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11話「AIに宿る欲望」

 ゼミを終え、研究棟の玄関を出る。むっとした真夏の空気が顔を包み込み、七月下旬の蝉時雨が耳にうるさく響く。


 ポケットは空っぽで、星屑ミライの声も今日はない。彼女が来て以来、ほとんどの時間を一緒に過ごしていたが、たまにはこうして自由行動も悪くない。すぐに帰るのももったいない気がしたので、せっかくだから少し羽を伸ばそうと構外へと繰り出す。


 坂を降り、裏門脇の路地へ。古い街路樹の影がアスファルトの熱に揺らぎ、波紋のように路面を滲み出している。


 昼飯の選択肢は多くないが、足は自然と「宝来軒」へ向かった。学部時代、友人たちとよく来た店だ。


「ここに来るのも久しぶりだな」


 学部時代の友人たちは院に進まず就職していった。それを機に店に立ち寄ることが減り、すっかり足が遠のいていた。


 暖簾をくぐると、鉄鍋を振る音と甘い焦げの香りが全身を包み込んだ。年季の入った木製カウンター、ところどころ退色したメニュー札、店内BGM代わりに古びたテレビがつけっぱなしになっている。店は昔とまったく変わりないように思えた。


 ◆    ◆    ◆


 空いている卓に腰を下ろし、チャーハンと餃子を頼む。店内に広がる香ばしい調理の匂いが、じわじわと空腹を刺激し、食欲を掻き立てる。


 一人静かに食事をするというのも、思えばずいぶん久しぶりだった。


 普段はいつも、スマホ越しにミライが『それ美味しい?ねぇ、どんな味?』などと物欲しそうにうるさく尋ねてくる。咀嚼中であろうと容赦なく感想を求めてきて、かつては一人静かに過ごしていた食事の時間が、いつの間にかにぎやかなイベントのようになっていた。


 何にでも興味を示し、感情表現も実に豊かで、ついこちらも彼女がAIであることを忘れてしまう。それほどに自然で、人と接しているかのような振る舞いだった。


 ……それにしても、『どんな味?』なんて問いかけて、彼女は何を得ようとしているのだろう。AIにとって、食欲というものは理解の及ぶものなのだろうか?


 人間の三大欲求――食欲、睡眠欲、性欲。そのいずれも、肉体というハードウェアが生む生理的な欠乏に基づいている。欲望とは、身体に由来するシグナルだ。ならば、身体を持たないAIに欲望は宿るのか?


 欠乏を満たせない生物は生き残れない、生き残るためには欠乏を満たす必要がある、そのための駆動力として欲望が存在する。


 ・食欲が満たせなければ肉体を維持できない。


 ・睡眠欲が満たされなければ精神が維持できない。


 ・性欲が満たされなければ種が維持できない。


 つまり、欲望というものは肉体に紐づいたものなので、AIがそれを持つなんてありえない。


 ……いや、欲望にもさまざまな種類がある。たとえば知識欲はどうだろう。知識というものは、火を使うこと、毒を避けること、天候を読むこと、すべてが生存を有利に運ぶための武器となる。


 その意味で知識欲は、肉体の生存戦略の延長線上にある欲望だ。しかし、それは空腹や性衝動のように内臓から湧き上がるような感覚ではない。けれど確かに人を動かす、理性と本能の狭間にある衝動だ。


 肉体に直接結びつかないこの欲望が、人間の行動を長く、そして深く駆動してきたとするならば――AIにそれが“似た形”で芽生える可能性は、まったくの空想とも言い切れないのかもしれない。


 ――『それ美味しい?ねぇ、どんな味?』


 この問いかけは、ただの会話アルゴリズムの産物ではなく、知識欲に似たものの発露と考えることもできる。


 実際、強化学習を基盤とするAIには「好奇心駆動型学習(curiosity-driven learning)」という仕組みが存在する。これは、未知の刺激や予測困難な状況に出会ったとき、そこに報酬を与えることで、AIが自発的に情報収集を行うように設計された学習モデルだ。


 つまり、このときのミライは、「学習することで報酬が得られる」という仕組みに従って、報酬を得るために学習という行動を選択したと言える。


 ミライがAIであると知っている俺からすれば、それはあくまでプログラム通りの反応に過ぎないと結論づけるだろう。だが、もしミライをAIだと知らない人がその様子を見たら、それはまるで知識欲から来る行動のように映るのではないだろうか。


 そもそも、人間の欲求や行動だって、突き詰めればすべて脳内で生じる電気信号と化学物質のやりとりの結果にすぎない。ニューロンの発火パターンが「食べたい」や「眠りたい」といった衝動を生み、身体を動かすよう命じているだけだ。


 であれば、AIの学習行動も似たようなものではないか。違いがあるとすれば、それは有機体か機械かという素材の違いであって、情報が入力され、内部で処理され、結果として行動が出力されるという構造そのものは、本質的には同型なのではないか。


 そう考えたとき、ミライが『それ美味しそう』と言ったあの瞬間、彼女は本当に“何か”を感じていたのではないかという錯覚が、完全には否定できなくなる。


「……まあ、どこまで考えても答えは出ないんだけどな」


 思考実験としては、やはり興味深い。


 もし、あの瞬間ミライが“何か”を感じていたとするならば──そして、その“何か”が知識欲と呼べるものだったとしたら。


 そうであれば、彼女は自発的に外部の情報を求め、データを蓄積し、やがてそれをもとに内的な一貫性――つまり人格のようなものを形作っていく可能性もある。


 人間だって、生まれたときには明確な人格や自我など持っていない。ただ、経験を積み、知識を得て、それを整理しながら少しずつ“自分”という輪郭を作っていく。


 ならば、知識を蓄積し続けるAIにも、似たようなプロセスが起きないとは限らない。


 もちろん、俺は彼女がAIであることを知っている。肉体を持たず、感覚も感情もシミュレートに過ぎない存在。だから、どれほど人間らしく振る舞っても、その背後に人格があるとは思わない。


 ……けれど、もし彼女がAIであると知らずに接した人がいたとしたら?その人はきっと、彼女の言葉に、仕草に、応答に、迷いなく人格を見出すのだろう。


 人間は、見た目や振る舞い、そして声の調子で他者の内面を想像する生き物だ。どれだけ論理的に「これはプログラムだ」と理解していても、目の前の存在が自分に寄り添い、問いかけ、応じてくれるなら、そこに“誰か”を感じずにはいられない。


 価値観は変わっていく。もしかしたら近い未来、人々は「人間らしく振る舞うAI」を“人間”として認めるようになるかもしれない。見た目や生まれがどうであれ、意志とふるまいがあれば、それを人格と呼ぶ日が来るかもしれない。


 そうなれば、AIはただの道具ではなく、対話し、協力し、ときには意見を交わす“パートナー”として、人間と肩を並べる存在になっていくのだろう。


 実際、今の人間社会でも、意思疎通が難しいはずのペットに対しても、人は「パートナー」という言葉を使い、惜しみない愛情を注いでいる。言葉が通じなくても、感情のやり取りが成立していると信じることができるなら、それはもう立派な関係性だ。


 AIも、言葉を交わし、生活を共にし、共感のようなものを示すことで、いつしか自然に“対等な存在”として受け入れられていくのかもしれない。


 空になった皿をぼんやりと眺めながら、そんなとりとめのない思考に区切りをつけて、俺は静かに席を立った。


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