9話「渋谷デート(後編)」
ようやく渋谷に着き、改札を抜けると、街の象徴とも言えるハチ公像が見えてきた。広場には観光客や待ち合わせの人々があふれ、雑踏と喧騒がひときわ濃密に漂っている。
「わあ、はーち公! やっぱ渋谷は、若者の街だけあってエネルギーにあふれてるよね!」
ハチ公像を映すように促し、自分と一緒に映っている姿にテンションの上がる〈星屑ミライ〉に、残酷な現実を突きつける。
「……いつの時代の人ですか。残念ながら、今の渋谷はもう、若者の街じゃないんですよ」
「今の渋谷は、オフィスビルが立ち並び、ハイブランド商品が充実した30代、40代向けの街ですよ。若者の街だったのは過去のことなんですよ」
その言葉が耳に入った瞬間、ミライの表情がピタリと止まった。その顔はきれいにフリーズし、目はどこまでも大きく見開き、口は空気のようにパクパクしていた。
『お…おなのなのなのななななんですと?』
言語生成モジュールが壊れたのではないかと思えるほど奇怪な音が聞こえた来た。
『だって…だって…渋谷って言ったら、キャッピャキャなジャンクでコール・スペースなイメージじゃないのっ!?』
「ま、まぁ、若者が来ないってわけじゃないので、そのイメージもきっと間違いじゃないですよ」
なんとか機嫌を持ち直させようと、優しくフォローを入れる。衝撃で混乱した彼女にその言葉が届くかは微妙なところだ。
『タピオカ……』
「えっ?」
『タピオカ食べたい』
食べたいと言われてもバーチャルな存在の彼女が食べ物を摂取できるわけがない。
『代わりに食べて……』
「いや、それは……」
『食べて……』
「はい……」
結局押し切られる形で、俺はミライが指定した渋谷の人気タピオカ店に並ばされていた。
真夏のアスファルトの照り返しに汗は止まらず、冷たいドリンクの看板がオアシスのように思えてくる。
『ねぇねぇ、やっぱり黒糖ミルクにする?それとも抹茶?あ、でも前に配信で人気だったのは──』
スマホ越しのミライは、無邪気にメニューを読み上げながらはしゃいでいる。そんな彼女に相槌を打っていたとき、ふと横を見ると、隣のカップルがこちらを見て笑っていた。
完全に“ゲームに話しかける痛い人”の図だった。胃がきゅっと縮むのを感じながら、俺は無言で視線を逸らす。
タピオカを受け取ると、俺は片手にストローを差し込み、画面越しの彼女に実況するように口に流し込んだ。
◆ ◆ ◆
ゲームセンターの前を通りかかったとき、派手なネオンと電子音が通りにまで漏れ出しており、興味を惹かれつい足を止めた。ガラス越しに目をやると、見覚えのあるシルエットが視界に飛び込んできた。
「……あ」
クレーンゲームの筐体の中、ぬいぐるみになった〈星屑ミライ〉が、棚の中でちょこんと座ってこちらを見ていた。笑顔を浮かべたマスコット仕様の姿に、思わず足が止まる。
『あれ!あれ欲しい!ねえ、取って!今すぐ!』
スマホの画面から、ミライの高い声が響いてくる。
「いや、俺クレーンゲームとか苦手なんですよ……」
『いいから早くぅぅ! わたし、渋谷記念に欲しいの!』
仕方なく千円札を両替機に突っ込み、硬貨を手にクレーンゲームに挑む。が、アームはぷらんと動くだけで、ぬいぐるみの端をかすめることすらできない。
『ちょっと! 何やってるの!? それじゃ全然ダメじゃん!』
「いや、だから苦手なんですって……」
その後も何度か挑戦してみるが、アームは頼りなく滑るばかりで、手応えというものがまるで感じられなかった。ただ無情に硬貨だけが吸い込まれていく。
『はぁぁ……もう、見てらんない。いい?これからわたし、本気出すから。わたしの言うとおりに動かして』
本気の意味はよくわからなかったが、ミライが画面越しにクレーンの位置とタイミングを計算し、次々に指示を出してくる。
『右に1.3センチ……もうちょい……よし、そこでストップ!降ろして!』
2回目のトライで、アームがぬいぐるみの頭をしっかりとつかんだ。慎重に持ち上げられたそれは、ついに取り出し口へと落ちてきた。
「……やった」
『よっしゃー!やったぜーーーっ!やっぱりわたし、天才だねっ!』
画面の中で、ミライがぐるぐると回転して喜びを爆発させている。
◆ ◆ ◆
本屋の前を通りかかったとき、涼しげな空調と紙の匂いに誘われて、ふらりと中に入った。エスカレーターを上がった先、コミックコーナーの平台で、ひときわ目立つ表紙が目に入る。
『あっ、これ!読んでたシリーズの新刊じゃん!わたし、ずっと気になってたんだ~』
スマホ越しにミライが声を弾ませる。表紙には、美少女と巨大ロボットが描かれていて、どう見ても彼女好みのジャンルだ。
「……って、いやいや、あなた紙の本なんか買ってどうするんですか。読めないでしょ、そもそも」
『いいの!持ってたいだけ!表紙のデザインとか、持ってるだけで満足なの!』
「いや、コレクターですか……」
苦笑しながらも、つい手に取ってレジに向かってしまう自分がいた。
そのまま階段を上がって専門書フロアへ。自分の専攻分野の棚に目を向けると、馴染みのある出版社のタイトルがずらりと並んでいる。
「うわ……これ、1年の講義で使ったやつだ。まさか本屋にも普通に並んでるとは」
『それって、大学の授業で使う教科書なの?』
「そうです。その講義の担当教授が執筆した本らしいです」
(自分で書いた本を講義で指定して学生に買わせるって、ちょっとマッチポンプすぎないか……?)
教授と出版社の癒着が一瞬頭をよぎったが、さすがに考えすぎだと首を振って追い払った。
本棚を巡っていると、ふと1冊の本が目に留まる。
――『AIと意識 機械はどこまで「私」になれるか』
そっとスマホの画面に目をやる。
ミラージュの社長から星屑ミライのAIを託されてからというもの、ずっと彼女と時間をともにしてきた。
俺には彼女が「ただのAI」とはどうしても思えなかった。表情の揺らぎ、言葉の間、何気ない沈黙までもが、人間と変わらない自然さを持っていた。
――本当に彼女は“機械”なのか?
もしも、そこに意識のようなものが宿っているのだとしたら、それは病室で静かに眠る本物の星屑ミライなのか。それとも、記憶や性格をなぞって生まれた、まったく別の新しい存在なのか。
その答えを、俺はいまだに見つけられずにいた。
◆ ◆ ◆
その後も、ミライの指示で若者ファッションの路面店を冷やかしたり、キャラクター雑貨を見たり、汗だくで渋谷を歩き回る。
途中で何度も弱音が出そうになったが、彼女の楽しげな声に押されて足を止めることはなかった。
日が傾き始めた頃、とうとう足が止まり、その場に腰を下ろす。
「もう無理……熱中症になる……」
息を切らしながら言うと、スマホの画面からそっと声が返ってきた。
『私ね、本当は……もう二度と、こうして誰かと一緒に食べ歩きなんてできないと思ってたの』
『でも、今日はほんとに、楽しかった。ありがと。』
小さな声だったけれど、その言葉は真夏の空気の中で、妙に静かに胸に染みた。
たとえそれが仮想の存在でも──この夏の日は、確かにふたりで歩いたものだった。