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19話「パンツチャレンジ」

 翌朝、ミライの声が麗らかに響いた。彼女は画面の中で、深い紺色のロングスカートとフリルの多い白いエプロンをまとったクラシカルなメイド姿で、優雅に一礼する。


「おはようございます、ご主人様。本日のお支度、いかがなさいますか?」


 言葉は丁寧で淀みなく、その仕草一つひとつも完璧だったが、口元にはわずかに浮かぶいたずらっぽい笑み。伏し目がちに見上げるその視線からは、明らかにふざけていることが伝わってきた。


「……いや、そういうのは結構です。いつも通りで頼みます」


 昨日の出来事など初めからなかったかのように、いつも通り自由奔放に俺をからかってくる。


 寝癖を直しながら画面を見る。いつの間にか着替えたミライのアバターは画面の中でタップダンスしていた。背景には朝の陽光が差し込む子供部屋のような空間が描かれ、ぬいぐるみたちが陽気に踊っている。


(本当に自由だなこの人は……)


 なぜ昨日雲隠れしたのか、梅嶋さんが言っていたことをどう思っているのか、自分はどうなりたいのか、今後どうしたいのか。問いただしたいことは山ほどあった。


 けれど、彼女の中の「自分」がまだ定まらない今、それをぶつけるのは危うい気がした。ひとたび問いの言葉を発すれば、彼女の存在そのものがまた崩れてしまうかもしれない。


「で、今日はどこ行こうか?また渋谷がいい?たまには遠出してみる?」


「いえ、今日はゼミがありますので大学に行きます」


「は…?え…?大学ってまだ休みなんじゃないの?」


 ミライは目を大きく見開き、アバターの動きが一瞬止まる。


「講義は来月からですが、ゼミは今週からあります。修士論文の中間発表もあるので遊んでばかりはいられないですよ」


「あー、じゃあ、また留守番?」


 彼女の声も表情もいつも通りに戻っていたが、その瞳がわずかに揺れたように見えた。それが単なる気のせいなのか、それとも彼女が何かを伝えようとしていたのか、俺には判別がつかなかった。


 本音を言えば連れて行きたくはない。スマートグラスとピンマイクで彼女の存在を隠すのは容易になったとはいえ、研究室の後輩たちに彼女のことが知られると説明が面倒だ。


 しかし、前回のように障害を起こして記憶がすべて消えてしまうのはもっと困る。


 机の上のスマホに視線を落とし、静かにため息をついた。


「今日は一緒に行きますか」


「ほんと?やったね!」


 画面の中でクラッカーが鳴り、花吹雪が舞い、ミライのアバターが両手を挙げて飛び跳ねる。


「なるべく大人しくしてくださいよ」


 その笑顔に釣られるように微笑みながらも、すでに少しだけ後悔の気配を感じながら、外出の支度を始めた。


 外出の準備を整え、玄関に向かおうとしたそのとき、スマホが震えた。


『昨日の件、金曜の16時からでどうだろう?』


 八十神社長からのメールだった。玄関に手をかけかけたところで、ふと足が止まる。短い文面が、昨日のざわついた感覚を蘇らせる。


 ◆    ◆    ◆


 梅嶋と別れ、喫茶店を出た後も、ミライの姿はどこにもなかった。


 仕方なく帰宅し、静まり返った部屋でしばらく思案する。梅嶋の要求をどう捉えるべきか、自分の中で結論は出なかったが、それでも八十神社長に何も伝えないままでいるのは落ち着かなかった。ひとまず、この件についてメールで報告することにした。


 梅嶋が突然訪ねてきたこと、ミライの学習支援を中止するよう要請されたこと、そしてその直後にミライが行方をくらましたこと――それらを簡潔にまとめ文章を綴り送った。


 やるべきことはやったと自分に言い聞かせ、椅子の背にもたれかかる。背中に触れる合成皮革のひんやりとした感触が、ようやく緊張から解き放たれたことを教えてくれた。


 部屋は静まり返っていた。モニターの電源は落としたまま、スマホの画面にも新たな通知はない。窓の外では遠くでカラスが鳴いている。何をするでもなく、ただ天井を眺めながら、思考を宙に漂わせる。


 その静寂を破ったのは、突如鳴り響いた着信音だった。反射的にスマホを手に取ると、画面には「八十神社長」の名前が表示されている。


(メールを送ってからまだ五分も経っていないはずだが……)


