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思わず目を剥く。
言うに事欠いて、この高貴なる天上の美貌を持つアレンさんに、下郎!?
言葉を失う私を見て、男性が鼻の下のたっぷりとした髭を扱きながら「お前が店主か?」と言う。
「ええ、そうです」
「では、パンは私がすべて買う。用意しろ」
「申し訳ございません。本日はお一人さま三つまでとさせていただいております」
深々と頭を下げると、男性が不愉快そうに眉を寄せる。
「聞こえなかったのか? すべて買うと言っているんだ!」
「聞き取りづらかったでしょうか? 本日はお一人さま三つまでとさせていただいております」
「頭の悪い女だな! 私がすべて買うと言っているんだ!」
男性の大声に、リリアがビクッと身を竦める。
私はリリアを片手で抱き寄せて、怯むことなくまっすぐ男性を見つめた。
頭が悪いのはどっちよ! できないって言ってるでしょうが!
「――アレンさん、『突然馬車を横づけした』であってます?」
「ええ。待機列を蹴散らして」
アレンさんが、少し離れたところから心配そうにこちらを見ている人たちを手で示す。
アレンさんの口ぶりから並んでないなとは思ったんだけど……蹴散らしたぁ? なんてことしてくれてんのよ!
「お、お怪我をされた方は……」
「目視ですが、幸いおられないようです」
その答えに、とりあえずホッとする。――そう、よかった。
でも、見逃しちゃってる可能性もゼロじゃないから、早くたしかめないと。
私は大きく一つ深呼吸をして、あらためて目の前で青筋を立てている男性を見つめた。
「お客さま。繰り返しますが、本日はお一人さま三つまでとさせていただいております。そして、みなさまにはお並びいただいたうえで、順番に販売させていただいております」
「あぁ?」
男性がいきり立つ。
「この私に並べと? 私を誰だと思っているんだ! グラストン伯爵だぞ!」
ああ、そうなんですね。――ええと、だから?
「さようでございますか。では閣下、列の最後尾にお並びください」
「ふざけるな!」
男性――グラストン伯爵が叫び、陳列台をバンと叩く。
え? なにもふざけてないけど?
「これだから身分の卑しい者は! 私は貴族だぞ! なぜ平民と同じように並ばねばならんのだ!わざわざ来てやったんだ! 便宜を図るのが当然だろう!」
果てしない上から目線に、内心ため息をつく。
そういう考え方の貴族って多いけど、そんな『当然』なんか、あるわけないでしょ?
「当店では身分は関係ございません。本日は完全先着順、お一人さま三つまでとなっております。どうぞご了承くださいませ」
「こ、このっ……!」
グラストン伯爵が懐から布袋を取り出し、陳列台に叩き付ける。
その衝撃で布袋の口が開き、中から金貨が飛び出した。
「卑しい女め! ほしいのはこれだろう? 好きなだけくれてやるとも! さぁ、これだけあれば、余るぐらいだろう? さっさと私にすべて売れ!」
「…………」
なんなの? この人。なんでこうまでして、パンがほしいの?
私のパンを食べたことがあって、それがおいしくて気に入ったから買いに来たのかな?
この人は神殿の神官さまでも孤児院の子どもでもないから、私のパンを食べる機会といったら、広場で配ったパンだけだ。でも、貴族でしょう? しかも、これだけ選民意識が強い人。平民が、広場で無料で配っていたものを食べたりするかな?
まぁ、どんな理由にせよ、全部にこだわる理由ってなんなの? 気に入ってまた食べたいにしろ、まだ食べたことがないから食べてみたいにしろ、全部である必要なんてある? そもそも全部って二、三日で食べられる量じゃないんだけど? 貴族だし、サロンかなにかで配るつもりなのかな?いや、それにしたって多いよ。私のパンを無駄にされるのは嫌なんだけど。




