九十一話
戦闘区域の鬱蒼とした妖魔の森を、サンとカゲツは東に向かって進み続けた。昼間は木に登り太陽の位置を確認し、森の中が薄い緑色の燐光を発し始めると、腰を下ろし夜が明けるのを待った。
四日が経ち、風の雰囲気が冷たく湿ったものから、重く纏わりつくような風に変わった。二人は鼻をひくつかせ、銀色の光を投げかける方へと歩幅を大きくした。森が開けて、その先に広がる灰色の海岸を目にした二人は、体を伸ばしてから砂浜に走り寄り、空を見上げてじりじりと焼き付ける陽射しにしばらく身を預けた。
「やっと太陽を拝めたな」
「森の屋根もそろそろ見飽きたころだったからね」
二人は砂浜と森の間の日陰に座り込むと、海の地平線に目をやった。太陽に焼かれて乱れる銀光と、笑いたくなってしまいたくなるほどに蒼い空。二人は何も言わずに目を細めて、海岸に吹く風に髪を揺らす。
「俺、髪切ろうかな」
サンは一つ結びにしてある髪を背中から前に回しながら言った。
「なぁサン。〈鬼目郷〉についたら、鶴と会う」
「誰だよ」
「彼女」
「あっそう」
サンは立ち上がり、尻についた砂を叩き落とす。カゲツは蒼い空の眩しさに目を細めながらサンを見上げた。サンはあくびをすると、未だ砂浜で尻を温めているカゲツを見下ろした。
「なら座ってないで行くぞ。このままだと寝ちゃいそうだ」
カゲツは立ち上がり、刀を腰に差し直しながら口の端をあげた。
「サンも来る?」
「なんでだよ」
サンは振り返り、カゲツの顔を見て首を振った。
「やな奴だなーお前」
そう言って再び振り向くと、砂を投げつけた。カゲツは顔を覆い、悪態をついた。そして、海岸沿いを走り背中が小さくなっていくサンに首を振って見せた。
カゲツは砂の入った目を擦り、再び前を見て思わず息を呑んだ。
サンが四人を相手に刀を抜いて睨み合っているのだから当然だった。カゲツは腰の刀を押さえながら、砂浜を巻き上げて疾走する。
カゲツが近づくと、サンが刀を収めて両手を体の前で振りながらカゲツを諌めた。
「落ちつけカゲツ。この人達は、壱ノ砦の烈刀士だ。明水の仲間だ」
烈刀士の腕章をつけた男が、サンとカゲツの目を見て力強く頷いた。
「龍人様。ちゃんと話すのは初めてになりまする」
「やめてくれ。貴方達のほうが先輩なんだから」
烈刀士は短く頷くと、森の中に入ってついてくるように合図した。
「今、烈刀士は大変なことになっていましてね。烈刀士将の意思に沿わない者は、不名誉除隊になり監禁される始末。かなりぴりぴりしていまする」
サンとカゲツは顔を見合わせて、目を下に逸らした。ライガは大丈夫だろうか。二人は短く囁き合ったが、烈刀士の尋ねてくる視線に、なんでもないと話の続きを促した。
「我々は、戦に反対の者達です。そういった者達は、前と変わらず北の戦線に出ていますが、革命に参加するものは南へ下ってしまい、砦は人手不足でございまする。この状況を知ってか、帝国の武装したプルーシオンが海岸線を巡回し、妖魔や鬼だけでなく、帝国にも目を光らさなければならないゆえ、雑士にも北の方へ物資運搬などを頼んでいる次第でありまする」
サンは頷くと、烈刀士達を見回した。
「そんな中で、手を貸してくれてありがとう」
「いや、拙者らも早くこの状況をなんとかしたい思いでのこと。お気になさらず。ところで、龍人様は、この戦を
どう止めるので?」
半歩後ろを歩くカゲツの視線だけでなく、四人の烈刀士の視線も感じながら、サンは前を向きながら歩いた。
「まずは話し合いを考えてる。蒼龍将と力でのやりとりになるかもしれない。本格的な争いになる前に、その場を設けようと思ってる。ただ、蒼龍将が俺の話を聞くかどうかがわからない。だから、蒼龍将に対抗できそうな唯一の者に話し合いをしてもらう」
班長が顔を堅く顰めた。
「そんな強者がいるとは思えませぬ」
「だけど、俺はその人ならできると思ってる。なんせ、蒼龍将の親友だ」
烈刀士の一人が顔を上げて振り向いた。
「その親友って、もしかして朱雀炎魔様であらせられますか」
他の烈刀士達は揃って顔に驚愕を浮かべていた。
「知ってるのか?」
サンの言葉に思わず笑いを零した烈刀士の一人が、口を拭って笑ったことを謝ってから頷いた。
