7.ホッジス城
翌早朝、エイプリル一行は貴族門を出、ホーシュビー街道をホッジス城に向かって進んでいた。
アニーは、サリアからフィエールへ城へと再び馬車の旅に苦しむことになるはずだった。アニーはむしろ歩くほうがいいと言い出したが、歩くことだってアニーには苦痛すぎるのだ。エルと3人でキャッキャと話し合い、結局サポート隊から女性隊員ふたり、馬2頭を付け、アニーを馬に乗せてゆっくりと帰城することになった。
この時、アニーは女性隊員に後ろから抱き込まれて馬に乗り、人の体温を背に、馬の体温を肢に感じながら、新鮮な空気と飛び行く景色を楽しんで旅することができたのだった。
「次姫さま、酔いませんでした。景色を見ながら馬に乗せてもらえば、どうにか王都まで行けるかもしれません」
リバーアン砦でエイプリルと再会した折、アニーは嬉々として報告したのだが、雨の日もある長い旅路にはもう少し工夫が必要かもしれなかった。
サリア領の南はホッジス領だ。フィエール辺境伯の実弟、ホッジス子爵が治めている。
ホッジス子爵の役目は、旧帝国の西に残されたベニステラ公国と連絡をとり、ガリエル皇国から逃げてくる旧帝国民の子孫を受け入れることにある。
ガリエル皇国は、もともと七部族制で成立していた遊牧民の国だった。大瀑布のはるか北、アルテン高地に広く展開し、高地から降りてきた時も大人数とは言えなかった。
ルースカリエという大帝国の真ん中を大きく抜き、豊かな農地を手にした後も、部族制を維持しており、征服した帝国の都市国家を七部族で分け、圧倒的な少数でありながらも力で旧帝国民とその子孫を支配してきた。
これを嫌い、とくに魔法使いの血筋で帝都の魔法学園で教育を受けた者たちは、家族とともに、あるいはアルジェンタム河を渡ってベニステラ公国へ、あるいは双子の火山の間を通る間道を抜けて、マナウス砦へと逃げた。
ベニステラ公国は、全体として低地で、広い地域がアルジェンタム河からの水で沼を形成し、場所によっては海水が入り込んで汽水域となっている。帝国における価値は土地そのものではなく、大瀑布の落差を利用して帝都へと水を送る大水道橋にあった。
皇太子が代々この地の守りを任されていたのもこれが第一の理由で、あまり多くの人口を養うことのできる領地ではなかった。
また、ベニステラ公国がガリエルに攻め落とされなかったのも、またこの水道橋のおかげである。皇都はこの水道橋なしに飲料水を確保することができないし、ベニステラ公にも皇都から出ることができない旧帝国民の水を断つ選択肢はなかった。
皇太子ベニステラ卿は、フィエール家に末の皇女が押しかけ女房に入ったことを知って、
「カンディステラならでは、だな。ようも思い切ったものよ、まだ14歳であろうに」と、大笑いした。
だが、将来の皇帝として十分な教育を受けた為政者でもあったから、これを利用しないなどということはありえない。
皇女とフィエール子爵家が、ガリエルをフィエール平原から大山脈の西へと退け国境を確定して早々に、海路で連絡を取り始めた。大陸の縁を南に下り、東に進路を変えてアルジェンタム河口を横切り、ホーシュビー湾まで。危険な航路ではあったが、帆船に風使いを乗せ、ベニステラとフィエールが力を合わせて、アルジェンタム河口を過ぎたところに補給と風待ちができる中継地を開拓し、航路を安定させた。
その航路を使って、すでに100年以上、フィエールからは食料を送り、ベニステラからは魔晶石と移民を送り、支え合ってきた。
「エリー、いらっしゃい。ますます凛々しいね」
「叔父上、お世話になります」
「うん、王都に行く前に視察に出たんだって?」
「はい。もう来ることができないかもしれないと」
「そう。
エリー、そんな寂しいこと言わないで。王宮もエリーを王都に置いておくわけないと僕は思うよ。
第三王子との間に子ができたら、どこかこちらへ、そうね、例えばカンデラ公の魔晶石鉱山が飛び地になっているでしょう?あのあたりに移るのじゃないかな」
「そうなればいざという時の備えにも悪くない位置取りですが」
エイプリルの口調には若干の不安感が含まれている。
「うん?」
「王子殿下が」
「そう。向いていないの?」
「はい。何と言いますか、王宮から出ないのです。
婚約を結んでのちも、一度もフィエールに顔を出さず」
「うん、そうなんだってね。
エリーへも贈り物ひとつないって聞いたよ。ローズの時はカンデラ公から降るように手紙と装飾品やドレスが届いていたのにね」
「まあそういうことです」
