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Belief of Soul〜愛・犠の刀〜  作者: 彗暉
第十五章 紅の漣
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九十話

 カゲツの代わりにサンがライガを背負ってから四日が経った。森の中は見慣れた光景が広がるようになり、巡回に出ている烈刀士に出くわしてもおかしくなかったが彼らの姿を見ることはなかった。

 前を歩いていたカゲツが、足を止めて驚いたようにこちらを振り向いてきた。


「おい、あいつはどこに行ったんだ」


 カゲツの視線を追うようにしてサンも辺りを見回し、誰のことを言っているのかを理解した。


「カグラ?」


 カゲツと目が合うが、カゲツはどうでもいいと言いたげに再び歩き始める。


「ちょっと待てよ。すぐ後ろにいるかもしれないだろ」


 カゲツが振り向きながら首を振る。


「あいつがいるだけで面倒なことになるってわからないのか? 砦に戻って、あいつのことをなんて説明するつもりなのか、是非とも聞いてみたいね」


 サンは息を噛み殺しながらもう一度周囲を見回してから、後ろ髪を引かれる思いでカゲツを追った。

 一つの見慣れた岩にまでやってきた。岩の苔の位置に、窪みの位置、きのこの生えている場所も変わっていない。龍人班の巡回の折り返し地点の目印である岩は、昔となにも変わらずそこにあった。

 それなのに、帰ってきた俺には色々なことがのしかかっている。元老院と烈刀士、鬼と人間、仲間との壊れそうな絆。どうしてこんなことになってしまったのか。

 森の中に一陣の風が吹いた。普通の風。昔ならそう思っただろうが、今では秘術の類は嗅ぎ分けられる。カゲツも同じなのだろう、森の中に目を凝らしている。


「これは、明水(みょうすい)さんですね」


 カゲツがそう言った直後、烈刀士(れっとうし)の笛の音が森に響いた。鬼がいた時などに班長が発する合図の音だ。金属の笛から発せられる硬質な音が裾を引いて消えていく。

 カゲツが居合で宙を斬りつけると、縄の両端に石を括り付けたものが地面に転がった。この狩猟道具には嫌な記憶を思い出させられる。


「どういうことだ」


 狩猟道具を燃やすかのように睨みつけるカゲツの感情波立つ声に、サンも急いでライガを降ろすと、刀の柄に手をかけながらカゲツに手を伸ばす。


「落ち着けカゲツ。向こうもぴりぴりしてるだけかもしれない。とりあえず、刀を収めろよ」


 カゲツは刀を鞘に収めようとはしなかった。それどころか、代わりにと言わんばかりに棘のある声を張り上げた。


「明水さん。なぜそんな気を練り上げてるんですか? 随分と後輩に優しいじゃないですか」


 森の中から、作った笑い声が聞こえてきた。わざとこちらに聞こえるかのような不自然な笑いだ。


「いやぁ。さすがはカゲツ。お前の感受性には驚かされる。相手の気の大きさによって、己の気も大きく練れるんだったか?」明水らしき者の言葉にカゲツは答えない。「少しの間だったとはいえ、元班員なんかと殺し合いはごめんでな、大人しく投降してくれないか?」


 サンはカゲツに近づくと、カゲツの刀をもつ腕に手をかけて首を振る。そして、明水らしき声の方を見る。


「明水班長。まず、なんで俺達を捕らえようとするんだ? 俺達は砦に帰ろうとしているのに」


 沈黙が流れた。そして、木の陰から明水がゆっくりと姿を見せた。刀は抜いていないが近づいてこない。顔には飄々とした笑みを浮かべているくせに、やけに距離のある色をその目に湛えている。


「そうだったのか。急に二人して消えて、ふらっと戻ってこられても本人かどうかわからないしな。前に賢者とかいう怪しいやつらもいただろ? ここんところ警戒が強くなっててな。わかるだろ」


