似合わない2人が見つけた幸せ
(25.4.1)おかげさまで恐れ多くも日間異世界恋愛ランキング15位に入れていただきました。
小説家になろう様の中でも超人気作品が集まる「異世界恋愛ランキング」に入れていただけて、毎日うれしすぎて小躍りしています。
それからも毎日本当に驚くほどのたくさんの温かい応援をいただき、おかげさまで信じられないぐらい上位に入れていただきました。ありがとうございます!
(25.4.4)おかげさまで今日で1週間連続で日間異世界恋愛ランキングに入れていただきました! 毎日たくさんの方に読んでいただいた上に応援をいただきまして本当にありがとうございます!!
正直2日持ったらうれしいなあと思っていたので。7日間もランク入りさせていただいた上に上位にも入れていただいて今年一番驚いて転げ回っております。優しい読者様方に心から感謝申し上げます。
拙い小説ですが楽しんでいただけたら幸いです。
「相変わらず似合わないな」
レックスは深くため息をついた。流行の天使の羽のようにふわりと広がるフリルを使った水色の愛らしいリボンは、婚約者ユーラの赤みが強い金髪と海色の瞳と合わさるととたんに色あせてみすぼらしく見える。
「申し訳ありません……」
「謝ってほしいわけじゃない。ただ、いつも言っている通り君にはもう少し見た目を気にしてほしい。我が家は高位貴族向けの仕立て屋だ。母や姉のように我が家の商品を宣伝してほしいとまではいわないが。せめて日常的に使う小物ぐらいは着こなしてくれ」
レックスは高位貴族向けの仕立て屋を経営するテニング伯爵家の次男だ。一家は皆、淡い金髪と澄んだ水色の甘やかな容姿をしており、特に彼は一際美しいと令嬢たちから憧れられている。
レックスは婚約者のユーラにもいつも自分にふさわしい格好でいるようにと、最新の流行を取り入れた装飾品やドレスを贈っている。しかし、色鮮やかな容色をしながらもどこか翳があるユーラには、レックスが好む淡く明るい色と花のようなフリルとレースで彩る甘やかなデザインは反発してしまう。
そのせいでレックスはいつも「テニング伯爵令息は“似合わないドレス”が婚約者だ」とライバル家やレックスを妬む者たちに嫌味を言われてきた。何より、幼い頃から磨いてきたセンスをユーラにすべて否定されているようで悔しくてたまらない。
(ユーラは俺に似合う女性になるための努力が足りないんだ。ギフト持ちの家系だからと驕っているのだろう)
ユーラ・シューラス子爵令嬢は代々生地作りを生業にしている子爵家の長女だ。
ユーラの母は“糸に幸運の加護を付与する”ギフト持ちだ。女神の愛し子とも呼ばれるギフト持ちは周りから愛され大切にされると、その姿を見て喜んだ女神がさらなる恩恵をもたらすといわれている。そのため、頻繁にギフト持ちが生まれるシューラス子爵家は貴族たちからも一目置かれている。
ユーラと妹はギフト持ちではないが。レックスの父は孫世代にギフト持ちが生まれることを期待して婚約を結んだ。
家の利益のために結ばれた政略婚約だが。最初はレックスも地味で華やかさのないユーラを自分と伯爵家に似合う女性に磨き上げようと熱心に指導していた。
しかし、どんなにレックスや伯爵家ががんばっても、ユーラはレックスの隣に立つにふさわしい美しさや自信を一向に身につけようとしなかった。
ついに母や姉はさじを投げ、唯一婚約者として残らざるを得ないレックスもユーラは努力をする気がないのではないかと疑い、厳しく叱りつけるようになった。それでもユーラは変わらずただしおらしく返事をするだけだ。
「まあ、いい。それはミレイに頼まれたついでに作った物だ。美しい彼女を見習うといい」
「はい……」
妖精姫と讃えられるミレイ・メルティス侯爵令嬢の名前を出すとユーラの表情が微かに強ばった。
レックスはいつもうつむくだけのユーラの動揺を見てわずかに溜飲が下がるとともに、軽蔑を感じた。
(まったく、自分は何の努力もしないくせに、生まれ持った才能と美貌を磨き続けるミレイに嫉妬するとは。とことん嫌な女だ)
「勘違いしないように言っておくが。ミレイは希少なギフトを持つ侯爵令嬢で第2王子殿下たちに深く信頼される方だ。私の婚約者だからと優しい彼女に声をかけられても、分をわきまえるように」
「はい、もちろんです。メルティス侯爵令嬢様は似合うものを知っている方ですもの。私も尊敬していますわ」
珍しくきっぱりと言ったユーラの言葉に引っかかるものを感じたが。レックスはこれ以上名ばかりの婚約者に無駄な時間を使いたくなくて無言で立ち去った。
「すごいっ、私が考えていたリボンそのものだわっ! ありがとう、レックス!! 大切に使うわね」
「それはこっちのセリフだよ。俺が作った物が妖精姫の持ち物になるなんてとても光栄だ。それに、美しい君を見ていると次々と良いインスピレーションが舞いおりてくるんだ。いつもありがとう、ミレイ」
プレゼントを見たとたん、ミレイははちみつ色の瞳を輝かせて満面の笑みを浮かべた。その可憐な姿にユーラとの会話で憂鬱になっていたレックスの気分も明るくなる。
ミレイはメルティス侯爵が溺愛する末娘だ。ゆるやかに波打つはちみつ色の髪と甘やかなはちみつ色の瞳、どんな色とドレスも似合うなめらかな白い肌と女性らしい体つきをした、まさにレックスの理想の令嬢を体現した令嬢だ。
