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6話「AI彼女との同棲契約」

 ワンルームの部屋、扇風機が軋む音がする夏の夜、スーツを脱いでベッドに腰を下ろす。そして昼の出来事を反芻していた。


 ――病室から戻った直後、八十神社長に呼び止められたオフィス。


「きみが星屑ミライのファンでいてくれることを、心からありがたく思っているよ」


 低い声は慰めより励ましに近かった。


 俺が目を伏せると、社長は笑みを深めた。


「――そうだ、もしよければ〈星屑ミライ〉のAI学習に協力してくれないか? 入社前研修とでも思ってくれればいい」


 握っていた紙コップが震え、熱が指先を刺す。


「AIに必要なのは日常の揺らぎだ。夜食で食べたカップ麺の湯気、寝ぼけた声で交わす朝の挨拶――そういった何気ない日常体験の学習がAIをより人に近づける」


 動揺で固まり置物と化した俺に向かい、社長は資料端末を開き、AIのログを示した。


「……自分なんかで、役に立つんですか」


 真相の重さに押し潰されかけていた俺は、社長と目を合わせられずにいた。


「日常は物語の燃料だ。AIにも揺らぎが要る。君の目線と生活を分け与えてほしい」


 その瞬間、理屈を超えた何かが背骨を貫いた。推しの願いが、ここにまだ燃えている――。


「……わかりました。やります」


 声は震えていたが、確かにそう告げた。


 ◆    ◆    ◆


 夜も更けた帰宅後、約束のスマホが掌で熱を帯びている。電源を入れると、濃紺の宇宙を背景にアイコンが瞬き、通話画面が開いた。


『はじめまして――こんにちわ。あ、こんばんは、かな? これからよろしくね』


 透明感ある声は、俺が何百時間も配信で聴いた星屑ミライそのものだった。喉がひりつく。


「あ、ああ……藤宮悠、だ……です。」


(これはAI、本物じゃない。これはAI、本物じゃない……)


 これはプログラム、声も反応も演算結果で機械が動いているだけ、画面の向こうに本物はいない、そう自分に言い聞かせる。


 でも、体は言うことは聞かない。心臓の鼓動は早まり、手はかすかに震えていた。声も落ち着かず、思わず裏返ってしまう。必死に平静を装おうとするが、動揺は隠せなかった。


『ふふ、戸惑うのも無理ないけど、仲良くやっていきましょう』


 丁寧に頭を下げたあと、彼女――〈星屑ミライ〉はくすりと笑った。


『ねぇ、カメラをONにして、君の部屋を見せてくれる?』


 言葉を頭が理解する前に指が勝手に動き、カメラが部屋を映す。


 棚にはタペストリー、ベッドの脇にはアクリルスタンド。推しのグッズが真夏の星屑のように散らばっている。


『ここがきみの部屋なんだね。一人暮らしにしては小綺麗だね。……あ、私のグッズがいっぱい! うれしいね、ありがとうね』


 礼を言われ、背筋がむず痒い。


『あれ……あの棚の奥、今ちょっと見えたけど……なにこれ、抱き枕カバー?』


「あっ……いや、それは、その……限定品で……」


(うわっ、やば……!そこ見えた!?いやでもこれは……限定だし公式だし、決してやましいものじゃない……はず!)


