20.婚約破棄
「エイプリル・ラ・フィエール、我、フィリップス・デ・ドナティエールは、この場においてそなたとの婚約を破棄する。証人はここにいる同窓の者たちすべてだ」
「フィリップスさま、婚約破棄で間違いありませんでしょうか?」
「そう言っているだろう。そなたには不本意であろうが」
「いえ、そうでもないのですが」
と、ここのところは小声で、聞こえないように注意した。
そして、ドレスの隠しから、音声記録の魔晶具を取り出し、手袋とドレスの袖口の間に滑り込ませた。肌に直接つけていないと魔力を送り込む効率が悪い。
「婚約破棄について、異議はございません。
もともと殿下の御為に結ばれた婚約、殿下が不要とおっしゃるならば、お仕えする身のわたくしに否やのあろうはずはありません」
「そなた、まるで覚悟ができていたようだな、アリエスへの仕打ち、自覚があるのであろう」
「アリエス?どなたです?」
「そなた、しらばくれる気ではあるまいな」
「ぞんじませんが?」
フィリップスの背後に、フレデリックとオーギュストが近づいた。オーギュストの後ろから、水色のドレスに身を包んだ儚げな風情の女性がついてきている。
「この令嬢に見覚えがあろう」
「寮棟の2階の方ではないようですが」
「そういうところだ、エイプリル・ラ・フィエール。
おまえはわたしの婚約者であることを笠に着て、このアリエス・ロシュフェールに数々の冷酷な仕打ちをした。話を聞くにつけ、おまえの性格の悪さ、思いやりのない態度。
王家に入れるには相応しからぬものだ。王子妃としての品格を持ち合わせず、わたし個人としても妻と呼ぶことはできない」
「殿下。レディ・フィエールの代弁を願います」
ミリアムから声がかかる。本来は、エイプリルがミリアムを指名するべきなのだが、場の緊張感もあり、返事をするべきエイプリルの代弁を願った形でもあるし、ミリアム自身の立場もある。彼女には勝算があった。
「許そう。ほかならぬフレデリックの婚約者である」
「まことに僭越ながら、その方はロシュフェール家の方、王都貴族の縁者ではありません。同じ講義を受けたことがないことは、カンデラ公もご確認なさっております。
レディ・フィエールとは接点がありません」
「そんなことは問題にならないだろう、ミリアム」
フレデリックが答えた。
「同じ寮に住み、同じ学棟に通っているのだ。接点はどこででもできるだろう」
「男爵令嬢とわたくしどもは、学寮の出入り口が違います。
学棟でも下位貴族から話しかけられることなどありえません」
「そうか、それでそなたたちは男爵令嬢ならば粗末に扱ってもよいと思ったのだな」
「殿下、意味が分かりません」
きりっとした表情になったアレクサンドラが後を受けた。
「冷酷な仕打ちとの仰せですが、具体的には何を指しておりますのでしょうか」
流れ上、オーギュストが答えることになった。
「アリエスのメイドに故意にぶつかり、大切にしていた茶器を壊した。
また、熱を出して寝ていたアリエスに届けられた薬を、届けると偽って受け取り、捨てた。
茶器のカケラと、捨てられていた薬が証拠として提出されている」
「はあ、証拠にございますか、壊れた茶器が」
「自分で割るはずなかろう、母君が大切にしておられたもので、形見のようなものだと言って泣いていた」
「はあ、それはどうでもよろしいですが。
アリエスとやらは、レディ・フィエールが寮のメイドにぶつかって茶器を壊したと主張しているのですね」
「その通りだ」
「オーギュストさま、メイドは、茶器をお盆で運んでおりましたの?」
「え?どういうことだ」
オーギュストには想像力がない、全然だ。
「メイドは普通、茶器をワゴンで運びます。熱い湯が入っておりますし、ドアの開け閉めもあります。お盆を使うのは、階段を昇り降りするときだけです」
「それでは、ワゴンにぶつかったのであろうよ」
「え? レディ・フィエールがワゴンにぶつかるのですか? メイドが押しているワゴンに?」
「まあ、それはそれは」
エイプリルたちの背後に半円状に広がる貴族令嬢の集団からは、かすかに笑い声さえ漏れていた。
メイドがワゴンを押している、それはありふれた日常の風景だ。
ただし。
メイドが令嬢とすれ違うならば、メイドは必ず立ち止まり、ワゴンを壁際に寄せてその横に立ちどまって令嬢の通過を待つ。令嬢の前で、メイドはたいがい立ち止まっている。それは、背景の一部だ。
男爵令嬢にお茶を運ぶとすれば、それは上位貴族の身の回りの世話をする教育の行き届いた侍女ではない。大概は金銭で雇われたプロフェッショナルなメイドで、必要な期間だけ雇用契約を結ぶ。
3階の住人のメイドが主人にお茶を運んでいるというならばそれは必ず3階だ。エイプリルがわざわざ3階まで行って、アリエスのメイドを探してワゴンにぶつかる? アリエスの母の形見である茶器を壊すために? 何かの冗談ですか?