美しさと身分を兼ね揃えたミレイは魔獣を阻む結界を張るために使う聖魔石作りに欠かせない“聖魔力”のギフト持ちでもある。そのため、彼女は王族のように大事に扱われいつも護衛を兼ねた高位貴族たちに囲まれている。
本来ならただの伯爵令息のレックスが交流できる存在ではないのだが。ある時、ユーラが着けている髪飾りを気に入ったミレイがデザイナーのレックスに声をかけてきたことをきっかけに気に入られた。
「あなたがあのバラの髪飾りを作ったデザイナーさんなのね。あの繊細で薄い花びら、とても素敵だったわ。私の小物も作ってもらえないかしら」
ミレイの心からの笑顔と賞賛の言葉は、レックスに似合う女性になるための努力をしない怠惰なユーラや悪意ある者たちに傷つけられた心を癒した。
それからレックスは愛らしいミレイに似合う装飾品を作ってプレゼントしている。
ミレイは幼なじみの第2王子グラディスのような親しい友人たちに自慢して見せてまわっているらしく、興味を持った貴族たちから伯爵家への注文も増えた。レックス自身も王子に「ミレイは君を気に入ったようだ。これからもよろしく頼むよ」と声をかけられて誇らしく思ったものだ。
いつもはプレゼントを着けて友人たちに見せに行くミレイだが、今日は「もう1つお願いがある」とねだった。
「今度の学園祭に着るドレスとそれに合わせる装飾品のデザインをお願いしたいの。とても大事な日だから。私の好みを一番よく知るレックスが考えてくれた素敵なドレスを着て、最高の私になりたいの」
「学園祭か……。確か、夜は生徒会が主催するパーティーが開かれるんだよな」
「ええ、そうよ。今年はグラディスがはりきっているから、王宮と同じぐらい華やかなパーティーになるだろうって。お兄様が楽しみにいたわ」
学園祭は生徒会が主催するパーティーで生徒たちが自由に参加できる。
特に今年は第2王子が生徒会に入ったこともあり、どんな面白い催しが見られるのかと期待されている。
レックスも喜んでミレイの依頼を引き受けたいが、1つ問題がある。
(まいったな……。殿下も関わっているとなると、婚約者以外の令嬢にドレスと装飾品を贈るのはさすがにまずい……)
普段の学園内では多少のいざこざは目こぼしされるが。王族が関わるパーティーとなると、将来彼らと顔を合わせる機会がある伯爵家以上の家は正式な場にふさわしい振る舞いを求められるだろう。
婚約者がいるレックスが親しい友人とはいえ婚約者のいない令嬢のドレス製作の依頼を引き受けたら。ユーラとの不仲を知る噂好きの貴族たちに面白おかしく囀られるだろう。それは家のためにまずい。
「すまない、ミレイ。いつも俺のデザインを気に入って完璧に着こなしてくれる君の依頼を引き受けたいと心から思っているのだけれど。俺には婚約者がいるんだ」
「あ、そうね。レックスには婚約者がいるのよね……」
ミレイの沈んだ声にレックスは胸をぎゅっと締め付けられた。
レックスがどれだけ心を尽くして作ってもユーラはいつも暗い顔をして受け取るだけだし、どんな自信作もすっかり色あせてしまうのだ。ユーラと一緒に参加してもどうせいつものように「似合わない」と嘲笑われて終わるだけだろう。
それに、レックスのデザイナーとしての誇りと自信が、学園生活で最も華やかな場で自分の考えた最高のドレスと装飾品を身につけた麗しいミレイの姿を見たいと叫んでいる。
(この国で最も美しい妖精姫のミレイが王族が開く豪華なパーティーで俺の考えたドレスと装飾品を身につけてくれると言っているんだぞっ。こんな最高の機会、ユーラなんかに邪魔されてたまるか!)
レックスが何とかならないかと必死に考えていると、考え込んでいたミレイはぱっと笑顔を浮かべた。
「そうだわっ。レックスの家は仕立て屋を営んでいらっしゃるのよね」
「ああ、そうだけど……」
「じゃあ、お兄様に『せっかくのパーティーだから、いつもお世話になっているレックスとテニング伯爵家に作ってほしい』ってお願いするわ。それならあなたにお願いしても、婚約者様も許してくれるでしょう?」
(なるほど、確かに侯爵家から受けた注文だったら仕事だとユーラも納得するだろう。それに、良い宣伝になる)
朗らかに笑うミレイにレックスも力強くうなずいた。
「もちろんだよ!! ありがとう、ミレイ! ああ、君のドレスと装飾品を作れるなんて夢のようだ。僕と我が家の全力をかけて光の妖精姫に最高のドレスを作ると約束するよ!!」
「ありがとう、レックス。楽しみにしているわ!」
(ユーラなんかどうせ何を着ても同じなんだ。適当な物で俺の隣に立たれるのは気に入らないが、余っているドレスをリメイクして贈ってやるか。ふん、ミレイの美しい姿を見ていつも俺がどれだけ気を遣ってやっていたか知ってせいぜい後悔するんだな)
愛想のない婚約者を頭から追い出すと、愛らしく微笑むミレイにレックスもとろけるような笑みを浮かべた。
社交界で力を持つメルティス侯爵家から令嬢のドレスと装飾品製作の注文を受けたテニング伯爵家一家は「とても名誉なことだ」と喜びで舞い上がり、総力をあげて製作にとりかかった。
ミレイの要望を細やかに聞きとってあちこちの連絡に忙しなく走り回っていたレックスが婚約者のユーラのことを思い出したのは、学園祭が間近に迫った時だった。
(まずいっ! ユーラのことを忘れていた!! あいつのドレスも誰かが作っていた、よな……? そうだ、兄上に頼んだんだ!)
