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4 観音堂の三人

 元々この殺人現場一帯には池があったものらしい。それが干上がって、現在のような湿地となったようだ。三人は、雨水を含んで、どろどろとまるで生焼けのチョコレートブラウニーのようになった地面に面くらいながら、正面の観音堂へと向かった。


「観音堂では、良順和尚が観音の舞の練習をしていたのですよね……。ところで、観音の舞とは一体、なんのことですか?」

 と祐介はあらためて、胡麻博士に尋ねた。

「観音祭りは夏祭りの一種で、室町時代からのこの寺で続けられていた伝統行事なのですよ。ふふふ。良順和尚は、観音のお面をつけて、舞台の上で五十分ばかり踊るのです。ちょうどお能のようなものだと想像すれば良いでしょう……」

 そういう胡麻博士は、観音堂の木戸を開いて中へと入った。八角形で瓦葺きの観音堂は、それほど広くはない。ちょうど一般的な一軒家くらいの大きさであった。薄暗い正面には、賽銭箱の先に、壇が拵えてあって、一メートルくらいの聖観音像が逗子の中に立っていたのであった。

 聖観音というのは、多面多臂(ためんたひ)の十一面観音や、千手観音とは異なり、ほとんど人間の姿と違わない観音菩薩像である。

 菩薩は、若き頃の悩める釈迦の姿がモデルであるが、観音は、仏像が生まれる過程で、インドの水の女神信仰と合流するなどして、すっかり存在が中性化、むしろ女性化している。

 祐介たちの目の前にある観音像は、宝冠をかぶり、薄い衣を身にまとい、片手で蓮華の水瓶を持ち、片手で印を結んでいた。


「これが観音の面ですが……」

 と祐介は観音堂の壁を見回しながら言った。観音像のお面が壁にいくつもかけられていたのである。文化財にしては無造作な置き方であった。



 奈良県の當麻寺の来迎会でも、やはりこのような菩薩面(ぼさつめん)をつけて、宝冠をかぶり、衣装をまとい、菩薩に扮した人々が境内を練り歩く仏教行事が、鎌倉時代から行われている。

 大麻寺の来迎会の菩薩面と、この観音面は同様の製造工程を経たものと思われる。



「良順和尚は、このお堂に一人でこもって、観音の舞の練習をしていたのですね。その時、お面はつけていたのですか?」

 と祐介は根来警部の方を振り返った。根来は、なにか考え事をしていたのか、ぼーっと俯いていたが、話しかけられてはっと顔を上げた。

「ああ、そうらしい。なにしろ、お面をつけるとつけないとで舞の感覚が違ってくるらしいから、その日も良順和尚は、できるだけ本番に近い状態で舞を踊っていたらしいんだ……」

 七十という年齢で、五十分も舞い踊るというのは肉体的に相当な苦しみだろう、と祐介は想像するだけで腰に痛みを感じた。


「すると、事件当夜、良順和尚は面をつけた状態で、騒ぎを耳にして、現場に駆けつけたわけですね」


 確か、根来の書いた下手な図によると、ここから国貞忠という男子学生の死体までは距離にして三十五メートルもあるということであった。

 死体の周囲に作られた二十メートルの放射状の溝から、さらに十五メートル離れた先にこの観音堂はあるということである。あの放射状の溝を、犯人が歩いたとして、十五メートルばかり観音堂にジャンプすることができれば、一切、足跡をつけずに移動することができるのだが……。


 挿絵(By みてみん)


「ああ、なんでも頭に結んだ紐を解く余裕がなかったらしい。観音の面はこの見た目で、実際には視界が広々としていて、不自由ないそうだ」

 しかし仏像の顔をそのまま取り付けているようなものであるから、相当重いに違いないと想像すると、祐介は首がこりそうになった。

「衣装は、一言でたとえると、純白と金色の束帯のようなもので、そこに宝冠をかぶる。事件当日、良順和尚は、祭りの時の格好になって、午後六時過ぎからずっとこの観音堂で練習していたわけだ。じゃあ、ふたりとも今度は、その良順和尚とやらに会ってみようじゃねえか……」

 と根来が言ったので、三人はその観音堂を後にすることになった。


 観音堂を出た三人は、左手に続いているアスファルトで舗装された道を通って、本堂の方向へと戻っていった……。

 雨が止んだ後のことで、あたりの空気はひどく蒸していた。胡麻博士は、小道を歩きながら、ぶつぶつとなにか呪文のようなものを唱えている。

「なんです、それは……」

 と祐介が眉をひそめて尋ねると、胡麻博士。

「十一面観世音神呪経の文々を唱えておったのです」

「はあ」

「ねえ、羽黒さん。この寺には恐ろしい秘密が隠されていますよねぇ」

 といって祐介に微笑んだ胡麻博士の顔は、この世のものとは思えぬほど、妖怪じみていた。


 本格推理小説らしく、丁寧に事件の説明ばかりしてきたが、そろそろ読者も肩がこり、くたびれてきたであろうから、次回からしばらく犯人視点の物語に変わる。

 犯人というのは良順和尚のことである。

 作者のくせにネタバラシしやがって、と怒声を上げるのだけはどうかご勘弁願いたい。

 この物語は、フーダニット(犯人捜し)としての要素は皆無である。

 以後は、稀代の怪僧良順和尚と名探偵羽黒祐介の息もつかせぬ、窒息ものの対決を楽しんでいただきたい。そして興味のない事件の捜査に付き合わされている胡麻博士がずっと考えているこの寺の千手観音に関する()()()()とは何なのだろうか。

 それこそが良順和尚がひた隠しにしている。恐ろしい秘密なのである。

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