4-1 落日
「おはよう、アマービレ」
「あら、いつもより早いのね。私ももう準備はできてるわ」
七日目、いよいよこの日がきた。
マリィ姫の〝未来視〟から推察される〝階名持ち〟がトリア王城を襲撃する可能性の最短日。
今日は早朝に店を出て、王城へと赴く。
いつ襲撃があるか分からないんだ、僕とアマービレはマリィ姫の客人という体で、城に滞在することとしていた。
曇り空を透過した灰色の朝日を浴びながら大きな城門の前に辿り着けば、門番を務める兵士さんから、またお前らかとでも言いたげな胡乱な目を向けられる。
それもそうか、〝気狂い道化〟の騒動が起きたあの日も、僕らは二人で門の前に立った。あの日謁見の間でアマービレがやらかした態度は、城内でも話題になっていたのだろう。
それでも、兵士さんはしっかりと職務を果たしてくれる。
「お前たちが何者かは分かってはいるが、これも決まりだ。入城に至る事実を示すものを提示しなさい」
「はい、こちらを」
僕はマリィ姫から受け取っていた公印付きの書簡を示す。マリィ姫が、第一王女の名において僕とアマービレを招待するといった内容のものだ。
それを確認した兵士さんは小さくため息をつき、門を解錠する。
「しかしどうして王女様はこのような者たちを……くれぐれも粗相は起こさないでくれよ」
「別に私は――」
「あはは、善処します」
アマービレの反論を遮り、僕は営業スマイルでごまかす。大切な日にいらない悶着を起こす訳にもいかない。
敷地内に入れば、控えていた執事さんが僕らに一礼する。僕たちを姫のところまで案内してくれるみたいだ。
先導してくれる彼に従い、城内を歩みゆく。心なしか、城内を行き来している兵士さんの数が多く感じる。いや、気のせいではないのかな。マリィ姫の方でもできる対策をしておくって言っていたから、城内警備をいつもより厚くしているんだろう。
少し歩き、案内された先は秋の葉が色づく中庭。
紅葉の香りの中に収まる真っ白なパラソルの下でティーセットを広げているのは、プラチナブロンドの髪をゆったりと流すマリィ姫だ。
「お待ちしておりましたわ。ようこそ、わたくしのお茶会へ。さあ、こちらにおかけになって」
僕らがマリィ姫の元に歩み寄ると同時「ごくろうさまですわ、下がって結構よ」の言葉で執事はこの場から去る。これで、庭には僕ら三人だけだ。
「武器も持たず手ぶらでここまでくるのは不安でしたでしょう。さあ、預かっていた武具や道具たちをお返ししましょう」
「助かったよマリィ姫。一般人は武器を持ったままの入城は許されないからね」
「ケルミットのせいで結構重かったでしょうに。マリィって結構力持ちなのね」
「うふふ、乙女には不思議な力がありましてよ」
マリィ姫に出してもらった装備品を身に纏う。うん、これらがなければ戦えないからね。アマービレも支度を終えたようだ。
マリィ姫に意識を戻せば、小鳥を指に乗せてなにやら数言交わしている。そうして手を高く上げ、空に放った。
「このように、数羽使い魔を放っておりますわ。情報は入ってきますから、このお庭でゆっくり待ちましょう」
「とは言っても、これから訪れる危機を思えば、落ち着かないなあ……」
「そんなんじゃその時が来る前にへばっちゃうわよ、ケルミット。精神力にも限りがあるわ、温存するためにも泰然と構えていなさい」
「あはは、なるほど確かにそうだ」
今まで準備してきたのに、気持ちの持ちよう一つで無駄にしてちゃ世話が無い。ここまで来たんだ、せっかくなら国賓気分でも味わおうか。
「ん、このマカロン美味しいわね、マリィ」
「最近流行のパティシエールから取り寄せましたの。紅茶と一緒にお召し上がりになって」
