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4話「推しの正体へ続く扉」

 星屑ミライの復帰配信を解析し、「彼女はAIか否か」で揺さぶられた夜から、藤宮悠の生活リズムは歪んだ。


 授業中に書くはずの数式がノートの端で波形スペクトルへ化け、学食で箸を割れば割り箸の筋までブレスノイズに見える。


 研究室ではGPU ジョブを終了し忘れて演算負荷を倍にし、温厚の仮面を被った准教授に「寝不足か」と肩を叩かれた。


 ──いったいどうしたらAIかどうか決定的に見分けられるのか。


 顔トラッキングの遅延、呼吸間隔、咽頭マイクの位置──可能性を並べるたび、“配信”という黒い壁にぶつかって解像度が足りなかった。


「また推しの研究してるんですか?先輩、最近ずっと眉間にシワ寄ってますよ」


 研究室のPC前で黙々とログを眺めていた悠に、背後からひょっこりと顔を出したのは、学部4年の後輩・姫島まりだった。


 からかうような声色の裏に、微かに刺すようなものが混じっていた。悠はグラフウィンドウを閉じたまま、曖昧に頷く。


「復帰後の配信は、どう考えてもおかしい。ノイズの抜け方が妙に滑らかすぎるし、息継ぎの間隔も機械的っていうか、明らかに以前と違う」


「そんなことまで気づくなんて、やっぱり先輩って変態ですね」


「……おまえに言われても嬉しくない」


「そんなにバーチャルがいいんですか? 画面の向こうばっか見てないで、もっと現実の人間にも目を向けましょうよ。ほら、先輩のすぐ隣に結構いい女いるじゃないですか」


 深く息を吐き、しぶしぶといった様子でモニタから視線を外す。姫島は一瞬だけ視線をそらし、気まずさをごまかすように笑顔をつくってから、いつもの軽い調子でカップを差し出した。


「コーヒーいれたんで。冷める前に飲まないと損ですよ。……行き詰ってるときほど、一回深呼吸して立ち止まると見えるものってあるじゃないですか」


 一見素っ気ないようでいて、そこには確かな感情の温度があった。受け取ったカップから立ちのぼる湯気には、思いやりの温度とは違う熱もほんのりと混ざっている気がした。


 ◆    ◆    ◆


 その日も結局、何の進展も得られないまま時間は過ぎていった。


 そして夜、学部棟からタクシー通りへ出たところで、ふと視界の端に光が差し込んだ。見上げると、ビル壁面の巨大スクリーンが鮮やかに映像を流しているのが目に入った。


 〈Mirage Inc. 2026 新卒採用〉。


 その瞬間、ずっと頭の中を覆っていたもやが突如取り払われた。ずっと曇っていた視界が一気に晴れていくような感覚。


 運営本社に入れば、スタジオ音声の生データに触れられる。そうなれば、推しがAIなのかを見極められる。疑いを確かめられる。


 だが博士課程へ進む進路を、広告ひとつで曲げるのか──。


 そんな馬鹿な、冷静になれ、これは一時の感情だ。人生の将来を広告ひとつで転覆させるのは早計にもほどがある……が、


「推しの隣に行けるかもしれない」


 思わず出たその呟きひとつで、あっさり理性がスライドして消えた。


「──♪」


 躍る心でその日のうちにエントリーフォームを開いて申し込み、書類選考は拍子抜けするほどあっさり通過した。


 履歴書の研究業績欄に「Deep Speaker Verification on VTuber Corpora」と書いたのが功を奏したのか、「興味深いテーマですね!」という人事からの返信メールがすぐ届いた。


 適性テストはコーディング速度を競うタイムアタック形式。ミライの朝活をBGMに、問題を片っ端から片づけていく。二時間後、手応え十分で提出ボタンを叩いた。


 一次のオンライン面接では、人事2名に「ファンコミュニティ文化をどう理解していますか」と尋ねられ、七味とミライの呼称の歴史を十分間熱弁を振るったら、モニタ越しに拍手のスタンプが飛んできた。


 技術二次は音声合成エンジニアと一対一の技術深掘り。 「最近注目の自己回帰モデルは?」という問いに、「FastDiffと音質評価の相関を実機検証しました」と即答し、自作のGitリポジトリを共有。


 翌日には「内定条件の最終面接へお越しください」というメールが届いた。


 ──順調そのもの。まるで世界そのものが祝福してくれているようだった。


 ◆    ◆    ◆


 だが最終面接前夜、胸の動悸は速かった。


 持っていく話題の半分は「AI疑惑」だったはずが、いつの間にか頭の七割を占めていたのは「会社通用口で偶然すれ違うかもしれない推し」の妄想だ。


 自室で鏡に向かいネクタイを巻き直す手が、ほんのり震えている。


 本社ビル最上階の執務室は、壁一面の窓と黒革の長ソファ、胡桃材のデスクだけが置かれ、音を吸うように静かだった。


 社長・八十神は黒髪を整えた四十代、ネクタイをせずカフスも外し、物腰だけが鋭い。


 面接は終始凡庸だった。


 研究内容、チームでの失敗談、休日の過ごし方──型通りに応えていくうち、緊張は薄れ、最後の定番が来る。


「何か聞きたいことある?」


 迷いが喉で渦を巻く。だが疑惑を確かめるためにここまで来た。押しとどめれば嘘になる。


「はい。星屑ミライさんが先日復帰されましたが……あれはAIなのでは、と考えております」


 ◆    ◆    ◆


 空気が凍り、八十神の瞳が僅かに細まる。


(失言だったか?推しを侮辱した?最悪不採用どころかブラックリスト?)


 ──冷や汗が悠の背を伝う。


「なんで、そう思うわけ?」


 社長はため口のまま、語尾を下げずに問うた。


(やばい、怒っているかもしれない。でももう後には退けない)


「失礼を承知で申し上げます。私は彼女の卒業前と復帰後あわせて、計五百四十三本のアーカイブ音声を抽出いたしました」


(声が震えるな、落ち着け。論文発表と思え)


「基礎スペクトル、フォルマント、F0 分布につき、それぞれ誤差は二パーセント前後で、話者同一性は統計的に一致いたします。一方で――」


(早口すぎるか?でもデータは正確だ)


「復帰後配信における“完全一致波形”の検出率が、卒業前の百五十倍近くに跳ね上がっております。リアルタイムでこれほど同一波形が重なるのは、ループ再生か、生成音声をプリセットで呼び出している場合を除き、物理的に困難と考えます」


(社長の眉、動かない。怒ってる?AI疑惑なんて的外れだったか?)


「したがいまして、『高精度な合成システムが介在している』可能性が最も説明力を持つと――私は推論いたしました」


(言った。息が切れる。終わったら水をくれ)


 説明を終えると、室内の秒針の音が浮き彫りになった。


 八十神は顎に指を当て、一度だけ窓の外に目をやる。


「今日、このあと予定ある?」


 ため口のまま低く聞かれ、思考が数秒ホワイトアウトした。


「い、いえ、とくには」


(何だその返事。間抜けすぎるだろ俺)


「ちょっと、付き合って」


 立ち上がり、内線を手に取る社長。


 何が始まるのか分からない。


 採用か不採用かも告げられていない。


 それでも身体は勝手に立ち上がり、背広の裾を直す。


(これは真実の核心に近づくフラグ?あるいは処刑場へのエスコート?いや考えすぎるな。推しの隣へ続く扉かもしれない)


 透けるガラス扉の向こうに、エレベーターホールの柔らかな照明が伸びていた。


 悠は深く息を吸い、社長の背中を追った。



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