2-4 寒暖
窓を叩く雨の音。突然降ってきたなぁ、アマービレは大丈夫だろうか?
配達に向かわせた僕の商店のスタッフを気にかけながらも、明かりを付けて事務仕事を進める。すると、降り出してからそう遠くなく、ベルの音と共にアマービレが帰ってきた。
「お帰りアマービレ! 突然降られちゃったね、すぐタオルを用意するよ」
「……うん、ありがとう」
なんだか元気が無い。空の手提げ袋を見るに、無事荷物は届けられたみたいだけれど……雨に降られたことがそんなにショックだったのかな?
タオルを渡し、水分を拭き取ると、ようやくアマービレは小さく笑みを見せた。
「私、ちゃんとお仕事を遂行できたわよ。やればできるんだから」
その笑顔が、触れたら崩れそうに見えて、僕は目一杯賛辞を贈ることにする。
「助かったよ。心配はしていなかったけれど、もうこの街の地理もばっちりだね。キミにお願いできて良かった」
笑顔に少し色彩が加わる。
しかし、だいぶ寒そうだ。秋も深まってきた中での雨はさぞ冷たかったろう。
「良かったら熱めのシャワーでも浴びておいでよ。そのままだと風邪を引いちゃう」
「……ええ、言葉に甘えることにするわ」
階段を上るアマービレを見送り、僕は思案する。何か悩み事を抱えていそうだ。配達中に何かあったのかな?
どうしたら元気を取り戻してくれるだろうか。美味しい料理でも振る舞うか、報酬と称して何かプレゼントでもするか、アマービレにもできる新しい仕事を振るか。
なんだかアマービレの機嫌取りに懸命になっている自分を少し滑稽に思うけれど、父親以外の同居人なんて初めてなんだ。やっぱり身近にいる人には元気でいて欲しい。
さて、今日はこの天気だからもうお客さんは来ないかな。もう店仕舞いして、せめて手の込んだ料理でも作ることにしよう。
・ー・ー・ー・ー・ー
熱いシャワーを浴びていると、深く思考に潜ることが出来る気がする。
正直、〝階名持ち〟には関わりたくない。ただの〝調律師〟相手なら、一人でもそうそう負ける気はしないけど、〝階名持ち〟にはどうしたって勝てるイメージが浮かばない。たった一人で部隊を壊滅させてしまうような理不尽が階名持ちなんだから。
……そんな階名持ちが、トリア王国のピュアクリスタルを狙ってる。ルーヴィヒ帝国の魂胆は分かってる。極東の小国トリア王国を失墜させ、その領土を手に入れると共に海産資源を独占するため、だったよね。
そのための戦争の準備をこっそり進めてたのに、トリア王国の守護晶石が完成しちゃえば、簡単には攻め落とせなくなる。だから〝調律師〟を動かしてまでそれを阻止しようとしてたんだろうけど……私のせいもあって予想外にケルミットが逃げ切っちゃったのね。
そうなれば、既にお城の中にあるピュアクリスタルを破壊するなんて芸当、できちゃう可能性があるのは〝階名持ち〟だけ。
どうしよう、お城にはマリィもいる。やつらは手段を選ばないから、第一王女だなんて要人、人質にとられる可能性も高い。
……たまたま逃げてきた国で、つい数日前に知り合ったお姫様。冷静に考えれば、そんなに必死になってこの国に義理立てすることも無いと思うんだけど……この国は――――ケルミットの商店は、私が初めてここに居たいって思えた居場所なんだ。
賞金首を討った報奨金だって、本当は何日か前に受け取っていた。でも、お店で働き続けるためにケルミットには内緒にしてた。
ここにいると、私も自分の意思でちゃんと生きてるって実感が持てたから。
……今日のケルミット、あんなにひょろっとした体で、大した身体能力もないのに、果敢に自分の居場所を守ってた。それに比べて私は? 相手が〝階名持ち〟ってだけで逃げようとしてるの?
……すぐには答えが出ないかもしれない。でも、もう少しここにいて、この国がこれからどうなっていくのかは、見ていかなきゃいけない。そんな責務が、私にはある気がした。
シャワーから上がると、ダイニングキッチンの方から気配がする。もしかして今日はもう店を閉めたのかな? 階段は降りず、そのままダイニングの扉を開けば、鼻腔をくすぐるのは空腹を誘う匂い。
「アマービレ、よく暖まったかな?」
「ええ、おかげさまで。今日はもう食事にするの?」
「うん、この天気じゃもうお客さんは来ないからね。寒くなってきたから、シチューを作っていたところさ」
「ケルミット、料理が上手よね」
「え? そんなことないさ。レシピ本通りに作ってるだけだから、誰かの知識や経験を借りているに過ぎないよ」
「それでも、よ。私にはできないことだもの」
「経験が無いだけさ。アマービレもやってみればきっとできるよ」
「なら、今度料理を教えてちょうだい」
そこまで言って、なんだか突然恥ずかしくなる。
「……なんでもないわ。私、座って待ってるわね」
「うん、しばらくソファの側にある書籍でも読んで待っていてよ」
ケルミットの優しさに甘えて、小さな本棚に目を落とす。
蒸気機関、魔導具、料理、掃除術、経済の専門書。本当に興味の幅が広いのだと感心する。
私はケルミットほど文章に強くないから……読めそうなのは『武器の歴史』とかかしら。興味があることなら少しは頭に入ってきそう。
そうしてページを捲ってみれば、意外にも挿絵が多く、読みやすい内容だった。ぱらぱらと浅く内容を追ってみれば、ふと一枚の挿絵が目にとまる。
シンプルなアサルトナイフの腹に、魔法陣が描かれている。魔法付与式ナイフという括りで呼ばれているみたい。
今までナイフはいくつも扱ってきたけど、基本的に与えられたものしか使ってこなかったから、こんなものがあるなんて知らなかった。
歴史的には浅く、金属に正確な溝を掘る技術が発達したここ十数年くらいのものらしい。
ナイフで対象を傷付けた際に付着する血液に混ざるフォルツをきっかけとして魔法が発現するものが主流で、それ以外に使用者がフォルツを込めることで任意のタイミングで発現させるものも。火炎を付与したり傷口を広げたり、攻撃の効果を増幅させる用途で用いられることが多い、と。
なるほどこんな便利な武器があったら、私ももっと力を発揮できるかもしれない。もしかしたら、階名持ち、とも……。
そこまで考えて、首を横に振る。ちょっと道具の力を借りたところで、絶対的な実力差は埋められない。
でも……後でケルミットに魔法付与式ナイフについて聞くくらいはしてもいいかも。きっともっと詳しいことを知っているような気がする。
だってケルミットは商品についてどこまでも調べちゃう商品オタクだから。
「アマービレ、シチュー良い具合だよ。配膳するからちょっと手伝っておくれ」
「はーい、今行くわ」
でも、今は目の前の優しさで身体を温めたい。少し昔を思い出して、心が冷えちゃったから。