その恋人芝居、点数つけてやるよ
#その恋人芝居、点数つけてやるよ
「お前、結婚しろ。」
唐突な一言に、俺は固まった。
場所は、煌都の裏社会を駆ける組織の応接室。
向かいにいるのは、創設者であり――俺の父、鷹宮忠勝。
“伝説の男”…なんて呼ばれてるが、こんな時はただの厄介な親父だ。
だが、俺に政略結婚を言い渡すには、確かにこれ以上ない人物だった。
「……は? 冗談キツいって。」
「“ルカ様じゃなきゃやだ〜!”ってよ、なぁ。
どこのプリンセスだっつの。しかも風見の娘。厄介だろ?」
ニコニコしながら茶菓子をつまむその顔が――
一番、タチが悪い。
「……マジで言ってんのか。」
「マジで。結婚して、孫見せろ。」
……その瞬間だった。
俺の中で、ふっと――ある顔が、よぎった。
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「……なあ、ナオ。」
事務所に戻った俺は、ソファで報告書を読んでいた青年に声をかけた。
「……お前さ。俺と、付き合ってくんね?」
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煌都の中心にそびえるガラス張りのホテル。
正面玄関に停まった黒塗りの車から、俺たちは降り立った。
――任務は“偽装カップル”。
政略結婚の話をぶっ潰すための、嘘の恋人芝居だ。
まず車を降りたのは、俺。
黒のスーツにノータイ、髪を整え、鏡越しにひとつ笑う。
「……完璧。」
続いて降りてきたのは、ナオ。
ネクタイを指で引き直し、隣に立つだけで空気が変わる。
「……本気でやんのか、これ。」
「今さら何言ってんだよ。腹括ったろ?」
「……お前の恋人役、だろ?…括れるかよ…。」
ナオは深く息をついたまま、会場の入り口を見上げた。
煌々とライトに照らされて、まるで舞台のように光が渦巻いている。
「……で、どう動けばいいんだ。」
「簡単なことだ、ナオ。」
振り返って、にやりと笑う。
「“付き合ってます”って顔で、堂々と俺の隣に立ってろ――それだけで、今夜は充分だ。」
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会場に足を踏み入れた瞬間、空気がわずかにざわついた。
「……今の、鷹宮家の子息じゃない?」
「隣の方……まさか、お付き合いされてる?」
そんな小声が、シャンパンの泡のように弾けては消える。
そのとき、グラスを片手に年配の紳士が声をかけてきた。
「やあ、鷹宮くん。ずいぶんと華やかな登場じゃないか。」
俺は即座に笑みを貼り付ける。
「光栄です、田村さん。久々の“社交界”なので。」
「ふふ……ところで、お隣の彼は?」
一瞬、間が空く。
合わせられるか…?
俺の目線が泳いだ、そのとき――
ナオが前に出る。
「芹原ナオです。……公私ともに、彼とは縁がありまして。」
手を胸元に添え、俺を見つめてやわらかく微笑む。
まるで、“隣にいるのが当然”のように。
「なるほど。それは頼もしい。」
田村が穏やかに笑って去っていった瞬間、小声で呻いた。
「……ちょ、ナオさん?なにその演技力。惚れるわ。」
「黙れ。」
「マジでさ……あんなスパダリムーブ、男でも照れるって……」
ナオが舌打ちしたその時――
俺はナオの腰に軽く手を添えた。
その瞬間。ナオも肩にそっと手を回してくる。
ぴたり。
互いの動きが、かすかに止まった。
「……ちょ、お前、なんでそうなるんだよ?」
「いや、お前の動きの方が変だろ。こっちのほうが自然。」
「いやいや、“恋人役”だぞ?"ダーリン"見る目で俺を見とけって。」
「……その顔でダーリン名乗るの、やめてくれ。」
手を直そうとして、またぶつかる。
歩調も合わず、主導権も曖昧なまま、ちぐはぐになる。
「……ねぇ、あれって本当に付き合ってるの?」
「さっきから妙にちぐはぐよね……」
すれ違う客の視線が、ちらり。
咄嗟に笑みを張り直し、ナオの腕をぐっと引き寄せた。
「ったく……俺が依頼主なんだから、黙って従え。」
「……顔が近い。気持ち悪い。」
「我慢しろ、任務だ。割り切れ。」
ナオがわずかに目を細めたその隙に――
腕を引き寄せると、耳元へ声を落とした。
「なぁ、さっきのって――“言った”ことがある?
