九十七話
第三勢力?
カゲツの裏返りそうな声音に、サンは頷いてから炎魔とカゲツの目を見た。
「俺は自分が龍人になった理由をずっと考えてた。俺よりも強く戦神の力をうまく扱える者は大勢いる。蒼龍将だってそうだし、炎魔だってそうだ。それなのに、なぜ俺なのか。そして一つわかったんだ。蒼龍将と漣豪雹は互いに受け入れる余地がないけど、俺は違う。ただ大切なものが手を取り合っていければそれでいい。だから、憎いものでも手を取り合い、蒼龍将と漣豪雹にも手を取り合って欲しいと思ってる。それがヴィアドラの、俺の大切なものの場所になるから。俺は、互いを壊し合うものの間に入ることができると信じてる。だから、戦神は俺を選んだんだ」
「まさかお前がそこまで頭足らずだとは思わなかったよ。もはや話し合いで済む状況じゃないんじゃないの」
「いや」
カゲツの言葉を炎魔が遮った。
「人がもたらす結果は、元を辿れば感情からくるもんだ。国を護るだのなんだのと大層論理的なことを言おうとも、始まりは感情だ。感情が動き、思考が動き、行動が生まれ結果が出る。その感情を理解せずに思考し結果まで進んじまうから全てがもつれるわけだ。なら、力ずくで根元である感情を向き合わせれば、違う結果を生み出せるかもしれない。試す価値はあるってもんだ」
「感情同士でぶつけたって、それこそ戦争にしかならないでしょ。あなた達の言ってることは理想論に過ぎない」
「あぁ、理想だ」サンは目を堅くつむり、再び開いた目に炉の炎のような消えない光を湛えてカゲツをみる。「理想を信じて進まず、どうやってそこにたどり着けると言うんだ。幸い、俺には戦神の力がある。その力で、この戦争の首謀者である二人を話し合いの場に引きずり込むんだ。だから――」
拳を握るサンの視線を受けた炎魔は顔の前で手をひらひらとさせて背を向けると、酒瓶を手に持って呷った。
「嫌だね。お前の言いたいこともわかる。蒼龍将、あいつの気持ちもわかる。漣豪雹のヴィアドラの未来を想う気持ちもわかる。俺は、お前のように何かを変えるつもりはないんでな。風に揺れる炎ってところだな。だが、風は選ばせてもらう。どの風に揺れ、燃え上がるかは俺の自由」
ほんの一呼吸ほどの沈黙を、いつからいたのか、開いた窓の欄に止まっていた大きな鴉が一声鳴いた。羽ばたき灰色に染まった空に飛び立っていくと、サンが口を開いた。
「その風が俺じゃなければ、誰なんだ炎魔。親友のあんたの言葉なら、蒼龍将は耳を傾けるかもしれない。國から離れたあんたを呼び寄せたのは蒼龍将だ。可能性はある」
「お前は昔のあいつを知らないだろ。もうあいつは折れてるんだよ。あいつはこの戦の後を見ていない。皇燕ノ國で、あいつは俺に〝舵取りはお前に任せる〟って言ったからな。それが全てだ。あいつは、今引き連れてる氏族や烈刀士の築く未来を見ちゃいないのさ」
「なら、あんたが選んだのは」
カゲツが、無駄骨か、と口を零して部屋の外に向かって歩き始める。しかし、サンは後を追わずに炎魔の答えを待った。そして、カゲツが戸に手をかけながら大声で「もう行こう」と呼んだのをサンは手をあげて応えた。
サンは炎魔を真っ直ぐと見据える。
「俺は、鬼と人が争わないようにしたい」
炎魔は興味深そうに目を細めて片笑みを噛みしめる。
「ヴィアドラじゃあ、頭がおかしい奴でもそんなことは言わないな。ましてや龍人がそんなことを言ったと知れれば」
「狂った、だろ。だけど、本気なんだ」
炎魔はサンの目を見据えて首を傾げた。
「なるほどな、そこまで思わせたのは何があってのことか」
「話せば長くなる」
「だろうな。だが、俺は理解できる」
サンは訝しむ。この男は話を聞いているのかいないのか、調子のいいことばかりを言う。
炎魔に背を向けて、漸くカゲツのところにやってきたサンに、カゲツは眉を寄せた。
「なに話してたんだ?」
「最後の足掻きで頼んでみただけだ。なんでもない」
へぇ、と言ったカゲツはひと呼吸ついてから「これからどうするつもりなんだい?」と廊下ですれ違う仲居と会釈を交わしながらサンに訊いた。戦だ、と短く返した言葉にカゲツは足を止めるも、それ以上は何も言わずにサンの後についた。
曇天の空は重く、街の中を行進する軍を見る民の心を写しているかのようだった。
具足を纏い、槍を持つ兵士達は誰もが若かった。自分達よりもいくつか下の年齢の兵士達から感じる静かな、それでいて刺々しい空気にサンとカゲツは首を傾げる。そしてある音を聞いて、それが聞こえてくる遠くの大門を見やる。
