1.戦姫の名を継ぐ娘
ガリエル皇国とドナティエール王国の国境には、大山脈が聳え立っている。北は大陸の奥地から南へ、多くの山頂を数えながら馬蹄湾西へと続き、最後は火山となってその裾とともに海へと落ちていく。
今、その重なり合う山脈が谷になっている部分の王国側の山腹に、若い女性が2人、男性が3人、深緑と茶色の迷彩戦闘装備に身を固め、巡回路から外れた藪の中に静かにうずくまっている。
リーダーはエイプリル・ラ・フィエール、16歳。辺境伯家の二姫、王国と辺境伯家の伝統に従って戦姫の名を継ぐ。フィエール家兵団においては指揮官のひとりだ。
身長160cmほど、その名の通り春を思わせる明るい茶色の髪と深緑色の瞳をしている。普段はできるだけ姫君でいられるようにしているが、現場に立った時の覇気にはただならぬものがある。
エイプリルのミドルネーム・カンディステラとは、輝く星。旧帝国に現れた姫隊創設者であり、貴族の娘たちが寄って立つ戦の星でもある。その名を継ぐ者は、帝国の最後の皇女の志を胸に姫隊の伝統を護り、国土回復の象徴として生きる。
姫の従卒を兼務する女性騎士は、乳母子のエルザ。その隠れた役割はエイプリルの身代わりだから、できるだけ紛らわしくなるように、エイプリルの愛称エリーと似た名、エルと呼ばれている。21歳。
本来の髪色は濃い茶色だが、役目柄常にエイプリルと同じ色に染め、髷に結って布で覆っている。
体術はもちろん、暗器と薬の修業を積んで、エイプリルの最も近くで仕える。
母は、エイプリルの母メリーアンの乳母子であり、カリス侯爵家の戦姫であったメリーアンの従卒を勤めた。
姫隊は帝国時代には高位貴族の姫君のみで構成されていたが(参照:王都編、挿入2 戦姫カンディステラ)、現在では、血縁か家族、準家族に限られるものの、男子も構成員である。指揮官は必ず“ステラ”(星)が語尾に付く“真名”を持つ、王女または姫君である。
3人目はエルの弟、マイケル・ラドクリフ、20歳。一族の特徴を引き継ぎ、茶色の髪と瞳、ずんぐりとした体形をしている。
守りを得意として盾を巧みに使う。姉に口裏を取られないよう、できるだけ姉の前でしゃべらないようにしているうちに、すっかり無口になってしまった。
騎士キャメロンは、エルの家族である。22歳、名はファビアン。
森人であった祖母の血が強く出て、緑がかったグレイの髪に薄い緑の瞳をしている。5人のうちで最も背が高く、すらりとしたしなやかな肢体が美しい。黙って立っているだけでも目立つ男だ。
完全な武闘派で、近接戦の名手だ。朗らかに笑いながら囲みを突破する様はまさに鬼神。双剣使いで、攻防一体の流れるような技を見せる。
騎士コーエンは、本来エイプリルの夫となるべく辺境伯夫妻が守護騎士として選んだ男だ。19歳、名はエリス。辺境伯の実弟が治める領土南部、馬蹄湾沿いのホッジス領から出仕し、ペイジから城に勤める。
くすんだ金髪を背の半ばまで伸ばして紐で縛っている。青みがかった濃いグレイの瞳をしているが、魔力が余ってくると深いブルーに色づく。
格闘も剣技も冴えている上に持って生まれた魔力量が大きく、美丈夫でもあり、辺境伯家としてはふたりを娶せ、長男が辺境伯を継いだ時のサポートにするつもりで育ててきた。
仲よく育ってきたふたりを引き裂いたのは、王国の都合だ。第三王子の妃にと、王家と元老院の総意で望まれた。
妻となるべき姫を盗まれた形のエリス・コーエンの心裡は誰も知らない。だが、その忠誠が姫への一生奉公であることは、彼にとって確固たるものだ。
このチームには、他に馬が14頭所属しており、一緒に来ている5頭は物見の塔に預けられている。
