表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/7

プロローグ

 朝焼けが静かに部屋の隅を染めていく。カーテンの隙間から差し込む光が、ゆるやかに揺れる。

 外では鳥のさえずりが微かに響き、昨夜の雨が残した湿り気が空気に滲んでいた。


 僕は、まどろみの中でゆっくりと目を開ける。

 隣では妻の千春がまだ眠っている。


 寝息は、寄せては返す波のように穏やかで、その横顔は静寂の中に溶け込んでいた。わずかに開いた唇、寝返りとともに揺れるまつ毛。

 その姿を見つめながら、僕はふと、心の奥に沈んでいた何かが微かに揺れるのを感じた。


 この風景は、何年も変わらないはずだった。


 けれど、僕らの間には確かに、目には見えない亀裂が広がっていた。


 どこから歪み始めたのか、正確には思い出せない。

 ただ、気がつけば沈黙が増え、交わす言葉が減っていた。


 それでも、まだここに千春はいる。

 その事実が、心の奥で鈍く響く。


 やがて千春が目を開けた。


「……おはよう」


 声は眠たげで、どこか遠い。

 僕は微笑みながら、「おはよう」と返した。


 この瞬間を、これからも守っていけるのだろうか。


 答えのない問いを抱えながら、僕は静かにベッドを抜け出した。


 キッチンへ向かい、コーヒーメーカーのスイッチを入れる。低い機械音が室内に広がり、やがて豆の香ばしい香りが漂い始めた。


 窓の外では、夜の名残を抱えた空がゆっくりと朝へと変わっていく。細い雨がまだ音もなく降り注ぎ、濡れた舗道がぼんやりと光を反射していた。


 千春と結婚して、もうすぐ七年になる。


 僕らの関係は、傍目から見れば理想的だと思う。


 互いを尊重し、穏やかに日々を積み重ねてきた。でも、それは表面的なことにすぎないのかもしれない。


 フロイトは人間の心を氷山に例えた。見えているのはほんの一部で、本当の問題は水面下に沈んでいる。


「おはよう」


 振り返ると、千春が目を覚ましていた。いつの間にか着替えを終え、髪を軽く束ねている。


「おはよう。コーヒー、できてるよ」


「ありがとう」


 彼女はマグカップにコーヒーを注ぎ、窓の外を見た。

 その横顔を眺めながら、僕は思う。


 僕らが見ている景色は、本当に同じものなのだろうか? と。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