 明水は、自分が隠れていた木にくつろぐようにもたれかかり、同意を求めるように手を動かした。そして、目元を強張らせるとライガを顎でしゃくって示した。


「おい、ライガはどうしたんだ」


「鬼に捕らわれていたのを助け出したはいいものの、ひどく衰弱してるんだ。だから、早く砦に帰って休ませたい。もう行っていいか?」


 サンの言葉に、明水は急に真面目な顔になった。


「そういえば、鬼に捕まった人間がどうなるか、教えてなかったか。俺としたことが、当たり前すぎて忘れてたか」明水が腰の獲物に手をかける。「いいか。鬼に捕まった人間は餓鬼になる。衰弱してるってことは、もうそいつは人間じゃないってことになる。なら、やることはわかってるだろ?」


「どういうことですか?」


 カゲツの問いに返ってくる答えはない。重すぎる空気が明水の言葉を体現しているようだった。


「明水さん、ライガは平気なんだ」


「皆、そう言うもんだ。とりわけ、仲間がそうなっちゃな」


 サンは明水を見据え、「ライガは、平気なんだ」と踏みしめるように言ったが、明水はその言葉を聞いて、疑うように僅かに目を細くしただけだった。

 カゲツが息を細く吐きながら周囲に目を走らせて舌打ちをした。


「時間稼ぎだ。サン、囲まれた」


 明水が鎺を見せるのと同時に、四方八方から闘気の攻撃が地面を穿ち木を薙ぎ倒しながらサンとカゲツを襲う。

 二人は飛びすさり、羽衣を纏ってそれに応戦した。ライガを巻き込まないように、二人は距離をとったが苦悶に顔を歪めた。ライガは捕まり、応援に駆けつけた他の班がその間に立ち塞がる。


「俺達がなにしたっていうんだ!」


「わかりきったことを」


 烈刀士の一人がそう言って斬り込んできた。サンはそれを受け流し、次から次へと襲いくる剣術と秘術の攻撃をやり過ごす。隣のカゲツを見ると、鎧を象るまでは行かなくとも、纏えるようになった羽衣でなんとか攻撃をやり過ごしている。

 相手はこちらを殺す気で斬り込んでくるが、俺達は殺すわけにはいかない。

 サンに攻撃を仕掛けていた烈刀士達が一斉にカゲツの方へと踵を返した。サンは、咄嗟にその烈刀士達を追おうと腰を落として走り出そうとしたが、眼前に龍を象った水柱が空から降ってきて行く手を遮ってしまい、飛び退るしかなかった。


「ついにイかれたか龍人」


 明水はそう言って水龍と剣術で巧みに攻撃を仕掛けてきた。その卓越した闘気と剣術に、龍人の力を纏ったサンも歯を見せて口を歪ませた。


「明水班長、なんでこんなことを」


「始まったんだよ。戦がな」


 サンは目を瞠いた。その隙をついて明水の刀がサンを捉える。羽衣の鎧を空気に飛び散らせ、その身に届かなかったことに明水が舌打ちをする。


「龍人が姿を消したことを知った元老院は、帝国と共に境界線の川を渡って妖魔の森に入ってきた。そして、氏族の森を開拓し始めたのさ」


 明水の流れるように宙を滑る数多の剣を流しきれず、サンは反撃に出た。だが、それも明水は難なくかわしてみせる。

 サンはぶれる自分の太刀筋に唇を噛んで眉を曲げた。俺がライガを助けようと森に行ったせいで、戦が始まったというのか。俺は仲間を守ろうとしただけなのに、それがヴィアドラに混沌を招いた?

 明水の水龍を操る秘術は水を象った気であり、闘気の技とは比にならないほど自由に動く技だった。本当に意思を持っているかのように動き、俺の羽衣の光剣を超える力を有している。羽衣を食いちぎり、樹々を薙ぎ倒し地面を穿つ。それなのにその身は水のように変化して刀を通さない。圧倒的な力の解放で水龍を弾けさせても、すぐさま形が戻る。こんなものをどうやって相手にしろと言うのだろうか。


「お前とカゲツは、正式に不名誉除隊だ。戦闘区域には帝国兵もいるからな。蒼龍将は、お前が元老院についたとも思ってるのさ。俺だってそうだ。鬼に捕まった仲間を庇うようなことをするのもおかしな話だ。そんな仲間を砦に入れようって考えと判断、百年前の龍人のようにイかれたか」


