14 真相
「なんだって……。ということは……どういうことになるんだ……」
と根来警部はただ困惑しただけだった。
「いいですか? 和尚さんはもう七十歳で、ご覧のように腰痛に悩んでいるご様子だ。しかし生きている限りは、観音の舞を踊らなくてはならない、辞める時は自殺しなければならない、というのがこの寺の厳しい伝統です。そしてわたしが、観音の舞を見せてくれ、とお願いすると、和尚さんは頑なに拒みましたよね。
そして、和尚さんと本居さきなの身長は同じ157センチでした。そして本居さきなは事件当夜、午後五時以降どこにも姿を見せず、司法解剖の結果、夕食を食べた形跡もありませんでした。雨の中、三時間も彼女が屋外を彷徨っていたというのはいかにも不自然です。すると、彼女は一体どこにいたのでしょうか。そう言うと、和尚さんは話をはぐらかしてしまった。そして和尚さんは本居さきなの死後、観音の舞を中止にしてしまったのです。そこで、わたしの中で複数の手がかりが見事に繋がったのでした。
和尚さんは、ここ数年、本居さきなに観音の舞を踊ってもらっていたのだ、と。そして、それをさも自分が舞っているように見せかけ、周囲に偽っていたのだと……。
それはおそらくこのようなものだったのでしょう。あなたと本居さきなは互いに同様の装束をまとい、同様の観音の面をつけて、舞台の上でタイミング良く、すり替わるつもりだったのでしょう。そして和尚が舞台裏で唄い、彼女が舞台上で舞えば、客席からは和尚が唄い踊っているように見える。想像に過ぎませんがたぶん、舞台の入れ替わりは、こんなところだったのでしょう。
あなたは事件当夜、本居さきなとふたりで本番の変わり身の練習をするために、観音の装束をまとっていました。おそらくあなたは観音の面をつけていなかったのでしょう。
そしてこれは想像に過ぎませんが、史学科の生徒である国貞忠の訪問を受けて、この寺の秘密をことごとく解き明かされてしまったのでしょう。国貞忠は、おそらく本居さきなと和尚さんの二人一役も見抜いていたのでしょう。
精神的なショックで気を失ったあなたを、国貞忠は背負って、観音堂へと運ぼうとしました。つまり、同じ装束をしている本居さきなとあなたを観音堂で突き合わせて、動かぬ証拠としてネタを掴もうとしたのです。あなたは、途中で目を覚まし、持っていたワイヤー状の凶器で、国貞忠を背後から絞殺しました。国貞忠は、ぬかるみの中にうつ伏せで倒れました。
そのまま、あなたは本居さきなに会おうと思って二十メートルあまり観音堂の方向へ向かったのです。
ところが、これでは国貞忠の死体から観音堂へと続く自分の足跡がぬかるみに残ってしまいます。和尚さんとしても、自分が犯人だと言っているようなものだと気づいたのでしょう。
そこで、和尚さんはその足跡を揉み消すために、泥を靴で擦って、揉み消してしまったのです。
ところがこれでは、不自然極まりない状況です。結局、犯人が観音堂に向かったことは分かってしまうのです。そこで和尚さんは、たとえば反対側にもう一本、靴で泥を擦って同じような溝を作りました。
そうやって、結果的には、放射状の六本の溝を作り、千手観音の見立て殺人に見せかけようとした。溝の数を増やすことで、最初の一本を目立たなくし、真の目的を分からなくしてしまったのです。ある意味では、ABCパターンのようなものですね。
ところが、ここで犯人に予想もしていなかった事態、つまりハプニングが訪れます。史学科の学生たちが、国貞忠の死体に気付いてしまったのです。ちょうど和尚さんは、空洞の大銀杏の位置まで溝を作ったところでした。和尚さんは慌てて、空洞の大銀杏の中に姿を隠します。
この時、本居さきなから見ると事態はどうなっていたのでしょう。彼女は、観音の面をつけて、観音堂で舞の練習をしていました。そろそろ和尚さんが到着するはずですが、なかなか来ません。おかしいな、と思っている頃に、外から学生たちの声が聞こえてきたのでしょう。ぬかるみに飛び出した彼女は、空洞の大銀杏に隠れている和尚さんに気がつきます。これだけでは、何が起こっているのかわかりません。自分が本居さきなだと言い出すこともできず、学生たちに小声の作り声で対応した彼女は、事情を確認するために、その足で空洞の大銀杏に隠れている和尚さんの元に歩いていきました。
