プロローグ
本日より連載させていただきます。
あらすじもお読みいただければ幸いです。
どうぞよろしくお願い致します。
ジャスミンに似た柔らかい香りの中で、
君が振り返り、僕に微笑む。
あたりには白い花が一面に咲いていて、
君の不自然にも白い肌と同化して見える。
久しぶりに見た君の顔に僕はなんだかほっとする。
11月18日
午前8時
ふと目が覚めた。今日は仕事が休み。
正直もっと寝たかったが、この日は自然と目が覚める。
今日は、君が僕の目の前からいなくなった日。
君がいなくなって10年にもなる。
特に何をするわけでも、どこかへ行くわけでもないが、今日は有給をとった。
今までの "11月18日" は、休みの日でも仕事を入れていた。
それでも夜になり、ふとした時に考え込んでしまうが、仕事をしている時だけは君のことを考えずに済んだ。
だが、今年はもう10年。
僕にとってもなんだか節目に感じた。
そう思っていたら、今日の夢に君が出てきた。
僕のことを終始振り回していた君は、いなくなった後も僕を振り回したいらしい。
思春期のまだ幼かった頃の自分の恋心が、今でもこんなに鮮明に残っていて引きずってしまっているのは、僕たちの間に『さよなら』がなかったからかもしれない。
少し肌寒くなってきた中、サラサラのシーツの羽毛布団にくるまり眠る。
肌に触れるシーツの感触が、少しひんやりしていてとても気持ち良い。
次第に体温で暖かくなる布団の中で、こたつの中の猫のように体を包ませて深呼吸をする。
学生の頃は、ここから起き上がるのに一苦労した。
何度「起きなさいー!」という母親の怒号の声を聞いたことか。
そこから布団を剥ぎ取られるまでがルーティンだった。
だが社会人になると、会社で頭を下げる僕を、呆れた顔で見る上司の顔が、僕を布団から起き上がらせるスイッチになっている。
普段は、何個も携帯のアラームをかけてやっと起き上がるが、今日はすんなりと起き上がる事ができる。
休みの日にかぎって早く起き上がれるのが、本当に不思議でたまらないが、今日に限ってはなぜだかすぐにわかる。
カーテンを開ける。
雲が少しかかっているがわりかし晴天。
ドアを開ける。
冬の "匂い" がした。
気づけば今年もこの季節になった。
インスタントコーヒーをいれ、普段だと見ることがない平日のニュース番組を流しながら、おもむろにベランダに出てみる。
外は通勤・通学する人たちが、皆前を向いてシャカシャカ歩いている。
そんな景色を見ながら、時の流れを感じる。
空を見るとゆっくりと進んでいく雲が、なんだか僕だけ時間がゆっくりと流れているように感じさせる。
そして、君の顔がまた脳裏に浮かぶ。
起きてから時間がたつのに、夢の中で見た君の顔が、鮮明に思い出される。
そしてふと、君の柔らかい香りが香ったような気がした。
僕は未だに君に恋焦がれてるのか、それとも単なる後悔か。僕はこの気持ちの名前を知らない。
ぼーっとテレビを見ていると、気づいたら12時前になっていた。
せっかくの休みなのに、何もせずに午前が終わってしまう。
特に何か予定があるわけでもなく休みをとってしまったため、暇を持て余してしまっていた。
けれど今日は僕にとって節目の日。
急に地元に帰ろうと思い立った。
特にそんな気はなかったが、心の奥底では少しもがいていたのかもしれない。
僕の地元は、電車で1時間半の場所にある。
帰ろうと思えばすぐに帰れる距離で、地元に住んでいる友人も時々泊まりに来る。
明日は普通に仕事があるから日帰りになる。
誰にも連絡せずに、ただ帰るだけにしよう。
そう決めて、財布と携帯・鍵だけを持って家を出た。
毎日歩いている最寄駅までの道も、平日の昼間となればベビーカーを押すお母さんや、散歩中のおじいちゃんおばあちゃんが多い。
ちょうどランチ時で、財布と携帯だけを持って定食屋に向かうサラリーマンを横目に、僕はコンビニに入り、お茶とおにぎり1つだけを買って駅に向かう。
平日の、みんなが働いている時間に休んでいる。
ちょっとした優越感がある。
正午だが散歩するには丁度良い気候。
日向だとジリジリと背中に当たる日差しが心地よく、ピクニックにはもってこいだ。
最近まで香っていた金木犀はいつの間にか消え、パンジーが目立つようになってきた。
やはり秋の始まりは、あのオリエンタルな甘い香りがダイレクトに鼻に届き、あたりを見渡すと綺麗なオレンジ色の花が目立つが、その横でひっそりと開花を迎えているパンジーが、やっと表舞台に立つことができる時期は、まさしく今だろう。
駅に着いてsuicaをかざし改札を入る。
いつもはチラリとも見ないが、時間があるとお土産屋さんに目が行く。
おにぎり1つでは心許ないため、清水屋のクリームパンを2つ追加で購入し、駅のホームに向かう。
他にも色々と目移りしそうになったが、こうなってくるととめどが効かなくなってしまうため、すぐに店を出た。
電車は特急電車。
自由席に乗り込む。
平日のこの時間は乗客が少なく、同じ号車にも数えられる程度の人数しか乗っていなかった。
ふぅっと息をつき、肩から息がこぼれる。
気づかないふりをしていたが、なんだか今日はずっと足元がふわふわしている感覚がある。
頭も少し研ぎ澄まされているような、耳にイヤホンを常にしている感覚。
自分はたしかにここにいるが、地に足がついていない感覚。
なんとなくなぜかは分かっている。
こんな感覚になるのも、この10年で初めてかもしれない。
といっても、今までは目を背けていた…というのが正しいだろう。
こんなにちゃんと向き合えているのは初めてだ。
前の方の座席から、プシュッと缶ジュースかビールかを開ける音がした。
僕もいつもだったら特急や新幹線に乗ると、必ず空ける派だ。
だが、今日はそういう気分ではない。
帰りには飲もうかな、
飲めるだろうか、
そんな事を考えつつ、コンビニで買ったおにぎりを食べる。
普通電車よりも、少し早く流れる景色を横目に思い返す。
彼女と初めて会ったのは高校の入学式だった。