくる。
「うお! 針と糸が出てきたぞ!」
「何でそんなところに持ってんだよ!」
「はははは、何でも屋の嗜みってやつだ」
ガイは笑いながら、目にも止まらぬ速さで針を動かす。最後に歯で糸を切ると、出来上がったのはピンク色の刺繍で綺麗に塞がれたズボンだった。
「何だこれ」
「豚か?」
「豚だ! 格好悪ぃー!」
「ガイ、下手くそー!」
「うっせ! 猫だこれは!」
ピンク色の楕円に耳が生えたそれは、どうみても潰れた顔をした豚だった。
「ねー! 俺にも何か作って!」
「俺はドラゴンがいい!」
「俺は剣と盾!」
「はいはい、糸の色が揃ってたらな。あと、下手くそでも文句言うんじゃねーぞ」
ガイは次々に服を脱いで渡してくる子供達を制しながら、とりあえず手持ちの1枚のほつれを直しつつ刺繍を始めた。相変わらずその手つきは、異様なほど早い。
『あー、もしもし』
突然、右耳につけたイヤーカフから男の声が聞こえてきた。
『聞こえますかー、聞こえますかー』
「えー、この通信は、現在使われておりません。もう一度、相手の名前をご確認の上、お掛け直し下さい」
『てめぇ! 聞こえてんじゃねぇかよ! 紛らわしいことすんな!』
「うっせぇ! こちとら取り込み中――って、あいたッ」
指に針を刺したガイが悶絶する。周りの子供達は突然始まったガイの独り言に驚いて、少し距離を開けていた。
『おい、何やってんだよ、クソ勇者』
「それはこっちの台詞だ、クソ魔術師め。突然連絡してきやがって」
『お前、死んだはずなのに指名手配犯になってんぞ。知ってっか?』
「おう。行きつけのバーで早速張り紙されてるぜ。マスターの野郎、『貼らないと俺が捕まるからな』とか何とか言いやがって。ありゃぁ、絶対俺の反応楽しんでるだろ」
『ああ、おやっさんか。間違いないな』
ガイは話しながら、仕上がった服を次々と渡していく。刺繍を見た子供達は、各々に付いた作品を見て大笑いしていた。
「それで? どうして、ああなったんだ?」
『ああ。お前が死んだことになって半年になるが、最近になって、『奴は元勇者だ。もしかしたら、生きて隠れているかもしれん』とか抜かして、念の為の手配書を作成したんだとよ』
「うわー、うっぜぇ! 大人しくしてるんだから放っておいてくれりゃー、いいのによ」
『それでな。何と、狼藉者である元勇者を庇うと、そいつまで罪に問うと命令を下しやがったんだぜ、あの狸ジジイ』
「っかー! やることなす事、本当に最低だな」
『最近は、宝物庫から夜な夜な物音がするとの怪談話まで出てるぜ。お前の相棒、そろそろヤバいんじゃね?』
「あ――……そろそろ暇だからこっちに来たいって言ってた、レヴィが」
『やっぱりな。俺もそろそろ見切りをつけて、お前んとこ行くかな』
「来んな。皆して、俺の平穏を壊そうとするんじゃねぇ」
ガイは顔を顰めながら速攻で断りを入れた。
すると、広場へ続く大通りの向こうから、こちらへ向かって走ってくる人影が見えた。少女はフラフラになりながらも、背後を何度も振り返りつつ必死に走っていた。
「――悪ぃな、ゼノ。ちょっと面倒事が起きそうだ」
『おう、またな』
会話を終えたガイは、ベンチから立ち上がり、少女の元に向かった。彼女は力尽きたのか、その場に座り込んで蹲っていた。
「おい、大丈夫か? 水でも飲むか?」
声をかけながら水の入った皮袋を差し出すと、彼女は息も絶え絶えに受け取り、水を飲み始めた。少女の横に丸められた羊皮紙が目に止まる。少し捲れたそれは、バーに貼ってあった指名手配のものと同じだった。
(何でこれを――?)
