5.サリア城下の花まつり
作者倉名には、東と西を間違える傾向があります。文章中におかしな表記がありましたら、地図の方が正しいです、よろしくお願いします
ホーシュビー:
Horse Shoe Bay、ホース・シュー・ベイの短縮訛りで、馬蹄型の湾、馬蹄湾のことです
辺境伯実弟が治めるホッジス領にある重要地点です
フィエール城からサリア城に向かうには、サリア街道を南下して、貴族の馬車で3日、乗馬で2日弱、伝令の早馬なら街道沿いの早馬備えで馬を替えながら10時間強だ。馬はもっても人が耐えられないためのこの時間なので、文書なら馬と人を同時に替えて、7時間弱で届く。
街道は馬車のための石畳の道と、馬のための林道が別になっている。
姫隊はサリアとホッジスで時間を取るために馬で林道を急ぐ。
先行するサポート隊は、すでに1日目の野営準備を終えている。
夜明け間近の白い光が、霧を纏ったフィエール城の姿を浮かび上がらせる頃、用務扉からペイジが飛び出した。リンゴのように頬を染めた少女は、頭の高い位置で結んだ髪を揺らして走り、厩の入り口で息を切らして先輩のペイジに告げた。
「次姫さま、ご出発の準備整いましてございます」
「承知いたしましたとお伝えせよ」
そして、がんばってるな、と優しい目で見下ろし、息を整えてから帰れと言って思わず一緒に深呼吸した。「ほれ、深く吸って-、吐いてー、どうだ、落ち着いたか」そう言いながら、口元が緩んでいるのは同じことをしてくれた先輩を思い出しているのだろう。
視察に出るエイプリルの隊のために、厩務員はすでに準備を整えていた。
エイプリルの乗馬、濃いグレイの葦毛馬ハイランドリリーと、4人の護衛騎士のための栗毛の馬たちの馬装が始まる。
待つほどもなく、コーエン、キャメロン、ラドクリフが到着し、5頭の馬装を確認する。すぐにエルに先導されてエイプリルが来た。背後にはシューネとグリンデが従っている。
「おはよう、早朝からありがとう」
代表して主任厩務員が答える。
「おはようございます、姫君」
続いてエルがはっきりした口調で、予定を告げる。
「視察に出ます。帰着は知らせを出します」
「承りました」
エイプリルがハイランドリリーの脇に立った時には、すでにエルが片膝をつき、両の手の平を重ねて待っていた。エイプリルはエルの重ねた手に軽く左足を預け、右足を振り上げ、エルが立ち上がる勢いを借りて騎乗した。エルが厩務員から手綱を受け取って渡す。
姫の身に触れることができるのは女性だけだから、どんな介助もすべてエルが行う。もっとも、介助などはもともと必要としていないのだが、そこは形式だ。姫らしくしておくのも姫たるものの仕事なのだった。
エイプリルがハイランドリリーの首を軽くたたいて何やら話しかけるうちに、4人の騎士が乗馬し、先頭をコーエンがとった。エイプリルが次、横にシューネが付く。その後ろはエル、ラドクリフ、キャメロン、グリンデの順だ。
厩務員が整列して見送る姿に軽く手を振って、視察の旅が始まった。
城から南下するため、城下町を通らず、南の騎乗門から直接林道に出る。
朝の光の中、麦畑と果樹園の中を抜けていく。作業する領民たちは、姫を認めると帽子や被り物をとって頭を下げる。年少者には、手を振る者もある。
エイプリルと姫隊は、領民に人気が高い。特に城下では、幼いときから町を駆けまわる訓練もあった。今も気軽に城下町に出る。
上り坂を引いていた荷車が、ふと軽くなったので振り向いて礼を言おうとしたら次姫さまとコーエンだったりするのだ。この姫を王子妃に差し出すことは、城下町の領民にとっても痛恨でしかなかった。
行くべき道が遠いので、コーエンは馬を急がせない。1時間ほど進み休憩、次は30分、さらに全員が馬を降りて30分ほど手綱を引いて速足で歩く。緩急を付け疲労が重ならないように調整していく。
昼が近づき、最初の替え馬が待っていた。林道の脇に姫隊旗がたなびいているのが見え、サポート隊が昼食の準備をして待つ場所に着いた。
簡易の天幕が張ってあり、石で囲った小さな焚火にのせた鍋からはいい匂いが漂っている。
下馬して馬を渡すと、5人はスープと肉と野菜を挟んだ丸いライ麦パンを食べた。
待っていた替え馬に乗り、再び道を辿る。エイプリルの替え馬はやはり濃いグレイでハイランドルピナスと名付けられている。
エイプリルがこの色の馬を好むのは、エリス・コーエンの目の色だからだろうと、身近な人たちは気が付いている。
日が暮れる前に野営地に着き、サポート隊の細やかなケアを受けてゆっくり眠る。
翌日も堅実に道を辿り、曇り空から雨が落ち始めるより前にサリア城下に入った。