それとも、“言われた”側?」
ナオの目が、静かに冷えた。
「……何の話だ。」
「"公私ともに"…って、やつ。」
「……それ、口説いてるつもりならやめとけ。“依頼”で来てるんで。」
「……はいはい、“依頼”ね。」
グラスをくるくる回しながら、ふっと笑う。
「つれねぇなぁ。……ま、シラフじゃやってらんねぇよな。」
ごく、ごく、と、音を立てて流し込んだ。
舌に残るのは、火のような熱さ。
だが顔色ひとつ変えず、グラスを空にする。
「っ……ふぅ。よし、俺のターンだな。」
にやりと笑って、ナオの横顔を覗き込む。
「……ほんとに、いい芝居すんじゃん。意外と、こういうの、慣れてる?」
ナオは沈黙で返す。
喉の奥で笑うと、ナオのネクタイに手を伸ばした。
指先で軽くつまんで、ぴん、と弾く。
わざとらしく首元を直すような動作で、ふいにそのまま耳元へ顔を寄せた。
「……なぁ、俺の芝居の方はどう?“彼氏感”、出てる?」
「出てねぇ。」
即答だ。
でもさらに、踏み込む。
「……なあ、俺の芝居に、点数つけてみろよ。」
その瞬間だった。
ナオの横顔に、かすかな怒気の気配が走る。
「……タチ悪いな、お前。」
グラスを取り、一気に中身を飲み干すと、
次に伸びたのは、俺の腰だった。
「お、おいっ……!」
ぐい、と引き寄せられ、顎に指先が添えられる。
「――なら、俺の“演技”はどうだ?」
…耳元に落とされた声は冷たくて、熱い。
「さっきの“点数”、俺にもつけてもらおうか。
……なぁ、“彼氏感”、出てるか?」
一瞬、本気で動けなくなった。
目が泳ぎ、頬が、ほんのわずかに赤くなるのを感じる。
「悪酔いすんなよ、なぁ。」
その言葉とともに、腰にまわした手を離す。
勢いで少しよろめき、反射的にナオの肩を掴んで体勢を立て直した。
「……あー……、――負けた。」
ナオはすっと手を離し、いつもの無表情に戻る。
「……これが、“依頼”だろ。」
どこまでが芝居で、どこからが本気か。
――もう、誰にもわからなかった。
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任務は、無事に終わった。
日付が変わる頃、既に誰もいないルクシオンのビルに戻ってきた。
薄暗い廊下を歩く。
言葉はない。
けれど、気まずいわけじゃない。
ただ――まだ、“余韻”が抜けきらなかった。
ナオがワイシャツの第一ボタンを外しながら、ちらりと俺を見た。
「……ずっと、ふざけすぎだ。」
ぽつりと落ちたその声に、思わず肩をすくめる。
「演技にしちゃ、やたら反応よかったけどな?」
「“依頼”、だからな。」
即答。
けれど、その語尾はどこか、わずかに滲んでいた。
ガチャ、と事務所のドアを開き、二人でソファに沈む。
「……あー……疲れた。さっきまでの喧騒が嘘みてぇだ。」
天井を見ながらぼそりと呟くと、ナオはグラスの水を一口、含んだ。
「お前が一番、騒がしかった。」
「手厳しいことで。……ま、あれくらいやれば十分だろ。」
そう言って、斜めにナオを見やる。
ナオは視線を合わせず、静かにグラスを置いた。
……俺は、それを見ながら、ふと漏らす。
「……ま、楽しかったけどな。」
ぽつりと落ちたその言葉に、ナオがゆっくりとこちらを振り返る。
「……今の、感想か?」
「お前に頼んだの、間違ってなかったな…って。」
それきり、二人とも黙った。
けれど、沈黙はどこか心地よく、言葉がなくても通じ合うような妙な空気が流れていた。
数秒後、空腹に気づいて立ち上がる。
腹が、ちゃんと鳴った。
「……腹、減った。ラーメン、奢ってやるよ。」
ナオは少しだけ眉を上げたが、すぐに「ああ」とだけ返す。
それだけで、二人はソファを後にした。
「俺、味噌の気分。」
「塩。」
「残念、味噌ラーメンの店しか思いつかなかった。……今日は譲れ。」
――芝居の幕は下りたはずなのに、
名残が二人の足を止めさせるような、そんな夜だった。
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これは、裏社会で戦うふたりの、たった一夜の“余白”。
意味を知らずに交わした一言が、やがて彼らを深く結び、引き裂いていく。
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