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Belief of Soul〜愛・犠の刀〜  作者: 彗暉
第十六章 皇燕の片翼
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九十四話

 金属で空気を閉じ込める大きな箱のような、帆を持たず風を必要としない鋼鉄の船。バルダス帝国のプルーシオンと呼ばれるそれを莫迦にする言葉はそれくらいしか出てこなかった。

 船内の通路を区切る扉は人が近づくと一人でに壁に吸い込まれて、人が通り過ぎると勢いよく元に戻る金属の引き戸、配管が船内に張り巡らされていて、天井と足元に埋め込まれた光の棒が、薄暗い船内を照らしていた。金属の壁に囲まれた無機質なひどく愛想のいい部屋に連れてこられると、ぐにゃぐにゃと生肉のような力の入らない体の俺を椅子に縛り付け始めた。

 船の氏族達は大丈夫だろうか。帝国のプルーシオンよりも、船を沈められたであろう氏族のことが気になって仕方がなかった。


「あんたは、ミュルダスだったな」


 入った部屋で椅子に括り付けられながら、サンはミュルダスの顔に唾を吐くように言った。長方形の鉄製の机があるだけの部屋を見回そうとしたら、俺の意識は天地がわからなくなるほど一瞬だけ宙に散った。響いて膨らむ顎の痛みに手を添えたかったが、それができないのがもどかしい。見上げると、椅子に俺を括り付けている兵士が目に黒いものを湛えて拳を開いていた。


「無礼な血の民め。皇女殿下への口の利き方というものを教えてやる」


 兵士は、赤銅色の目をギラギラとさせて顎の筋肉を強張らせた。だが、サンは怖がるどころか目をぱちぱちとさせた。俺を殴った兵士が、ミュルダスに襟首を掴まれて持ち上げられているではないか。自分よりも上背の兵士の胸ぐらを掴み、軽々と持ち上げているのだ。それも、片手は腰の後ろに回した状態、つまり片手で。


「無礼なのはどちらだ。この者は龍人だ。ヴィアドラの象徴であり、神に見初められし存在だ」男が地面に落ちて膝を突くも、すぐさま起立して踵を鳴らすと、新品の服みたいに動かなくなった。ミュルダスは目だけを動かして、なにもしていなくても鋭いその眼差しでサンを見下ろした。「神など存在しないがな」


 金属の扉が壁に吸い込まれて通路が覗き、二人入ってきた。二人とも背丈は俺より頭二つ分低い。猫背なのがその理由かもしれない。顔全体を覆う革とも布とも言えない素材でできた黒光りする頭巾を被り、頭巾の目の部分はガラスが縫い付けられていて、それで視界を確保しているようだった。まるで肌を空気に触れさせたくないかのような姿に、サンは顔を顰めた。


「ゲーン博士」


 ミュルダスがそういうと、二人が胸に拳を当てて慇懃な礼をした。どっちがゲーン博士なのかわからない。


「これが、あれですかな」手を擦り合わせながら、最初に入ってきた男がそう言った。


「そうだ」


「まずは血漿から、代謝向上のヒントを得るとしましょう。シルヴィアンスやバーインスなどの魔法使いと、組織的にどう違うのかを把握するのです。おそらく代謝に欠かせない蛋白質が書き換わっている可能性が高い。これは面白いものが採れそうです。ヴィアドラ人は秘術という特異能力を闘気と剣気と二つに分けている。これは、魔具を用いる他国の魔法使い達とは根本的になにかが違う。特に剣気の類は体の組織を変えている可能性がある」ゲーン博士はサンに近づくと、顎を掴んで先端の光る棒で目を照らしては鼻の中を覗いたり、歯並びを見るために唇をめくったりしながら言った。「両者の違いから先祖のルヴァを割り出すことができる。そうすれば、特異能力の差異を見つけ、補完能力、掛け合わせも可能になりましょう。君、剣気と闘気、どちらが得意かね?」


 サンは、頬を歪めながら答える気はないと睨んだ。


「まぁいい、すぐにわかります。ヴィアドラ人は脇差という金属にも見える物質を体に取り込み血の一部としている。その物質には、本人の一部の遺伝情報を書き込む仕組みがあり、酸化反応を起こし独自の法則に則って再び組織を構築し脇差を象る。これもまぁ解析すれば有意義なものですが、兵器への運用に役立つかは、私にはわかりませんね。それよりも、剣気を使う者の遺伝情報こそ最重要です。再生能力、組織変化、それらは人体だけの応用に留まらない。その遺伝情報の多くは心臓などの中心的な臓器に固まっている。ですがね、私はオルスを形成する遺伝情報は脳にあると考えているのです。この中のものが――」


