4-2 開戦
「……これは酷いな」
「言ったでしょう? 普通の兵士をいくら集めようと〝階名持ち〟には敵わないって」
城の廊下でうずくまる者、倒れ伏す者、嘔吐する者。朱に染まった城内では、誰も彼もが苦しさを訴えている。
一国の中枢でこれだけの被害を生む仕掛けを設置し得ること自体が〝調律師〟という組織の恐ろしさを主張している。
しかし、こんな仕掛けどうやって……。
「アミィ、あなたならこの朱色の正体をご存じなのではなくて?」
若干の間の後、彼女はマリィ姫に返答する。
「これは〝階名持ち〟が仕事をする際に張る結界よ。体内フォルツの挙動を狂わせる上に、酸素の正常な取り込みを阻害するの」
なるほど、あの苦しさは酸素欠乏症によるものか……。
これだけの大魔法、前準備も無く一瞬で発現させたとは考えにくい。何か種があるはずだけれど、マリィ姫の索敵にも引っかからないだなんて、これは組織として相当な――――いや、今はそういった思考にリソースを回している場合じゃ無い。
「幸い、アマービレのおかげで僕たちは動けている。先を急ごう」
「そうね、アミィのおかげで。……わたくしもより良き未来を信じましょう」
少し歯切れが悪そうだが、直ぐに切り替えてマリィ姫は先導を続ける。
甘ったるい朱色の中を駆け抜け、そう遠くなく。
辿り着いた扉の前で、マリィ姫は一度こちらに振り返る。
「この先ですわ、構えてくださいまし」
マリィ姫が鍵の破壊された扉を開き、その先に飛び込む。
その後に続けば、充満するのは死の気配と殺気。
細長い通路を抜け広いスペースに出ると、ピュアクリスタルを背後に守り魔法を放つ女王陛下の姿が目に入る。対峙するのは、科学者が身につけるような白衣を纏った細長い男――状況とダダ漏れの殺気から察するに、コイツが〝階名持ち〟か!
白衣の男はこちらに首を回し、眼鏡をつまんで覗き込む。
「おやぁ? 〝劇場〟の中で動ける人がいるだなんて、なんと珍しいことも……ほう、なるほどなるほど。これはご陽気なお仕事になりそうですねぇ」
右手に持つメスのようなものをくるりくるりと回し、白衣の男はこちらを見たまま女王陛下の魔法を弾く。
女王陛下の魔法に勢いがない。 〝劇場〟とか呼ばれているこの結界が相当に苦しいのだろう。
「アマービレ、女王陛下にもさっきの丸薬を差し上げられないかな?」
「ごめん、無理。簡単に作れるものじゃなくて……さっきので使い切ったわ」
「ピュアクリスタルだけでなく女王陛下も守り抜かなきゃ、か」
「いや、アイツは女王様に危害は加えないはずよ。後々面倒な王殺しより、抵抗力を奪って傀儡にした方が今はまだ帝国にとっては都合がいいんだもの」
「守護晶石は作らせないし、いつだって王は狩れる。そうやって言うことを聞かせるわけか……」「実質的な属国にはするけれど、あくまで侵略では無いですよ、ということが周辺国家に対する建前ということですわね。ところで、異様に事情に詳しいのね、アミィ。これも裏社会では常識なのかしら?」
「それは……」
言いよどむアマービレを見て、白衣の男はクツクツと笑いを湛える。
「そりゃあ詳しいでしょうよ。ねえ〝風鳴のアマービレ〟。 〝階名持ち〟に最も近づいた〝元調律師〟」
なんだって? アマービレが調律師……?
つまり、今まさに襲撃してきている敵と通じてたってことなのか!?
ここに至るまでも全て敵の予定通りで、僕らは盤上で踊らされていただけで――――
「〝元〟でしょ。今はただのアマービレよ。調律師だなんて集団にはもう見切りをつけたし、戻るつもりも無いわ。今の私が守りたいのは、帝国が映す影の規律じゃなくて、トリア王国での落ち着いた日々なの」
そこまで言い、アマービレは僕とマリィ姫に向き直る。
「信じて、二人とも。今まで黙ってたことは謝るわ。私、怖かったの、二人に軽蔑されるのが。ふふ、こうしていずれバレることだったのにね」
弱々しい笑み。
僕は何を信じるべきだ?
今まで重ねてきたアマービレとの時間は確かなもの、だったと思う。でも、今明らかになった事実が疑念になっていることも事実だ。
けれど……いや、ケルミット、お前は商人だ、打算で考えてみたらどうだ。今アマービレを疑って連携を崩したところで、結果は破滅だ。疑いを捨てアマービレとの連携を維持することでしか、この場は突破できない。
ならば、取れる選択は一つだけだろう。
「僕はアマービレを信じるよ。マリィ姫にもそうしてほしい」
「ええ、わたくしもそのつもりでしたわ。実を申しますと、ここに来るまでにも疑念は覚えていましたけれど……わたくしね、これでも王族として多くの人を見てきたの。人が抱える心の裏や意図を読み取るのも日常茶飯事ですわ。アミィに少しでもわたくし達を裏切るつもりがありまして? わたくしにはそうは思えません」
「二人とも……信じてくれて、ありがとう」
結論づけた僕らを眺めていた白衣の男が、やや不機嫌そうになる。
「つまらないですねぇ。理知的な方の相手は実に面倒くさい。この場で不仲になってくれればラクに仕事が終えられたのですが……」
男はメスを回し続ける。すると、回るごとに二つ、三つとメスが増えていき、最終的に両手併せて八本のメスが握られた。
「とは言え、ワターシが関する階名は〝G〟。どんな相手にも合わせて動くことに定評がある階名です。アマービレは少し厄介ですが、ただの〝調律師〟と〝階名持ち〟の間にどれだけの差があるか、教えて差しあげましょう!」
ひゅっと風鳴りの音と金属音。アマービレが飛んできたメスをナイフで弾いた音だ。
それが開戦の合図となる。
クリスタルが光を湛える一室で、国を護る戦いの火蓋が切って落とされた。