1-3 死線
目覚めたのは朝日が出てからしばらく、十分に大気が暖まった頃合い。
時計を見て少し驚くも、大丈夫、今日は休業日だって張り紙はしてある。
昨日は予定外に、体力的にも精神的にも消耗したんだ。少し眠りすぎたのも仕方が無い。
ベッドを降り、部屋を出て階段を下る。そのまま店があるフロアを通り過ぎ、地下まで下っていく。
そこに何があるかっていうと、物理的、魔法的な鍵を幾重にもかけた丈夫な金庫だ。そもそも地下があること自体が認識阻害の魔法陣によって外部の人間には分からないようになっているけれど、例え金庫まで辿り着いたとて、どんな百戦錬磨の怪盗でさえ数分で諦めるだろう。
僕は慣れた手つきでそれらを解錠していくと、その最奥に保管されている布をかぶった直方体に手をかける。その布を取り払えば、透明な箱の中に、一瞬何も無いのではないかと錯覚するほどの純粋な透明感を湛えるクリスタルが姿を現す。
ピュアクリスタルは、この通り無事だ。
これからこの王国の守護の要と成り行くこの商品は、今日の夕方に王城に納品する運びとなっている。
人が多すぎず少なすぎず、かつ城内も落ち着き受け入れに人員を多く割ける時間帯がそこだそうだ。昨日の騒動から予想するに、きっと今日の動きもどこかから漏れている可能性がある。昨日以上に装備を整えていかないと、いよいよ僕の命も危うい。
そうとなれば、早速支度だ。商品知識は脳内にぎっしり詰まっている。厳選した商品たちを身につけて、絶対にこの契約は完遂してみせる!
――――――
――――
――
コツコツ、と店の扉がノックされる。
「はい、どうぞ〜?」
あれ、休業日だって掲示が目に入らなかったのかな?
それか、よほど急な要件か……その疑問は開かれた扉の先で納得に変わる。
「ケルミット様、定刻より早くはありますが、お迎えに上がりました。同時に少々状況を説明させてください」
お城の兵士さんが数名。いやまぁ、それだけである程度察せられる。概ね昨日の騒動を受けての警備体制の変更だろう。
元々は目立たないように兵士二名体制でこっそり城に向かうはずだったけど、既に暗殺者が動いていることが明白になった今、多少目立ってでも戦力を増強するのが吉と見たのだろう。
「ええ、想像はできますが、お願いします」
「さすが、聡明な店主と見えます。では手短に流れを――――」
――――なるほど、一気に大掛かりな作戦になったな。
配置する兵士は計五十人。店から城までのルートを網羅するように警備し、不審人物が現れた際には制圧隊と護衛隊に別れフォーメーションを変える。進行状況によって流動的に人員の組み合わせを変えることで、常に手厚い守りが敷かれることになるようだ。
更には、警衛ルートには基本的に一般人を立ち入らせないようにすると。確実に注目は集めるけど、守りやすさは段違いだろう。
多人数の配置に大掛かりな交通規制。よくまぁたった一日でここまで大胆な舵切りができたものだ。
……いや、それだけピュアクリスタルの重要性が高いということか。国防の要になるんだからね。
僕自身もしっかり自己防衛しなくては。全身には採算度外視で選りすぐりの商品を装備済みだ。
これは商人としてのぼくの誇りにかかってる。
厳重に梱包されたピュアクリスタルが入った大きなリュックサックを背負い、僕は兵士さんと共に太陽が落ちつつある街へ繰り出した。
いくら小国とは言え、平時であれば王城通りは夕刻でもそれなりの賑わいを見せる。王城まで貫くその大きな通りは有名店が多く並ぶ所謂一等地で、商売を営むものにとっても憧れの対象だ。
かく言う僕の店も、王城からは比較的離れている土地とは言え王城通りに面しており、更には最近人通りが盛んになった駅前通りにも接している。その恩恵は如実に売り上げに反映されているのだが、この辺りは先見の明を以て土地を確保した父さんに賛辞を贈りたい。
そんな王城通りが、今は嵐の前かのように静まり返っている。通りの両脇には一定間隔で兵士さんたちが控え、路地全てを警戒している。
厳戒態勢を前にして、生唾が喉を鳴らす。
背中に重量以上の重みを感じながら、確実に歩みを一歩一歩。
緊張感からか、冷や汗。重い荷物は運び慣れているつもりだったけれど、意識一つでこんなに疲れを感じるものなのか。
そんなこんなで長針四半周時くらいは歩いただろうか、懸念に反して危機的な状況は一向に訪れないことに、すこし気が緩み始める。
もしかしたら不穏分子は兵士さんが事前に排除してくれていたのかも?
