1-2 邂逅
「運搬用カバンよし、簡易金庫よし、護身用グッズよし、あとは……」
今日の僕は緊張している、そういった自覚は確かにある。
でも仕方がないじゃないか、弱冠十五歳の駆け出し商人にとっては……いや、商売を営む者なら誰しもが身構える一大契約なのだ。
かなりのやり手だった父が取り付けていた契約をそのまま引き継いで、僕は国防の要となる商品を王城に納品しなくてはならないのだ。
そんな重大な仕事、こんな若造に任せていいのだろうかって自分でも思うけれど、逆に諜報員の目をごまかせるということで、商会からの圧力を感じながらも引き受けた次第でありまして……。
それにしても、ピュアクリスタル、ね。
ここからしばらく南に位置する山脈、その最高峰を誇る霊峰の頂上付近に存在する太古の鉱脈で少量のみ取れる澄んだ透明な鉱石。
僕らが魔法を扱う際に用いる魔法力は大地から沸き上がり、そして空へ昇っていくけれど、雲を突き抜けるほどの高さまでいってしまえば、そのほとんどは風化して消えてしまう。
そういった条件も重なると、全くフォルツの影響を受けていない超純粋な鉱石、ピュアクリスタルが生成されるらしい。
それを元に作られた魔法晶石は絶大な効果を生むようで、小国であるこのトリア王国は是が非でもそれを手にし、大魔法士でもある女王陛下自身が魔法を込め、国を守るための守護晶石を仕立てようとしているとのことだ。
もちろんこの情報はトップシークレットで、国の中枢と一部の関係者にしか知らされていない。
一般人で詳細まで知らされているのは、その手配に当たった父……から引き継いだ僕だけだ。
ピュアクリスタルは既に捜索隊が採集し、下山後一次運搬業者に引継ぎ済み。
そして今日、僕が街の外で受け取り、一旦僕の商店の金庫で保管することとなる。
王城への納品は明日の夕方だ。もちろん護衛の手配もしている。そこら辺の傭兵に頼むには信用問題的な意味で心許ないので、きっちり手続きを踏んでお城の兵隊を派遣してもらう手筈になっている。
うん、僕にできる準備はしっかりと積み重ねてきた。ケルミット少年、この契約は絶対に落とせないぞ。
自身に強く言い聞かせ、僕はまだ日の高い街中へ繰り出した。
ー・ー・ー・ー・ー
「……遅い、もう定刻から短針二周時オーバーだ」
昼過ぎに街外れの農園前でピュアクリスタルを受け取るはずの予定が、待てども待てども運搬業者が到着する兆しが見えない。
もしかして道中で野盗に襲われたり、不測の事態があったんじゃないか……?
明らかにそわそわしているように見えたのだろう、一緒に待ってくれている兵士さんが宥めるように声をかけてくれた。
「この時期は紅葉した葉の落ち始めです。木々が根から吸い上げ葉に貯めていたフォルツを求めて、越冬前の吸魔餓の幼虫たちが道を塞ぐこともしょっちゅうです。慌てず待ちましょう、若き店主」
「ええ……ええ、そうですね。僕もこの時期の市外取引は初めてだったので、落ち着きがありませんでした。ありがとうございます」
いくら新米とは言え、これだけ大きな取引を任されているんだ。落ち着いて堂々と構えていなければ、兵士さんだって不安に思うだろう。大丈夫、きっと今日中には届くさ。
――――――
――――
――
「はい、ではこちらの書面にサインを。ええ、確かに。お疲れ様でした」
待つことしばらく、すっかり日が落ちてしまった頃、ようやく運搬業者は到着した。
納品までに間に合ったことに一つ安堵。同時に、人通りが少なくなった夜道を商店まで運搬することへの心配も。
いくら兵士さんが二人護衛に付いてくれているとは言え、夜闇に紛れて良からぬ輩が出てこないとも限らない。手際よく書面手続きと商品の確認を行い、早速街へ戻ることとした――――
――――と。
「そこの三人、止まりな。命が惜しかったら荷物を置いて立ち去るんだな」
嫌な予感は当たるもので、街へと繋がる橋を渡る前に、六人の盗賊一団が立ちふさがった。
おずおずと引き下がる僕の前に、兵士さん二人が歩み出る。
「王国首都眼前と知っての愚行と心得ているな? 女王陛下からのお達しだ、容赦なく斬り捨てるぞ」
「ハッハァ、できるもんならなァ!」
盗賊たちと兵士さんたちとで乱闘が始まる。
彼我の戦力差は三倍。にも関わらず拮抗している兵士さんは流石だと思うけれど、これは時間の問題じゃないだろうか。もしかしてこの隙に橋を駆け渡った方が……。
「む、一旦距離を!」
「ちぃ、ソードブレイカーか! お前らただの盗賊じゃないな!?」
どうやら雲行きが怪しい。多数を相手にしても余裕を感じる態度だった兵士さんから焦りの声が放たれる。
というか、ソードブレイカーというと――。
「本当ですか!? それって武器破壊に特化した剣擬き、深く続けて掘られた溝で相手の剣を受け、捻ることで剣を折ってしまうという、どちらかと言えば盾の類いの――」
「流石詳しいですね、商人さん。ということは察しが付くでしょうけど、あれらは雇われの傭兵崩れか暗殺者の類いです」
なんだって!? つまりは、どこからか情報が流れていたのか……?