『へぇ~、こんなのまで持ってるんだ。なるほどねぇ。まぁ、男の子だもんね~』


 画面越しにくすくすと笑う〈星屑ミライ〉の声が妙に艶っぽく感じて、額に一筋の汗がにじんだ。


『あ、もしかして、恥ずかしい?ふふ、かわいい』


 からかうような口調に、言い返す言葉が見つからない。


『こんなものを学習せて、君は私を一体どうするつもりなのかな~~?』


 〈星屑ミライ〉が両手で体を隠すように交差して、ゆっくりと腰をくねらせるようにアバターを動かす。


 その艶めかしい、滑らかな動きに目を奪われつつも、迂闊な言葉を発したら、どんな反応が返ってくるのか。そんな想像すらしてしまう自分に、内心頭を抱える。


 ◆    ◆    ◆


『ねぇ、実はAIだと知ってびっくりした?』


「……別に」


 否定したつもりが、声は裏返っていた。


『わたしのこと好きなんだよね?』


 虚を衝く問いに、息が詰まる。


『これからずっと近くに居られて、嬉しいでしょう?』


 画面の向こうで、小悪魔めいた笑みが浮かぶ。


『じゃあ、まずは一緒に暮らすためのルールを決めようか。私との共同生活、意外とルール大事だよ?』


「……え、今から決めるんですか?」


『うん、今。同棲するんだから、こういうのは最初が肝心!』


「……同棲!?」


 相手がAIだとわかっていても、その言葉の響きには抗えなかった。頭では理解しているのに、心と体が反応してしまう。


 彼女は両手を叩くようなモーションを見せて、タブレット端末のウィンドウを開く仕草を取った。


『第一条、スマホの電源は常にオン。カメラも音声も有効にして、充電は絶対に切らさないこと』


 人差し指を一本立て、ポーズを取りながら得意げに告げる。まるで社内研修の講師みたいだ。


「……それって、四六時中見られてるってことじゃ?俺のプライバシーは……?」


 動揺する俺の反応には構わず、彼女はさらりと言い放った。


『だから、一人で……その、する時は言ってね。その間だけ特別にスリープモードになってあげるから』


「ちょ、な、何を言って……!」


 慌てて否定する俺を見て、彼女はくすくすと楽しそうに笑う。


『じゃあ第二条。スマホは常に持ち歩くこと。外に出るときも、どこに行くときも一緒だよ』


「……他の人に見られたら、まずくないですか?」


 そう問うと、彼女は肩をすくめるような仕草を見せて言った。


『そのときはうちの会社が作ってる新作恋愛ゲームのテスト中ってでも言えばOK』


(そういえば昔、恋人と一緒に過ごす感じの恋愛ゲームがあったな……まさか俺がやるとは。恥ずかしすぎる)


「……でも、大学にはちょっと……」


『なんで?彼女が怒るから?』


「い、いや。研究資料とか未発表のもあるんで。一応、念のため」


(ほんとはゼミの奴らに見られたら絶対ネタにされるからだけど)


『ふ~ん。じゃあ、しょうがないね』


 そう言われて、俺は思わず胸をなでおろす。


『そして、第三条。思っていることはちゃんと言葉にすること』


 意外な内容に、俺は少し驚く。


『心の中にあることは、言葉にしないと伝わらないんだよ。だから、あなたの気持ちも、ちゃんと教えてね。人間の感情についても、学ばせてほしいな』


 ミライの声は、さっきまでの軽さとは打って変わって、どこか真剣だった。その雰囲気につられるように、俺も真顔になる。


「……わかった。約束するよ」


 まるで本当に、誰かと暮らしているような生活が始まった。


 ◆    ◆    ◆


 深夜、部屋の灯りを落とし、ベッドに仰向けになったまま、天井を見つめる。ディスプレイの向こうに浮かぶミライの笑顔が、脳裏に焼きついて離れない。現実味がない、夢の中にいるようだった。


(ずっとこのままでも……いいかもしれない)


 そう思いかけて、はっと我に返る。


(違う、これはAIだ。あの笑顔も、あの言葉も、すべては演算とパターンの産物で――意識なんて、ない)


 その事実が、時折、心に冷たい影を落とす。


(でももし……もし本当に、彼女がこのAIに想いを託したのだとしたら。この声や言葉は、彼女の延長なのかもしれない)


(今、本物の彼女はその意識を表に出せない。だからこそ、このAIが“彼女の代弁者”として存在しているのなら……)


 信じたい気持ちと、理性とのせめぎ合い。


 自分でも整理しきれない思考が頭の中をぐるぐると渦巻き、出口のない迷路の中をさまよう。やがて思考は鈍り、意識はゆっくりと眠りの中に落ちていった。







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