「そりゃ、朱雀炎魔と言ったら〝皇燕の片翼〟で有名でさ。ヴィアドラ最強の秘術使いですわ。蒼龍将も最強と謳われてますが、それは剣気と羽衣の剛力においてって話で、炎魔様はそれと技を両立させた文句なしの最強ですわ」
班長が顎鬚を掻きながら唸った。
「お前は皇燕の出身だからな。自國となると、皆揃って見栄をはるものだ」
だが、他の烈刀士も口を挟む。
「あっしゃ巖亀の出だが、幼少の頃から凄まじい奴だったと聞いとるぞ。皇燕ノ國との戦の時代、あっしゃの親父が朱雀家と出会ったら迷わず逃げろと言っててな。その朱雀家の天才児が、その炎魔って奴だった。他國にもそんなふうに言われてるんだ。天下の嵐様にも引けを取らないだろうよ。現に、國を去る前は烈刀士将の一人だったんだからの」
班長はまたまた唸った。
「龍人様、それは確かに妙案かもしれませぬ。ですが、彼は十年ほど前に國を去ってしまったのでありまする」
下を向く烈刀士達の表情がそのまま空気になったようで、踏んだ枝の音がやけに大きく聞こえた。
「らしいな。だけど、俺は会った。まだ去ってなければ、皇燕にいるはずだ」
烈刀士達が顔をあげてサンを見るなか、カゲツがサンの背中に言葉を投げた。
「もしかして、皇燕ノ國でいきなり消えたときに会ってたのか?」
サンは頷いた。
「だから大丈夫だ。会える。とにかく、なるべく早く皇燕に行きたい」
班長は顎髭を擦り頷いた。
「えぇ。ならば〈鬼目郷〉についたら、蒼龍将の戦に良い顔をしておらぬ亥族に助けを求めるのがいいやもしれませぬ」
「亥族?」
「えぇ。猪の牙の飾りをつけている者達でありまする。多くは飯屋を営んでいる氏族で、彼らは意志が強く、それを何よりも重要視する。龍人様の戦を止める想いの手助けになってくれるやもしれませぬ」
サンは、亥と酉、と小さく囁きながら腕を組み顎に手を添え、そうかと言ってから目だけをぐいっと上げてカゲツを見た。
カゲツは、サンの子犬のような目に気づくと、「大丈夫、俺が覚えておくよ」と言って溜息を洩らした。
「あ、酉族には関わらないほうがいいかもしれませぬ。あの氏族は、管理全般を担っている氏族でして、船の出入りや流通を仕切っていて蒼龍将ととりわけ関係の深い氏族でしたから、動きが流されるやもしれませぬ」
左手に海岸をちらちらとさせながら森を歩き続け、やがて有無を言わせぬ拒絶の意志を空に延ばす灰色の砦と壁が見えてきた。
「これにお着替えくだされば、つつがなく事が運ばれましょう」
班長が、岩の陰から毛皮に包まれた包みを二つ取り出し、サンとカゲツに手渡した。二人が着替える間、班長は梢の間に見える太陽を細めた目で見つめる。そして、二人が着替え終わり、烈刀士の戦装束を包んだのを確認すると、一つ頷いた。
「よい具合に傾いた。潮時でございまする」
サンとカゲツは、麻で仕立てられたごわごわとした装束の襟と首の間に指を走らせ、猪の牙の首飾りをつけてから、たっつけ袴と足袋の履き具合を確かめるように歩きながら班長と烈刀士の後ろを追った。
海岸の方へ出ると、一艘の手漕ぎの小舟が海岸で波打たれていた。すでに東の空の端は藍色に染まり、一日の終わりが今か今かと仕事の準備をしている。太陽は、西に傾き砦に隠れそうなのに、いまだ肌に砂を擦り込むような生きの良い西日を投げかけている。
サンとカゲツが舟に乗ると、班長と烈刀士に押された舟が砂をきり、やがて波飛沫を切り分けて海に出た。班長と烈刀士が膝まで海に浸かりながらも、すぐに舟に乗ってきた。
「龍人様に漕がせるなど、無礼にもほどがありますが、今は雑士に身をやつしていただくゆえ、ご勘弁を」
班長にそう言われ、サンとカゲツは肩をひょこっと上げて、なんてことはないさと櫂を握った。
海岸沿いに進むと、壱ノ砦の横に舟用の関所が見えてきた。行灯を掲げてこちらをよく見ようとしている烈刀士が二人いる。サンとカゲツは櫂を握る手に力を込めながら、顔を足元に伏せて桟橋に舟を寄せていく。桟橋には火ではなく鉱石を光源とした提灯が等間隔に吊り下げられていて、顔の隠しようがなかったが、顔でも伏せていないと気取られそうでそうしていた。
