ある皇帝の追憶④
基本的に繰り言を好まない祖母が、事あるごとに引き合いに出す話題がある。
私が初めて、祖母を茶会に招いた時のことである。
開口一番「わざわざこんな婆を呼び出したのだから、つまらぬ用であったら承知せぬぞ」と眼光鋭く見つめられて、私は十分怯えていたのだが、エリス嬢の「さすが海の男は、凛々しくてあらせられる」という言葉をくり返し思い出して、己を鼓舞した。
「老い先短い年寄りには、土産話が必要だと聞きましたので」
笑顔は引き攣っていたが、我ながらよく言えたものだ。知らぬということほど恐ろしいものはない。若輩者故の無鉄砲。
いまであったら? 御免被るな。
祖母は、声を上げて笑った。オホホというようなお上品なものではない。日頃から男言葉を大声で話す彼女は、笑い声まで豪快だ。
それもそのはず。
若かりし頃は、伯爵家の令嬢でありながら、海賊の頭目をしていた女だ。正確には、皇室より許可を与えられて、他国の商船を襲う私掠船を率いていたのだが、やっていたことは、まあ、そういうことである。
その美しく勇ましい姿に惚れ込んだ先の皇帝が、海軍を総動員して(味方同士で何をやっているのかと思うし、公私混同もいいところである)荒くれ者たちの乗った船団を取り囲んで拿捕。軽い戦闘の末、投降した彼女を後宮に召し上げたというわけだ。
さて。色の変わる冷茶を自慢げに勧める孫に、目を細めていた祖母は、マクエス卿の話を一言も聞き漏らさず、即日、貝塚の所有権を手に入れていた。
次いで、彼女が目を付けたのは、私がエリス嬢に持たされた玩具の数々である。
当時、私のいちばんのお気に入りであった輪投げ。何度押し倒しても、必ず起き上がる人形。丸や四角、星形の木片を、同じ形の穴に差し込めば、中にしまうことができる毬。凹凸を繋ぎ合わせて、どんな形にも積み上げることのできる積み木。
ある程度成長してから、マクエス卿に聞いたところによれば、エリス嬢は知育玩具と表現していたそうだ。
「金、金、金と、すべてを独り占めするような女であれば、こうしてお前に贈るはずがない。むしろ有効に役立てよということではないか」
祖母はこれらを、自分の所有する商会で量産し、貴族向けに売り出した。祖母の名があってこそだが、珍しさも手伝って、かなり売れたようだ。
それらはすべて、私の帝位継承順位を上げるための活動資金になり、それも大変ありがたいことであったが、思わぬ副次的な効果もあった。
後に、私と同年代か、二、三年下の者たちは、思慮深き世代と呼ばれ、そこから、猪突猛進な帝国人の中にあって、比較的、深く思考する者が多く出てきた。
彼らは、この知育玩具で遊び育った者たちで、しかし、私の個人的な見解では、それは玩具で遊ぶこによる直接的な効果ではなく、それまで、子供と見れば一先ず海に叩き込んでいた乱暴な教育方針から、内向的な者は内向的なまま育ってもよいのではないか、という風潮の下地が、この時できあがったのだと考える。
私とマクエス卿が愛用し、場合によってはお忍びにまで着て行ってしまう甚平は、貴族たちには大いに不評であったが、隣国からこれまでとは比べものにならないほど安価な布地が大量に輸入されるようになると、一気に庶民の間に広まった。
とにかく涼しい。とにかく楽だ。それでいて、作業の邪魔にならず、色といい形といい凛とした風情がある。
いまだ「あんなもの」と扱き下ろしている、とある貴族が、それを着て寛ぐ時間をこよなく愛していることを、私は知っている。