「おい、話せるか? 何があった?」
ガイは皮袋を受け取りながら片膝をつき、少女と目線を合わせる。最初は虚な目をしていたが、だんだん焦点が合ってくると、ガイを見た途端に目に涙を浮かべた。
「い、いた……勇者、ガイだ……」
「――え?」
ガイは少女が『ガイアス』ではなく、『ガイ』と言ったことに、驚きの声をあげた。
「――やっぱり、あの手配書は嘘だったんだ……!」
手で顔を覆って泣き出す少女に狼狽えたが、よく見ると彼女の顔に見覚えがあった。三年前。まだ聖剣レーヴァテインに見出されたばかりで、王都に向かおうとしていた頃だった。
(もしかして、あの時助けた――?)
その時、少女が現れた方向から蹄の音が響いてきた。二頭の馬には、衛兵が乗っていた。
「おい、そこの男」
衛兵が馬から降りながら、ガイに声をかける。
「何すか」
ガイは立ち上がり、少女を庇うように衛兵に向き直った。
「その女は、国家反逆者を庇った罪で追われている。こちらに寄越せ」
「反逆者を庇った罪?」
「知らんとは言わせんぞ。庇い立てすれば、お前もただでは済まんぞ!」
「おー、怖い怖い。役人さん達は手厳しいなー」
「ち、違う! この人は関係ないわ!」
少女がよろめきながら立ち上がった。
「捕まえるなら、私だけにして!」
「潔いのは嫌いじゃない。よし、こっちに来い!」
「――ちょっと、いいすか?」
衛兵が少女の腕を掴もうとした瞬間、ガイがその手を阻んだ。
(どうすっかなー)
庇えば自分も捕まる。しかし放っておいても、彼女の身の安全な保障はなさそうだ。
「ほら、相手はまだ、ほんの子供じゃねーか。若気の至りってモンかもしれねぇし、一度くらいは見逃して――」
「その女は張り紙が出されてから、連日のように街頭で訴え続けたのだ!」
「あ――……そりゃあ、若気の至りにしちゃあ、少しやりすぎ……かな?」
(ここは賄賂か? しかし、賄賂というほど、金持ってねえーぞ、俺)
自分の財布の寂しさを思い浮かべながら悩んでいると、衛兵の一人が苛立ったように声を上げる。
「貴様! やはり庇い立てする気か!」
「いや、まぁ、その……ほら、周りに子供達もいますんで――」
「うるさい! 貴様も庇い立てするなら、容赦せんぞ!」
「まぁまぁ、お役人さん、少し落ち着いて――」
「黙れ!!」
衛兵の一人が、ガイを殴りつける。抵抗せず素直に拳を受けたガイは、後ろに吹っ飛んで尻餅を付いた。そのまま、衛兵はガイを蹴り始める。
「我らの仕事の邪魔をしおって!」
「おいおい、手加減してやれよ」
「止めて! その人は関係ない! もう止めて!」
ガイの元に行こうとした少女を、もう一人の衛兵が後ろからはがいじめした。
「もう既に、こいつも同罪だ!」
「残念だったな。お前を庇ったばかりに」
(あー、そういう奴ら? 胸糞悪ぃな)
苛立つように蹴りをする衛兵と、ニヤニヤしながら見守るもう一人を、ガイは両手で顔を庇いながら見上げる。あまり大事にしたくない為にやられっぱなしにしているが、少女の連行はもはや止められなさそうだ。これではやられ損かもしれない。
(参ったなー。少しやられたら気が済むかと思ってたのに、なかなか止めないぞ。ストレス溜まってるんじゃねーか、コイツ)
その時、衛兵が上げた足を思いっきり踏み込むと、左腕から鈍い骨の音が聞こえた。
「――ッ!!」
ぶわっと脂汗が全身から吹き出すと、腕が激痛を訴えてくる。庇うように反対の手を腕に添えると、衛兵は興奮した顔をニヤリと歪ませた。
(――っの野郎!)
