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「でも、いつからでしょう? いつからかあの子は、我儘な貴族令嬢を演じるようになりました。心と行動が裏腹なのが、わかるのです。まるで、自ら評判を悪くしているようでもありました」
「そんなことが?」
「ええ、彼女になにがあったのかはわかりません。ティアは必死に本当の自分を押し殺し、自らを貶めていた。まるでナイフで自分を傷つけているようでもあって――そのころのティアはちょっと見ていられませんでしたね」
「止めようとは……せめて、なにをしているのか聞き出そうとは思わなかったのか?」
アレンが咎めるように眉をひそめる。
アルザールはアレンに視線を戻し、小さく肩をすくめた。
「何度もしようとしましたよ。でも、できなかった。ティアの目が……」
「目が?」
「腐っていなかったんです」
アルザールはきっぱりと言って、人差し指で自身の目を示した。
「光も失っていなかった。それどころか視線は力強く、揺るぎなかった。不安そうな色さえない。なにかを諦めて投げやりになっているのではない。目的が、確固たる考えがあっての行動なんだ。そう思ったら――」
「なにも言えなかった?」
「言うべきではないと判断した、が正しいですね」
なにか考えがあるうえでやっているのなら、やらせてあげるべきだと思った。どれだけ心配でも、黙って見守ってあげるべきだと。
それが最善だと、彼女のためなのだと信じて。
そして――それは間違っていなかった。
「ティアが思いっきりやりたいことをやってくれるようになって、一片の憂いも曇りもなく笑ってくれるようになって、父と僕がどれだけ喜んだか……わかりますか?」
一度は勘当までした。ありもしない罪を償うための罰を受けることも黙認した。
なによりも、アヴァリティアが自身が望んだからだ。
彼女が晴れやかに笑うようになってからは、アシェンフォード公爵家に戻ってこないかと何度か打診はしているが、それも彼女の意志が最優先で、強いることはしていない。
ティアのおねだりに対するご褒美にも、アシェンフォード公爵家に戻ってほしいと言ったことはないし、これからも言うつもりはない。
ティアの行動を縛るようなことは絶対にしない。
アルザールはあらためて、アレンをにらみつけた。
「父も僕も、ティアの笑顔を守る――そう決めているのです」
やっと心から笑ってくれるようになったのだ、それを奪われてたまるものか。
「ティアの妨げになるなら、あなただって排除してみせます」
「じゃあ、なにも心配することはない」
アレンはその視線をまっすぐ受け止め、きっぱりと言った。
「俺も同じ気持ちだ。彼女にはやりたいことを思いっきりやってもらいたい。そして、晴れやかに笑っていてもらいたいと思っている」
よどみのない言葉、射貫くような力強い視線に、アルザールが息をのむ。
「ほ、本当ですか?」
「その質問は必要か?」
アレンが呆れたように息をつく。
「聖女となっても、今までどおり市井でパンを焼いて暮らしたい。彼女のその望みを叶えるために、俺がどれだけ駆けずり回ったと思ってるんだ」
「……! それは……」
「聖女が、精霊がそれを望んだというだけで動くほど、神殿がクリーンな組織だとでも? まさか。あそこは王宮以上にドロドロしていて醜悪だ。神官と言っても人間だ。位が高くなればなるほど、権力と金に溺れて腐ってゆく。本当に民のためを考えている者なんて、修行中の下級神官と世界樹ぐらいだろう。神聖力を極めた世界樹は、もう人間というよりも精霊や神に近い。人間を超越した存在だから」
その世界樹も含めて――ありとあらゆる手を使って、説得して回った。
「彼女のためでなかったらしていないさ。そんな面倒なこと。繰り返すが、聖女のためではない。彼女のためだからやったんだ」