提灯が生きた黒い硝子のように動く海面を照らし、櫂が擦れる音と波がさざめくなか、烈刀士よりも後に来た雑士が棒を舟に引っ掛けて桟橋に寄せた。舟が音を立てて桟橋に当たり、やがて止まった。
帳簿を持った烈刀士と刀の柄に手をかけた烈刀士が近づいてくる。班長の喉骨が音を立てて上下に動き、サンとカゲツは深呼吸をしながら櫂を舟の中に引き揚げる。
「燠雀灰花。今帰った」
「燠雀班っと。お勇み様。ん、待て、お前たち四人だけのはずだが?」帳簿を持った烈刀士が眉を曲げてサンとカゲツに目を走らせて、再び帳簿に鼻を突きつけるように目を走らせる。「間違いない。雑士二人の記録はない。それに、見ない顔だ」
サンとカゲツは素早く視線を交差させて、荷物の下に束ねてある刀に意識する。帳簿を持っていない烈刀士が二人の顔を細めた目で窺いながら近づいてくる。
「はぁ、疲れたっさなぁ。はよ酒を浴びたいさね」
燠雀班の者がそう言って、サンとカゲツを窺い見る烈刀士の前に立って酒を呷る真似をしながら話しかける。
「あっしゃはまず米を食う。今日の飯はなんぞ?」
燠雀班の二人に視界を遮られながら、烈刀士は「魚、肉と思って食え」と言いながら身を起こして世間話を始めた。
「そんなはずはなかろて。朝晩の者の手違いであろう。それに――」班長がサンとカゲツを顎でしゃくり示す。
「――こやつらは、亥族の若い者達ゆえに、南の森だけでは腑抜けになると親が北に出したのだ。初めての北であるゆえ、顔を知らずとも致し方ない」
帳簿を持った烈刀士が、不満げに息をつきながらサンとカゲツを見やる。
カゲツが小さく咳払いをして、口を開いた。
「こんなめんどいなんて、おっとちゃん教えてくんなかっただな。おら、早く帰りてぇ」
お前なに言ってんだ。サンはその言葉を目としてカゲツを睨みつけた。だが、返ってきた燃える石炭に突っ込んだ鉄棒のように強烈なカゲツの視線に、サンはハッと気がつき呆けたように口を開き、言葉にならない声を伸ばす。
「あー。そだそだ。こんなんなら、鹿でも追ってるほうがよっぽどええだ」
「ちがいねぇ」
カゲツがすかさず相槌を打った。
「なんで亥族が狩をするんだ。狩は酉族の生業だろう」
帳簿を持った烈刀士の言葉が、その場の漣の音以外を掻き消した。
目の前に座るカゲツなんか、消えた蝋燭みたいに顔を白くさせている。俺は足元の刀を包んでいる布にさっと目を走らせた。
「んまぁ、最近は氏族も忙しいからいろいろとあるんだろ。しっかし、朝番はなにやってんだか。それで、なにか変わった報告はあるか?」
サンとカゲツは重すぎる息を細く吐いて舟から桟橋に上がり、燠雀が指で示して待機しろと言った場所で子供のように包みを抱えて待った。
すぐに燠雀班がやってきて、にやけた顔でサンとカゲツの肩を叩いた。
「カゲツ、よい機転であった。龍人様は良い友を持ちましたな」
「はい。だけど、流石にびっくりしたぞ」
「お前が鈍感すぎるんだよ」
二人のやりとりに顔を綻ばせた燠雀班長は、付いて来るように促した。
施設広場の端までやって来ると、サンは燠雀班の面々をまっすぐと見つめた。
「ここまでありがとうございます。助かりました」
四人の烈刀士は首を振りながら顔を伏せる。
燠雀灰花は、晴れた空のように胸を張り〝燠火のように小さくとも決して消えぬ。真の炎を秘めたるは、ぶれず消えずの心なり〟と軽やかに言った。
「燠雀家の家訓でありまする。あなたは若く、まだ小さい。あれどもその心に宿る燠火はヴィアドラを輝かせる炎となりましょう。ぶれず消えず。お忘れなきよう」
サンは刀の柄頭を強く握り、腰を折った。
「ありがとうございます」
サンとカゲツは頷き合うと、夜陰に呑まれた森の先にある〈鬼目郷〉を目指した。サンが砦の方を振り返る。その目はいくつもの色を重ねた描きたての画布のように、触れれば形を失ってしまいそうで、そんな表情を浮かべるサンにカゲツは眉を下げて微笑んだ。
「サン、俺がついてる。なにも心配はいらないんじゃない?」
カゲツは手を広げて笑んでみせた。サンはそんなカゲツに、夕陽のように柔らかく乾いた笑みを返す。
「ほんと、心強い」
「あ、なんだいその言い方。全然本心に聞こえないんだけど」
サンはカゲツの肩に拳を当てて横を通り過ぎた。
「冗談。ありがとな」