焦ったレックスが兄の部屋に駆けこむと、仲が悪い兄は冷ややかな視線を向けた。
「ユーラ嬢のドレス? それならば今回は贈れないととっくの前に謝罪しておいたよ。我が家もおまえもメルティス侯爵令嬢の依頼で手いっぱいで引き受けられる状況ではないし。学園祭を楽しみにしているユーラ嬢に適当な物を押しつけるのも悪いからな」
兄が勝手に断ったことに、レックスは猛烈な怒りを感じた。
「何を勝手なことをしてくれたんですか!? ユーラは俺の婚約者なんですよ!? 例え俺がいなくても俺に似合うドレスを着てもらわないと俺が恥をかきます!!」
ミレイと話をした後。打ち合わせに訪れたミレイとその兄から「妹が信頼している君に学園祭でのエスコートを頼みたい」と告げられた。レックスは少しだけためらったが、ミレイ本人に熱心にお願いされたことや話を聞いて喜んだ両親が承知したことで、レックスがミレイのエスコートをすることが決まった。
その後、家中がメルティス侯爵家の注文で大騒ぎになっている中、ユーラを気にかける兄だけはレックスに「ユーラ嬢のドレスはどうするんだ?」と尋ねてきたが。忙しさで苛立っていたレックスは、家族の中で唯一暇な兄に「適当な物を用意しておいてくれ」と丸投げしたのだ。
(くそっ、何であの時兄上なんかに頼んだんだ! 今からでも既製品でも良いからドレスを用意しなければ)
「言い忘れていたが。ユーラ嬢にはメルティス侯爵家が代わりにドレスと装飾品を手配してくれた。本来ならば我が家やおまえがするべきことだが、ご令嬢が無理を言った詫びだそうだ。だから、おまえが今更ユーラ嬢に何かをする必要はない。メルティス侯爵家に感謝するんだな」
「そうか、ミレイが……。ああ、良かった。彼女は優しいから、ユーラのことも気にしてくれたんだな」
一応、婚家であるシューラス子爵家の面子を潰さなかったことにほっとしながらも、黙っていた兄や連絡の1つも寄こさない気が利かないユーラに恨みがわいてくる。
今度ユーラに会ったら自分とミレイに感謝するように厳しく叱っておかねばと思っていると、兄はそれを見透かしたように凍りつくような目でレックスを見て、奇妙なことを尋ねてきた。
「おまえは当然メルティス侯爵令嬢がギフト持ちだということを知っているな」
「ええ、もちろんです。父上も侯爵家との繋がりを持てて喜んでいましたよ」
「……一応、聞いておいてやるが。彼らは愛し子として愛され大事にされる存在なのだと、わかっているな?」
「はい? そんなの当たり前ですよ。ギフト持ちは美しい心の持ち主だから、女神様に愛されているのでしょう。ミレイはまさに女神様にも皆にも愛される愛し子そのものですよ」
女神は正直で純粋な心を持つ人間を愛してギフトを授け、その資格を失ったとたんにギフトも失われるという。特に、女神の神力の一端とされる”聖魔力”持ちのミレイはその心が常に純粋であることを求められる。
そのため、ミレイは幼い頃から神殿で女神の教えを学んでいる。女神に愛される愛し子として公平さと慈悲深さを身に着けた彼女の言葉や振る舞いは周りからも正しいと見なされるのだ。
(そういえば、ミレイはユーラを見て「似合わない」と言っていたな。やはり、ユーラは美しく正しいミレイから見ても美しくないと思ったのだろうな。まったく、学園祭でどんなみじめなドレスを着るのか知らないが。ミレイが贈ったドレスにふさわしい振る舞いをしてもらいたいものだ)
「それなら良い。おまえは王族が主催し国中の貴族子女が集まる学園祭で、メルティス侯爵令嬢をパートナーとして選んだんだ。今、おまえがすべきことは、我が家のためにメルティス侯爵令嬢が満足するドレスを作って、無事にエスコートを勤め上げることだ。メルティス侯爵家や父上の不興を買いたくなければ、おまえとは関係のないユーラ嬢には関わるな」
兄は一方的に言いつのると、レックスが反論する間もなく部屋から追い出した。
見下している兄に雑に扱われた上に、いくら頼んだからと言って恩着せがましく婚約者のユーラのことまで口を挟まれて。怒り狂ったレックスは部屋に帰ると物にやつあたりした。
「くそっ、厄介者がえらそうにっ! ユーラと同じでこれっぽっちもセンスがないくせにっ!」
一家で唯一服飾のセンスのない兄は昔から天才のレックスを妬んで、レックスが「俺に似合わない」とユーラを教育していると手厳しく叱ってきた。
後継者でありながら父と仲が悪い兄はそうやってユーラの機嫌をとって、ギフト持ちのシューラス子爵家との縁を繋ぐことで自分の地位を確かなものにしたいのだ。そして、バカなユーラは愛情をこめて厳しく接する自分よりも、我が身の保身のためにわざとらしく優しく接する兄を信用している。
イライラと歩きまわっていたレックスだが、ふと良いアイデアを思いついてにやりと笑った。
「そうだ。ちょうど手が空いたところだし、あいつを呼び出して婚約者としてふさわしい恰好かチェックしてやると言えばいいんだ」
ユーラは婚約してからはすべてのドレスと装飾品をレックスやテニング伯爵家のデザイナーが作った物を着けている。
