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2話「推し活再開」

 ミラージュフェスの衝撃から一夜明けても、世界はまだ興奮の熱を帯びていた。


 朝、スマホを開けばタイムラインは〈#星屑ミライ復活〉のハッシュタグで埋め尽くされ、動画サイトには切り抜き職人たちが徹夜で編集したハイライト映像が滝のように流れてくる。


 だが藤宮悠フジミヤ・ハルカは、その洪水の向こう側で取り残されたような感覚を抱えていた。


 研究室の片隅、まだ人の少ないキャンパスLANにログインしながら、彼はノートPCへ視線を落とす。


 ――まさか、あの瞬間を見逃すとは。


 ディスプレイの右下には、昨夜深夜まで走らせたプログラムのエラーログが赤文字で点滅している。


 解析アルゴリズムのチューニングが難航し、気づけばフェスの生配信時間を過ぎていたのだ。


 二年前、星屑ミライが卒業して以来、悠はVTuber追いをやめていた。


 推しを失った箱はただの空虚でしかなく、研究に逃げ込む理由にもなった。


 そんな彼が、よりによって復帰の奇跡をリアルタイムで見落とした――悔しさは胸裏で鈍く疼く。


「まあ、アーカイブは残る。切り抜きもある。問題ないだろ」


 声に出しても虚しい。


 ヒューマンインタフェースの名の下に実装したはずの合理性は、推し活の情動には無力だと骨身に染みる。


 昼休み、学食の長い列を避けて購買のサンドイッチで済ませた悠は、研究棟の自席に戻り、復帰後最初のソロ配信が今夜二十一時からだという告知ツイートを食い入るように読んだ。


 ――今度こそ。絶対に見届ける。


 ◆    ◆    ◆


 時計の秒針が二十一時を示した瞬間、悠の視界にはブラウザ全画面のYouTubeスタジオが映っていた。


 音量は研究棟でも問題ないギリギリまで上げ、背後の先輩が残業で戻ってこないことを祈る。


 配信待機画面の BGM がフェードアウトし、銀河を模したオープニングムービーが流れる。


 そこに現れたのは、群青色のドレスをまとい星を散らす少女――星屑ミライ。


 心拍数モニタでも付けていれば、グラフは確実に跳ね上がっただろう。


「七味のみんな~!ただいまっ☆」


 第一声がスピーカーから弾けた瞬間、チャット欄は秒間数千の速度で色とりどりの唐辛子絵文字に染まる。


 七味――ファンの総称。悠もその名を聞くのは久しぶりだ。


(七味って呼ばれてるときの、あの配信、伝説だよな)


