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Belief of Soul〜愛・犠の刀〜  作者: 彗暉
第十六章 皇燕の片翼
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九十二話

 〈鬼目郷(おにめきょう)〉には氏族の者と烈刀士(れっとうし)しか出入りしないことを考え、サンとカゲツは烈刀士の黒い戦装束に着替えることにした。そして森を進むこと半日、森が切れると目の前に突如突きあがって出現したかのような高台が現れた。そして、その高台の崖沿いに設置された昇降機を見上げていた。だが、昇降機が降りて来る様子はない。蝉の鳴き声が縦横無尽に鳴り響き、葉擦れの協奏曲はどこへやら、二人は額の汗を手の甲で拭ってから首に手拭いをかけた。


「なんだよ、見張りもいないのか。どうなってんだ」


「まぁ暑いからね。日陰にいるのかもしれないよ。普通なら〈鬼目郷〉に客なんてのは訪れないからね」


 確かにそうだ。彼らは東の妖魔の森に住む四國とは別のヴィアドラ民であり、烈刀士と共存する者達。そして、休日の烈刀士は迎士によって決められた時間にくるし、氏族は決まった時間に森から帰ってくるから、こんな真昼間にわざわざ見張りをするものはいない。

 そう考えて、サンは手近な石を地面から掘り起こすと、高台の上にある昇降機に投げつけた。石は勢いよく飛んでいき、荒ぶる蝉の鳴き声に逆らうように僅かに鈍い音を響かせた。

 二人は火季(ひのき)の権化とも思える陽射しと蝉の鳴き声の中、高台を見つめる。ひょこっと男が高台から頭を覗かせて、じっとこちらを見ている。二人は戦装束を太陽の下に晒して烈刀士だと示し、滑車がガクンと音を立てて降りてきたのを見て息をついた。

 昇降機に乗り込み、森の景色を味わっているとやがて頂上についた。なにか引き絞るその音に、呼吸を忘れて二人は振り返る。なんと、数十人の氏族が弓を引き絞り、険しい顔で立っていた。


「貴様ら、なにようか」


 サンが吐息に焦る笑いを滲ませながら両手を広げ、一歩踏み出そうとしたが、弦がさらに引き絞られるのを見て思いとどまった。


「俺達は烈刀士だ」


「そんなもの見ればわかろう」


「いや、ただ休暇で来ただけだ」


「烈刀士将殿から次の休暇の予定は聞いておらぬ。貴様ら、除隊者ではあるまいな」


 まずい。不名誉除隊である今の身では、なんて嘘をつけばいいんだ。サンはカゲツの足元に目を落とし喉を鳴らして唾を飲み込んだ。

 カゲツもどうしたものかと、その目は山の中腹辺りで限界を知った者のような悔しさを湛えており、黙っていた。

 ここまでか。

 サンは息を大きく吸い込み、自分がこれからなにをしようとしているのかを話そうと口を開く。

 それを遮るように、今まで厳しい顔で問い詰めていた氏族が白い歯を見せて豪快に笑った。つられて他の氏族達も笑い始め、弓を手に持ち各々街の中に戻っていく。冗談だったかのように静かになったその場所に残ったのは、昇降機を見張っていた一人と、最初に笑った氏族の男だけだ。その男が、焼けた健康的な目元に皺を作りながらサンとカゲツの肩を叩いた。


「あんたらまだ入って間もない烈刀士だろ」


 三年は経ったと言いたくなったが、カゲツの鋭い視線を感じて、サンは風に揺れる草のように何度も頷いてはにかんで見せた。


「たまーにいるんだ。サボってここに来る奴がな。そういう奴らには一旦焼きを入れとかんと。それで、烈刀士は今大変だろうに、なんでまたサボろうなんて思ったんだ」


「その大変な空気に息が止まりそうで、一杯昼間から引っ掛けられれば、それはそれで憂さ晴らしになると思ったんですよ」


 流石はカゲツだ。死んだら言い訳や皮肉の命として祀られてもいいくらいに、素晴らしい対応をしてくれる。

 サンはカゲツを親指で指差しながら笑って頷いた。


「おじさん、酉族の方ですよね」


 なるほど。カゲツは、この男の羽の耳飾りを見て酉族だと見抜いたらしい。

 そこまで考えて、サンは打ち水のような視線をカゲツに向けた。手助けしてくれた烈刀士、燠雀(おきじゃく)が忠告していたではないか。酉族は、蒼龍将と親交が深く、情報を流されるかもしれないと。俺達の特徴を言われたら、蒼龍将はすぐさま俺達だと気づくだろう。


「鶴はいますか?」


 男の笑みが余韻だけになり、目には獲物を狙う矢尻の光が覗く。


「もう鶴には心を決めた男がおるわい」


「カゲツが来たと伝えてくれませんか」


 サンはカゲツに釘を刺すように睨みつける。カゲツは俺のぐりぐりと刺し続ける視線を知ってか知らぬか、露ほども気に留めることなく男の目をまっすぐと見返している。


「お前さんがカゲツかい」


 そう言って、男は急にカゲツの腹に拳を捩じ込んだ。カゲツは嗚咽しながら地面に膝をつき胃液を吐き出す。サンは、おいおいと言いながら男とカゲツの間に入りこみ、男に離れるように目で言った。


