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無辺際の箱庭で  作者: 衍始
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石碑

 翌日、スペートは隣の小さな町に向かう乗合馬車に揺られていた。人口が少ない町への便の為、一週間に一度しか出ない。その町の外れにある石碑の拓本(たくほん)を採りに行くのが目的だ。

 正面の子供が真ん丸な目でこちらを凝視してくる。周囲の大人たちは特段スペートのことを気にしていないようだ。…いや、関わらないように()()()()いるのか?誰もが話さずに黙りこくっている。

 胴は醜悪(しゅうあく)な姿をしているが、二十歳になったばかりのつるんとした肌のこの顔はそこまで悪いものではないとスペートは自負している。子供に少し微笑んでみるが、そのとたん、子供は両頬を下に引っ張っるように顔をゆがませて母親の腕にしがみついてしまった。

 気まずさを紛らわすように、目の前の宙に想像の文字を思い浮かべて、それらをこねくり回して遊ぶ。ここの筆画(ひっかく)は――もう少し波打たせた方がいいな。この文字は――ひとつ上に書いた文字を太くて力強い書体で書いたから、リズムを作るために細く小さくした方がいいな。


 カリグラフィーは本当に奥が深い。学習を進めていくほどに、そして一字一字の微細な特徴と向き合っていくほどに、今まで見えなかったものが見えてくる。

 例えば、字の左側を間違えてあらぬ方向・角度に書いてしまったとしても、右側をどう書けば、全体の均整が取れて、美しい文字となるのかが感覚的にわかるようになるのだ。

 大小、太細(ふとほそ)粗密(そみつ)潤渇(じゅんかつ)、複数の要素が調和して初めて、美しい記号列が仕上がる。

 修練を積んで、一字一字の微細を覚えていくと、最終的には目の前に紙がなくとも、字をはっきりと思い浮かべることすらできるようになっていく。そう、さながら完全記憶のように。

 一度、耳が聞こえぬ聾者(ろうしゃ)はどのようにして“考えて”いるものかと疑問に思ったことがある。健常者は普通、音を脳内で再生して思考するものだ。人間というのは文字よりも音を先に、赤ん坊の時に学ぶものだからだ。本当に脳内に音が流れる者もいれば、発声の際の舌の動かし方や咽頭(いんとう)らへんの触感を思い浮かべて、“考えて”いる者もいる。当然、音を知らぬ聾者にそのようなことは難しいだろうと疑問に思ったのだ。

 聾者は言語を本などに書かれている文字を通じて学ぶと聞く。ならば、彼らはもしや音を脳内で再生する代わりに、文字を思い浮かべて“考えて”いるのではとスペートは考えた。普通では目の前にまるでテロップのように文字が流れて、それで“考える”人間というのは極度に珍しいはずだ。しかし、スペートは長らく書を続けたが(ゆえ)に、文字優位の思考法をするその稀有(けう)な存在になっている。腐らずに修練を続けた賜物(たまもの)である。

 スペートの習得した書体は多くはないが、その分一つ一つの書風と丁寧に長い間向き合ってきた。おかげで誰よりもその神髄(しんずい)を理解しているつもりだ。

 今向かっている石碑は200年ほど前、魔法が使える最後の世代がまだかろうじて生き残っていた頃の作品である。この時代の書風にはまだ触れたことがないので、新流派への開拓となる。

「ほら、お客さん。着いたよ。」

 御者が声をかけてくる。ちょうどよく時間つぶしになったようだ。近くのの町なので数刻しか時間がかからなかったのが(さいわ)いした。

「ありがとう。すみません、前通りますね。」

 町の方向への分岐点で降ろされる。町までは右側の分岐へあと十分ほど歩かなければならないが、町へは向かわない。夕方の帰りの便に間に合わせるために、町はずれの石碑に直接向かうのだ。

 道を外れ、道なき道を進む。繁茂(はんも)した膝丈の草がガサガサと邪魔をしてきて進み(にく)い。涼しい季節でよかった。夏だったら虫が舞っていてうざったかったに違いない。

 石碑は町より少し南に下った木立(こだち)の中にあるそうだ。今、町の西にいるのでこの草原を斜めにショートカットして小さな丘を越えた先にある。

「ゴーン、ゴーン、ゴーン…」

 と鐘の音を聞いて顔を上げてみると左手に教会の尖塔(せんとう)が顔を覗かせているのが見えた。そうか、もう昼か。着いたらまずは飯にしないとな。


 隆起(りゅうき)のある草原とは違って木立の中は平坦で歩きやすい。土壌の保水性がいいのだろうか、あるいは近くに水源があるのだろうか、シダが生い茂っている。高い木の葉で木立の中は暗くなっている。まさかここまで光が遮られているとは思いもしなかった。昼間だというのにまるで夜のようだ。行ったことのある人に話を聞いて父のカンテラを持って来ておいてよかった。

 石碑は以外と簡単に見つけられた。もともとそこまで大きくない木立だったうえ、地面に石で敷かれた道があったからだ。辿って行けばすぐに見つけることができた。真っ黒な玄武岩(げんぶがん)質の縦長の石でできている。スペートの身長の1.3倍ほどの高さだ。上の方はもしかしたら手が足りないかもしれない。台石(だいいし)に腰を下ろしてカバンの中からパンを探そうとするが、暗くて見づらいことに気づく。ポケットの中からマッチを取り出し、カンテラを点けてから、ようやく持参したパンを見つけ出し、ほおばる。切り込みを入れて間に例の野菜を詰めてある。普段は嫌っている辛味(からみ)も今日は気持ちがいい。

「さて、お前さんにはどんなことが書いてあるんだい」

 パンを食べ終わって、カンテラを掲げて石碑に向き合う。石碑には手のひら位のサイズの文字で、4行にわたって何かが書いてあった。拓本(たくほん)に使う大判の紙を多めに持ってきたが、この分だと一枚で足りそうだな。

「全ての……種…いや、これは実生(みしょう)だな…と草本(そうほん)木本(もくほん)よ……」

 石碑は現在スペート達が使っているのと同じ文字体系で書かれてはいるものの、文法や語彙が古典に分類される別のルールに(のっと)っているため、解読のような作業をしながら読まなければいけない。120年前に抜本的(ばっぽんてき)な教育制度の改革がなされてから、識字率や国民の知識レベルは著しく向上したが、と同時にそれまでの国語を読む能力が失われてしまった。今ではよほどの高等学府でもない限り、古典は教えない。

「だめだ、わからん。解読は帰ってからにしよう。」

 スペートは内容の解読を早々にあきらめると、拓本の作成に取り掛かった。

拓本(たくほん)……石碑などの表面に紙をはりつけて、墨を付けたタンポで上から叩いて、(きざ)まれた書作品を写し取ること。

潤渇(じゅんかつ)……(うるお)いと(かわ)き。インクや墨の薄い部分と濃い部分。(かす)れとはっきり印字された部分。潤()とは異なる。

聾者(ろうしゃ)……聴覚障がい者のこと。

カンテラ……西洋風の手提(てさ)提灯(ぢょうちん)

実生(みしょう)……発芽したばかりの植物。

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