早速順応したアマービレとマリィ姫がこの場に花を咲かせる。その空気感に触れていると、なんだか緊張している自分が場違いに思えてきた。
それなら……普段はそんなに甘いものは食べないけれど、僕も一つご賞味に預かることとしよう。
――――
――
平和過ぎて……予兆がなさ過ぎて逆に不安になってくる。優雅なティータイムを堪能したばかりか、ランチまでご馳走になってしまった。
いや、あくまで今日は可能性の最短日であり、まだ何も起こらない可能性も十分にあるんだ。だから焦燥に駆られることは何も無いはずなんだけれど、マリィ姫があれだけ放っている使い魔が何の予兆も感知しないということに、件の〝調律師〟の隠密性の高さが想起されてならないのだ。
アマービレはというと、見るお菓子出されるお茶全てが珍しいのか、瞳を輝かせてあれやこれやに手を出している。
マリィ姫も、時折使い魔である小鳥から情報を受け取る仕草ですら、どこからどうみても王族の優雅な余暇の様子にしか見えない。
対する僕は落ち着きがなく、もう何度目かという装備品の動作確認を行っている。
いやさ、確かに泰然と構えていろとは言われたけれど、やっぱり僕はそこまで肝が据わっていない。
別に温室から一歩も出されずぬくぬく育ってきたわけでは無い。商売のため、特殊な取引のため、はたまた希少な商品の採集のために、父さんと一緒に危険な橋は何度も渡ってきた。
その過程で危険な野生動物とも対峙してきたし、救いようのない盗賊を殺めたこともある。
けれど、今回はスケールが違いすぎる。単身で国家を危機に晒す暗殺者を相手にするだなんて、僕の人生には全く予定されていなかった。
……失敗できない商談の前も、僕はいつもこうしてそわそわしている。今回だって、それこそ失敗できないんだ。失敗は死に直結し、更には国家の危機にすら繋がる。
僕には荷が勝ちすぎている。それでも、ここで逃げ出すわけにはいかない。ちっぽけな僕にもできることを最大限遂行すべく、準備は徹底する。そう自分を正当化するけれども……やっぱり少し疲れてきた。アマービレが言っていたことは正にこういうことなんだろう。
落ち着けケルミット、大事なのは今じゃ無い、この後だ。気持ちに一つ折り合いをつける。そして脳に栄養を送ろうとお菓子に手を伸ばし――――
――――昼下がりの中庭が突如朱に染まる。
「アマービレ! マリィ姫!」
「来たわね」
「ええ、たった今使い魔が一羽落とされました」
タ暮れにはまだ早い。何より肺を鷲掴みするような圧迫感が、尋常では無い事態であると全身に警報を発している。
思わず膝を付く。立っているのも辛い。僕と同様にマリィ姫も胸を押さえ苦しそうにしている。
そうか、魔法か毒の類いかは分からないけど、こんな手段を擁しているからこそ単身で軍隊を相手にできるって訳か。
しかし、これは想像以上に深刻だぞ。こんな状況でどうやってまともに戦えば――――そんな僕の憂いは、朱よりも強い存在感で佇む少女の姿に打ち消される。
「アマービレ、キミはこんな中で平気なのかい!?」
アマービレは少し長く吐息を伸ばし、僕に返事をする。
「ええ、私にこの結界は効かないわ。二人にはちょっと辛いと思うけど……これを噛んでみて」
アマービレは僕とマリィ姫に何やら手渡す。これは……丸薬か?
言われるがまま口に含み一噛みすると、圧迫感が引き、不思議と呼吸が楽になった。
「アマービレ、キミはいったい……」
「疑問に思うのはもっともだけど、たぶん敵はもう城内よ。急ぎましょう」
そうだ、今はやるべきことがある。僕と同様に調子を取り戻したマリィ姫の先導の下、ピュアクリスタルが収められている部屋に向けて僕らは駆けだした。