巨大な狼犬が2頭、こちらはエイプリルの両脇で伏せをして控えている。名をシューネ(雪丸)、グリンデ(緑丸)という。森人からキャメロンを通じて贈られた番である。
伏せている犬の首に掛けていたエイプリルの腕が解かれた。シューネの前に右腕を出して、視界に入ったふたりの男の遠いほうを指し示す。
「シューネ、肩、行け」
灰色の毛の犬が飛び出す。
グリンデの前に左腕を出して、手前の男を指す。
「グリンデ、足」
紺色の毛の犬が飛び出す。
「エリス、奥。ファブ、手前。拘束」
コーエンとキャメロンが地を蹴って犬の後を追う。
汚れた上着に小さな背負い袋を負い、山腹を駈けるように下っていたふたりの男は、音もなく襲い掛かった犬の牙に裂かれた上にのしかかられ、キャメロンとコーエンに後ろ手を取られて拘束された。
「よし」
エイプリルの声が強く響く。
「マイレディ、このふたりが囮ということは」
「今夜はここに野営。同じルートでもう一組送られてくるかもしれない」
「はい、まさか同じルートとは思うまい、ということでしょうか」
「このルートを潰す」
「了解」
「エリス、ファブ、シューネ、このふたりを物見砦へ。
グリンデ、こちらへ」
エリスとファビアンは、山越えの間諜ふたりを後ろ手に拘束後すぐに猿轡を噛ませ、鳩尾に一発入れていた。声を出すこともできず崩れ折れる男たちの腹部に肩を入れて担ぎ、忘れずに靴を脱がせると、100mほど後ろに控えるサポート隊まで運んで渡す。
「今日は野営。交代は半数ずつ、いつも通り」
と、短く命じる。
拘束現場ではエルとマイケルが地面を木の枝で撫でて拘束の跡を消し、男たちの靴に履き替えて先に進んだ跡を残し、大回りして帰ってくる。
そのあとは野営の準備だ。すぐに食事をとる。サポート隊から受け取った食事を弱いヒートで軽く温め、鍋と食器はサポート隊が集めるように離れたところに置いておく。
食事が終わったら、それぞれ自分にピュリファイ(清浄)を掛けて用を足し、体を清め、すぐさま横になる準備をする。寝られるときに眠るのも任務のうちだ。
不必要な音を立てないように藪を避け、3か所に分散して地面に薄いマットを敷く。エイプリルとエルは常に一緒、ひとりまたは一組は見張りのために起きているから、3カ所でいい。
虫に眠りを妨げられることがないように、筒状に縫ってフードを付けた寝袋に潜り込む。エイプリルの脇にはシューネが寄り添っている。
最初の見張りはファビアンだった。木下闇を選んで幹にもたれ、聞き耳を立てながら暮れかけた空を見る。足元にはグリンデが半目で休んでいる。
フィエール平原の方に目をやれば、空に白く大きな大姫が上りかけていた。もう少し遅くなれば赤味がかった紅姫と青みがかった青姫がお互いにじゃれつくように位置を入れ替えながら大姫を追いって上がってくるだろう。
あの月には誰かが住んでいるのだろうか、それは神なのだろうか。ぼんやりと考えながらファビアンの手はグリンデの頭を撫でていた。
混乱を重ねている元作をお読みくださった方々へ、作品中でもお約束した、書き直した物語をお届けできたことをご報告します。以下は、変更点のレポートです
意見と修正を寄せてくださった諸兄諸姉にお応えできる内容になるよう、すごくがんばりました
新設定は、フィエール家は、もともと皇弟の管轄する植民地を預かる子爵家で、旧帝国最後の皇女を迎えた折に、独立した権限を持つ辺境伯家となった、ということにしました。
末の皇女・カンディステラは、身代わりの乳母娘を残して皇弟とともに植民地に逃げており、身代わりがガリエル皇妃となったため、存在自体がガリエルに対して極秘です。だから、皇女の縁付いた先であっても公爵家にはできない
