1-5 雇用
商店までの道のり、アマービレと一緒に歩いてあらためて感じたけれど……酷く汚れている。何をするにもまず身を清めなければならないだろうと、商店に着いてまず、僕はアマービレにシャワーを浴びることを勧めた。
鎧の下に着る簡素なアンダーウェアくらいしかないけれど、着替えを用意し、僕はキッチンに立つ。
きっと何日もまともな食事にありつけていなかったろうから、胃に優しいものがいいだろう。そうだな、コンソメで作った野菜スープにしようか。人に料理を振る舞ったことなんて無かったから、口に合うか少し心配だけれど……少なくとも残飯よりはマシなはずだ。
野菜を切り、よく煮込んで、薄めの味付けをする。そうしてそろそろ仕上がるかなといったところで、部屋の扉が開かれた。
「お湯、ありがとう。しばらく浴びれてなかったから助かったわ」
「それはよかった――――」
見違えた。とても滑らかな髪をしている。
白く澄んだ肌の色も一段と際立ち、熱いシャワーを浴びて頬が上気している。
服装こそ簡素なものの、まさに美少女と形容して間違いない立ち姿だった。
「なにじろじろ見てんのよ」
「ああごめん、もうすぐスープができあがるから、椅子に座って待っててよ」
アマービレをダイニングテーブルに促し、スープの味見をする。うん、悪くない出来だ。
一年と少し前までは父と二人で囲んでいた小さなテーブル。一人で座るのにもすっかり慣れきっていたけれど、誰かと囲むのも悪くない気分だ。
「おまたせ、さあ召し上がれ」
大きめのスープ皿をアマービレの前に置き、僕も椅子に座り食事を始めることとする。
僕がスプーンで何口かスープを口にしたのを見た後、ようやく彼女は食事に口を付けた。
「……あんた、優しいのね」
「ん、突然どうしたんだい?」
「スープ、優しい味がしたから。育ててくれた人が、料理という芸術には作った人の性格が現れるって言ってた」
「なるほどね。それは面白い言説かもしれない」
褒められてるのかな? きっとそうなのだろう、悪い気はしない。
一人暮らしを始めてから磨いた料理の知識がこんなところで認められるとは、ほんと知識は身を助けるね。
その後は二人、食べ終わるまで黙々とスープを口に運び続けた。
野菜とコンソメの温かさが、収まりよく胸に落ちていった。
空いている部屋というのは父が使っていた部屋のことであって、家財道具もそのままにしてあった。
あまり調度品で部屋を飾るタイプの人ではなかったけれど、かえってシンプルな部屋のまま残っていたことで、アマービレを案内するのに不自由しなかった。デスクもベッドもそのまま使えたから、せっせと受け入れ準備をすることも無かったしね。
そんなこんなでスッキリとした日覚めを迎えた翌早朝、ダイニングで一足先に食事を摂っていると、現れたアマービレは顔を合わせるなり僕に言い放った。
「宿と食事の提供、感謝するわ。でも心配しないで、私、仕事探すから」
そして、テーブルに置かれた籠の中の内のパンをひとつ「これ貰うわ」と手に取り、返事も待たずに去って行った。
「なんだかすごくアクティブだなぁ。出不精な僕からしたら羨ましいくらいだ」
食後のコーヒーも飲みきったし、僕も行動を始めるとするか。
さあ、今日からショルティ武具商店も通常営業だ。
店舗フロアに降り支度を調え、僕は店頭の表示を「営業中」に変えた。
平時通りの営業が終わり、店仕舞いを始めた頃。
店頭に幽鬼のように現れた影にぎょっとすれば、夕日に照らされたアマービレだった。
「やあ、おかえり。仕事は決まったかい?」
努めて平静に声をかけた僕に対して、彼女は不機嫌さを隠しもせずに悪態をつく。
「なによ、ちょっと話しただけで私の有能さが分かるはずもないじゃない。揃いも揃って会話するなり神妙な顔しちゃって」
「あー……そっか、大変だったね」
なるほど、おそらくこのままの態度で求職活動に臨んだのだろう。そりゃあ、雇う側も慎重になっちゃうかなあ。
「ま、慌てることもないよ。しばらくはうちにいてくれてもいいからさ」
「助かるわ。この街でまともな人間は今のところあんたくらいよ」
「ははは……」
思わず乾いた笑み。
コミュニケーション能力に特に優れているわけではない僕でも、流石にそれが意味するまともな人間は〝使える〟人間と言う意味だってことは分かっているぞう。
まあ何も問題は無い。救って貰った命と完遂した取引の重大さに比べたら、何日泊めようが返しきれる恩ではない。
「とりあえずゆっくりしていってよ。今日は良い鶏肉が手に入ったからさ」
そもそも食材もアマービレの分込みで仕入れてある。