ガイの目に獰猛な光が宿り始めた瞬間。
「止めろー!! ガイをいじめるなー!!」
最初に刺繍を作ってあげた子供が、衛兵の足にしがみつく。慌ててガイが顔を上げた。
「――おいっ、止めろ!」
「貴様! 邪魔をするな!!」
衛兵が子供の腕を掴んで離すと、大きく蹴り上げた。腹を蹴られた子供は、後ろに吹き飛ばされると、背を丸めたまま動かなかった。その小さな後ろ姿を見たガイは、頭の中で何かが切れる音がした。
「―――おい」
ゆらり、とガイは立ち上がった。折れた腕も、蹴られた傷も、全て回復魔法で瞬時に癒す。
ガイに背を向けていた衛兵達は、声をかけられて振り向くと、突然顔を真っ青にして固まった。
正確には、ガイの頭上を見て――
「ん?」
ガイは衛兵の視線が上を向いていることに疑問を持ち、振り返ると衛兵達と同じく固まる。
ガイの頭上に浮かんでいたのは、一本の美しい剣。蒼い宝玉が埋め込まれた、聖剣レーヴァテインだった。
「――なっ! 何でお前、ここに来てんの!?」
〈呼ばれたような気がしました〉
「呼んでねぇ! ぜってー呼んでねぇから!」
〈なら、主の危機に駆けつけたことにしましょう。主思いの聖剣で良かったですね〉
「嘘つくんじゃねぇ! 暇すぎて抜け出した責任を俺になすり付けんじゃねーよ!」
聖剣の声は持ち主にしか聞こえない為、傍から見ればガイが一人で叫んでいるようにしか見えないが、その異様な光景は衛兵達を震え上がらせるには十分だった。
「あ――あれは、聖剣レーヴァテイン、か」
「ま、まさか――あの男、顔は違うが、もしかして――」
聖剣を指差す衛兵達に、ガイは舌打ちをした。
「ほら、バレちまったぞ。せっかく上手く隠れてたのによ」
〈そこは、ほら、貴方の得意分野です。目撃者全員の口を封じれば――〉
「聖剣様が物騒なことを言うんじゃありません! それに、宝物庫から無くなったらすぐにバレ――」
『よう、レヴィはそっちに行ったか?』
あまりに良すぎるタイミングで、ゼノフィスからの通信が入る。
「――ああ。今、俺の頭上で浮かんでやがるぜ」
『やっぱりな。今、城では大騒ぎだぜ』
「あ――くそっ。束の間の平和だったか」
やれやれと頭を掻きながら、ガイは座り込んだ衛兵達の間を抜けて、子供達の所に向かった。泣き腫らした顔でガイを見上げる子供達に、ガイは痛ましそうに顔を歪める。
「ガイ、どうしよう。動かないよ……」
「ちょっと待ってろ。ほら、少し離れて」
周りに座る子供達に少し距離を取らせると、ガイは倒れた子供の様子を見る。辛そうに呼吸していたが、意識を失っているだけのようだった。ガイはそっと腹部に優しく手を添えて、回復魔法を使う。先程よりも強い光を放つと、青白かった子供の顔に血色が戻った。
「――っし。これでもう大丈夫だろ」
「………あれ?」
ぱちっと目を覚ますと、周りの子供達がわぁっと泣きながら起き上がった子供に抱きついた。ガイは静かに息を吐き、少女と衛兵の元に戻る。聖剣は相変わらず浮かんだままだった。
少女は涙を浮かべたまま、聖剣とガイを交互に見つめる。
「――ま、そういうこった」
苦笑しながらガイが手を伸ばすと、聖剣は自然と手元に戻ってきた。握りしめると吸い付くような柄は、以前とまるで変わらなかった。
「――ふ、ふはははは! 成程、やはり貴様が『元勇者』か!」
衛兵達は気を取り直したのか、突然笑い出すと、立ち上がり様にガイを指差した。
「この国家反逆者め! このまま、城まで突き出してやる!」
「こいつの首には莫大な褒賞金がかかっているからな! 捕まえりゃあ、俺達は一気に大金持ちだ!」
「おいおい。そりゃぁ、まずは俺を捕まえてからその台詞を吐けよ。それに、民を守るはずのお役人さん達が、か弱い町民に暴力振るってんじゃねーよ。女子供には優しくしろって、ママンに教わらなかったのか?」
聖剣を肩に担ぎながら、ガイが鼻で笑った。
