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Belief of Soul〜愛・犠の刀〜  作者: 彗暉
第十六章 皇燕の片翼
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九十六話

 バルダス帝国のプルーシオンは、全長六十ビールはある。これは、檣を三本もつ比較的大きな帆船と変わらないものだったが、帝国のプルーシオンは甲板狭く、船体の大部分を海の中に隠しているため、見た目は実物よりも半分以下に見える。それでも、港の近くに行くには少々目を引く外見をしているため、漁師や巡視船に騒がれないように小型艇で岸に近づき、河を上がることになった。

 六人乗りの小型艇に乗り込み、波を越えながらたどり着いたのは〈龍流(りゅうりゅう)京〉の玄関である港から、大きく南に迂回した開拓もされていない岸だった。サンが岸に降りると、ここまで案内してくれたバルダス兵はさっさと岸から離れ、河を下っていき、間も無く豆粒ほどになっていった。

 小一時間も歩かないうちに〈龍流京〉の玄関である港の大門にたどり着き、烈刀士(れっとうし)ノ砦の壁にも劣らない拒絶を体現したかのようなそれを仰ぎ見た。かつて、ここが人と鬼の争いの最前線だったのだ。死鬼の記憶の中ではここから東の河を渡り、アイラ=ハーリトを虐殺した。そして、その争いで烈刀士が誕生したのだ。それが、今では人と人の、ヴィアドラの同胞同士の争いの最前線になっている。


「おい、お前。顔を見せろ」


 サンは門番の言葉に、笠の顎紐を緩めて外して見せた。六尺棒を持った門番は、付かず離れずの絶妙な間合いでサンの周りを一周しながら、背中に背負っている刀を指差した。


「二刀流か。どこの流派だ」


「これは骨董品でして、ただの売り物でございます。刀の扱いなど、知りません」


 小型艇に揺られながら考えた嘘が淀みなく口から滑り、自分の言葉に笑いそうになった。


「どこからきた」


海桜(かいおう)湾にあります海桜町から、死んだ父のものを整理しに参ったのです」


 門番は隠すことなく顔を軽蔑に歪ませて、罰当たりめ、と唾を吐いた。


「どこか、良い骨董品店は知りませんか?」


「知らんな。親の形見を売り払うたぁ、世も末だなまったく」


「背に腹はかえられませんゆえ。聞いた話じゃ、ここらで戦争も起きそうだって話じゃ無いですか」


 門番は、東の河の方――大門から真っ直ぐを顎で示した。


「あっこで、軍と烈刀士が睨み合ってんのさ。やっと帰ってきた英雄も、今じゃ酒に呑まれた落ちこぼれ。ヴィアドラはもう終わりかね」


「へぇ、英雄が。龍人とは違うんですかね?」


 自分の言葉に、俺は笑いそうになった。俺が龍人なのだから、違うに決まってる。このどっかの父親を亡くした青年の役も板についている気がする。

 サンの素っ頓狂な顔を見て、門番は何か言いたそうに口を開いたが、それを飲み込むと首を振って、門扉を指差した。


「田舎もんに言ってもわかりゃしないだろ。行け」


 サンは、英雄の名を引き出せなくて内心舌打ちしたい気分だった。だけど、ここで変に怪しまれるのも良くない。門番が話したその英雄は、きっと皇燕の片翼と呼ばれた朱雀炎魔に違いない。


「へい」


 サンは首をへこへこと下げながら門番に挨拶をすると門扉を潜り、眼前に広がる押し付けがましい京の街の喧騒に胸焼けを起こし、鼻を啜った。


「さぁ、英雄さんはどこにいるのかな」


 そんな大儀な言葉を裏腹に、ミュルダスには感謝だなと独白した。ミュルダスは、わざわざ炎魔が蒼龍(そうりゅう)ノ國にいることを教えてくれたのだ。皇燕(こうえん)ノ國まで無駄足を踏まなくて済んだが、この広大な京の中から炎魔一人探し出すのは骨が折れる。

 街の中を歩いていると、張り紙を壁に貼り付けている少年が目に止まった。サンは思いついたように眉を跳ねさせて少年に近づくと、裾から銅判硬貨を一枚取り出して少年の顔の前にちらつかせた。