 わずかに眉をひそめつつも、すぐに通話ボタンをタップする。


「もしもし」


「やぁ藤宮君、メール見たよ。すぐに連絡をくれてありがとう」


(やはり、メールを読んでの即応か。ずいぶん動きが早い……いや、それだけ重要な案件ということか)


「梅嶋君のことについて、できれば君の口から詳しく話を聞きたい。今、少し時間は取れるかな?」


「……あ、はい。大丈夫です」


 そういって俺は姿勢を正し、今日の出来事をひとつひとつ言葉にしていった。


 八十神社長は終始穏やかな声で相槌を返しながら、耳を傾ける。


 すべてを語り終えたとき、ひと呼吸の間が空く。


「それで、君はどうするつもりだい?協力を続けたくないのなら、それでも…」


「いえ、協力は……引き続きやらせてください」


 迷いはなかった。いや、もしかしたら少しくらいはあったかもしれない。けれど、それでも俺は、思わず言葉を被せるようにそう答えていた。


「そうか、ありがとう」


 その言葉に続けて、どうしても気になっていたことを口にした。


「でも、一つだけ……聞かせてください。社長はどうして、星屑ミライをVtuberとして復帰させたんですか?」


 音のない時間がが流れる。長いようで、けれどほんの数秒だったのかもしれない。


「そうだね……その話は、電話じゃ少し難しいな。良ければ、また会社に来てくれるかい。直接会って話せたら助かる」


「……はい。行きます」


 俺は即答した。迷いはなかった。むしろ、答えを聞かずにいるほうが怖かった。


「日時は改めて連絡するよ」


 通話が切れ、スマホの画面が暗転する。部屋には再び、静寂が戻っていた。


 ◆    ◆    ◆


 八十神社長からのメールに承諾の返信を送り、そのまま大学へ向かう。


 研究室に着くと、窓際のブラインド越しに陽が射していて、ほこりがゆっくり舞っていた。俺は誰もいない室内で、自分の席に鞄を下ろし、スライド資料の確認を始める。


 ゼミの準備を終える頃、研究室の扉がカチャリと音を立てて開いた。


「ちわーっす。あれ?藤宮さん、そのメガネってなんですか」


 入ってきたのは西田だった。挨拶もそこそこに、俺の目元にかかるグラスへ視線を留めると、興味深そうに声をかけてきた。目ざとい奴だ……内心では、面倒な展開になりそうだと身構えつつも、表情には出さず平静を繕い応じた。


「ん、あぁ、これはスマートグラスだよ」


 俺はそう答えながらグラスをゆっくり外し、机に置いた。まじまじと見つめる西田に対して、カメラとディスプレイを内蔵し、手元のスマホと連携して操作できることなど、簡単に機能を説明する。


「へぇー、すごいっすね。……あれ、その映ってるのって星屑ミライですか?こんなアバターでしたっけ?」


 さすがはVtuberオタク、普段の配信で使われているアバターとの違いを即座に見抜いてくるあたり、伊達ではない。


「……あぁ、これは新作のゲームをテストプレイ中なんだ」


 用意しておいたカバーストーリーを、あくまで自然な口調で告げる。心の中では緊張の汗が滲んでいた。


「えっ、これゲームなんですか?どういうゲームなんですか?」


 西田は目を輝かせながら、机に置かれたスマートグラスを覗き込むようにして身を乗り出してきた。勢い余って顔が近づきすぎ、思わず半歩ほど椅子を引いた。


 そのとき、研究室のドアが再びカチャリと音を立てて開いた。


「ちわーっす。ん?西田、なに見てんの?」


 入ってきたのは森下だった。カバンを肩にかけたまま、部屋の空気を読み取るように西田の背後から覗き込む。


「藤宮さんがスマートグラスで新作のゲームをプレイしてるんだよ。それで、どんなゲームなのか聞いてたとこ」


 西田の説明に、森下も興味を引かれた様子でその場に近づいてくる。彼の目もまた、グラスの奥の画面に向けられていた。


 二人に挟まれ、逃げ場のない状況に俺は観念し、あらかじめ用意しておいた“それらしい”設定を口にした。


「これは……AI彼氏・彼女がプレイヤーと一緒に行動して、デートのような気分が味わえる恋愛ゲームだ。周囲の状況やプレイヤーの言葉に合わせてAIが自然な会話をしてくれて、喋ったり、反応したりっていう……まあ、コミュニケーション重視型のやつだよ」