冷え込み始めた店頭から屋内に招き入れ、今日も二人分の食事を作ることとした。
次の日も、アマービレは同様に朝早く出かけていった。
報奨金が入るまでの数日、僕としては別にずっと家でゆっくりしていてもらって構わないのだけれど、いち早く自立しこの街での立場を得たい思いがあるのかもしれない。
……なるほどたしかに、もし僕が同じような立場になっても、何においても仕事を探すだろう。
何か仕事を斡旋できればいいんだけれど、僕も今年十五歳になってようやく大人の仲間入りしたばかりであって、まだまだコミュニティの一員としての発言力が伴っていないというか、そもそも仕事以外でのコミュニケーションが得意ではないというか……。
うん、人の心配ばかりしていても仕方が無い。賞金首をナイフ一本で仕留めてしまえるほどの身体能力を持っているんだ、彼女も何かしらの仕事にはきっとありつけるだろう。
そう信じ、平常通り店を開き、朝昼晩。
夕暮れの店仕舞い時にドアのベルが鳴らされたと思えば、昨日以上に意気消沈したアマービレがゆらりと帰ってきた。
「働くって、難しいのね」
「おや、働き先が決まったのかな?」
期待を込めて向けた僕の発言に、アマービレは首を横に振る。
「荷物を運ぶだけだっていうから簡単だと思ったんだけど、もらった地図は読みづらいし、そもそも土地勘が無いと配達順とかも分からないしで、結局ひとつも配達できないまま即日クビよ。初日で見切りつけるなんて、あんまりじゃない?」
「あ~……それは災難だったね。キミは悪くないよ」
上手い慰めの言葉なんて思いつきやしないけれど……雇用者として教育の義務を放棄して初日で切り捨てるのはあまりに理不尽だ。どこの運送会社だろうか、もし取引先なら考えものだ。
しかし……気丈に振る舞ってはいるが、アマービレも結構落ち込んでいそうだ。今朝までしゃっきり釣り上がっていた眉尻が、しおらしく垂れ下がっている。
せめて少しでも元気が出るように、栄養が付く料理でも振る舞おうか。
「今日は牛肉を仕入れてきたんだ。精が付くという大蒜も買ってきたから、まずはよく食べて体力を付けよう」
「あら、気前がいいのね。夕食、楽しみにしてるわ」
反応は悪くない。恩人が気落ちしてるところはあまり見たいものではないからね。
とはいえ、働き先かぁ。ちょっと僕の方でも考えてみようかな。
アマービレが我が家にきて三日目の朝。
起きたらダイニングに女の子が居る、という状況にも慣れてきたけれど、今日の彼女からは昨日までの意気揚々としたオーラが感じられない。やっぱり丸々二日駆け回って仕事が見つからないことが、そこそこ堪えているのだろう。
よし、覚悟を決めろケルミット。こちらも初めてだろうけれど、向こうだってそれは同じさ。
朝食を摂り終えたタイミングで、僕は深呼吸してアマービレに提案する。
「えーっと、あのさ、アマービレ。もし良かったらなんだけれど……うちの店で働いてみないかい?」
彼女は不意を突かれたように目を丸くして返事をする。
「店って、この武具商店で?」
「うん。実は僕の店、父さんから引き継いでから今までずっと一人で回してたんだ。商売の幅も広がってきたことだし、品出しや接客を頼める店員さんを増やしても良いのかな、だなんて考えていたところでして……どうかな?」
アマービレは少し考える素振りをし、そしてややいじけてみせる。
「でも私、どうやってお店で働いて良いのか想像もつかないわ。役に立たないかもしれない」
なんだ、そんなことなら。
「大丈夫、問題ないよ。どう働けば良いのか、どんなスキルを身につければ良いのか、どんな知識がいるのか。それを教えるのは雇い主の責務さ。といっても、僕も人を雇うのは初めてなんだけどね、あはは……」
人生初のリクルート。雇う側が緊張しているのもおかしなものだけれど、何事も初めてはこんなものだろう。
対するアマービレは……。
「そっか、昨日のおじさんより、あんたの方がまともな考え方だったってことね。それなら願ったり叶ったりだわ、ここで働かせてちょうだい!」
「よかった! それなら契約書を作るから、しばらくゆっくりして待っててよ。そうだなぁ、元々今日は休業日だったから、一階の商店内でも見てどこにどんなものがあるのか把握してもらえると助かるな」
「了解したわ、その地を理解することは大事よね」
やる気満々の様相で、アマービレは席を立つ。
そして階段を下る前にこちらを振り返り――――
「雇い主様を〝あんた〟だなんて呼んでちゃダメね。よろしくね、ケルミット!」
――――初めて見た彼女の笑顔は、女性経験のない僕にとって劇毒に等しい美しさだった。