今まで自分でドレスを仕立てたことがない上にセンスがないユーラのことだ。メルティス侯爵家が紹介した一流のデザイナーを困らせたあげく、さぞかしみっともないドレスを作ったことだろう。
婚約者としてユーラを良く知るレックスがアドバイスして手直ししてやれば。さすがのユーラも恩を感じるだろうし、嫉妬で婚約者のことに訳知り顔で口を挟んできた兄は深く反省し、娘に恥をかかせたとシューラス家は兄を見限るだろう。それにミレイはレックスの優しさに感動するだろう。
「ふんっ、生意気な奴めっ。俺の優しさに気づいて、心から反省したら許してやるよ」
自分の良い思いつきに満足したレックスは、さっそくユーラに「選んだドレスと装飾品を見てやる」と手紙を書いて送った。
しかし、ユーラからはそっけなく「信頼できるデザイナーたちと相談して決めたのでご心配なく」と返ってきた。学園で捕まえようとしてもなぜか彼女と会えず。苛立ちを抱えたまま学園祭の日になった。
ユーラは届いたドレスを見て歓声を上げた。母もまた笑顔になる。
「まあ、素敵なドレスだこと。まるでユーラが好きな領地の海をそのまま写しとったよう。ラング君たちに頼んで本当に良かったわね」
「こんなに美しいドレスを着て学園祭に出られるなんて、夢みたい……」
自分の名の由来になった海色のドレスを撫でると、真珠と波のような真っ白なレースを付けた海色のドレスもユーラの気持ちに応えるように淡く輝いたように見えた。
ユーラは初めて会った時から婚約者のレックスとテニング伯爵家が苦手だった。
自らの美貌に絶対の自信を持つ彼らは、他家のユーラにも自分たちの色と価値観を押しつけてきた。しかし、ユーラの鮮やかな容色は彼らが誇る淡い金と水色を拒否してしまい、レックスが好むフリルやレースといった砂糖菓子のような甘い装飾はしおれた花のように色あせさせてしまった。
いつまで経っても自分たちに馴染まない異物のユーラをテニング伯爵一家は蔑み、ユーラもまたどんなに努力しても婚家に疎まれることに疲れ果てた。長男だけは気にかけてくれたが、そのたびにレックスが憎しみの目を向けてくることに気づいてからは距離を置いた。
家族はユーラを心配して婚約を解消しようとしたが。横暴なテニング伯爵家は今度は妹を狙うかもしれない。ユーラは「テニング伯爵家にとって、私は似合わない存在なのだ」とひたすら心を殺して耐えた。
そのうち初めからユーラを嫌う夫人と姉、伯爵家の使用人たちはいない者として扱うようになった。しかし、婚約者のレックスだけは婚約者のユーラを熱心に見つめて、それでいてユーラ自身をちっとも見ないでただ“自分の理想”を押しつけてきた。
レックスがデザインして作ったという装飾品やドレスを渡される時。その“彼の中でしか存在しない理想”を求めるどろりとした熱のこもった瞳にさらされていると、ユーラは領地で育てている虫になった気分になる。
――その虫は、人間のために大切に育てられて、人間が喜ぶきれいな糸を吐き出して。最後は干からびて死ぬ。
――俺に“似合う女性”になれ。
レックスにそうささやかれるたびに、ユーラは彼のために美しく磨かれ、やがて彼の家の繁栄のために子どもを産まされる虫になったような気がして。いつしか、レックスに恐怖と嫌悪を感じるようになり、彼の前では一切心を閉ざすようになった。そして、自分を否定され続けたユーラの世界からは好きな色が消えてしまった。
世界に色が戻ってきたのは、女神に愛されこの国のすべての人々から敬愛されるミレイ・メルティス侯爵令嬢と偶然会ったことだった。
皆に愛され幸せな彼女はみじめに打ちひしがれるユーラを見ると励ますように言った。
「それ、あなたには似合わないわ。あなただって本当は好きではないのでしょう? 嫌いな物を無理に着けて自分の心を傷つけるなんて、心を美しく彩ることで生まれる幸せを愛する女神様も悲しまれるわ。あなたも素敵な物を探してみて」
(私の好きな物……)
ミレイの温かい言葉にユーラはレックスに見つからないように心の奥底に隠していた好きな色や物を思い出した。そして、少しずつ好きを探して増やしていった。
幸か不幸か、ミレイとのやりとりを聞きかじった周りからレックスの婚約者として“似合わない”と蔑まれるようになり、プライドを傷つけられたレックスはユーラを嫌って近づいてこなくなった。
――そして、ミレイと出会ったことがきっかけで、似合わない2人の不幸な婚約は解消された。
「お、ドレス届いたのか、俺にも見せて! ……うわ~、さすが侯爵家御用達の仕立て屋だ。鮮やかな海色を活かしながら細かい刺繍と小粒の真珠で微妙に色を変えて。スカートに白とフリルを入れてうまく波を表して。まさに俺たちが考えたデザインそのまんまだ!!」
「ありがとうラング。皆のおかげで一番素敵なドレスになったわ。着るのがとっても楽しみ!」
「そうだな。何てったって、小さい頃からユーラが憧れていた海色のドレスだもんな! 俺も大人になったユーラのドレス姿、楽しみにしてるよ!! ……あ、一応言っておくけど、体型は変えないようにな? 特にここ」