サリア夫人から前以って指示が、直前にはサポート隊による先触れもあり、貴族門から入る。入るとすぐにバックアップ隊が迎えて馬を受け取る。マイケルがシューネとグリンデを連れて、厩に向かう。
宿は小さいが、3日前から全室を確保して宿泊、警備を続けている。
エルが配下の者に確認した。
「アニーは来ていますか」
「はい、昨日到着いたしました。疲れ果てて眠っております」
エイプリルが頬を緩めてエルに言う。
「アニーに馬車は堪えたでしょう。夜の打ち合わせの時起きられたら来させなさい、そのまま寝かせておいても構いませんが、食事はさせたほうがいいですから」
「マイレディ、感謝いたします」
アニーはホッジス城から馬車でサリア城下まで運ばれてきていた。アニーの能力のほぼすべては写真記憶に振られているらしく、体力がなくて揺れる馬車にすぐに酔ってしまう。薬草を噛みながらの2日半は辛かったろう。
その夜、まだ青い顔をしながら起きだしてきたアニーを含めた全メンバーで打ち合わせの後、エイプリルたちは雨の中を歩いて情報を確認して回った。
次の日は晴れ上がった美しい朝になった。
この日のサリア城下は花祭りの初日だ。どの家でも早朝から、この日のためにそれぞれの庭で育ててきた花を切り、鉢を運び、家々の内外を思い思いに飾り付けていく。
エイプリルはエルと配下のメンバーを連れて昼より前に宿を出た。目的地は”跳ね鹿亭”前の路地から続く広場だ。
樽に板を渡したテーブルを囲んで置かれた、輪切りの丸太を立てた椅子に、アニーを真ん中にして、エイプリルとエルが座り、女の子たちがわいわいとお祭りを楽しんでいる様を装い、飲み物を楽しむ。まわりはコーエンたちがさりげなく囲み、不必要なトラブルに備えている。
似たような若い男女のグループがいくつも集まっている。何日も前からこのお祭りを楽しみにしていて、朝食も喉を通らないほど興奮して出て来た子供たちが、風船をもらって喜んでいる。
遠くから、ブンガブンガ、ピプピプ、ドンドコと楽隊の音が聞こえる。城下の広場をお祭り行列がめぐりはじめた。
先頭は楽隊だ。指揮者の手にする、先端に派手な房の付いた指揮棒が上下する。横笛にクランペット、小太鼓、大太鼓、お祭り行列用の行進曲だから単純な繰り返しが多く、気分が盛り上がる。
楽隊の後ろからは、花の妖精の扮装をした子どもたちが星飾りの付いたバトンを振ってステップを踏み、揃って歩く。大太鼓のドン・ドン・ドン、という連打の最後のドンで、大きく投げ上げて見事に受け取り、歓声を受けている。
その後ろからは紙で作った赤い花のボンネットをリボンで顎に結び、黄色、オレンジ色、白のワンピースの上から、花びらのように薄布を重ねて仕立てたものを腰に巻いた若い娘たちが、バスケットに入れた花びらを撒きながら進む。
行列の両側には、道化師の扮装をした若い兵士たちが子どもたちにキャンディと風船を配り歩き、警備の役割を果たしている。もっとも、お目当ての娘たちに目を奪われがちではある。
最後尾から来るのは山車にのった花の人形で、お祭りを捧げるサリア女神さまをかたどっている。
次第にお祭りの音が近づいて来て、広場に入ろうとする頃、跳ね鹿亭の方からバックアップ隊のメンバーがひとり近寄ってきて、キャメロンの肩を叩いて何か話しかける態を見せた。キャメロンへの接近は、ターゲットが問題なく路地から広場に出て来ることを意味していた。
込み合う広場の中を、赤と黄色、2個の風船を持った子どもを抱いた女性が近寄ってくる。その前にいるのが、アニーに見せるべきターゲットだ。
「アニー?」
アニーが記憶を検索する。目が左上に固定されて宙を見つめている。
「酒保商人ジョーイです」
「ごくろうでした」
エイプリルがコーエンを手招きし、小声で指示を出す。
「サリア卿に面会を。遅くなってもいいから今日のうちに」
「サリア卿に面会、承りました」
コーエンが人波に逆らわないようにうまく移動していく。
アニーの顔識別能力について:
顔についての特別な記憶力を持つ人々は実在しています。
昔は、スパイのあぶり出しに極秘扱いで活動していたようです。現在は、もっと広い範囲で活動している模様です。
魔法使いがいれば、“魔力の識別”とか、”鑑定“のような魔法が使える可能性があるわけですが、ひとつに特化した能力というのが面白くてここで採用しています。
脳の記憶野が特定の能力に偏っているとすれば、なんらかの他の能力が犠牲になっていると思われます。アニーの場合は、それが運動能力、すなわち、からだの動きを記憶・再現する能力となっています。
顔識別能力は、現在ではその記憶プロセスまで、ある程度はわかっているようです。