 ゲーン博士は、サンの頭を指で突きながらミュルダスの方を向いた。


「博士、この者の脳を渡すことはできない。今は血だけだ。そこから得られた情報で、兵器への能力付加は可能か?」


 ゲーン博士の黒光りする頭巾の下がどんな表情をしているかはわからないが、呼吸の感覚が落ち着いていくのだけは伝わってきた。


「採取してからでないとわかりませんね。それに、非覚醒状態だけのものを採っても収穫はないでしょうね。遺伝情報を紐解き、人為的に覚醒状態の組織を生成させる技術は未だ確立していないので、非覚醒状態と覚醒状態の二つの血漿を揃えないと、それぞれの細胞の違いを発見できない。ですので、やはりここは脳や心臓などの臓器を――」


「博士」


 ミュルダスの鉄を落とすような静かな声に、博士は拳を胸に添えてサンから後ずさって離れた。ミュルダスは、サンを見据えながら近づきその肩に手を置いた。〈鬼目郷〉でも見せなかった柔らかな眼差しで見下ろしながら。


「つまり、覚醒状態で採った血であれば良いのだな。ちょうど良い」ミュルダスはサンの顎に指を添えた。「龍人よ、取引といこう。君を國に帰してやる。どこに向かっていたかは知らないが、君の望むところに連れて行こう。勝負は決闘、君が負ければあの二本の刀と血を貰う」


 サンは顔を背けて一瞥をくれてやる。


「割に合わないだろう。國に帰すなんて随分と上からなんだな。龍人の強さはわかっているんだろ? 大人しく帰したほうがいいんじゃないか? 龍人を拉致したと知ったら元老院だって敵に回すことになるぞ。あんたらが欲しがってる資源だって、手に入れられなくなる。今すぐに帰すなら、今回のことは黙っておいてやる」


「小僧」


 兵士が唸るようにそう言って拳を固めて一歩踏み出した。だが、ミュルダスの一笑に付す鼻息に、兵士は鎖に繋がれた犬のように立ち止まった。


「龍人よ。君は理解できていないようだ。その背骨を砕き、椅子に縛っているのはバルダス帝国、つまりは私だ。元老院が烈刀士(れっとうし)と手を組み戦うことを選ばなかったのはなぜか、森の資源の価値を知った上でそれを差し出す元老院の姿勢を見てわからないのか」


 ミュルダスが腰の後ろで手を組み、鋭い赤銅色の目で見下ろしてくる。刀の鋒のように鋭く、それでいて山のように不動だった。


「君を連れ去りヴィアドラを征服することすら容易い。だが、私が望むのは橇を牽く狼であり、岩を断つ剣だ。その原石を捨てるような真似はしたくない」


「挑発は無意味だ。確かに、俺は一度あんたの部下に負けている。だけど、今の俺は前とは違う。だけどいいのか? 皇女なんて立場の人間が命を投げ出すような真似をして。あんたは将軍だとか呼ばれているが、戦い方を知っているのか?」


 サンは唾すら飲み込まずに、滔々とそう言って見せた。この挑発に乗ってミュルダスが戦うことになれば、俺に勝算があるかもしれない。軍を持つ元老院が、帝国と戦う姿勢を見せないのは、万象帝技(ばんしょうていぎ)という技術的な力が欲しいだけではないことぐらいわかる。


「皇女殿下が出るほどのものでもありません。ここは特兵旅団長の私に御命令頂ければ、この者の血だけではなく、腕の一本すら献上いたしましょう」


 兵士は、自らの胸を拳で強く打ち踵を鳴らしてそう言った。


「キュオンダス。バルダス帝国皇女ミュルダスの物語は、子供に人気だと言っていたな」


 キュオンダスは短い返事でそれを肯定し、女性志願兵が後を絶たないほどに、と付け加えた。


「ならば、その物語に龍人との決闘の章を添えよう。さぞや吟遊詩人は喜ぶことだろう」


 キュオンダスは目を輝かせながら一歩下がり敬礼をすると、部屋から出て行った。

 サンは、溢れそうな笑いを頬に浮かばせながらミュルダスの目を突き上げるように見上げた。


「俺が負けたら血と刀って言ったな。俺だけ二つは割に合わない。俺が買ったら、俺を好きな場所に連れて行くのと、ヴィアドラから去ることを約束しろ。それが条件だ。それを呑むなら、拉致のことは黙っていてもいい」