上位貴族の令嬢ならば誰が考えても笑止だ。殿下はいったい何をお考えなのだろう、誰もが奇妙に思い始めていた。
普段、身分をわきまえておとなしやかにしているフローラが珍しく一歩前に出た。
「殿下、ご無礼をお許しください。
これは、わたくしとわたくしの家にとって、大変に重い質問ですので、ぜひ正確にお答えください」
王子が思わず気圧された。発言は許さないということもできるが、それをさせない迫力があった。
「よかろう、何を気色ばんでいる」
「ご承知のこととは思いますが、わが叔父、ダビーシャム子爵は、王宮の薬剤管理の任を承っております」
「そうであったか」
「叔父は、学寮の薬剤の処方についても責任を負っております。
学寮で病人が出ますと、女子寮には女性医師が診察に参ります。
そして、ついてきている助手に処方箋を渡し、助手が薬局で薬剤を受け取って直接病人に届けます。そして、決まりで、かならず最初の一服を飲むところを見とどけます。
アレルギー・ショックというものがございまして、それが出ないことを確認する責任がございますので」
「それが?」
「その薬を、レディ・フィエールともあろうお立場の方が、助手から受け取って捨てたとおっしゃいましたか」
「助手がアリエスの爵位が低いことを侮って横着したのであろうよ」
「医療助手が、でございますか?」
令嬢の集団はさらに険悪な雰囲気になった。
フィリップスは今、王宮の薬剤管理者の進退を問うているのだ。いったい自分が何をしているのかわかっているのだろうか。
「そのお言葉、真に重く受け止めさせていただきました。
明日朝一番、いえ、本日直ちに、叔父に質し、フィリップス殿下が医療助手の怠慢を責め、フィエール侯爵令嬢との婚約破棄の理由にしておられることを伝えさせていただきます」
「いや、あるいは、1度目ではなく2度目か3度目だったのであろうよ。見届けるのは1度目だけなのであろう?」
「はっきりとは申しあげかねますが、解熱剤を2度目に処方するとすれば、1度目に処方した3回分が効かなかったということです。重ねて処方するとすれば、薬を変えるべきかどうかさらに診察があったはず。
医療記録を見れば、簡単にわかることにございます。診察した医師と助手の名も記録に残っておりましょう。必ずやその横着な助手とやら、突き止めてごらんに入れますわ。
病人本人に直接渡さないばかりではなく、侯爵令嬢を使いにして、しかもその内容が見届ける必要のある薬であったとなれば、資格を剥奪して王宮から追放されることになりましょう。叔父もまた、連座で責めを免れません。この場にこれほど大勢の証人がおられるのです」
「そ、そうか」
「当然でございましょう? 万一その薬を服用した者が毒にでも侵されたら何となさいます。どこで取り換えられたか、薬局か、運んだ助手か、預かった者か、それとも患者本人か、水を準備したメイドか。薬が毒だったのか、誰かが薬に毒を加えたのか、飲むための水が毒だったのか。
追放などでは済みません。詮議が終わり次第、死罪にございましょう」
ミリアムが追い打ちをかけた。
「侯爵令嬢ともあろう方が、他人の、まして男爵家ごときに処方された薬を手ずから届けると、本気でお思いでして? まして、王子の婚約者ですのよ。すくなくとも侍女が決して許しませんわ。王子の婚約者についている侍女ですのよ、何だとお思いですか。
いえ、それより前に、医療助手が責任の重さに全力で逃げるか、薬局に駆け込んで訴えますわ」




