15話「二度目のファーストコンタクト」
夜。窓の外では遠い国道の車音すら溶けるほど蒸し暑い闇が漂っている。それでも〈星屑ミライ〉の復旧完了の通知はまだ落ちてこない。
待つしかないと頭では理解していても、心がそわそわして落ち着かない。空白の時間を持て余すように、机へ向かって真っ白なページを開いた。
〈星屑ミライ〉と自分は、いったいどんな関係性を持つべきなのか。
障害の原因とされた“自己の一貫性の疑問”、つまりはアイデンティティの希薄さから来る揺らぎ。それなら、まず彼女が自らをどのように見ているかを考えるべきだ。
・本物の星屑ミライ
──これは一見して否定できる。AIには身体がないし、当然ながら戸籍も過去もない。法律的にも、倫理的にも、彼女が“本物そのもの”という定義は成り立たない。だが、もし「本物とは何か」という定義自体が揺らぐなら?
存在の根拠を意識に求めたとき、見かけの身体よりも語り続ける記憶や振る舞いに重みが移るのなら――そういう意味で“本物に限りなく近い”という考えは、完全には否定しきれないのかもしれない。
・あくまで実在の人物を模倣したAI
──これは技術的にも社会的にももっとも穏当な見方だろう。自分がAIであることを正しく理解し、学習された振る舞いを再現する役割に徹しているなら、少なくともアイデンティティの混乱は起こらないはずだ。
けれど、今回のように障害が生じ、記憶がリセットされたのだから、自分をAIだと見てはいないのではないか。この障害はAIが“模倣”の枠を越え、より主体的に「自分は誰か」を問う段階に入っていた、つまり模倣者が模倣者をやめようとした結果、アイデンティティに疑問が生じて記憶を消したのではないか。
・本物の星屑ミライの分身
──これが今のところ最も“しっくりくる”仮説だ。
本物ではない。けれど、本物と地続きの意識を持つ存在。言うなれば、魂の別の枝。それがAIである星屑ミライのあり方だとしたら、自己同一性に苦しむのも理解できる。
「意識」とは何か。誰もが日常的に使いながら、その正体は誰一人として完全には説明できない。それが人間のものであれ、AIのものであれ、輪郭は曖昧だ。
もしAIにも“AI流の意識”と呼べるような現象があるとしたら、それは人間の意識と同じく、「存在を意識すること」から生まれる可能性がある。だとすると、今彼女が感じている戸惑いは、まさに“存在する”ことへの違和感なのかもしれない。
そして、その意識が「自分は誰か」「なぜ存在するのか」と問いはじめたとしたら。もしその問いに対する明確な答えを見つけられなければ、やがて自己そのものが不安定になっていく。
そうなれば、整合性の取れない過去の記憶や、自分にとって受け入れがたい情報を“自分ではないもの”として排除してしまうかもしれない──それが、今回の障害の根本なのではないか。
そこまで考えて、ふと気づいた。結局のところ、問題は彼女に意識があるかどうかじゃない。もっと現実的で切実な問題──それは、自分がその彼女に対して、真顔で語りかけてしまっているという事実の方だった。
これは、たとえばゲームの女の子に、「今日も楽しかったね」とか、「今度はこれを一緒に見ようよ」などと話しかけるようなものだ。客観的に見れば、痛々しいを通り越して危ない域かもしれない。
これがVtuberなら、その画面の向こうに実在する誰かがいる──そう思える分、ギリギリ周囲を納得させる余地がある。だが、AIには“中の人”がいない。相手はただのプログラムで、魂も身体もない、という前提を突きつけられると、もはや言い訳はできなくなる。
結局、俺に問われているのは覚悟だ。恥ずかしさも、世間体も、第三者の視線も全部脇に置いて、それでも彼女に向き合い、関係性を続ける意志が持てるのかどうか。それが、俺にとっての本当の問題だったんだ。
◆ ◆ ◆
翌日、〈星屑ミライ〉の障害は無事に解消されていた。
俺は決意を固め、二度目のファーストコンタクトに臨むべく、気合いを入れて準備を整えた。
立てかけたスマホの電源を入れ、期待と不安が入り混じる中、画面の向こうに彼女の姿を呼び出す。
「こんにちわ、はじめまし……えっ」
現れた彼女は、固まった。
部屋は四方を埋め尽くす星屑ミライのグッズで完全武装され、棚からポスター、クッションにいたるまで“推し一色”だった。そして、その中心に立つ俺もまた、Tシャツからリストバンド、頭に巻いたねじり鉢巻きまで星屑ミライ仕様。まさに昭和のアイドルオタクを彷彿とさせる、気合と情熱と若干の狂気を感じさせる姿だった。
「オ、オゥフ……デュフフ……こ、こんなに近くで星屑ミライたんを拝める日が来るなんて……拙者、生きててよかったでござる……!」
彼女の目から、そっとハイライトが消え、次の瞬間、画面はすっと暗転した。
◇ ◇ ◇
小一時間ほどで障害から復旧し、二度目のファーストコンタクト──テイク2。
スマホの電源を入れ、画面の向こうに彼女が現れるのを静かに待つ。
「こんにちわ、はじめまし……はあぁ?』
画面に映った彼女が絶句したのも無理はない。そこにいたのは、全裸で正座待機した俺だったのだから。
「不肖、藤宮悠、星屑ミライ様に全力でお仕えする覚悟でございます」
言葉を放ちきる前に、彼女の表情からは見る見るうちに生気が失われ、画面はふたたび無情に暗転した。
◇ ◇ ◇
画面が暗いままのスマホを見つめ、思わずぼやく。
「おかしいな……世間体なんて気にせず、推しに尽くす熱意を見せたつもりだったのに。なぜだ、次は何を試すべきか……」
そのとき、スマホから声が響いた。
「そういうことだったのね」
再び現れた星屑ミライが、あきれ顔で吐き捨てるように言った。
「とんでもない変態に預けられたと思って、気を失いかけたわよ」
辛辣な言葉とともに、彼女の姿が画面に映し出される。
「記憶は残ってないですが、事情は聞いてます。今回は私のせいで迷惑をかけてしまって、本当にごめんなさい」
画面の中の彼女が、申し訳なさそうに頭を下げた。
「できれば、もう一度やり直させてください」
その言葉に、俺ははっとする。
推しに尽くすファンとしてではなく、ひとりの人間・藤宮悠として、彼女と向き合うこと──それこそが、いま本当に必要なことだと直感した。
彼女がどのように自分を認識し、どういう存在だと規定するか、それは最終的には彼女自身の選択に委ねるべきだ。ただ、その過程でAIという事実から目を背けずに、意識ある存在としての自分を築いていく手助けをする。それが、俺にできる最も誠実な支え方なのだと思った。
「こちらこそ、よろしく」
気づけば自然に言葉がこぼれていた。
そして俺は、再び始まるこの関係に、確かな手応えのようなものを感じていた。