穴
筒に丸めて入れてある大判の薄紙を取り出し、水筒の水で濡らした布の上に一度おいてから石碑にぺたりと貼り付ける。こうすると、べちゃべちゃになりすぎずに程よく薄紙を濡らすことができるのだ。
ケースからタンポを取り出しインクを含ませて、ぽんぽん、と石碑にへばりついた紙を叩く。黒色の染みがだんだんと隙間を埋めるように広がってゆく。
拓本を採り終わると、紙をはがして折り曲がらないように慎重に布の上に広げる。筒の中でほかの紙にインクが移らないように、布で挟むのだ。
石碑の表面に汚れや苔、地衣の類が付着していなかったのは助かった。誰かが掃除しているのだろう。おかげで予定よりも早く作業が終わった。もし、汚れていたら持ってきたタワシでまず掃除してから拓本を採らなければならないところだった。
裏側に何か書いていないものだろうかと、念のために回り込んでみる。シダが生い茂ってる上に、折れ木が重なり合っていて進みづらい。目の前のこんもりした岩の上へよじ登ってシダの群から逃れる。カンテラを高く掲げて石碑の方を確認してみるが、やはり何も書いていないようだ。表側と違って裏側は酷く汚れている。乾燥した地衣類がカピカピになってへばりついている。
少し落胆しながらも、石畳が整備されている表側に戻ろうと、足元を照らすと、岩と地面の間に何か、キラリと光るものを見つけた。気になってカンテラを何度か振ってみると、反応するようにキラキラの何かも光る角度を変える。
「はあ、なぜ俺はいつもこうなんだ」
自分の好奇心に対して諦念にも似た感情を抱きながら、岩の上から、シダを避けながら慎重に降りる。しゃがみこんで顔を近づけて見てみると、どうも地面に埋もれている岩と先ほどまでスペートが載っていた岩の間に隙間が空いていて、キラキラの何かはその先の空洞にあるようだ。
何とか先ほどまで自分が載っていた岩を横にずらせないものかと、押してみるが簡単には動かない。手に粉っぽいざらざらがついて不快さを覚えるも、スペートは自分がうきうきしているのを感じていた。
幸い、岩はどうにもならなさそうなほど重くは見えない。スペートのおへそくらいの高さで球形に近い楕円型だ。左側から押して右側に倒す作戦が見込みがありそうだ。左手に回り込んで、再度押してみる。すると、ちょっとの引っ掛かりを感じながらも岩はきれいにごろりと転がった。
――なんと、岩の下にはぽっかりと穴が空いているではないか。腰くらいの深さで、地面に埋まっている岩の反対側に向かって下り坂になっている。
隙間があったちょうど真下らへんに小さなくぼみがあって、そこに水が溜まっている。先ほどのキラキラの正体はこれだったに違いない。
穴の底に降りて下り坂の先を見てみると、人が這っていけるくらいの大きさの穴が続いている。先に行くほど、だんだんと広くなっていっているようだ。カンテラで照らしてみても、終わりが見えない。土にまみれた細い木の根や草の根が天井からたくさん降りているのを見て、スペートは汚れるのを一瞬躊躇したが、意を決して中へ入って行った。
最初の方は膝をついて這って行かなければならなかったが、思っていたよりも早く立ち上がれるほどの広さになった。土っぽい空気に噎せながら、今更ながらも良くないガスは溜まっていないだろうかと心配しだす。くんくんと辺りを嗅ぎまわって、「よし、異臭はしない」と無理やり自分を納得させてさらに奥へと進む。
しばらくすると、チロチロと水の音が聞こえてきた。
「なるほど、ここらの木立に水を供給している地下水流かい?」
右に弧を描いている角を曲がると、予想した通り、地面が水没した大きな空間に出た。金色に輝く石が水底に無数に転がっている。
「金かっ…!!」
勢い込んで飛びつく。一つを拾って確かに金属の光沢があることを確かめると両手を振り上げて歓喜の叫びをあげた。
「よぉーーっし!!これを持ち帰れば一財産じゃないか!!」
鞄の中身を地面にぶちまけて夢中になって金を詰め込む。
「これでもう働く必要はない!最高じゃないか……あ、でもリリに会えなくなるのは嫌だな…うーん、この金を売った金で自分の店でも買うか。露店で続けるのは厳しくなってきたしな」
気分が高揚し、幸せな想像がどんどん膨らむ。
金の塊の一つを拾った時のことだった。どこか、違和感を覚えて鞄に機械的に入れていた手を止めて、じっと見てみる。
「なんだ…?」
どこにもおかしなところはない。黄色の金属。ツルツルとした表面。普通の岩とは違って直角に折れ曲がった鉱物特有の形……
「ああ、そうだ!なんて馬鹿なんだ!これは金じゃない、黄鉄鉱じゃないか!」
黄鉄鉱――愚者の金とも呼ばれる金色に輝く鉱物。加熱すると有毒ガスが出ることで知られ、それでも何とかそこに含まれる金を取り出そうと、国が主導して研究したものの、鉄の一種であることが判明した話はあまりに有名だ。
盛り上がっていた気分が一気に冷め、手に持っていたもはや何の役にも立たなくなった石をぽいっと脇へ捨てると、スペートは放心したように壁に凭れ掛かった。
「はあ、期待した俺が馬鹿みたいだ…」
焦点が合わない目で魂が抜けたようにしばらくの間、座り込むスペート。
「……いつまでも呆けていられないよな。帰りの馬車の時間もあるし」
鞄に詰まった石を取り出し、地面に散らばった道具を中へ詰め戻す。
「ふむ、ここまで来て何もせずに帰るのは癪だ。この空間を見てから帰るか。お前さんはがっかりさせないでくれよ…?」
裸足になって水の中に入る準備をすると、その奇妙に反響する洞窟へとスペートは足を踏み入れた。
黄鉄鉱……二硫化鉄の鉱物としての名。