「――き、貴様ぁ!」
煽られた衛兵達は、怒りで顔を赤くする。スラリと、腰の鞘から剣を抜いて構えた。じりじりと、挟み撃ちをするようにガイを取り囲む。
〈ガイ、どうしますか?〉
レヴィの声が頭に響く。
(そうだな。とりあえず、胸糞悪い連中には、一発お見舞いしてやっか)
〈出力は?〉
(とりあえず、五パーセントでいいや)
〈了解。聖剣レーヴァテイン、出力、パーセンテージ、五〉
蒼い宝玉が応えるようにわずかに光った。ガイは聖剣を担いだまま、もう片方の手を煽るように振った。
「ほら、来いよ。魔王を倒した元勇者の力ってやつを、お前らに特別に見せてやるぜ」
「ば、馬鹿にしおって――!!」
「もう許せん! 殺しても構わん、やるぞ!」
細身の剣を構え直して、衛兵達がガイに向かって踏み込んだ。肉薄する刃。しかし、ガイは涼しい顔をしてその間をするりと抜ける。
「――お前らの町の方向は、あっちか?」
世間話でもするように場違いな話をするガイ。獲物を見失った衛兵らは構え直し、再びガイに飛び掛かる。
「――何を呑気なことをっ!」
「――っし、行くぜ!」
ガイは、鞘に入ったままの聖剣を両手で握り直した。近づく衛兵らに向けて小さく呟くと、彼らの体が淡い光に包まれるが、一瞬のことで気付かない。振り下される衛兵の刃が届く前に、ガイは二人の懐を目掛けて飛びこむ。
「歯ぁ、食いしばれよ!」
振りかぶって―――
カキ―――ンッ
「ぎゃああああぁぁぁぁ―――っ!?」
小気味良い音と共に衛兵らは空に向かって飛んでいく。あっという間に小さい点となって、彼方へと消えていった。
「おー、気持ちよく飛んでいったなぁ」
「え―――えええぇぇえ!?」
片手を額に付けながら、脳天気に呟くガイ。少女はあまりの出来事に大声を上げた。
「え――ちょっ、だ、大丈夫なの、あの二人!?」
「ん? ああ、身体強化に防御魔法もかけておいたし、たぶん大丈夫だろ。後は幸運の女神様にでも祈るんだな」
――その日、隣町では、空から降ってきた何かが大通りに大きな穴を開けた。土煙が落ち着く頃、中心に気絶した衛兵二人が発見される。空から落ちてきた恐怖からか、その二人は数日間の記憶を失っていたが、幸いにして怪我人は誰もいなかった――というのは、後日談である。
「あ、アイシャ――!」
その時、広場に止まった馬車から身なりの整った男性が転がり落ちるようにして出てきた。
「え? と、父さん!?」
「ん? お前の親父?」
アイシャと呼ばれた少女を、男性が泣きながら抱きしめた。
「と、突然お前が衛兵に追われて町から出ていったと聞いたから、慌てて準備して追いかけてきたんだ」
「父さん――」
「もうあの町では商売はせん! 大切な娘を犯罪者扱いするなんて、絶対に許さん! 父さんとまた別の町にいって、一からやり直そう」
どうやら、商売をしているらしい男性は、商売道具も全て持ち運んで移動してきたらしい。
「そうだな、それがいい。しばらくはこの近くにいない方が、安全だろう」
ガイが満足そうに頷くと、男性は「ご迷惑をおかけしました」と頭を下げ、馬車に戻って出発の準備を始めた。
「ねぇ――もう、会えないの?」
アイシャはガイを寂しそうに見つめる。
「そうだなー。俺も、もうこの町にはいられないだろうしな」
聖剣は勇者を見出すと、その勇者が亡くなるまでは他の持ち主を選ばないと言われてる。その聖剣が突然、宝物庫から無くなれば、間違いなく元勇者は生きてるものとして、捜索の手は国中に広がるだろう。
「まぁ、でも――お前の親父、商売してるんだろ? 俺もすぐに旅に出る。だからきっと、いつかどこかで、また会える日が来るだろうさ」
「そう――そうね。うん、きっとそう! ううん、絶対に、また会えるわ!」
アイシャが満面の笑みを浮かべると、ガイもフッと静かに笑った。
「………おー、かっけーな。さすが、『勇者様』だぜ」