しかしなるほど、そう判断するのも道理だ。ソードブレイカーはその凶悪な性質の反面、使用には熟達された技術が求められる。
本来刃に当たる部分は盾程度の役割しか持てず、有効な攻撃ができるのは尖った先端くらいだけれど、それすらも浅い傷にしかならない。とはいえ、プロの暗殺者なら毒くらい塗っているだろうけどね。
「兵士さん、天使に説教ですが、毒には気をつけてください。突きは躱す方が賢明です」
「分かってはいるが……多勢に無勢だな。商人さん、なんとか橋の向こうに逃げられないか? 情けないことに、守りながらでは少々厳しい」
やっぱりこの状況、僕はお荷物になるよね。なら、少し商品の力を借りることにしよう。
「承知しました。では、五秒後きっかりに目を瞑って下さい」
リュックサックのサイドポケットから子供の拳程度の大きさの玉を取り出す。
そして兵士さんたちが目を瞑った瞬間、僕自身も目を閉じその玉を叩きつける。
途端、瞼越しにも分かる強烈な光が広がる。
僅か一秒足らずでそれが収まったのを確認し目を開けば、目を押さえ悶える賊たちの姿が見えた。
「効果も長くは持ちませんが……すみません、こちらはお任せします!」
閃光玉で目をやられている賊たちの横を駆け抜け、橋を渡る。あの兵士さん二人なら、きっときっちり時間を稼いでくれるだろう。
そう信じ、リュックサックの中に厳重に包んだピュアクリスタルを背負い夜の街を駆け征く。
あまり分かり易い大きな通りを行き過ぎると、もし追っ手がいた場合に見つかりやすい。
そう思い所々小路をルートに取り入れて逃げていたけれど……それが間違いだったのかもしれない。
――――僕は今、ナイフを首元に突きつけられている。
あの六人以外に仲間が居たとは、完全に油断していた。
それにしても……真正面でナイフを突きつけるその人物を見る。身長は僕よりもやや高い程度。決して僕も背が高い訳ではないから、子供か小柄な女性か?
目深に被ったフード付きローブのせいで姿が窺えない。
そう思案していると、ぐう、と気の抜けた音が小路に反響した。
「……なにか食べ物をよこしなさい」
その声の主、鋭い目つきでナイフを突きつけるその人物は……声音から察するに少女のようだ。
「えっと、キミは僕が運ぶ荷物に興味があるわけではない、ってことでいいのかな?」
「は? なにを言っているか分からないけど、状況は理解してる? 食べ物をよこせって言ってるの」
どうやら暗殺者の仲間ではなく、物乞いらしい。
幸い、商品の受け取り待ちの時間に、と思って携帯食料を用意していた。それを差しだそうとリュックに手を伸ばし――――
「やっと見つけたぜ、坊ちゃん。その荷物を根こそぎ置いていきな」
背後からの声――さっきの暗殺者!? 嘘だろ、一人とは言え、兵士さんを振り切ってここまで追ってきたっていうのか!?
前方にはナイフを突きつける少女、後方には僕を殺して荷物を奪おうとする暗殺者。そして逃げ場のない小路。これはもう八方塞がりか……?
「っち、そいつはご同輩か? 悪いが先に目を付けたのは俺らだ。譲ってもらうぜ!」
ソードブレイカーの先端に塗られた毒を光らせ、僕の元に一目散に向かってくる。
逃げようにも僕の首筋には突きつけられたナイフ。
あぁ、駆け出し商人のくせに国家への納品だなんて背伸びしすぎたんだ。
幼少期から父に商売のいろはを教わり、武器や魔法書、遠征用品等々、商品知識を磨いてきた。走馬燈のように流れる商品の数々。この場を凌げそうな商品は幾つもあるけれど、今迫る一秒足らずの間に表に出せるものは何もない。
悔しいけれど、短い人生だった。
そう諦めた僕の前で、金属音と共に火花が散った。
僕はその先で咲く夜の花に目を奪われる。
風になびく栗色の髪。陶器のように滑らかで白い肌。鋭く、それでいて可憐な瞳は暗殺者を貫き、その手に持つナイフの柄をピンポイントでソードブレイカーの溝に引っかけ動きを押さえていた。
「ちょっと、私の獲物なんだけど」
助けてくれたわけではないようだ。けど……ただの物乞いにしては動きが洗練されすぎている。
「けっ、やっぱりご同輩か。だが、こっちも失敗は許されねんだ。大人しく引き下がりな!」
暗殺者は空いている手で小型ナイフを抜き、少女の顔面目がけて振り抜く。
それは、空を切ることになる。
暗殺者には少女が消えたように見えただろうか。落ちるように体勢を落とした少女は素早く暗殺者の脚を払い、飛び退くように建物の壁を蹴り背後に回ると、暗殺者の首にナイフを突きつけた。
「いい? 私が先。こっちは命がかかってるの。もう何日も何も食べてないんだから」
「なにを言ってるんだてめぇ――わわわ分かった、一旦落ち着け、な?」
首筋に食い込むナイフに暗殺者は焦りを見せている。これはチャンスかもしれない。僕はじりじりと後退し、一目散に逃げの一手を打った。
「あ、ちょっと待ちなさい! 私のごはん!」
聞こえない、何も聞こえない。兎に角無事に商店まで帰り着くことだけを考えて、僕は夜風を切り全力疾走を続けた。