「仲間を助けてなにが悪い!」


「その身勝手な行動が、多くの命を奪う矢を放つことになったということがわからないか龍人」


 サンは光剣を一本に纏め、水龍の首を落とす。


「なら、あんたは班員が鬼に捕まったら黙って殺すのか!」


「介錯してやるだろうな」


 サンは剣術にもならない力任せの一振りを明水に見舞う。首を落とした水龍がその間に入り込み、サンの剣を受け止めると呑み込もうと形を変えた。その水龍に光剣を突き立てて爆散させる。その瞬間、水龍から感じた明水の心の亀裂をサンは感じた。

 その言葉とは裏腹の心に、サンは思わず剣を止める。


「介錯したことがあるんだな。あんたはそれを後悔してる」


 明水が乾いた笑いを零しながら、ぶれない剣を閃かせる。


「俺の気から何かを感じたようだが、間違いだ。介錯しなかったからこそだ」


 明水の剣は二度と折れないという誓いのように堅く、粘り強い。だからこそ、サンも折れるわけにはいかなかった。


「俺は仲間を見捨てたくない。それを守るために力を振るうと決めた。あんたがなんと言おうと、俺は大切なものを守るために行動してる。そこに、仲間を殺す糞にも役に立たない考えや判断はない。それのなにが悪いんだ。俺は狂ってなんかない。だから、もう剣を引いてくれ」


 二人は鍔迫り合いで火花を散らし、揺るぎない信念を湛えた目で視線を燃やす。


「甘いな龍人。その自分勝手な思いが、人を苦しめる」


 サンは、数日前に気づいたそのことを言われて力を抜きそうになったが、歯を食いしばり食い下がる。


「あぁ。だからこそ、最後まで貫かないといけないんだ」


 種になること。それが鬼と人の和解に繋がるならば。


「ライガが餓鬼になったらどうする」


「そのときはそのときだ。あいつが人を襲うようなら、俺が鬼に頼ってでも助ける」


「鬼だと? ヴィアドラはどうする。ヴィアドラを守る使命がある龍人ともあろうものが一人の人間のために大勢を捨てるか」


 サンは視線を落とし、再び明水を見据える。


「蒼龍将を止めて、元老院も止める」


 明水は、今度こそ愉快そうに笑った。


「無理に決まってるだろ。本気で言ってるのか? 俺を簡単に止められないお前が、蒼龍将を止めるだと? あの方は俺より強い。それに元老院にはお前を破った帝国の力があるんだろう」


「力だけじゃない。話し合えば、きっとわかるはずだ」


 鬼がウラドだと知り、人を喰うような生き物でもなく、仲間を想う人と変わりないものだと知ったように。


「どこまでも甘いな。だが、龍人なら止められるかもしれないと信じたくなってしまう」明水が、初めて弱弱しい笑みを見せた。「話し合いに持っていくにしても、今のお前では蒼龍将には敵わない。この程度の力でねじ伏せられると思うなよ。今の蒼龍将は、迷わずお前を斬るぞ」


 明水の水龍が空気に霧散していく。二人は鍔迫り合いから刀を離し、数本後退り距離を取った。


「もし、戦を終わらせるなら早くしてくれ。もう、烈刀士は北を護りきれそうにないんでな。巡回班も足りてなくて、かつてないほど防衛線を下げてる」


 背後で聞こえていたカゲツ達の戦闘の音はすでに鳴り止んでいた。目を向けると、数人の烈刀士に押さえ込まれて地面に顔をつけているカゲツが見えた。

 サンは刀を鞘に収めた。「俺は、ヴィアドラに行って蒼龍将と話をつけてきます」


「砦は通れないぞ。他の烈刀士将はお前を捕らえるだろうからな。東に向かえ。壱ノ砦には、主人である蒼龍将がいないから内側の警備が手薄になっている。なんとかして〈鬼目郷〉まで行って、そこから船に乗れば蒼龍ノ國近くまでいけるだろう。蒼龍ノ國と妖魔の森の界になってるあの広い河で、蒼龍将と元老院は睨み合ってる」


