3-16
聖女になって崇められ、愛されて、王妃になって女性として頂点に立ち――誰よりも幸せになるはずだったのに!
ギリッと奥歯を噛み締める。
――と、そのとき。コンコンと控えめなノックの音が室内に響く。
アリス・ルミエスはハッとしてドアのほうを見つめた。
「――失礼いたします、アリスさま」
穏やかな執事の声がする。アリス・ルミエスは内心舌打ちをして、はーっとため息をついた。
「なんですか? しばらく誰も近づかないでくださいと言ったはずですが」
「申し訳ありません。しかし、お客さまがおみえになりまして」
「お客さま?」
「――私です、アリス嬢」
「えっ……!」
アリス・ルミエスはぱぁっと顔を輝かせると、ドアへと駆け寄った。
そして、素早くそれを開け放つと、そこに立っていた男性の胸に飛び込んだ。
「ギルフォードさま……!」
「えっ……? あ、アリス嬢?」
ギルフォード・マークス・アルマディン侯爵令息――攻略対象の一人。将来騎士団長になる彼は、ドキマギした様子で頬を赤く染めた。
「来てくださって嬉しいです! 今日は、どうなさったんですか?」
「あ……申し訳ありません、アポも取らず……。とくに用があったわけではないのですが……」
「え? とくに用事もないのに会いに来てくださったんですか? そういうのが一番嬉しいです!ありがとうございます!」
にっこり笑うと、ギルフォードがさらに顔を赤くする。
「じゃあ、お庭でお茶をしませんか? ダリアが見ごろなんです」
するりと彼の腕に自身のそれを絡めて誘うと、ギルフォードが嬉しそうに頷いた。
「喜んで」
アリス・ルミエスは再び清らかで華やかな笑顔をギルフォードにプレゼントすると、控えていた執事に視線を投げた。
「ディーン、お庭にお茶の用意をしてくださる? あと、ごめんなさい。不注意でカップを割ってしまったの。片づけておいてくださるかしら」
執事はなんだかもの言いたげにアリス・ルミエスの顔を、絡んだ腕を、そして部屋の中――床で砕け散っているティーカップを見る。
「…………」
しかし、結局なにも言うことなく、胸に手を当てて頭を下げた。
「――かしこまりました」
「お願いね」
――嫌な男だと思う。口には出さないものの、視線や態度に自分を認めていないのがありありと表れている。クリスティアンとの婚約が成ったあかつきには、絶対にクビにしてやるんだから。
「今も変わらず気にかけてくださって嬉しいです。ギルフォードさま」
「そんな……ご迷惑ではありませんか?」
「全然!」
ギルフォードが蕩けそうな笑顔を見せる。
アリス・ルミエスを映す双眸は、あきらかに恋をしている者のそれ――。
ギルフォードは現在、第三騎士団所属の騎士だ。いくら学生時代はクリスティアン王太子殿下の側近で気の置けない友人だったとはいえ、今は王太子と騎士団の騎士という立場。
お仕えするべき王太子の恋人に、王太子の不在時に会いに来るだなんて――あまつさえ二人きりになるだなんて、本来なら許されることではない。
でも、そうせざるを得ないほど、ギルフォードは自分に恋してしまっている。
「あ、そうだ。先日、ノアくんからお手紙とプレゼントもいただいたんです」
「え……? ノアが……?」
ギルフォードの顔が曇る。
ノアとは、ノア・リデル・アルマディン侯爵令息。ギルフォードの弟。彼も攻略対象の一人で、魔法の才能は群を抜いており、学園設立以来の天才と称されている。今年エリュシオン王立学園を卒業する予定だ。
「はい、美味しいお茶とお菓子を。最近、学園の女の子の間で話題になっているものらしくって、すごく可愛くて嬉しかったです。会ったときには、よろしくお伝えください」
「はい……」
ギルフォードの目に嫉妬のような色が見え隠れする。アリス・ルミエスはフッと目を細めた。
心の中の不安が溶けてゆく。
大丈夫。自分はヒロインだ。それは揺らがない。
攻略対象たちからも、今も変わらず愛されている。
焦ることはない。きっとなんとかなる。
「大丈夫よ……」
自分には、最高に幸せな未来が約束されている――。
少しお休みをいただきまして、四章開始は11月15日(水)です。
再開をお待ちくださいませ。