「鶴は雛鳥みたいに目を腫らしたんだぞ。俺の姪を泣かすお前なんぞ認めん」


 サンは深く頷きながら腕を組み、カゲツを見下ろす。


「そういうことだカゲツ。女子を泣かす奴なんか、相応しくないってよ。諦めろ」


 氏族の男が唾を吐き捨てる。「だが、父親だからそうもいかないってのが腹立たしい」


「へ?」サンは膝から力が抜けそうになりながら、力の抜けた声で男に振り向いた。


「与鶴に会いに来たんじゃないのか?」


 男の声に応えないで膝を突いているサンは膝を突くと、腹を押さえて苦しそうにしているカゲツの顔を覗き見た。


「俺に……子供が?」


 そう言うカゲツの顔は、いつもの白さを通り越して青くなっていた。腹の痛みか子供ができた事へか、寧ろ両方だろう。サンはカゲツの背中をさすりながら男を見上げる。


「こいつ、知らなか――」


 男はカゲツの脇腹を蹴り上げて、拳を振り上げる。サンは頬を震わせて目を剥く男を羽交い締めにして地面に倒すと押さえつけた。


「やりすぎだ! 落ち着け!」


「落ち着いてられるか! 鶴はこいつが子供のことを知っていながら、任が忙しくてこれないんだって言ってたんだぞ! この野郎、子供もいるとは知らずにのうのうと戻ってくるたぁ、己の欲を晴らしに来ただけに違いねぇ。ぶっ殺してやる」


「違います! 俺は、鶴と会いたくてたまらなかった」


「これる機会はいつだってあっただろうが」


 カゲツは石臼のように首を振った。


「どうせ烈刀士らしく他の女とも楽しんでたんだろうが、えぇ?」


「違う! 俺は、鶴を……」


 最後の言葉を掠れさせるカゲツの顔は見ていられなかった。俺が頼りないばかりに、俺のそばにいるため

に、こいつは大切なものを犠牲にしていたのか。


「あぁ? 聞こえねぇぞ」


「愛してる」


「なんだ?」


「俺は、鶴を愛してる」


 男が首をもたげながら、カゲツに思い切り唾を吐きかける。「きこえねぇって言ってんだ」


「鶴を、愛してる!」カゲツが刀を抜かんばかりに男を睨みつける。


「そんなもんで納得できるか小僧!」


「俺はな、鶴を愛してるって――」


「聞こえ――」


「鶴を愛してるんだよ! わかったか! 鶴を愛してる! あ、い、し、て、る!」


 サンは、顔を暑さ以上の苦しさに歪ませてカゲツを見上げた。


「おやめくださいませ」


 炎天下に流れる冷涼な風のような声に、男三人はさっと顔を向けた。カゲツがふらつき一歩後ずさった。


「鶴……」


 氏族の着る装束ではなく着物を纏った鶴の腕には、太陽に晒すには心痛いほどに白く綿毛の光のような赤子が包まれていた。

 男がサンを振り解いて立ち上がると、装束をはたきながら鶴に近づく。


「鶴、お前なんであんな奴を庇ってた。子供がいることも知らなかったんだぞ。戻ってくるなんてわからなかっただろうに」


「でも、今こうして戻ってきてくれました」鶴は、一点の曇りもない太陽に手を伸ばす新芽のような真っ直ぐで純粋な目でカゲツを見る。「カゲツさん」


「鶴」


 それからの、カゲツと鶴のやりとりは、首や頭を掻いていないと見ていられないものだった。


「カゲツ。その、俺のために、ごめんな」


 鶴の腕に抱かれた赤子の頬を、指でなぞるカゲツ。その二人のこの世のものと思えない空間を直視すれば焼き殺される、とサンは手近な柱を叩きながら口を歪めて呟いた。


「こうして会えたんだ。なにも問題ないよ」


 己の息子である与鶴を抱き上げ、額をこすり合わせるカゲツの微笑みを見て、サンは自分の口が綻んでいることに気がついて咳払いをした。そして、荷を降ろすかのように息をついてカゲツ達を見やる。


「カゲツ。せっかくだから、水入らずの時を楽しんでこいよ。陽が東の海から顔をのぞかせた頃、ここで落ち合おう」サンはカゲツと力強く頷きあう。「おっさん。一番安い食事処を教えてくれないか」


「若い烈刀士はもうちょい礼を学ぶべきだな。まぁいい。こっちだ」


 サンは、カゲツと鶴と与鶴の三人を振り返った。

 守りたいものが、胸の中に溢れていく。

 カゲツ、あんなふうに笑うんだな。

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