 サンは深く頭を下げると、カゲツの方へ歩き出す。そんなサンを明水は呼び止めた。


「お前達は烈刀士が足を踏み入れない北まで行った。ライガを助けるとき、他に捕えられたものはいたか?」


 サンは逡巡の後に頷いた。


「だけど、ライガ以外はもう」


 明水は笑みにもならないものを一瞬口に浮かべる。そして、首元に指を当てながら唇を湿らせて間を置くと、


「首に燃える龍の刺青を入れた餓鬼を見なかったか」と、震えそうな声で言った。


 明水の向けてくる目は、細くほつれそうな光を湛えていた。そんな光を湛えていることに赦しを乞うような笑いを作りながら。


「いや、そこまでは確認してなくて。わからない」


 明水は頷くと、サンの肩を叩いてカゲツ達の方へと歩いて行った。

 明水は、他の班の烈刀士達に、サンが戦を止めるべく龍人として南に下ることを説明しながら説得してくれた。そして、巡回中に見つけたが直後に気を失ったということで、ライガだけは砦に返してくれることとなった。それどころか、明水のように戦に反対的な壱ノ砦の仲間に連絡を取り合って、船を確保してくれるということになった。


「だが、どちらにしろお前達は不名誉除隊だ。見つけられたら切腹か、殺される。龍人は捕らえろって命令だけどな」


「退屈しない旅になりそうですね」


 カゲツの味気ない声音に、明水は肩を叩いて笑ってみせた。


「あと、帝国のミュルダスって女将軍には気をつけろ。サン、戦前にお前との会談を強く望んできた。条約を覆すことを条件付きでな。龍人はヴィアドラの象徴に変わりない。それを利用する算段だろう」


「はい」ところで、とサンは口を湿らせた。「鬼火は、どうなりましたか」


 火季(ひのき)にも関わらず、落ち葉の落とす影のような風が流れた。明水の黙って俺を見つめる目に耐えられず、サンは眉を顰めた。


「芳しくはないが、それでも生きてはいる」


 それ以上のことを聞くのは怖かった。とにかく、まだ生きているのだ。それだけで今は十分だった。砦に帰りたい理由が増えてしまったが、俺は進まなければならない。

 サンは、先輩烈刀士達に改めて深く頭を下げると、カゲツと共に東の海岸にある壱ノ砦の方を見てから頷き合う。

 肩を並べて歩き始めてすぐに、「よかったな」とカゲツが口を開いた。

 サンは、普通に話しかけてきたカゲツを見て一拍置くと、口をにんまりとさせて頷いた。


「さっきの戦い、お前なかなかだったな。羽衣まで使えるとは思わなかった」


「戦神はなんで俺を龍人に選ばなかったんだろう。俺のほうがよっぽど頭も切れるのに」


 サンは眉を緩めて首を振りながら笑うと、カゲツより一歩前を歩く。


「俺のほうが強くて見込みがあると見抜いたんだろ。それに、お前は頭が切れるんじゃなくて、皮肉が切れるだけだろ」


 なっ、とカゲツは声を上げるとサンの一歩前を踏み出した。サンはそれを追い抜こうとせずに足を止めて、閃いたように声をあげた。そして、振り返るカゲツに終わってほしくないと言いたげに、一日の最後を飾る夕日のような笑みを向けた。


「初めて妖魔の森に入ったときも、二人だったな。こんなやりとりをしてた」


 カゲツが呆れたように目をぐるりと回して肩をあげた。


「それじゃあ、俺の後ろを歩くお前はビビってるってことになるね」


「なら、お前はあのときこう言ったよな。異国じゃ女性を先に行かせるって」サンは目を皿にして白い歯を見せた。「さぁお先にどうぞカゲツ姫」


 カゲツはじっとサンを見つめてから、くだらないと言って進み始めた。前を振り向くその口元が柔らかく弧を描いていたのを、サンは見逃さなかった。

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