「黙るか話すかは好きにすればよい。では、取引成立だ」



 帆船のように船体が軋むような音もなければ揺れることもなくプルーシオンは海を進んでいたのだと思う。ミュルダスとの取引を行うべく移された部屋――皇燕(こうえん)闘社(とうじゃ)ほどではないにしろ、道場の稽古場の四倍の広さがある部屋――で、床に横たわっていたら気持ち悪さが消えて、気を練り上げることができるようになった。海の沖に出れば出るほど気が練れなくなる理由はわからないが、幸いそのおかげで岸に近づいていることがわかった。

 サンは床から立ち上がると、対角線の部屋の端を見た。そこには、床に正座をして座るミュルダスがいた。

 立ち上がった俺に気付いたのか、ミュルダスは瞑想から目覚めて片笑んだ。ミュルダスが纏う鎧は、皇燕ノ國の闘社で手を合わせた鎧兵士とは比べものにならないほどに華奢だった。肩や、胸部、肘や膝に黒く磨かれた金属が散りばめられているだけで、後は先ほどの軍服と変わりない。関節や腹部などが、見たこともない織り方をされた布で覆われている。あの繊維は、もしかしたら烈刀士の戦装束と同じように、鋼でも切れなければ衝撃すら和らげる銀糸かもしれない。

 兵士が近づいてきて、俺の足元に刀を置くと足早に部屋を後にした。布に包まれているのは一対の刀。カグラの父であり、三百年を生きる伝説の鍛冶師、天ノ濤徹(あまのとうてつ)が打った俺の愛刀〝(こころ)(とおり)〟だ。手から離れて一日も経っていないのに、なぜか重く感じる。

 この戦いも負けるわけにはいかない。勝てば、バルダス帝国はヴィアドラから去る。元老院が弱まれば、烈刀士側の意見に耳を傾けるはずだ。それに、負けたら黙って置いてきたカゲツにどんな皮肉を言われるか。

 サンは〝心・通〟を抜き放った。右手に〝心〟左手に〝通〟を握りしめる。足を半歩前後にずらし、踵を僅かに浮かせた吊り劔の構えをとると、その身に白緑の気を纏い羽衣の鎧が顕現する。純白に変わった肌に鮮血の隈取りが浮かび上がると同時に、体の内側から躍動する喜びと安堵に似た刺激が体の隅から隅まで駆け巡っていくのを味わう。翡翠色に変わった目を開けると、ミュルダスを見据えた。


「龍人来たれり、か」


 ミュルダスは武者震いに声を乗せて、黒い刃と銀の柄をもつ斧を手に取った。そして、宙を薙ぐように一振りすると、銀の柄が一瞬光を帯びて伸び、斧は両刃の槍斧へと姿を変えた。あれも、元老院がヴィアドラの地肉と交換してまで欲しがる万象帝技の一つなのかもしれない。


「あんたは後悔することになる」


「させてみて欲しいものだ」


 ミュルダスはゆっくりと腰を落とし、槍斧を腰の後ろに構える。絞られた弓の弦の音が聞こえてきそうな構えに、しかしサンは風吹かぬ柳の葉の如く吊り劔で待った。

 槍斧の刃が黒いのは、神の力を封ずる滅神鉱(めつじんこう)に他ならない。戦神(いくさのかみ)やヴィアドラの神々の血の力を封ずる忌まわしき金属は、神の存在を信じないバルダス帝国にはお誂え向きというわけだ。とにかく、あれに何度も触れれば、練り上げて体の内側で躍動する気は霧散する。なるべく躱し、短期決戦に持ち込まなければ負ける。

 常人とは思えない速度で地面を駆けるミュルダスの一撃を、サンは舞い落ちる花弁のように躱し一太刀を浴びせる。ミュルダスをそれを躊躇うことなく服で受け槍斧を薙ぎ払い、巧みな槍術によって白緑の羽衣を削いでゆく。

 予想通り、ミュルダスのあの軍服は烈刀士の戦装束と同じ銀糸で織られたものだった。羽衣を纏わせた刀ですら、かすり傷しかつけられない。

 サンに創りだされた光剣が宙を滑りミュルダスを死角から襲うも、ミュルダスの槍斧の餌食と消えた。海の上では、光剣の強さも羽衣の強度も落ちているのがわかり、サンは口を堅く結ぶと地面を踏み込み、無色(むしき)流剣術落桜ノ舞(らくおうのまい)の五の道、落桜五連を繰り出した。十連撃の猛攻を、踏み込み過ぎたミュルダスは距離を取れずに槍斧で捌いていく。だが、全ては捌き切れず腹部の銀糸の服に刀傷を一筋描かせた。