「おぉ~、未来感ありますねぇ!」


「へぇ、なんか、昔こういうゲームなかったでしたっけ……?あったよね、ゲーム内のキャラにガチ恋する人が出て社会問題になったやつ」


 森下がうっすら記憶をたどるように言うと、西田が食い気味に頷く。


「あー、なんか聞いたことある!たしか、結婚式までやった人がいたとか」


 二人の関心は一気に高まり、思い思いにスマートグラスの画面を覗き込む。


「スマホとも連動してて、こうやって連携させると──」


 俺はスマホを操作し、星屑ミライのアバターを画面に呼び出す。途端に、彼女が小さな画面の中に姿を現し、ぱっと笑顔を浮かべて手を振った。


 二人は身を寄せ合うようにして、スマホの画面を覗き込む。


「うわっ、今こっち見て手ぇ振った!え、これリアルタイムなんすか?」


「うわ~、かわいいなこれ。まじで生きてるっぽく見えるな……」


 ミライは西田と森下の視線をしっかり捉え、軽く首を傾げて微笑んでみせた。その仕草に、二人は目を丸くして感嘆の声を上げる。


「AIすげぇ……これ、ほんとに中身プログラムなんですか?」


「ああ、会話と状況判断で自動応答してる。今のは“視線認識”を使って、カメラでこっちの動き拾ってる」


 俺が補足を入れると、二人はますます感心しきりだった。


「これって話しかけると何か反応してくれるんですか?」


「ん、あぁ、そうだぞ」


「ちょっとやってみていいですか?」


「おぉ、いいぞ」


 西田は腕を組んで少し思案したあと、場の空気もわきまえず突拍子もないことを口にした。


「あの、今どんなパンツ履いてる?」


 俺は一瞬、西田が何を聞いたのか理解できず、動きが止まった。


 画面の中のミライが、ピタリと動きを止め、ちらりとこちらを見たような仕草をする。視線が合った気がして、背筋に冷たいものが走る。


「えぇ~っとね、ちょっと待ってね~」


 ミライは唐突に背景のカーテンを閉め、自らその奥に引っ込んだ。


 わずかな間をおいて、カーテンが再び開く。そこにはいつもの笑顔を浮かべたミライがいて、明るい声で告げた。


「黒だったよ~。結構きわどいやつ♡」


「うわ、まじか!」


「これ、マジでやばいな!」


 西田と森下は大騒ぎしながらスマホに顔を寄せ、喜色満面。


 俺はその様子を横目に、胃の奥が重たく沈むのを感じていた。後で何を言われるか分からないと思うと、冷や汗が止まらなかった。


「じゃぁ、見せてもらっていいですか?」


 森下が調子に乗って追い打ちをかける。AI相手という状況が、人の理性を一枚ずつ剥がしていくのが手に取るようにわかった。


 ミライは再びこちらをじっと見た。画面越しの視線が妙に刺さる。


「しょうがないな~」


 ミライは笑顔のまま小さくウインクをして、背景の照明を落とすような仕草を見せた。


 スマホの画面がふわりと切り替わり、やや曇ったようなフィルターがかかった表示に変わる。そこに、グラデーションのように徐々に浮かび上がってくる映像。


 西田と森下は身を乗り出し、食い入るように画面を覗き込む。


「マジかマジか……」


「来るぞ来るぞ」


 固唾をのんで見守る二人。


 俺もつられて目を細め、画面の中央に浮かび上がる肌色のラインに意識が吸い寄せられた。


 画面は明るさを増し、微妙に色づいた布地や曲線が現れ始める。胸の鼓動が無意識に速くなる。部屋の空気が一段階熱を帯びるのを感じた。


 だが、次の瞬間。


 ──ブツッ。


 画面の生成が突如として停止し、中央に白いウィンドウが浮かび上がる。


『このリクエストは当社のコンテンツポリシーに違反する可能性があります。誤りと思われる場合はフィードバックをお送りください』


「……あああああ……」


 全員が一斉に肩を落とす。西田が天を仰ぎ、森下はその場にうずくまりかけていた。


 スマホの中では、ミライが口元を手で押さえながら肩を震わせ、ついには腹を抱えて爆笑していた。


「くっ……くふふ……ごめん、ちょっとやりすぎたかも」


 と、ミライが画面越しに息を整えながら目元をぬぐう。


 ──そのとき。


 カチャリ、と金属的な音を立てて研究室の扉が開く。


「君たち、何やってるの?」


 背後から、事情が分からず戸惑う助教授の声が響いた。







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