「ここらでいいお花屋さんを知ってるか? とびっきり良いお花屋さんだ」


 その言葉に、少年は目を細めて、えー、とだけ言った。


「いや、俺が別に昼間っから花を愛でようっていうんじゃなくて、人を探しててね」


 少年は、サンの目を見てから擦れた衣服と背中に背負った刀に目を走らせた。背負い袋を見てから最後に足袋をちらっと見て、眉を寄せた。


「お兄さん、ワケありだね。場所は知ってるよ。だけどねぇお兄さん。銅判って、ナメてるの? ここ、どこだと思ってるの。田舎じゃそれでお団子でも食べれるぅとかって子供を丸め込めちゃうんだろうけどさ」


 いや、お前も子供だろう。サンはその言葉を飲み込むのと同時に銅判を裾に戻した。



「ここらじゃ軽い情報だけでも、印銅は貰わないと話にならないよ」


「印銅だって?」


 サンの驚いた声に、少年は腕を組みなら一瞬周囲に目を走らせると、路地裏に行くように示してきた。路地裏に渋々サンはやってきて、少年と同じように腕を組んだ。


「おい少年。印銅一枚ってさっきの十倍の金額だぞ」


「お兄さんわかってないね。ここじゃ、一晩泊まるだけで十半だよ」


 無色(むしき)の晩飯付き旅籠屋の倍以上の金額じゃないか。サンは口をもごもごさせながら、印銅を一枚取り出した。

 だが、少年は受け取ろうとせずに一歩距離をとると、どこか嘲笑じみたものを浮かべながらサンの上から下までをゆっくりと見た。


「その足袋は、戦用だろ。それに、背嚢から見える黒い服。背中に背負った刀。お兄さん、もしかして」少年はそこまで言って首を振った。「俺にも慈悲って門がある。詮索はやめておくよ。でも、お兄さんの探しものは大物だ。そこが問題なんだ」


「いくらだ」


「それが、もう一枚」


 にんまりと黄色い歯を見せた少年に声を上げようとしたが、少年は止まれと言いたげに手を突き出して、今度は手の平を上に向けて、ほいほいと指を動かした。

 呻き声を噛み砕くサンを尻目に、毎度あり、と二枚の印銅硬貨を擦り合わせながら揚々と街中へと消えていった。

 少年に教えてもらった旅館は、それはもう大きかった。三階建で、屋根は反り返って紺色の瓦に燻し銀の陽光を照り返し、黒い木材で造られた本館は街の一角を埋めるほどだった。

 暖簾をくぐった先には罪深き座り心地の椅子や、渓流の彫刻が彫られた机や壺が置かれた大広間があり、その奥には大声でなければ声が届かなさそうな距離に受付があった。大門の目と鼻の先で烈刀士と四國の戦争が起きようとしているのに、煌びやかな着物姿の観光客や長者達が呑気に闊歩していた。

 三歩も進まないうちに誰かに腕を掴まれて、サンは大儀な息を吐いた。


「俺の足下を見て止めるのは結構だが――」


 入り口に立っていたのであろう門番の腕を解こうとする。


「何が足下だ」


 聞き覚えのある声をした門番であろう者が突き飛ばしてきて、今しがたくぐった暖簾を再び潜ることとなった。


「な! カゲツ!」


「な、ってなんだよ。俺をよくも置いていったな。理由は聞かない。またお節介な気遣いでもしたんだろ。いいか、未来を守ることは子供を守ることと同じだ。だから俺はお前についていくと決めたんだよ。それなのに、まったくお前は」


 サンは、転んだお陰で一層みすぼらしくなった服を叩きながら、カゲツに白い歯を見せる。


「しっかりしてるなぁ、お父さん。それより、お前も大金払ってこの場所のことを聞き出したんだな」


 サンは同情するように笑いを含みながら、腕を組んで旅館を見上げているカゲツを見た。

炎魔(えんま)さんがここにいるのは、街の人に訊けば誰でも知ってる。そんなことより、良かったよ。サンが皇燕ノ國に行ってたらどうしようと思ってたところでさ」


 街の人に訊けば誰でも知ってる、か。少年、次に会ったら尻の毛まで抜いてやるからな。サンは清々しい眼差しでカゲツと同じように旅館を見上げた。


「いろいろとあってな。ミュルダスが教えてくれたんだ」


「ミュルダス?」


 カゲツの藪から突っつかれたような顔に、サンは肩をあげて応えると、後で話すと言って再び暖簾をくぐった。

 受付のお姉さんに英雄の話をして門前払いを受けたものの、旧友が来たと伝えてくれと粘った結果、通してくれることとなった。受付のお姉さんの訝しむ表情は、仲居然り、旅館の客までもが同じものを向けてきた。そんな目線を浴びながらやってきたのは、最上階の極上の一部屋だった。