あるいは、これだけの厳重体制、いくらプロの暗殺者と言えど手が出せないに違いな――――
――――その楽観を打ち止めるように、呼吸が詰まる。
王城の後ろに落ちゆく夕日をバックに、明らかに異質な道化師が一人。
だらんとぶら下げた両腕には何も持っていないが……
「乱れた世界を調律せん」
道化師が何事かを呟き、一瞬手首がぶれたと思えば、そこには鈍い輝きが握られていた。
「戦闘準備!」
そばに控える兵士さんが短く号令する。
一斉にフォーメーションを変え、僕を守るように、また敵を囲むように兵士さんたちが武器を構える。
暗殺者だ! 冗談じゃない!
けれど、ここでぼくが慌てて想定外の動きをしたら兵士さんたちにも迷惑がかかる。ここは彼らに任せて陣形の中にいれば――――
――――え?
「伏せて!」
短い掛け声に従い無我夢中で頭を落とす。同時、頭上で金属音。
驚きと焦り。突如目の前に現れた道化師が振るナイフは、きっと掛け声がなければ躱せなかった。
道化師を囲んでいた兵士さんたちは皆後方へ倒れている。あの一瞬で十は数えられる制圧隊を!?
得体のしれない道化師が夕陽に揺れる。
本能が叫ぶ。これは守られることを前提にしていれば確実に命を落とす!
僕は慌てて踵を返し、簡易詠唱を口にする。
「プレスト!」
靴に仕込まれた魔法陣を起点に魔法が発現し、駆ける速度を飛躍的に上げる。
兵士さんには悪いけれど、足止めしてもらってる間に小路に駆け込み撒くことを試みよう。大丈夫、この辺りは僕の庭だ。効率的なルートは頭にしっかり入っている。
三本目の路地を右に曲がり、左、そして右。その先をまっすぐ抜ければ――――
――――嘘だろ?
突如目の前に現れる道化師。兵士さんたちはどうした?
さっきまであの位置にいたのなら、こんなところにいるはずが……!
振り下ろされるナイフを急停止で避ける。先回りされたっていうのか? こんな複雑な小路を? 一瞬で護衛隊を振り切って?
靴に込めるフォルツを強め、来た道を引き返す。
再び王城通りに出ると、兵士さんたちは一人残らず地に伏している。路地警戒をしていた兵士さんも例外なく、だ。
なんて速さと力量か。たった一人で小隊を相手にして殲滅しきるだなんて、そんな芸当できる人間がいてたまるか!
不満を垂れていても仕方が無い。背後に迫る気配を察知して、護身用のスプレーを照射する。
「フロストクラウド!」
噴射した側から雲状に氷が広がる。即席の盾の出来上がりだ。
カキンとナイフが弾かれる音。確かに効果は発揮したが、これも一時しのぎにしかならない。
やり合うのは分が悪い、なんとか距離を取らないと。そうだ、王城に辿り着きさえすれば、きっと衛兵さんたちもたくさんいるはずだ。そうとなれば――。
ポケットに忍ばせていたビー玉大の粒を取り出し、地面に叩きつける。途端広がる濃霧で身を隠し、僕は再び簡易詠唱を唱える。
「プレスト――!」
靴に込められたフォルツが魔法陣を起動させ、僕を俊足のスプリンターに仕立てる。
王城までは目測であと千六百歩間、今の僕なら秒針一周半時もあれば駆け抜けられる。
全速力で目的地まで一直線。さすがに追いつくことはできまい――――!?
そんなまさか! こっちは魔導式自動車も斯くやという速度で走っているのに、どうして距離を詰められていくんだ!
このままじゃ王城まで持たない。
……仕方が無い、最終手段だけど、ここまでされたのなら過剰防衛にはならないはずだ。頼むからこれで大人しくなってくれ……!