「わかっています!! もう、何てこと言うのよ! 最低っ!!」
わざとらしくありもしない腹肉をつまんだラングにユーラが怒ると彼はけらけらと笑った。幼い頃と変わらずじゃれあう2人をユーラの母もにこやかに見守る。
ラング・クルール子爵令息はユーラの母方の親戚だ。ユーラと同じ赤みが強いツンツンした金髪と領地の海の色の瞳をした彼とは兄妹のように遊んでいた。
ユーラが婚約してからは疎遠になっていたが。ユーラが第2王子の婚約者のアクス公爵令嬢に誘われて入った手芸を趣味にする学生たちが集まるクラブで顔を合わせたことでまた話をするようになった。
顔の広いラングは面倒見の良いアクス公爵令嬢の力を借りて、レックスとミレイの噂を仕入れてくれた。そして、メルティス侯爵家は愛娘のお気に入りのレックスを婚約者として望んでいるとこっそり突き止めてくれた。
それを知ったユーラの両親は、どうやったのか学園祭の前にユーラとレックスの婚約を解消してきた。
両親は「ユーラに学園祭を楽しんでほしかったから」と笑っていたが。今まで身分を笠に着て無理難題を押しつけてきたテニング伯爵家に粘り強く交渉してくれただろう両親の優しさに、ユーラは喜びと感謝の涙が止まらなかった。
その後、メルティス侯爵家は「娘の希望を叶えてくれたお礼」として、侯爵家がひいきにしている仕立て屋を紹介してくれた。
それを聞いたラングは「家にあった」と言ってユーラが好きな領地の海のような鮮やかな青色の生地を持ってきてくれ、アクス公爵令嬢率いるクラブの仲間たちは「メルティス侯爵令嬢に勝つ」と気合を入れてユーラが好きなデザインのドレスを考えてくれた。
そうしてたくさんの人たちの協力で出来上がったのが、今目の前にあるユーラの幸せを表した海のドレスだ。
上半身は光沢のある海色の生地で、同じ色のスカート部分に真白の挿し色をし、泡のような白いレースと小粒の真珠と刺繍で海面の煌めきを表している。流行の膨らんだドレスではなく、身体のラインに合わせてスカートを少しだけ膨らませたデザインはまるで一輪の青い花のようにも見える。髪を留めるバレッタにはラングが選んだ大粒のサファイアをはめ、イヤリングとネックレスにもサファイアと使っている。
学園祭のパートナーはラングが務めてくれる。彼もまたユーラと同じ海色をまとうと言っており、お調子者の彼は「俺たち2人でこの国の流行を変えてやろうぜ!」と張り切っている。昔と変わらず底抜けに明るいラングの影響でユーラも初めてパーティーの日が来るのを楽しみにしている。
(メルティス様も自分が最高にきれいだと思うドレスを着て、学園祭を楽しまれるのね)
ドレスを見て幸せを噛みしめていると、ふと自分に声をかけてくれ、レックスから解放してくれたミレイを思い出した。
レックスがミレイに気に入られ、たびたび彼女に似合う装飾品をプレゼントしているのは学園中の噂になっている。
きっと自分の好きをすべて取り入れた最高のドレスを身にまとったミレイはとてもきれいだろう。
(メルティス様も良い思い出が作れますように)
ユーラの好きを取り戻すきっかけを作ってくれたミレイにユーラは深く感謝し、彼女の幸せを祈った。
ドレスを着たミレイの姿を目にしたレックスは、その輝くような美しさに声を失った。
「きれいだ……」
「ふふ、ありがとうレックス。あなたも素敵よ」
ミレイは光を反射する純白の生地の上に自分の色である金色の透けるレースを重ねたドレスをまとっている。細いウェストを金のリボンで強調し、裾と袖はやわらかいフリルを重ねてふんわりとふくらませた姿は、まるで太陽の光を浴びて燦然と輝く大輪の白バラのようだ。艶やかなはちみつ色の髪は結い上げて煌めく金のリボンでまとめ、レックスの瞳よりも少し濃く見える水色のイヤリングとネックレスで瑞々しい白い肌を引き立てている。
レックスも彼女に合わせて白と金の服にしたが、彼女の隣に立つと花を引き立てる風景に見えるかもしれない。
(さすがはミレイだ……。こんなに美しい彼女をエスコートできるなんて、俺は幸せ者だ)
見とれているとミレイはにっこり笑って手を差し出してきた。我に返ったレックスがミレイをエスコートして会場に入ると、皆の注目が集まりほうっと感嘆のため息が漏れた。
その反応に気を良くして会場を見回すと、ふと隅の方に目を惹きつける青が見えて。無意識にそちらを見たレックスはぎょっとした。
「ユーラ……っ! あいつっ、何だってあんな色を着ているんだ。それに隣にいる男はどこの誰だ?」
「あら、あそこにいるのはシューラス様ね。まあ、素敵な青色。お隣の彼と良く似合っているわ」
無意識にもらした呟きにミレイが無邪気に微笑む。感心している彼女を否定するわけにもいかず、レックスは勝手なことをしたユーラへの怒りをぐっとこらえた。
(くそっ、ユーラの奴、あれほど言ったのに。よりにもよってあんな田舎臭い色とみすぼらしいデザインなんかにしやがって!! あれじゃあ流行も知らないのだと俺が恥をかくじゃないか! それに、あの男は誰だ!? あいつがあのつぎはぎだらけのドレスを作ったのか!?)
