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無辺際の箱庭で  作者: 衍始
4/6

朝食

 まだ日が昇りきらない頃、スペートは朝に残る夜の寒い空気で目を覚ました。寝起きでよく回らない頭をふり絞って“やるべきことリスト”を頭の中に作成する。そうだ、明日が隣町に行くための乗り合い馬車が出る日だから、その準備をしなければ。溜まっている服をきれいにしないとな…。あとは……そうだ!昨日の晩、ご飯を食べていないから、今から食べなければ。

 むくりと起き上がると、台所に向かい、昨日の朝に汲んでおいた桶の水で顔を洗う。スペートの家の台所はかなり低い。背中の悪いスペートでも物を切るときに力を入れやすいように作ってあるのだ。(ひつ)の中から人の頭ほどの、玉ねぎのように球状に折り重なった葉物野菜を取り出し、外側の葉を四枚はがし、重ね丸めて千切りにする。以前は球の端から刻んでいたのだが、それだと断面から早く傷んでいくことに気づき、この方法に変えたのだ。何回もはがして球が小さくなってきたら、端から刻んでいくことにしている。芯の部分は食べやすいように、意識して薄く切る。

 小鉢を二つ用意し、片方に甘酢と出汁(だし)を入れる。この出汁は液体状のもので、少し濁った黄金(こがね)色だ。粘性はない。木のような不思議な香りと、舐めてみるとよだれがたくさん出てくるこの深みのある味は、やめられなくなるから危険だ。直接舐めてはいけないという自分ルールを作っている。元は海草と鳥の骨からとって煮詰めたものらしい。言われてみれば磯のような香りもするから納得だ。

 この出汁は街の中心の方の、「調味屋」で売っている。二百年も続いているという老舗(しにせ)だ。他では売っていないので、毎回切れそうになった頃に買い足しに行っている。両親が死んで、一人で料理を試行錯誤していた時に見つけたのだ。ちなみに甘酢に使うお砂糖もそこで買っている。

 気候によっては、砂糖が高価で手に入りにくい国もあると話には聞くが、ここら辺ではそんなことはない。糖の蜜が取れる野菜はかなりの量生産されている。加工が少し面倒なため、普通の調味料と比べると割高だが、それでも手に入らぬほど高価というわけではない。

 もう片方の小鉢には甘酢と練った発酵豆を入れる。調味屋の主人に説明してもらったが、スペートには「発酵」という概念がよくわからなかった。何でも、「いい腐り方」のことらしい。確かに、味は単なる練り豆とは全く違う。豆本来の甘味が抑えられて、塩気が増した、とでも表現するべきか。いや…これは塩気だけではない。濃い味が凝縮されてるのだ。要は“辛い”のだ。直接は舐めれない。スープなんかに入れて使う。今回は甘酢に溶かして使う。ペースト状になっているそれを甘酢の中に棒で攪拌(かくはん)しながら溶かし合わせて、均一にしていく。

 一旦、葉物野菜の千切りと二つの小鉢をテーブルの上に持っていって台所を開ける。フライパンのそこに薄く米を張り、水をその十倍ほどたくさんいれる。(かゆ)を作るのだ。下の(かまど)(まき)を入れてマッチで火をつける。どのみち朝食後に家を出るし、長時間火を使うわけではないので、薪は細いものを使う。スペートは火起こしに木屑(きくず)の類は使わない。薪の端の方をナイフで何枚も層状に薄くささくれ立たせて、そこに火を移すのだ。

 粥を作る時には蓋をしてはいけない。これはスペートの発見だ。特に、フライパンのような底の浅いものですると、上に重しでもしない限り、大部分が吹きこぼれて台無しになる。

 待ち時間の間、長椅子に座って千切りを小鉢にディップしながらもしゃもしゃと食べる。ちなみにこの野菜に何もつけずに食べるのはあまりお(すす)めしない。舌をちくちくと刺激する辛味があるのだ。食べれない、というわけではないのだが、単にそのままだとおいしくないのだ。