 呑気そうでいて、射抜くような視線を持つ掴み所のない男は、予想通り宴会の海に溺れていた。それはもう大宴会でも開かないと勿体ないくらい広い部屋の一番奥、一段高くなっている所に寝そべり、女達を取り巻きに盃を傾ける皇燕の片翼こと朱雀(すざく)炎魔(えんま)は、その海に溺れることに大層御満悦の様子だった。

 サンとカゲツは、たった一人の男のための宴会を盛り上げる踊り子や楽師の間をずかずかと進んでいき、炎魔の前に立ちふさがった。楽師は奏でる手を止め、絶えず動き続けていた踊り子は部屋の脇に下がり、部屋には堅い沈黙が漂った。


「これは久方ぶりじゃないか。龍人のサン。っと、こっちは初めてだな。お目付役か、それとも従者か」


「お目付役と言われたのは初めてだけど、いい響きですね」


「炎魔。元老院にここまでされてるってことは、あなたは元老院側についたってことか」


 サンは辺りを見回しながら言った。たっぷりと沈黙が流れ、それから更に炎魔が盃に酒を注ぎ呷り、長すぎる沈黙が部屋を流れた。部屋の隅から、沈黙を破る刃物のような拍手が二回鳴った。年嵩の落ち着いた着物に身を包んだ女将だろうかが、無言で皆を部屋から出るように合図していた。ぞろぞろと部屋を後にする踊り子達がいなくなるまでの間も、炎魔は話そうとせずに、寧ろその時間を肴に酒を嗜んだ。襖が閉まる音が聞こえて、ようやく炎魔が身を起こした。


「大層立派になったな、龍人様。元老院についたのかって俺に訊いたな? 答えは否。俺は誰にもついちゃいない」


 サンとカゲツの険しい表情に、炎魔は着崩れた着物の襟を整えながら立ち上がり、襖を開けて窓の外に盃を掲げた。そして満足そうに喉を鳴らすと、二人に振り返った。


「俺がつくのは、ヴィアドラの未来だ」


「烈刀士将でありながらその任を放棄し、十年も國を離れていた人の言葉とは思えませんね。随分と調子がいいのでは」


「手厳しいね、従者さん」


「俺はカゲツです」


「カゲツか。へぇ、月見(つきみ)里出身?」


 炎魔の興味を色濃く宿した目に、カゲツは身を守るかのように顎を引いた。


「それがなにか?」


「いや、月見里風な名前をしてたからな。月見流剣術で有名だが、知らないか」


 サンは肉屋の包丁のようにため息を落とした。


「出身の話なんて今はしてる場合じゃない」


「そうか? 月見里は三十年ほど前まで荘園だった。元老院と戦争を起こし、敗北の末に元老院の配下になった。徹底抗戦したあの里、三十年じゃ世代交代もまだだ。里の子供に、元老院は月見里を縛る桎梏だと教えることもできる。てな訳で、従者は元老院側の肩を持たない」


 炎魔はカゲツからサンに視線を移した。


「龍人様は、ヴィアドラのことなんてちっぽけも考えない無色の出身ときた。どんな幸運があって烈刀士になれたのか知らないが――今じゃ不運とも言えるか。そんな孤独な奴がやっと見つけた居場所を捨てて、元老院につくかね。そんなやつらが俺のところに来たとなれば、要求は大体わかる」


 それで、と炎魔は腕を組んで二人を交互に見やる。


「俺を烈刀士側にひきぬこうって魂胆か?」


「いや。あんたには烈刀士を率いている蒼龍将風斬嵐に、話し合いの場を設けるよう説得してほしい。蒼龍将の友として」


「もしそれが駄目なら?」


「第三勢力として、俺の仲間になって欲しい」


「ほぉ」


 炎魔は目を細め、心底楽しそうに興味に光らせた。

 そんなの聞いてないよと零すカゲツを尻目に、炎魔は何かを思い描くように宙を眺めながら笑みを浮つかせていた。

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