ユーラが身にまとっているのはレックスの好みとも社交界の流行からも外れたけばけばしい色にやたらと装飾を着けた奇抜なドレスだ。レックスにはとてもドレスと呼びたくない最低最悪の代物に見える。
しかし、いつも憂鬱な顔をしているユーラは男に向かって微笑んでいる。その心から幸せそうに見える笑みは、レックスがどんなに頑張っても美しくならなかったユーラを輝かせていた。
憎しみをこめてにらんでいると、ふとこちらを向いたユーラと目が合ったが。彼女は気づかなかったというようにすっと目をそらした。
その傲慢な態度にかっとなって踏み出そうとすると、ミレイに強く腕を引かれた。
「レックス。私、お兄様たちと話をしたいわ。皆あなたと会えるのを楽しみにしていたのよ、一緒に来て」
「あ、ああ。もちろんだよ……」
後でユーラをきつく叱ってやると内心憎悪をたぎらせながらも、レックスはミレイに連れられて第2王子グラディスとミレイの兄の元へ向かった。
王子はミレイの姿を見ると目を細めた。
「やあ、ミレイ。私のお姫様は今夜は一段ときれいだね。まるで光をまとった女神の御使いが現れたのかと思ったよ」
「ありがとう、グラディス。レックスとテニング伯爵家は私の好きなイメージをいつも叶えてくれるの! どう? 私のこと見直した?」
「ああ、もちろんだ。私の小さな妖精姫はいつの間にか美しい光の精霊になったのだとやっとわかったよ。今夜は君から目を離せそうにない。……テニング伯爵令息、私のミレイのお願いを叶えてくれてありがとう」
(2人はとても仲が良いんだな。いや、でも、まさか。グラディス殿下には婚約者のアクス公爵令嬢がいらっしゃるのだし……)
甘えるように第2王子を見上げるミレイととろけるような笑みを浮かべて答える王子が、まるで両想いの恋人のように見えたが。レックスは慌てて不敬な考えを消した。すると、にこやかに2人を見守っていたミレイの兄が口を挟む。
「私からも妹をよろしく頼むよ、レックス君。君も知っているかと思うが、ミレイは希少なギフト持ちだからね。こう見えて理想の男性像が高い妹のお眼鏡に適う上に献身的に尽くしてくれる婚約者となると、これがなかなか難しくてね。いつも妹を大切にしてくれる君になら、安心して任せられるよ。2人の幸せを願って君との婚約を解消してくれたシューラス嬢にも感謝しないとね」
「なっ……!? 婚約を解消した?」
途中で王子に意味深なまなざしを向けたミレイの兄は、さらりととんでもない爆弾発言をした。
思わずレックスが身分が上の人々に囲まれていることを忘れて驚くと、ミレイの兄は不思議そうに目をしばたたかせた。
「おや、謙虚なシューラス嬢は黙っていたのかな。これは悪いことをしてしまったな。
実は、君にエスコートを頼む際にテニング伯爵家に我が家との婚約を打診したのだが。伯爵はシューラス子爵家との長年の義理を重んじて渋られていたんだよ。
しかし、我が家の事情を聞いた子爵夫妻とご令嬢はミレイと君の幸せのために身を引いてくれると言ってくれてね。彼らが婚約を解消してくれたおかげで晴れてミレイと君の婚約を結べたんだよ。シューラス子爵家は我が家の恩人だ」
「ああ、私もフィリーネからそう聞いたよ。シューラス嬢は特にかわいがっている後輩らしくてね。彼女が自分で学園祭のドレスを用意すると聞いたとたんに、仲間を巻きこんで夢中でドレスのデザインを考えていたよ。それに、あの海のような鮮やかな青色は、幼なじみの婚約者殿が領地の海を愛する彼女のために作りだした色らしいね。いつもは淡い色ばかりで霞んでいた彼女に良く似合っているよ。
もっとも、あの様子だと愛する彼女以外には着ることを許してくれなそうだけれどね」
「そうね。あの華やかな青をまとったシューラス様たちを見た時には、まるで幸せを告げる番の青い小鳥が現れたのかと驚いたわ。さすがは花嫁に幸せをもたらすシューラス子爵家ね。私もお願いできるかしら?」
「はは、我が妹は本当に愛には情熱的だな。義理堅いシューラス夫人は我が家の婚礼の時には喜んで力を貸してくれると言っていたから、ミレイが望むなら引き受けてくれるはずさ」
(ユーラが婚約解消した? 俺に黙って勝手に? しかも、新しい男がいるだと!? で、でも、俺はミレイと婚約していて、ユーラは俺たちの幸せために身を引いたと殿下も知っている。それに、ユーラなんかのために殿下の婚約者のアクス公爵令嬢があの見苦しいドレスを作って、でもミレイも殿下もあの青のドレスがきれいだと褒めていて、誰よりも本物の美しさを知るミレイはユーラを気に入っていて……)
楽し気に喋る3人はレックスが信じているものすべてを否定して、壊していく。混乱しながらも必死に信じていた物の欠片を掴もうとするレックスに気づかずにミレイがふんわりと微笑んだ。
「でも、あんなに落ちこんでいたシューラス様も好きな物を見つけられたのね。良かった」
「おや、ミレイはシューラス嬢を知っているのか?」
「いいえ、知っているという程親しく話したことはないわ。前にたまたま見た時になぜか自分が嫌いな物を無理に身に着けて苦しんでいたから、女神様の御心に反すると思って。見かねて止めたの」
(嫌いな物を無理に身に着けて、苦しんでいた……? どういうことだ、ユーラはいつだって俺が最高の物を与えてやったのに!!)
