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頭を下げた私に、アレンさんが少し慌てたように手を振った。
「それほど深刻に考える必要はありませんよ。謝る必要もありません」
「でも……」
「不愉快な思いはしていないと言ったでしょう? 謝らないでください。そうではなくて……」
アレンさんが少し考え、ふわりとその視線を優しくする。
「貴女自身や、貴女のパンが好きな人たちの想いを正しく受け止め、その人たちと真摯に向き合い、大切にすることは、貴女やその人たちをもっと幸せにするって――そういう話ですよ」
「私を、みんなを、もっと……?」
「ええ。実際、アルザール殿が仰ったとおり、きちんと市場調査をしたうえで、商品の分析をして、事前準備をしっかりとしておけば、今現在ティアのパンで笑顔になる人はもっと多かったはずです。そして、笑顔が溢れるその光景は、貴女をもっと幸せにしていたはずです。貴女はみんなの笑顔が大好きだから……」
その言葉に、心臓がとくんと音を立てて跳ねる。
とくになにも言ってもいないのに、私がなにを喜びとし、なにを力としているか、アレンさんはわかってくれている……。
「まぁ、でも、ここから王国全土に広げていくのも、私はありだと思っていますよ」
「アレンさん……」
私は小さくお礼を言って、微笑んだ。
心のどこかにまだ、私は悪役令嬢だって思いもあったんだと思う。
ヒーローやヒロインとは違うんだって。私は、彼らを輝かせるための脇役に過ぎない。しかも、やられ役。読者に嫌われてなんぼのキャラ。
でも、その考えももうあらためなきゃ。
私は私だ。
それ以外にない。
私のことを、私のパンを、好きだと言ってくれる人たちの想いを、言葉を、笑顔を、行動を――軽く考えることなく、きちんと受け止めよう。そして、真摯に向き合い、心から大切にしよう。
私が幸せになるために。
私を好きだと言ってくれる人たちを、幸せにするために。
「じゃあ、その『ここから王国全土に広げていく』ための、具体的な話をしようか」
お兄さまが楽しげにニヤリと笑って、人差し指を立てた。
「トースターの量産態勢が整ったよ。工場の準備、資材や人員――製品を保管する倉庫も確保して、すでに生産に入っているよ。だから、次はパン職人を増やす必要がある」
瞬間、寝てしまっていると思っていたアニーがビクリと身を震わせ、素早く身を起こした。
「アニー?」
「こ、公子さま! パン職人を増やすって、どういうことですか?」
お兄さまを見つめるアニーの目は、なにかを期待するようにキラキラと輝いている。
お兄さまは少し考え、「言葉のとおりだよ」とアニーに笑いかけた。
「ティアのパンを焼ける職人を育てるんだ。ティア一人で、国民全員分のパンを焼けるわけがないからね。ティアのパンを王国全土に広げるために、それは必須だ」
「はい、わかります」
アニーがその場で正座をして、コクコクと頷く。
「その職人には、どうすればなれるんですか?」
思いがけない言葉だった。
私はびっくりして、まじまじとアニーを見つめた。
「アニー?」
しかしアニーは私を見ることなく、まっすぐお兄さまを見つめたまま言葉を続けた。
「教えてください! 公子さま!」
その揺るぎない瞳に、お兄さまが目を細める。
「まだ正式に決まったことはないよ。ティアに提案をしようとしていたところなんだ」
お兄さまはそう言って、私へと視線を移した。
「最初は、テストをしてはどうかな? それに合格した人間にだけ、ティアが本格的にパン作りを教える。聖女もやっている今のティアには、どれだけやる気があろうと、調理の素養もなにもない人間を一から教えて育てるなんて無理だろう?」
私は頷いた。それはさすがに、私が潰れちゃう。