「そうか、前途は厳しそうだねぇ。
ホーシュビーは僕に任せなさい。アニーが抜けたのは確かに痛いけどね、僕たちだって無能じゃないよ。アニーもたくさんの似顔絵を残してくれた。
魔力がある者はほぼ省けるしね。ガリエルの直系の者なら背も高い。顔かたちでもある程度判別できる。
カンデラ公と打ち合わせて東の植民地にも諜報の訓練を積んだ者を入れるように手配済みだから」
「はい。よろしくお願いします。
現在、ベニステラから来た者は、フィエール領内に残るものと東の開拓地に行くものに分かれていますけれど、ガリエルと連絡を取るならフィエールに残るでしょう。
そちらは、母上が見てくださることになりました」
「義姉上が。ありがたいですね。
再び姫隊を組織なさるということなの?」
「はい、奥向きはほとんどエルの母に任せるようです。
フィエールの祖母から引き継いだ侍女たちの娘も姫隊として十分に育っているとのことです」
「心強いねぇ。エリーが不安なく王都に行けるように、だね。さすがカリス家の戦姫だった方だよ」
「もし、東からフィエールに戻ってくる者があれば、捕縛してください。関係ない者もいるでしょうが、その中に間諜 (かんちょう・諜報員、スパイを示す古い言葉)が含まれている可能性は高いでしょう」
ホッジスに到着してすぐエリス・コーエンに休暇を与え、家族に会いに行かせた。次はいつ会えるかわからない。
エイプリルはエル、マイケル、ファビアンとともに、船でホーシュビーに出た。
馬蹄湾、ホーシュビーは、もともとは火山だったといわれている。大陸の北から続く大山脈が海に接する山並みには、双子の火山として知られている、そっくりの山容をしたふたつの休火山が並んでいる。地理学をたしなむ土魔法の使い手は、現在湾になっているところには大きな火山があり、それが大噴火して山体が崩壊、海に沈み、そのあと行き場を失った地の底の溶岩が、出る場所を求めて双子の火山ができたのだという。
帆船を操る水主は、風魔法を込めた魔晶石を手に、ちょいちょいと帆に風を当てながら船を操っている。うまいものだ。風魔法のうちのブローは中級魔法だ。魔晶石に魔法陣と魔力を込めることができるようになって、魔力が少しでもあれば、それがどんな性質であろうとも、自分の魔力を注ぐことで籠められた魔法を発動できるようになった。
これで、ベニステラ公国との往復のような長い航海でなければ、風魔法の使い手を乗せなくても気楽に海に出られるようになった。
ウイレムの研究が進めば、カンデラ公飛び地の魔晶石鉱山から出る大きな魔晶石を使うことができるようになる。長距離航海に乗り込む風魔法の使い手も、自分の生の魔力を今より大きな魔晶石に溜めておくことで、魔力の「貯金」が大きくなり、ずっと楽になることだろう。さらに、風適性がない魔法使いでも、補助的に乗り込んで、魔力の不足に備えることができるようになる。
帆船の守りはより固くなるだろう。
湾の東側に広がる荒れ地には、初期に旧帝国南東地域から来た民が拓き今も移民を受け入れている、最初の開拓地がある。
彼らは、早い時期にガリエル支配から逃げ出し、双子の火山の裾を抜ける間道を通ってマナウス砦を経てホッジス城にたどり着いた。最後までガリエルに抵抗した旧帝国南東の城塞都市ミッテルが彼らを長く援助した。
移民は故郷を懐かしみ、故郷へ続く間道から遠くへ行きたがらなかった。
初代フィエール辺境伯と夫人カンディステラはその気持ちを受け入れ、ともに故国を取り戻す誓いを交わした。彼らに湾の東の土地を与え、農耕と漁、牛と羊の放牧で生活が成り立つように援助した。
湾の最奥にはホッジス城が見える。船上から城を見るのは初めてだ。
湾の一番奥が小高くなっていて、その小高い丘をぐるりと水壕で囲み海水を引き込んでいる。城に入るには、跳ね橋を渡るしかない。
この水壕は、当代のホッジス子爵になってから掘られたものだ。
城を真ん中にして、二重の城壁が築かれており、城と第二城壁の間は広く空き地にしてある。ここは、万一の時領民を収容する場所であり、平時は兵練に使われている。
この城の弱点といえばなんといっても飲料水だろう。井戸を掘っても塩水しか出ない。この弱点を魔晶石と魔道具で補うことができるようになった今、 守りに不安はないと言ってよい。
真ん中にがっしりとした居館、左右に灯台と物見の塔を備えて、ホッジス城は丘の上にどっしりと建っている。
風魔法を帆にはらませて帆船を前進させる
「ゲド戦記 3」ハイタカがはてみ丸に対して使用する例あり