 無色流とミュルダスの槍術が風切り音と剣花で激闘を描き、戦士と戦士の物語を紡ぐ。それは長く続くかと思われたが、崖のように突如終焉を告げた。

 白緑の羽衣が宙に燐光を放ちながら霧散し、黒刃の鋒を肩に貫通させたサンが地面に膝を突く。地面に流れ落ちる鮮血が、終焉を告げていた。


「楽しかったぞ、龍人」


 ミュルダスは槍斧を捻り、サンは鉄を捻じ切らんばかりの叫び声をあげた。全身から吹き出す汗に身を震わせながら、サンは右手に握った〝心〟を振った。


「負けるか……!」


 その一閃に、ミュルダスは顔を後ろに引いて一歩後ずさった。その場所に、赤銅色の髪の毛が音を立てずに散らばった。


「負けられない……。負けられない!」


 叫びながら、子供の棒振りのように刀を振るうサンの血走った目を、ミュルダスは至極静かに見据えながら、


「何が君をそこまで駆り立てる。ヴィアドラは血の民、戦に生きる民ばかりだと思っていたが、君の目は違う」


「お前には関係ない、俺は――」皆に支えられてきたんだ。俺が師匠の死に絶望し、犠牲を憎み、自分自身だけに目を向けていたときも、俺は独りではなかった。龍人となり唯一無二の存在として独り善がりになっていたときも、必ず俺を支えてくれる人がいた。それなのに、俺は今だってその大切な想いに報いるどころか、泥を塗ろうとしている。カゲツだって置いていかれて怒っているはずだ。それなのに俺は……。サンは自分の肩と肺を貫いた傷から流れ出る血を見ながら咳き込んだ。そしてそれを飲み込み、ミュルダスを睨みつける。「――負けられない!」


 サンは焼き切れるほどの力を解放して羽衣を輝かせ、貫かれたはずの傷を繋ぎとめる。そして、再び〝心〟を一閃させて〝通〟を繋げながら、落桜ノ舞の八つの道を舞って見せた。

 全ての落桜ノ舞を叩き込んだのは初めてだった。師匠が褒めてくれた落桜五連だけが俺の唯一の剣術だったからだ。それでも、剣気によって活性化――帝国曰く覚醒状態――した体であれば、思い描いた通りに体がついてくる。師匠が八つの舞を使えるのは、今の俺と同じように羽衣を使えたからなのだろう。そして、その舞を相手にした者は二度と立つことはできない。

 軋む痛みに震えるサンは膝を突いて、呼吸とともにうな垂れながら、倒れるであろうミュルダスの音を待ちながら笑いを洩らした。だが、音を聞き逃したのだろう。その音を求めるようにサンは目を上げて、なんで、と零した。

 槍斧を構えるミュルダスの服はところどころが裂けて血が滴っている。それでも、立っているのだ。


「これほど沸き立つ戦いは、初めてだ。礼を言うぞ龍人」


 ミュルダスの喉の奥底から漏れ出す黒い笑いに、サンは顔を上げて言葉を失った。ミュルダスは顔を狂気の喜びに歪め、赤銅色だけだった眼の虹彩に、紫色の筋を浮かび上がらせていた。見覚えがあった。あれは、幼い頃のカグラにもあった。


「これが、貴方様の御力なのですね。あぁ、感じる、あの御方を側に、貴方様に満たされていく」誰に話しかけるわけでもない言葉を口走るミュルダスに、もはや冷徹な戦乙女の姿はなかった。狂気の中で恍惚とするミュルダスは、突如己の身を掻き抱いてうずくまった。「嫌だ、嫌だ嫌だ。消えていく。そんなはずは……戦い、そうだ、戦いだけがあの御方を……」


 ミュルダスは紫の筋を血走らせた目でサンを睨みつけると、震える足で立ち上がるサンを喉の奥で笑いながら槍斧を振り上げた。「龍人、戦いだ。私に戦いを、死を感じさせるほどの戦いをよこせ」

 どちらが血の民だ、サンはそう思った。振り下ろされる槍斧が力なく軌跡を描く。ミュルダスは床に崩れ落ち、口から泡を吹いて陸に揚げられた魚のように体をばたつかせた。

 部屋の中にゲーン博士の声が響き渡り、兵士の足音が床を震わせて近づいてくるのがわかった。

 サンは、軋みばらばらになってしまいそうな感覚の中でなんとか立ちながら、「俺が勝ったんだ。約束は守れ、ミュルダス」と歯の間からなんとか声を振り絞ると、切れた糸のような呼吸と共に床に倒れこんだ。

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