「今は『元』ですよ、『元』。それに、国家反逆者でもあります」
「だな。どえらい反逆者様にまた会えるなんて、俺ぁ感動しすぎて涙がちょちょ切れそうだぜ」
「面白い表現ですね、それ。私も涙をちょちょ切ってみたいです」
「―――ぅおい」
後ろから聞こえてくる二人の声に、ガイは体を震わせながらゆっくり振り向く。そこには、ガラの悪いしゃがみ方をしている黒髪琥珀色の目をしたゼノフィスと、同じ格好をしている巫女服姿の少女がいた。銀髪に蒼い目をした彼女は、人型となった聖剣レーヴァテイン――通称『レヴィ』である。
「なんでテメェがここにいんだよ」
ガッとゼノフィスの襟元を掴んで立たせると、ガイは低い声で下から睨みつける。ゼノフィスは降参するように両手を上げた。
「いやー、流石に聖剣様がいなくなったら、俺も疑われ始めちゃってよ。もう面倒臭くなったから、トンズラしてきたって訳よ」
「トンズラしてきた、じゃねーんだよ!! どうすんだ、おい! 国家反逆者が二人に増えちまったじゃねーか!!」
「今更、一人や二人、増えたって変わんねーよ。それに、どうせ手配書で回ってくるのは、黒髪ワカメの干物顔だ」
「は!? 干物!? ……ぁんだよ、それ」
ガイは全く気付いていなかったが、どうやらゼノフィスは自分にも認識阻害の魔法をずっとかけていたらしい。ゴリラ顔に干物顔の国家反逆者。なかなかの絵面に、ガイは一気に力が抜けた。
「ほら、そろそろ行こうぜ。おやっさんにも挨拶しないといけないだろ」
「町長さんの所にも寄らないと、だろ。あ――、くそっ! 俺の平穏を返しやがれ!」
「ま、これも腐れ縁ってやつだ」
「そんな縁はいらねぇ!!」
「昔ながらのよしみというものです」
「あ――、まぁ……そうだな、お前は。うん、分かってるよ、レヴィ」
ガイはレヴィの頭をくしゃくしゃと撫でると、後ろで固まったままの子供達とアイシャ達に振り向いた。
「そういう訳で、俺は旅に出る。だから――また、な」
また。
その言葉に、不安そうな子供達の顔がパァッと晴れた。
「うん! またな! また絶対、この町に帰ってこいよ!」
「次は一緒に遊ぼうな!」
「今度はもう少し、刺繍上手くなってこいよ!」
「うっせぇ! てめぇらが感動する逸品を作れるようになってやっから、首長くして待ってろ!」
「私も――私も、父さんの仕事手伝いながら旅をするから、また絶対に会おうね!」
アイシャも歩き出したガイに声をかけると、ガイは背を向けたまま手をひらひらと振った。三年前と変わらないその姿に、アイシャの目尻には涙が溢れ、一筋の雫が頬を伝った。
「―――気持ちのいい、青年達だったな」
父親はアイシャの肩に手を置いた。
「彼らが国家反逆者とは、私も到底思えないよ」
「うん………だって彼らは、この世界を救った『勇者様』達だもの」
遠ざかるガイ達の姿に、アイシャは眩しそうに目を細めた。
*****
町から遠ざかりながら、ガイは半年前のことを思い出す。
魔王城の最奥。生と死を分けた戦い。誰もが満身創痍の中、聖剣レーヴァテインに胸を貫かれた魔王は、青黒い血を吐きながらガイに言った。
『冥土の土産に教えてやろう』
『コアは、ここだけではない。全部で六つだ』
『果たしてお前は、この世界の真理に辿り着けるか?』
それだけを呟いて、魔王は死んだ。その言葉は、肉薄していた自分の耳にしか、届かなかった。
(コアは全部で六つ。この世界の真理、か――)
魔王が死の間際に、何を伝えたかったのかは分からない。だが、この世界にはまだ謎が隠されているようだ。
(……ま、気長に旅しながら、探してみるか)
こうして、元勇者ガイと聖剣レーヴァテイン、そして魔術師ゼノフィスの新たな旅が始まったのだった――
一応、長編も書けるように意識した内容にしています。気が向いたら、長編もボチボチ書いてみようと思います。