ミレイの言葉に王子と兄がユーラに視線を向ける。
レックスもその視線を追うとちょうどユーラと一緒にいる男が何かを言ったらしく、ユーラは背の高い彼をすねたように上目遣いで見上げて何かを言い返し、からからと笑った彼の言葉にぱっと輝くような笑顔を見せた。
その幸せな笑顔はレックスが一度も見たことがないもので、レックスのひび割れた心にさらに衝撃が走った。
(……俺といる時のユーラはあんな笑顔を見せたことなんてない。何であいつには笑っているんだ。ユーラは俺の婚約者で、俺はユーラを……)
――嫌いな物を無理に身に着けて苦しんでいたから。
レックスがいつも通りユーラを否定しようとしても、さっき聞いたミレイの言葉が延々と蘇って打ち消す。
女神に愛されるミレイの言葉は正しい。ただ1人、自信をなくしていたレックスを認めてくれたのだから。
そして、ミレイは祝福を授ける女神のように慈悲深い笑みを浮かべた。
「ふふふ、今の彼女はとても幸せそう。きっとあの彼が好きなのね。お2人はお似合いだわ」
――その言葉に、レックスの世界は粉々に壊れた。
激しく痛みだした頭にうめくと、それに気づいたミレイの兄が心配そうに声をかけてくる。
「レックス君? 顔色が優れないがどこか具合が悪いのかい? 少し休んだ方が良いんじゃないか」
「まあ、大変。ひどい顔色よ。休憩室に行った方が良いわ」
「私が案内するよ。ミレイはダンスを楽しんでおいで。殿下、すみませんが、妹をお願いしますよ」
ミレイの兄は第2王子にミレイを託すと、声も出せずにうつむくレックスを支えるように背中に腕を回して休憩室に連れていく。
ミレイは心配そうにしていたが、王子に声をかけられるとぱっと花が咲くような笑顔を浮かべた。
――そういえば、とそれを見たレックスは痛みでまともに動かない頭で思った。
ミレイが着けている宝石はレックスと同じ水色の瞳をした第2王子グラディスの瞳の色と良く似ていて、王子もまたはちみつ色をまとっている。
それにミレイはいつもプレゼントを受け取ると真っ先に王子に見せに行っていた。その時のミレイは一番輝いていて。
「ありがとう、レックス! あなたのおかげで、学園祭は私の最高の姿で過ごせるわ!」
ドレスを見た時のミレイも同じぐらい輝くような笑みを浮かべていた。
女神に愛される彼女の言葉はすべて本心からのものだ。そして、希少なギフト持ちの彼女は皆に愛され大事にされ、いつも幸せでいるのが当たり前なのだ。
レックスのプレゼントは彼女を喜ばせ、レックスはそんな彼女に心から喜んで尽くしていた。
「ミレイをよろしく頼むよ」
第2王子グラディスとミレイの兄のその言葉はどういう意味だったのだろうか。でも、これだけは底なしの深い闇に呑み込まれていくレックスにもわかる。
――ミレイとグラディスは愛し合っていて、自分は2人の幸せのために使われたのだと。
今はそれ以上は考えたくなくて。レックスは激しい痛みをこらえながら、ミレイの兄に力強く背を押されて休憩室に連れられて行った。
「お、あそこで殿下とメルティス侯爵令嬢が踊っているぞ。メルティス侯爵令嬢ってあんまりこういう場に出ないって聞いたけど、やっぱり神がかった美人は何をしてもきれいだな、っと」
「きゃっ!! ちょっとラング、ふざけていないで降ろしてよ!!」
ダンスの途中に急に抱き上げられたユーラが抗議すると、ラングはユーラを力強い腕で抱えて華麗に一回転して降ろすと得意げに笑った。
「ごめんごめん。俺のユーラ姫の可憐さを周りに見せつけてやろうと思って、頑張っちゃった」
「頑張らなくていいから、普通にして普通に!!」
ダンスが苦手なユーラが抗議するもラングは「じゃあ、また今度のお楽しみで」とけろっと流し、意味深なまなざしをしてユーラの耳元に口を寄せてきた。
「……な、ユーラ。あれってホントだと思う?」
「何が?」
「この学園祭でさ、お互いの色を身につけた衣装でダンスを踊ると、気に入ったカップルに女神様が祝福をくれるって噂」
学園で有名な噂にユーラはこくりとうなずいた。学園祭に参加する恋人たちや婚約者同士は皆お揃いの色を身につけて、美しいものを愛でる女神様に見初められるように美しく着飾るのだ。
たくさんの生徒たちの中でも一番目立っている第2王子グラディスとミレイは2人の色によく似た水色とはちみつ色を身につけて息のあったダンスを披露している。それを見たユーラは有名な噂を思い出した。
――第2王子グラディスとミレイは昔から想い合っているが、王族とギフト持ちは結ばれないのだと。
今夜、もし愛しい人のために美しく着飾った2人が一緒に過ごす姿を目にしたら、慈悲深い女神様がお似合いの2人の幸せを願って祝福を授けてくれるかもしれない、とユーラはぼんやりと思った。
「もちろん、知っているわ。女神様はお優しいから、ここにいる全員を祝福してくれるかもね」
「お、良いこと言うな。ユーラが信じるなら俺も信じるか。じゃあ、ユーラ。俺と婚約してください」
「はいっ!? それ、今ここで言うことじゃないわよね!?」
明日家に遊びに行く、的な軽さで婚約話を出してきたラングにユーラが突っ込むと、いつもユーラをからかって遊ぶラングは珍しく困ったような顔をした。
「俺は本気で言ったんだけどなあ。それにもし本当に女神様の祝福がもらえたらさ。俺にも金ぴか君みたいにすっごい才能が芽生えて、ユーラが好きな物を貢いで喜んでもらえるかなって」
「そんな気を遣わないでよ。それに、貢ぐとか言われると私ものすごい悪女になった気分になる」
いつものひょうひょうとした態度はどこにいったやら。しょんぼりした(フリかもしれない)ように見えるラングに、ユーラはそっと背伸びして耳元にささやいた。