「くらえ! フレアボム!」
拳大の魔法爆弾を投げつけ、みごと道化師の傍に命中したそれは激しく爆発する。
確実に命はないだろうけれど、仕方が無い。僕だって命を奪うのは初めてでは無い。
爆煙が収まるのを待ち、その結果を確認する。おそらく残っているのは焼き爛れた肉体くらいで――――。
冗談じゃ無い、どうして五体満足でピンピンしてるんだ。衣服の類いには爆炎に飲まれた痕跡が確かに見える。けれど、肉体自体には全く以てダメージが入ったようには見えない。
……そうか、身体保護の魔法の類いか。こいつ、人外の身体能力を持ちながらもフォルツの扱いまで一級なのか。
いよいよ僕も手詰まりだ。どうするケルミット。ピュアクリスタルを差し出して頭を下げるか? いや、仮にそれで生き残ったとしても、そこで商人としてのケルミット・ショルティは死んでしまう。
ならばここで最後まで抵抗して、一縷の望みを掴んでやる……! 策が尽きたときのための護身用ナイフを取り出す。対人実戦経験はほぼ無いと言ってもいい。兵士さんが敵わない相手に勝てる道理もない。けれど、抵抗する意識だけは全面に出してやる。
道化師の意識が僕が持つナイフに集中する、そして目線を僕の瞳に移し――――突然身を捻り、バク転を重ねて右横に距離を取る。
何事かと道化師を追った目の端に、この場における第三者の姿がちらつく。
少し前まで道化師がいたその場所に視線を戻せば、そこには修羅場には似つかわしくない一輪の花が――――いや、少女の姿があった。
見覚えのあるその姿に思わず口を突く。
「き、キミは昨日の!」
少女はようやくこちらの存在を認めて反応する。
「あれ、逃げてった私のごはんじゃない。でも今はそれどころじゃないわ、もっと美味しい獲物が目の前にいるんだもの」
少女は手に持つナイフを握り直し、顔の前で構える。
「そこの奇妙なメイクのあなた、賞金首の〝気狂い道化〟よね? 生死は問われてないわ。あなたを仕留めれば私はしばらく住む場所にも食べるものにも困らないの。大人しくその首をよこしなさい」
随分と身勝手な物言いにも聞こえるが、相手が本当に賞金首だというのなら話は別だ。
相当数の殺人を犯したか、或いは複数の要人を葬ったか。でなければ滅多なことでは賞金首にはならない。
なるほど、手強い敵かと思えばその筋では有名な殺人鬼だったってことか。道化師も両手のナイフを構え、じりじりと動き始める。対する少女は微動だにせず、相手の動きを何っているようだ。
始めに動いたのは、道化師の方だった。身を落として少女に肉薄すると、下から抉るようにナイフを振り上げる。それを身体を半身にして避けた少女は肘から先の動きだけで正確に道化師の首筋にナイフを走らせた。
それは道化師が持つもう片方のナイフに防がれるも、がら空きとなった胴体に少女の蹴りが炸裂し、おおよそ人体が蹴り飛ばされたと思えないほどの勢いで道化師の身体が弾かれた。
そして息つく間もなく、少女は追撃をかける。道化師は整わない体勢のまま両手のナイフで少女の攻撃を防ぎ続けるが、たった一本のナイフ、それに注視するがあまり蹴りや掌底によるダメージが蓄積していく。
そして遂に決着の時が訪れる。少女がナイフを振り抜いた後の一瞬の隙、それを逃さぬように道化師は決死の一手で両側からナイフを振り下ろす。それは少女の首を確実に抉り致命傷となったように見え――――途端少女の姿はローブを残し消え失せ、いつの間にか、少女は道化師の脊椎を背後からナイフで貫く姿勢でそこにあった。
「そもそも賞金首になんか成って表の世界に存在が知れてる時点で〝調律師〟の名折れなのよ」
少女が最後になんて言ったのかは僕には良く聞こえなかった。ただ、道化師は今の一撃で確実に息の根が止まったようで、力なく崩れ落ちた。
周囲に淀んでいた重圧感が消える。致命傷を逃れた兵士さんたちも、ちらほら立ち上がり始めた。
一先ずの危機は越えたようだ。ほっと胸を人撫でしていると、少女がこちらを睨み、顎を軽く動かし呼びつける。
「手伝いなさい。そのつもりじゃ無かったけど、結果的に助けてやったんだもの」
なるほど、賞金首を獲ったことをお城に報告するわけか。たしかに恩義もある、手伝うのも吝かではないな。
「ありがとう、助かったよ。僕はケルミット・ショルティ、キミは?」
少女は一瞬口をつぐみ、あらためて一呼吸して答えた。
「私はアマービレ。ただのアマービレよ」
日はもう落ちかけている。倒れていた兵士さんたちは、異常を察して出てきた街の人たちが介抱してくれているみたいだ。
僕も早々に商品を納品する必要があるため、さっそくアマービレを手伝い王城に向かうこととした。