皇女カンディステラはゴリゴリのゴリ押しで姫隊を率いて、国境までがリエルを押し返している最中のフィエール子爵家に突進、押しかけ女房になり(武闘派と言えど、たかが子爵にこれを断る術も胆力もなかった!)、先頭に立ってガリエル兵を大山脈の向うまで撤退させます。やるな~
血しぶきを浴びながら斬り進む戦姫の群れとか、たまらん~、いや、魔法戦だからそこまで期待はできないか
元設定の辺境伯は、爵位ではありませんでした。フィエール家の爵位は伯爵としていました。
辺境伯というのは、爵位ではなく、官位という解釈を採用していまして、フィエール伯爵家に授けられた官位(宰相や元老院議長とほぼ同等)が辺境伯位、任務はガリエル皇国との国境線を防衛すること、としていました。
その後、なろうでは「辺境伯は爵位のひとつで、侯爵とほぼ同位」という扱いになっていることがはっきりしました。それでそちらに合わせる形に改めました。
もとの考え方を説明しますと:
伯爵だと伯爵領に対して税を納めることになります。でもそれでは、到底国境防衛のための大兵団は維持できないでしょう。
辺境伯が護る国境線の向うは、なろうの中ではしばしば蛮族だったり、魔物だったりします。つまり戦闘、あるいは貿易による収入の当てがありますけれど、このお話では帝国を侵略した皇国ですから、ただ消耗するだけです。
官位があれば、任務に対して国庫から予算を出すことができます。
辺境伯という官位が国境線をガリエルから護る任務を伴う以上、まず「任務」の基礎費用を伯爵領が支払うべき税と相殺します。
さらに官位に対する給与というか、給付金を出します。それなら国家予算として名目が付きやすいでしょう。
それで足らなければ、さらに下賜金として、王家の資産から支出することも可能です。
伯爵「領」に対する援助金では、巨額になりすぎて不満が出かねないので、国境防衛という公務に対して必要経費を出す。さらに、本来王家が担当すべき防衛を伯爵に任せている以上、下賜金も出せる、という形を選択しました。
この設定をきちんと説明していなかったところが混乱の大きな原因のひとつでした。
その後、なろうでは、「辺境伯とは爵位で、侯爵とほぼ同位」という解釈が使われていることがはっきりしました。辺境伯という用語は、歴史的にはいろいろな使われ方をしているようですが、一本で行くのが混乱がなくていいと思い、せっかく書き直すのだからと全面的に修正しました。
この設定変更によって、エイプリルは伯爵令嬢でなく、侯爵令嬢同位、具体的には、第三王子の乳母娘であるエステル・ラ・サマビルと同じ地位となり、第三王子とエステルがエイプリルを蔑む理由がちょっと苦しくなります。
王家の起源である皇弟よりも、辺境伯家の起源である皇太子同腹の皇女の身分が上で、
おまけに辺境伯家には、本家皇帝家の・戦姫の血筋と、姫隊始祖の名カンディステラが伝わっています
伯爵家のままにしておいた方が第三王子の婚約破棄行動に関して説得力があるのですが、まあ、何とかなったと思います
150年も経てば侵略軍に対する防衛死闘と戦略的撤退なんて「若い人」にはわかんなくなっちゃうよね、情報不足の若い王子をハニトラに掛けて、さらに思い込みへと導くよう小細工しました。
元の作品は、自分が楽しいことだけを勢いに変換して、思い付きに思い付きを重ねて説明不足で、おまけに用語統一が不完全なまま勢いで書き終わったことを残念に思っています。いや、書いているときは本当に楽しかったのです~
努力を重ね、書き直しに3年もかかってしまいました。楽しんでいただけることを心から祈っています