「私、いろんな物をもらうより心のこもった物をもらう方がうれしい。皆に作ってもらったこの私の好きな海色のドレスを着てこうしてあなたと踊ったこと、一生の宝物にする。……だから、その。プロポーズはすごくうれしい、です」
それを聞いたラングは「やった、ユーラ大好きだ!」と叫んで、小柄なユーラを横抱きにしてその場でくるくると回った。
周りから生温かい目で見られたユーラはしばらく怒ってラングと口を利かなかった。
その後、やっと怒りを収めたユーラの元にラングからサファイアの指輪が届いた。愛する婚約者から初めてプレゼントされた指輪をユーラは大事に身に着けた。
ソファに呆然と座り込んだレックスに、ミレイの兄トワルは微笑んで紙の束を差し出してきた。
「気分が優れないところをすまないが。レックス君にはこれにサインをお願いしたい」
その声につられるようにのろのろと手に取る。それはミレイとの婚約に関する魔術契約紙だった。サインをすると魔術による契約が結ばれる物だ。
痛む頭を何とかなだめて目を通したレックスはさらなるショックに襲われて、怒りと屈辱に身体を震わせた。
「こ、これは……、どういうことですか!! ミレイとは白い結婚で、彼女とは必要な時以外は関わらないし、行動を邪魔をしない。それでいて大事にしろとはっ!? こんな婚約認めない!! 俺はユーラと別れることも、ミレイと婚約することも聞いてないんだ!!」
「おや、確かにミレイに関しては厳しい制限を付けるが、それ以外は良い条件だと思うが。伯爵令息の君は栄えあるメルティス侯爵家の婿になって、君も含めた皆が美しいと褒めたたえるミレイのためにひたすら美しい物を作って捧げて、幸せにしてくれればいい。もちろん、そのための支援は私が喜んでさせてもらうよ」
「そんなのは受け入れられません!! 俺はミレイが美しくなる姿を見たかっただけだ!! こんなのミレイのためだけに仕える奴隷になれと言っているようなものだ!!」
トワルははちみつ色の瞳をすっと細めて、はたと気づいたようにうなずいた。
「……ああ、これはすまない。君も若い男だから、もちろん女性と触れ合いたくなることもあるだろうな。我が家とミレイの評判に関わらないようにひっそりとやってくれればいいよ。ただ、シューラス子爵一家には一切関わらないように。ギフト持ちの彼らとは今後も上手くやっていきたいからね。もしかしたら、ご令嬢はミレイの友人になるかもしれないし」
自分を捨てて幸せそうに笑っていたユーラの姿を思い出してレックスの中に憎悪が煮えたぎる。トワルはそれを見て楽しそうに微笑んだ。それは妹のミレイを思い出させる無邪気なものだった。
「ははは、君はシューラス嬢の名前を出すと実に面白い反応をするな。さっきのうろたえぶりも実に傑作だったよ。でも、シューラス嬢と子爵家は君と君の家を心底嫌っているからね。これ以上痛い目にあいたくなければ大人しくしているんだね」
レックスはなぜかユーラに嫌われていると聞いて胸がずきりと痛んだ。しかし、トワルは心底楽しそうに笑みを深めて軽やかに続ける。
「それに、ミレイはああ見えて人の悪感情に敏感なんだ。君もいい加減無関係になった彼女をまだ害しようなんて馬鹿なことをしない方が良いよ? でないと、醜い心を嫌うミレイにも捨てられる。それに、君の家とは既に君を貰い受けると契約を済ませてあるからね。ご両親は喜んで君の才能を侯爵家の役に立ててくれと快く承知してくれたし、次期伯爵の兄君にも『弟のことは忘れるから好きに扱ってくれ』と言われているんだ。さて、そんな君がミレイに嫌われて捨てられたら……ふふっ、どうなるのかな?」
――それに、グラディスは愛するミレイがわずかでも不幸になるのを許さないんだよ。私でも恐ろしいぐらいだ。
はちみつのように甘く香る声がいつの間にか家と兄にも見放されていたと知って絶望するレックスの中に注ぎ込まれ、メルティス侯爵家とミレイの真の夫になる第2王子グラディスへの恐怖と絶対的な服従を促す。
じわじわと蕩かされていく自我の中でレックスは思った。
――美しいミレイに惹かれた自分は、初めから女神の愛し子の彼女に幸せを捧げるために選ばれた生贄だったのだ。そして
「おや、少々言いすぎてしまったな。安心してくれ。先ほども言ったが君の役割はミレイの名だけの夫になって、その才能を活かしてミレイが喜ぶ物を作り続けるだけだ。簡単だろう?
それに、私は君にはとても感謝しているんだ。すべてが望むまま手に入るミレイは唯一手に入らない王族のグラディスと激しい恋に落ちてしまってね。2人が愛し合うためには、彼らを外の目から隠して守る存在が必要だったんだ。幸い、アクス公爵令嬢は喜んで引き受けてくれたが。愛し子のミレイの方は、周りが納得するぐらい愛して尽くしてくれる男でないといけなくてね。
君はまさに条件にぴったりだよ。これからもミレイのために尽くしてくれたまえ」
ユーラや実家にいつの間にか捨てられたように。生まれながらに愛され大切にされるミレイを裏切ったら、自分は今度はすべてから捨てられるのだろう。
ほぼすべてを失ったレックスはのろのろと手を動かして、自分の残りの人生のために契約紙にサインをした。
ここまで読んでいただきましてありがとうございます。
「圧倒的な権力を持つ人が自分の望みを全部叶えたら、気づかないところでざまあしちゃった☆」なノリで書いたので、思った以上の反響をいただきドキドキしております。
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