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「恥ずかしながら、しょせん伝承は伝承でしかないと思っていました。精霊に受肉できる人間など、実際に存在するはずがないと……。それぐらい、聖女の存在は――その力は稀有なものなのです。本来ならば、私は聖騎士として一刻も早く聖都に戻り、聖女の誕生を報告しなくてはなりません。そして国を挙げて祝福とともに、御身をお守り申し上げなくてはならない」
「……! そ、それは……」
「でも、あなたは少し待ってくれとおっしゃった。ほかならぬあなたの望みです、待ちましょう。しかし、それなら私はあなたから離れるわけにはいきません」
アレンさんが恭しく私の手を取る。
私を映す金色に似た双眸が、強い意志に煌めく。
「私は聖騎士として、あなたを守ります。すべてのものから」
アレンさんの甘やかな唇が、そっと優しく私の指に触れる。
聖騎士として尊敬や忠誠――献身を表すキスに、心臓があり得ない音を立てた。
ひえぇっ! ま、待って! その奇跡の顔面をしてのそれは、破壊力えげつなさすぎだから! 本当に凶器でしかないから!
「アアアアアアアアアレンさ……!」
「ポータルを使うのも、現地まで私が案内するのも、常に傍にいてお守りするのも、当然のこと。どうか、それまで『やめて』なんておっしゃらないでください」
アレンさんが手に唇をつけたまま、上目遣いでじっと私を見て訴える。きゃ、きゃあーっ!
「ははははははい! わ、わかりました! わかりましたからっ……!」
私は慌ててアレンさんの手から自分のそれを引っこ抜いて、後ろに下がった。
こっわ! 乙女ゲームって怖っ! ちょっと気を抜くと、美と萌えで殴ってくる!
「じゃあ、その……あ、案内お願いします……」
「はい、お任せを」
ポータルも……ちょっと申し訳ない気もするけど……ありがたく使わせていただきます……。
「ティア~? どうしたんだ? 顔が真っ赤だぞ」
い、イフリート! そこは今、いじっちゃいけないところ!
私は笑顔でイフリートを黙らせ、パンと胸の前で手を打った。
「じゃ、じゃあ、善は急げで準備をしてきます……! アレンさんは」
私はボウルに玉子を二つ割り入れ、そこに塩と砂糖とお酢を少々入れてアレンさんに手渡した。
「この玉子をしっかりと混ぜていてください」
「はい?」
アレンさんがきょとんとして、手の中のボウルを見つめる。『デミトナ辺境伯領へ行く準備で、なぜ玉子?』って思ってるんだろうな。
でも、食材採取に出かけるのよ? 当然、お弁当は必須でしょうが!
おそらく今日は移動だけで終わって、実際にナゴンを採取するのは明日以降になると思うので、現地でお弁当を作るのに必要な食材を持って行きます。これも立派な準備です。
戸棚からバゲットと食パンを、保存棚から自家製のジャムを数種類と自家製のピクルス、ハムを取り出してテーブルに並べる。
アレンさんに「そのまま混ぜててください」とだけ言って、寝室へ。
「まずは着替えだよね……」
さて、どうしよう。
ナゴンは森に自生してるって言ってたから、森に入るのに適した格好がいいよね。
「とはいえ、この世界の女性にパンツスタイルという選択肢はないのよねぇ……」
とにかく軽くて動きやすいもの。そして、汚れてもいいもの。えーっと……。
悩んで悩んで、最善と思う服を選んで着る。そして、大きめの肩掛け鞄に着替えと下着、タオル、手袋や食材採取用の瓶、念のためポーションなど、必要なものを手早く詰める。
「よし!」
私は詰め終えた荷物を玄関に置いて、バスケットだけ持って再びキッチンに戻った。
「アレンさん、ボウルをテーブルに置いてください。脇から油を少しずつ入れますので混ぜ続けてもらえますか?」
「はい」
絶えず混ぜ続けてもらいながら、ボウルの中に油を少しずつ加えていく。一気に入れてはダメ。分離しちゃうからね。
そのまま混ぜ続けて――白くもったりとしてきたらマヨネーズの完成!