それは戦の開始を告げる太鼓の音だった。力強く間遠から聞こえてくるその音は、まだ規則的に鳴らされているだけだった。サンとカゲツが兵の列の横を駆けて、壁のように重々しく開いている鉄の大門から外に出た。緩やかに下っていく坂の先には港が広がっている。そこに、川底で光る魚のように、海の地平線に煌めく並みのように銀光がちらついていた。
あれは槍だ。そしてその槍の光は巨大な蛇のようにうねうねとしており、右へ行く列、左へ行く列と幾つも見て取れた。あれは陣形を作るために動いているに違いない。そう考えたサンは、後ろを蹤いてくるカゲツと並んだ。
「カゲツ。第三勢力とは言ったが、お前はくるな」
カゲツの予想通りの表情に、サンは苦笑した。そしてカゲツの言葉に被せるように続けた。
「烈刀士と元老院の話し合いがなくちゃ戦争はおさまらない。だけど、蒼龍将と漣豪雹は憎み合ってて話し合いの場は設けないだろう。豪雹からしてみれば、反乱分子を一掃する千載一遇の好機のはず。蒼龍将は、兄の仇を討つ好機。机の上で話し合いができないのならば、この戦場でさせるまでだ。その戦いの間に俺が入る。龍人の力がある俺ならできるはずだ。だけど、カゲツ、お前は違う。いくら秘術の扱いに長けて羽衣を纏えるようになったとはいえ、巻き込まれれば命はない。お前は、死ねないだろ?」
「ならお前は死んでいいっていうのかい?」
カゲツの憤慨した声音に、サンは申し訳なさそうに微笑んだ。
「そういうわけじゃない。お前には子供が」
「関係ないよ。そうやって、また一人で突っ走るつもりかい? お前が死んで誰も悲しまないって思ってるのかい? お前が今やろうとしているのは、お前が大嫌いな犠牲ってこと理解してるんだろうね」
カゲツのその言葉に、サンは意表を突かれ黙り込んだ。
確かに、もとより死ぬ気はないが死なないとは限らない。自分が死ぬ可能性を考えていなかった。犠牲になるのなら、それは間違いだ。犠牲になったところで、大切なものは悲しむ。師匠が俺の人生のために夕黒として金を稼ぎ死んだときのように、誰かを悲しませる。それは間違いだ。だから俺は、誰も悲しませないように、犠牲にならない本当の強さを探して生きてきた。だけど、それをどうやら忘れていたようだ。それでも。
「理解、してなかった。だけどな、今回ばかりは無理だ。賢者の時よりも熾烈な戦いになる。了解できないだろうけど、一つ頼みを聞いてくれ」
カゲツは顔を強張らせサンの言葉を待った。
「元老院側は、バルダス帝国の支援があると思っている。これは帝国の将軍ミュルダス本人が援助のことを言っていたから本当だ。元老院が烈刀士と戦うことを決意したのも、帝国の後ろ盾あってのことだと思う。だけど、俺はミュルダスと取引をした。この支援を取りやめさせたんだ」
「取引……」
「なに、ちょっと剣を交えただけさ。それは重要じゃない。カゲツ、頼みってのは漣豪雹にこのことを、軍の上層部にでもいい、伝えてきてくれ」
「まったく、勝手なことを言うね。人質になったらどうするんだ。そもそも信じて貰えないかもしれないじゃないか」
「陣営に帝国の援軍が来ないことを言いふらすのもいいかもしれないぞ。士気が下がれば上も考えるかもしれない」
カゲツはまるで遠くのものを見るような目で俺を見ると、笑った。
「だったら、そっちはなんとか戦いが始まらないように引き止めておいてよ」
そう言って、カゲツは足を止めて兵の列の中に何かを探すように方向を変えた。サンはその姿を横目で見送ると、鋭く息を吸って気を引き締めた。
港に着く前に脇道に逸れると、太鼓の音が少しだけ間遠になったような気がした。荷物を下ろして烈刀士の黒い戦装束を取り出す。これから戦うことになるかもしれない。それならば、できるだけしっかりとしたもので戦うべきだし、それよりも俺は烈刀士なのだ。廉潔なる初志を成就し、戦乱という危機からヴィアドラを救う。それが烈刀士、ならば纏うべきだ。
たっつき袴まで着終えると、角帯に刀を差して何も考えずに下緒を帯に絡ました。二本の愛刀〝心・通〟の柄に手を沿わせ深呼吸する。肌を撫でる銀糸の滑らかな感触に微笑んだ。衿に指を沿わせ、これを纏った時のことを思い出し口を綻ばせる。どういうわけか己に宿った戦神と先代の龍人の魂。強くなりたいと願って手に入れた力。今更ながら、なぜ俺が龍人なのだろうと考えた。だけど、星の光る空の黒い世界のことを考えるように、終着点が見つからないことを悟るとその思考をそっとしまった。今は、守るべきもののために戦いに赴くのだ。ロジウスおじさん、ツバキおばさん、キリ師範、ジゲン師範代、カイロウさん、シブキさん、明水、燠雀、鬼火、ライガ、カゲツ。皆が俺を支えてくれたんだ。それを俺が守る。師匠、見ててくれ。本当の強さはまだわからないし、師匠が選んだ自己犠牲もまだ許せない。
だけど、今ならなんとなくその気持ちがわかるような気がする。