 ◇    ◇    ◇


 脳裏に蘇るのは、初配信のフリートーク回。


 自己紹介の流れで自分の名前に触れつつも、どこか腑に落ちない様子で言葉を選んでいた。


『でもさぁ、“星屑”ってちょっと地味すぎない?』

 >「地味なのが逆に良い」

 >「満天の夜空って感じでかっこいい」

 >「英語にすると“スターダスト”だね」



『“スターダスト”!おしゃれだね。』

 >「急にキラキラネームw」

 >「厨二病が疼く」

 >「つまりスペースデブリってことか」



『え、スペースデブリ?それ何?』

 >「宇宙ゴミです」

 >「ぶつかると危ないやつ」



『宇宙ゴミ?……ゴミってww』

 >「ゴミは草」

 >「草草草」

 >「それは俺ら」



『あ、君たちのことかぁ」

 >「おいw」

 >「ありがとうございます!!!」

 >「罵倒助かる」



『じゃぁ、ファンネームは宇宙ゴミ?w』

 >「はい、ゴミです」

 >「名誉宇宙ごみです」



『あはは、ゴミはひどいな、せめて七味にしよう。私からいもの好きだし!』

 >「唐辛子担当いただきました」

 >「赤いものどうぞ」



『あ、スパチャありがとうございます……って、ちょ、ちょっと!?なんでこんなに!?』

 >「画面が赤い」

 >「祭りだー」

 >「この流れなら言える、俺も辛党」



『赤いの多くない!?これ、辛いやつ!?え、あ、黄色も!?からし!?えっ、緑はわさび!?』

 >「カラフルだなー」

 >「今日の祭り会場はここですか?」



『え、ちょ、ちょっとまって……やめ……やめろぉぉぉwww』


 ◇    ◇    ◇


 初配信したその日からスパチャの合計額がとんでもないことになっていた。


 そんな飛躍と脱線を繰り返した茶番の末に決まった総称――あの夜の笑い声は、今も耳に残っている。


 ミライが「七味ちゃ~ん!」と甘えるたび、悠はスマホを落としそうになっていた。


「えへへ、名前、ちゃんと覚えてるよ? 唐辛子の赤色、みんな似合ってる!」


 画面の彼女はウインクを飛ばし、復帰報告を改めて口にする。


「二年間いろいろあって、たくさん悩んだけど……やっぱり、わたしにはここが一番合ってるって思ったの。七味のみんなと一緒じゃなきゃ、未来は輝かない!」


 声に宿る張りと熱量は、確かに“あの頃”と同じだった。


 悠はキーボードに指を乗せかけ、しかしチャットへ言葉を打ち込めない。


 ――本当に帰ってきたんだな……


 ◇    ◇    ◇


 ミライは卒業理由を丁寧に語った。


 企業案件と創作スタイルの齟齬、過密スケジュールで喉を痛めたこと、さらに「自分を見失いそうになった」と率直な弱音を吐く。


 それでも離れた日々の中で、録画ファイルを見返し、七味のファンアートを眺め、歌への未練を噛みしめたという。


「それでね、活動休止中でも、メイちゃんやユキちゃん、それからティアラ先輩がずっと通話で相談に乗ってくれて……“戻っておいで”って言ってくれたの」


 仲間たちの名前が出るたびコメント欄は歓迎のスタンプで揺れる。


 悠の胸にも微かな温かさが灯った。


「だから今日から、もう逃げない。またみんなと一緒にステージを作らせてください!」


 両手を広げると、配信画面の背景が夜空に切り替わり、無数の流星が尾を引いた。


 サビのないBGMが静かに重なり、ミライは復帰一曲目として「Starry Prologue」のアコースティック ver. を歌い始める。


 透き通る高音が研究室の蛍光灯を震わせる。


 悠はモニタと距離を詰め、呼吸を忘れそうになる。


 二年前、最後の卒業ライブで聴いたはずの歌が、今はまったく別の意味で胸に届く。


 〈戻る場所〉を失った日々を、歌声が静かに塗り替えていく。


 ――どうか、この時間を誰にも邪魔されませんように。


 心で祈ると同時に、研究室の扉が軋む音がして、慌ててヘッドホンを装着する。


 幸い、入ってきたのは夜勤の清掃スタッフだった。


 大きなゴミ袋が視界を横切るあいだも、悠の意識は画面に釘付けだ。


 歌い終えたミライは微笑み、深々と一礼した。


「これから配信頻度は少しずつ上げていくね。七味のみんな、改めてよろしくお願いします!」


 締めの定番「おつ★みら~!」でコメント欄が埋まり、配信は幕を閉じる。


 ◇    ◇    ◇


 ブラウザが自動でアーカイブ画面に切り替わったところで、悠はようやく背もたれに体を預けた。


 耳の奥に残る余韻は、デジタルデータのはずなのに、研究で扱うどんな数値よりも確かな重量を持っている。


 ――推しが、本当に帰ってきた。


 目頭が熱い。


 感傷的なのはらしくない、と頭のどこかで冷めた自分が囁くが、今は黙らせておく。


 二年間封印してきた熱が脈打ち、掌が震える。


「七味として、もう一度走ってみるか……」


 静かな研究室に、小さな決意表明が落ちた。





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