そこで和尚さんは、自分が犯人だと本居さきなにバレてしまったと思って、忍び寄ってきた本居さきなを、持っていたワイヤー状の凶器で絞殺してしまったのです。その凶行は、この時、学生たちから死角となっている空洞の大銀杏の背後の根っこの上で行われました。
そして和尚さんは、腰に差した宝刀を駆使して、本居さきなから観音の装束と面を剥ぎ取りました。なぜなら、彼女の死体が観音の装束を着ていると、誰の目にもトリックが明らかです。そして和尚さんは、本居さきなの靴に履き替えて、それらの回収したものと自分の泥だらけの靴を全て、空洞の大銀杏の凹みの中に一旦隠したのです。
そして和尚さんは観音の面をつけて、頭の後ろで、宝刀で切って短くなってしまった紐を頑張って結ぶと、学生たちを呼んだのでしょう。
その後のどさくさに紛れて、和尚さんは空洞の大銀杏の中の観音の装束や面、そして自分の履いていた靴を回収します。
それが今、和尚さんが焼き捨てようとしている証拠品なのです。
どうですか。いくつか想像で補いましたが、和尚さん、真相はこんなところではないでしょうか……?」
良順和尚は、ぐったりと草むらの中に仰向けで倒れている。静かに羽黒祐介の推理を聞いていたが、震えた声でこう言った。
「その通りじゃ……。よくぞ、真相を見破った。この観音の面や装束には、本居さきなの毛髪や体液が付着しているだろうから、君の申しているトリックが現実に行われたことは科学的に証明されることだろう。
観音の面は、貴重な文化財であったから、水洗いすらしていない……。
全てわたしのミスだが、無間地獄へと向かう我が身を思えば、これ以上、仏に背いてならないという思いだったのだ。
しかしな、お二方、あの学生は当山の暗黒の歴史や、わたしと本居さきなの二人一役を、面白おかしい同人雑誌の記事にして、世間の批判を煽り立てようと企んでおったのじゃ。そりゃあ殺しますよ……。当山は今では観光寺じゃが、そこには寺に勤める人々や、周囲の山村の生活が関わっておるのじゃよ。わしはそれらを守ろうとしたつもりじゃ。
ただ、勘違いしておるのは、わしは精神的ショックで気を失ったのではなくて、記事にすると言われて動転し、学生に掴みかかったところ、腕力で押されて机に頭をぶつけて気絶しただけのことじゃ。
わしの着ていた装束の中に偶然、阿弥陀信仰の五色の紐があったから、この無慈悲な学生を絞殺して、浄土に送るのにはちょうどいいと思った。わしはおぶられて観音堂へと運ばれていったらしいが、それはあの学生が「観音に扮した人物がふたりいる」証拠写真を撮ろうとしていたのだろう。そしてわしはおぶられて観音堂に運ばれる途中で、今しかチャンスがないと思って、あの学生を殺した……」
そう言うと、良順和尚は手錠の不自由さに苦しみながらふらふらと立ち上がり、震えながら念仏を唱え始めた。
「すみませぬが……。最後に、本堂の千手観音を拝ませてはくれぬかの。おそらく、しばらく拝むことはできぬだろうから……」
その憐れな和尚の言葉に、羽黒祐介と根来警部は頷いて、良順和尚を、本堂へと案内した。本堂には、胡麻博士の姿があった。手錠をつけられている良順和尚を見て驚き、二、三歩引き下がったようだった。
良順和尚は、賽銭箱の前に立つと、血走った目で、しばらく千手観音を見上げていた。
「五十年のあの日、わしは誓願をした……仏教に帰依し人々の心に尽くす……その誓いは果たされぬまま…….」
そうして和尚は、今度は、真言を唱え始めた。その声は悲壮な響きに満ちていた。
和尚は、千手観音の真言を唱え終えたところで、突然何かを悟ったらしく、わっと叫び声を上げて、根来の手を力強く振り払い、手錠のついた両手のまま、灯のともる蝋燭を蹴り倒して暴れた。その火は瞬く間に、経典の和紙を伝った。
「おっ、火を消せっ!」
根来の怒鳴り声が堂内に響いた。
和尚は、賽銭箱によじ登って躓き、千手観音磨崖仏の足元に無様に転がると、その姿はまるで餓鬼道の醜悪な生き物のようだった。
和尚は、泣き腫らした目で、千手観音をはっと見上げ、苦悩の呻きが混じった声を堂内に轟かせる。
「わしが仏道を志して五十年……いかなる因果で、このような結末を迎えたのだろうか……」
その時、千手観音の顔が、燃え盛る火に赤々と照らし出され、妖しげな微笑みを浮かべているのが見えた。この微笑みが表しているものが何なのか、慈悲なのか、嘲笑なのか、それとも因果応報の無常さを嘆いているのか、堂内に集う人々のうちの、誰にも判断がつかぬうちに、火は絶ち消え、観音の顔はたちまち暗中に隠れてしまった……。
「千手観音殺人事件」完