 この野菜は一玉でかなりの量になるにも関わらず、かなり安い。半銅貨一枚で買えるのだ。紙の仕入れ値を差し引いて考えると、色紙の手紙を二枚書けば買える計算になる。…もうちょっと代筆を値上げするべきだろうか。

 様々な野菜を満遍(まんべん)なく買うように心がけているスペートだが、この野菜を買わぬ週はない。今週は、昨日買ったばかりなのであと三日ほどは食べ続けることになる。

 甘酢も愛用だ。両親が他界して、食に関して不摂生(ふせっせい)をしていた頃、客に

「甘酢を飲むといい。甘酢はいい。砂糖は元気を与えてくれるし、酢は体の調子を整えてくれる。甘酢を飲みなさい。」

 と、言われたのをきっかけに使い始めた。よもやこんなに続くとは思いもしなかったが。


 四半刻ほどかけてゆっくりと食べ終わると、薪の火がいい感じに大きくなり、粥の水も沸々(ふつふつ)と泡立ってきた。味付けのために先ほどの出汁をひと回し。煮立っていた泡たちが一斉に引いていき、しばらく経ってからまた(うかが)うように顔を出してくる。かわいい奴らめ。

 ふむ、米だけというのもさみしい。今日の粥にはなんの野菜を入れようか。頭の中に、今家にある野菜たちを思い浮かべながらしばし考える。

 よし、今日は「ねばねば粥」にしよう!(かご)に放り込んであった茶色の油紙をはだけさせて、中から六角柱状の緑色の野菜を三本取り出す。小さな白い毛がたくさん生えたその表面はザラザラしていて、まだ粘々(ねばねば)じゃない。包丁でヘタを落とし、輪切りにしていく。この野菜は隔壁で仕切られた六つの部屋に種が詰まっていて、そいつらがいい感じに粘々なのだ。ザクザクと輪切りにする(ごと)に、内側から扁平(へんぺい)の白い種が透明な糸を引きながら零れ落ちる。包丁の腹にすべてを乗せ、フライパンの中に放り込む。

 芋も入れよう。粘々を出す芋というのもあるのだが、これは違う。切ってみるとその少し灰色がかった断面は粘々しているようにも思えるが、どちらかというとこれは“ねちょねちょ”だ。芋の繊維と芋のデンプンが入り混じって粘々しているように感じるだけだ。こいつを…今からだと少し遅いので、火が通るように小さめに切る。この芋は火で溶かすとほんのりとした甘さがあって、また美味いんだ。

 具を入れ終わったところで、先ほどの片づけを行う。球状の葉物野菜を上下に振って水切りしてから、(ひつ)の中に戻す。スペートが使っているのは人肌の色をした木製の櫃だ。母親が生きていたら、

「そんな水気の多い野菜なんかを何日も櫃に入れるんじゃない!!」

 と怒りそうだ。接触部分がかびてしまわないように布を敷いてから、その上に野菜を安置している。陶製やガラス製の櫃を買うべきなんだろうが――いや、そもそも野菜を何日も櫃に入れるべきではないのだろうが、スペートはこの櫃の香りが大好きでずっと使っている。

 桶に入っていた水に手を突っ込んでごしごし洗ってから、全部捨て、家より二分の所にある共用の井戸まで水を汲みに行く。この水は明日の朝まで使うものだ。

 帰ってくると、そろそろ粥が大詰め。米は膨れ上がり、水量は少なくなってきている。底の方を木べらで搔いてやらないと焦げ付いてしまうから注意だ。

 ――コトコト、ことこと。ぷつぷつ、ぷつぷつ。コトコト、ことこと。ぷつぷつ、ぷつぷつ。

 スペート好みの水量が少ない粥になるまでじっくり待つ。頃合いになったら、丼によそう。

 さぁ、お待ちかね。


 ――ほぅ。うまい。なんて甘いんだ。体があったまる……。

 これで今日も一日頑張れそうだ。

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