ある皇帝の追憶①
私には味方が少ない。いや、少なかったと言っておこう。
海と共に生きる我がフカラス帝国で、もっとも歓迎される魔法属性は、風だ。何と言っても、帆船を自在に操れるからな。
次に水。荒れた海を静めるのはさすがに無理だが、一瞬でも舵が効いたり、飲み水が確保できるのはじつにありがたい。
光もいい。灯台がそうであるように、皆の希望になるし、実際問題、夜でも嵐の中でも仲間の船を見失わずに済む。簡単な連絡にも使える。
海風や海水で冷えた体を温められる火も、光に次いで喜ばれる。
使い手が圧倒的に多い四大属性の中で、土の魔法がいまいち不人気なのは、やたらの場所に井戸を掘っても、塩辛い水しか出ないからだろう。それでも使えるだけよい。
そうだ。どんな属性であろうと、魔力があるだけマシなのだ。
教会には完全に異端視され、その口を噤む代わりに、毎年、馬鹿げた額の布施を要求されているが、我が帝国には、海神に祈りを捧げる巫女がいる。
どれだけ立派な船を造ろうと、船底のすぐ下は、すべてを飲み込む暗く冷たい海なのだ。その恐怖を拭い去るための祈りは切実なもので、皇帝と言えども、船乗りたち、そして、その帰りを待つ家族たちに、信仰を捨てさせることなどできはしない。
その巫女が、私の誕生に立ち会い言ったのだ。「この御子には魔力がまったくない」と。
皇帝が恐ろしい存在であることは、仕方のないこととして、母にまでいない者として扱われるのは、誰がどう考えてもひどい話なのだが、いまにして思えば、彼女は彼女でつらい立場だったのだろう。なんといっても、魔力なしの子を産んでしまったのだから。
唯一の味方だったマクエス卿は、私が物心ついた時にはすでに側にいて、何くれとなく世話を焼き、教え導いてくれたが、彼でさえ私が皇帝になるとは露ほども思っていなかった。
もっとも、序列が低いのも悪いことばかりではなく、私はマクエス卿によって、比較的気軽に外へ連れ出された。
フカラス帝国の男は、海の男ということで、早々に船に乗せられたし、その場所に限っては、荒っぽい船乗りたちの言葉を真似しても咎められず、潮溜まりで泳ぎを教えられたりもした。
また、この若き叔父の屋敷に行くと(すべては憐憫からだったといまならばわかるが)夫人や令嬢たちが、代わる代わる私の相手をしてくれた。
いまにして思うと彼は、女ばかり五人も令嬢が続いているのに、(さすがに私とは年が釣り合わないので)もう一人くらい娘を儲けて、私を侯爵家の婿に迎えようとまで考えてくれていたようだ。
しかし、そうするにも、毎年入れ替わる帝位継承順位の、せめて中程に食い込まなくては話にならない。
私が三歳になった年、マクエス卿は、私を国外に連れ出した。
訳がわからないなりに、自分の為に行われていることだと理解し、しかし、私ができることと言えば、見知らぬ大人たちの前で、大人しくしていることだけだった。
移り変わる車窓の景色に、心躍らせなかったと言えば噓になる。男子というものは例外なく、乗り物が好きである。
帝国の男としては船がいちばんであるが、馬も捨てがたい。しかし、仮にも皇子であり、その年齢を鑑みれば馬車に乗せられるのが当然。
地面の上にいる分、危険は少ないし、船酔いの洗礼はすでに受けているのだ、馬車ごときに酔うはずもない。あのガタガタとした振動は、いまだ好きになれぬがな。
私は三歳にして、侮られるということがどういうことが骨身にしみた。
皇帝やその妃たち、兄たちに無視されることが当たり前になっていた私も、他国の貴族たちに門前払いされた時は、さすがに矜持が傷付いた。
当時は、そこまで明確に自覚したわけではなったが「なぜ、この程度の身分の者たちに」と、悔しかったことだけはよく覚えている。