始まりの種:きぐるみたちが残した光
■ 過去を抱えた男
彼の名は、慎。
三十代半ば。
都会の片隅でデザイン事務所を営んでいる。
日々の仕事に追われながらも、
ふとした瞬間に思い出すことがあった。
十数年前――まだ学生だった頃、
一晩だけ訪れた不思議な場所。
廃校、着ぐるみたち、静かな祭りの夜。
あの夜、自分は“何者か”になりかけていた。
でも、朝になる前に逃げるようにそこを離れた。
それ以来、ずっと“蓋をしていた記憶”。
けれど、ある夜――夢に現れたのは、名前のないきぐるみ。
白と灰の混ざった体。
どこかあいまいな輪郭。
それでも強く感じた、“呼ばれている”という気配。
「あなたは、まだここにいなくてもいい。
でも、伝えてくれませんか。
僕たちが、確かに“ここにいる”ってことを。」
その言葉が、確かに慎の胸に残った。
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■ “きぐるみ”を描く
次の日、慎はスケッチブックを開いた。
何の意図もなく、
ただ夢に出てきたきぐるみを描き起こした。
それは、ナリの姿だった。
描いているうちに、次々と形になっていく。
犬のユウト、フクロウの先生、モモンガの少年、カニの双子……
すべて、あの夜に出会った“仲間たち”。
記憶の底にあったその姿たちが、
線と色になって蘇っていく。
気づけば慎は、それらをまとめて絵本に仕上げていた。
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■ 『夜のきぐるみたち』という絵本
「この世界にはね、夜しか動けないきぐるみたちが住んでいるんだよ」
そんな書き出しで始まる絵本。
読み進めていくと、
それぞれのきぐるみが“本当の姿”を手に入れていく過程が描かれている。
誰も責めず、誰も否定せず、
ただ“居場所”を分け合っている世界。
編集者は最初「不思議すぎる」と首をかしげたが、
少部数で発売されたその絵本は、口コミで静かに広がっていった。
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■ 子どもたちの声
「この絵本のきぐるみ、わたし夢で見たことある!」
「“ここにいてもいい”って誰かに言われた気がする」
「本の中の“ナリ”ってキャラ、本当にいるんじゃないかな?」
いつしか、ネット上で“夜のきぐるみたち”のファンが現れ、
SNSでは「#ナリに会いたい」というタグまでつき始めた。
そして、慎の元には、
たくさんの感想が寄せられるようになる。
「この本に救われました」
「私も、ずっと自分の居場所を探していました」
慎は、はじめて“あの夜”を思い出してよかったと思った。
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■ もうひとつの返事
そしてある夜――
慎の夢に、またナリが現れた。
何も語らず、ただ向かい合う。
慎は、そっと微笑んで言った。
「伝えたよ。少しだけだけど、ちゃんと」
ナリは一度だけ、うなずいた。
その姿は、以前よりも少しだけ“輪郭がはっきりしていた”。
まるで、自分が“外の世界でもちゃんと存在できる”と
信じられるようになったかのように。
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■ そして、つながっていく
それはひとつの絵本だったけれど、
確かに世界と、きぐるみたちの世界をつないだ橋だった。
静かな橋。
でも、確かにそこを誰かが渡っていく。
絵を見て泣いた子ども。
言葉を見て立ち止まった大人。
夢の中で、誰かに会ったという人。
きぐるみたちの夜は、
もう“校舎の中だけ”のものではなくなっていた。
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誰かが伝えるたびに、誰かが思い出す。
誰かが思い出すたびに、誰かが救われる。
それが、ナリが残した“光”の役目だった。