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6 本居さきなの謎

「和尚さんのおっしゃることは僕にも分かります。しかし被害者本人を中心に考えると、和尚さんと無関係とも言い難かったかもしれません。史学科の学生で、何かしらの目的があってこのお寺に宿泊されていたわけですからね。和尚さんの観音の舞の練習をこっそり見たかったのかもしれません。

 もうひとりの被害者、女性従業員の本居さんについては生前、なにか違和感を抱きませんでしたか?」

 と羽黒祐介は追及の矛先を変えるのだった。良順和尚は、内心ひやりとしたが、顔色には出さない。


「特に何も……。あれは大学卒業後すぐにうちに就職して、まだ二年余りしか経っていなかったものを。不憫なことです」

 そう言うと良順和尚は節目がちになり、憐憫の表情を表した。すると根来警部は気の毒に思ったらしく、

「あまり気にしない方がいいぜ。和尚さんが悪いわけじゃねえんだから……」

 と謎の励ましの声をかけてきた。

「いえ、人様の子を預かっておきながら、このような結果になってしまったかと思うと大変無念です。どうか犯人に正義の鉄槌を下して頂きたい……」

 と良順和尚は心に微塵もないことを述べたのであった。


「先程、根来警部から聞いたのですが、女性従業員の本居さきなさんは、午後五時以降、姿が見られなかったそうです。夕食の際にも、姿を見せなかったそうですが、和尚さん、彼女はその間、一体どこにいたとお考えですか?」

 と羽黒祐介がまたしても痛いところを突いてくるので、良順和尚は、むむむっと小さく唸った。

「そんなことはわたしは知りませぬな。山の中を呑気に散歩でもしていたのではないですか……」

「しかし雨が降っていたのです」

「雨が降っていようが、風が吹いていようが、そんなこと人間の一生を考えれば些細なことです。また宇宙、すなわち森羅万象というものを考えれば、むしろ雨風はあってこそ自然というものです。羽黒さん。あなたも時には雨風に悩まされることがあるでしょう。しかし気に病むことはありません。それも祖仏の歩んできた道です……」

 と良順和尚は羽黒祐介の追及が嫌だったので、器用に法話に展開する。


「本居さきなさんは、雨降る山の中を傘もささず歩いていたのでしょうか。死体の付近に傘はありませんでした。また、散歩するにしても殺される八時ごろまで三時間に渡って歩き続けたということでしょうか。夕食はどうなさったのでしょう」

「それは警部さんたちの範疇です。司法解剖ではらわたをひっくり返せば、食べたものが出てくるのではないですか?」

 当然の如く、法話が無視されたので、良順和尚は悲しい気持ちになっていた。


「俺の出番だな。えー、被害者本居さきなは、司法解剖の結果、夕食を食べた形跡はまったくなかった。これでいいか? おふたりとも……」

 と根来警部が呑気な表情で、ふたりの顔を交互に見るので、良順和尚は無性に腹が立ってきた。

「結構。すると、本居は飯も食わずに三時間も山の中を歩いていたのかもしれませんな。それでいいではないですか。おかしいと思いますか。しかしあなたがおかしいと思っていることでも、その人にとっては普通ということがあります。またその人から見て、あなたたちのすることが妙に思えることもあるのですよ。中国の道家、荘子はこう申しております。人間は湿地に寝ればいつか腰を病んで死んでしまう。しかし(どじょう)という生き物はそうではない。我々が木に登ればその高さに怯えてしまうが、猿ならばそうでない。我々は牛や豚の焼き肉を一番美味いと思っているが、鹿は草を好み、鳶や烏は鼠を一番美味いと思って頬張っているではないですか。ええ。昔、中国には毛嬙(もうしょう)麗姫(りき)という絶世の美女がいました。人間ならば誰でも心奪われるに違いない美人です。ところが、魚はそれを見ると水底に潜って姿を隠し、鳥は空へと飛び上がり、鹿も逃げ出してしまう……。つまり認識というのはさまざまなのです。あなた方は、自分の認識というものを絶対視している。だから雨の中、傘もささず、三時間も道を彷徨っていた彼女の気持ちを推し量ることができぬのです……」

 我ながら上手い法話だな、と良順は思ったが、羽黒祐介は聞いているのか、聞いていないのかわからない様子であった。


「本居さきなさんが山道を雨の中、歩いていたと考えるより、どこか建物の中にいたと考える方が自然です。それもそこには目撃者となる人物がいなかったのだから、僧坊や宿坊の施設のような人気(ひとけ)のあるところではない。それがどこなのか、特定したいのです」

「あなたは、その特定したいという気持ちにとらわれているようですな。なんだっていいじゃありませぬか。彼女はどこかで生きていた……確かに生きていたということが本当に人間にとって大切なことなのです」

 我ながら話をはぐらかすのもさすがに無理が生じてきたな、と良順和尚は思った。


「たとえば、観音堂のような小さなお堂はまだ沢山あるのですか?」

「いえ、ありません。あれきりですな……」

「しかし観音堂には和尚さんがいらっしゃった。たとえば本居さきなさんがこっそり尋ねてきてなんてことはありませんか?」

「二ヶ月前、警察にお話ししましたが、わたしは観音堂で舞を練習している間、誰とも会っていませんよ。また、仮面を被っていると言っても、お堂に人が入ってきたらさすがに気付きます」

 羽黒祐介は、すでに真相に気がつきはじめているのだろうか、僅かににやりと口元が微笑んだように見えて、良順和尚はゾッとしたのであった。


 本居さきなの生前の行動が不明であることは、事件発生当初、捜査本部でも問題となっていたが、明快な解答は得られなかった。

 彼女の遺体が肌着姿であったことから、誘拐されていたのではないかという説もあったが、縛られたり、ガムテープを貼られていたり、乱暴されたり、抵抗をしたという痕跡もないのだった。

 一体、彼女はどこで何をしていたのだろうか……?

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