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Belief of Soul〜愛・犠の刀〜  作者: 彗暉
第三章 強さ
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九話

 サンは縁側に寝そべって、カシが買ってきた風鈴が風に揺れるのを眺めていた。手に持った木刀の感触を確かめるように握ると、体をバネのように曲げて跳ね起きた。庭に立ち、木刀を構えて上段から斜めに振り下ろし、そのまま振り上げる。切り返す全ての動きは滑らかだった。

 円を描くように一度も止まる隙を作らないのがコツだ。これを理解して動きに加えていくのは大変だった。木刀が風を切る音が聞こえるようになったのも最近だ。最初は振っても振っても音は鳴らないし、止めたいところで止めることができなかった。だけど、あれから欠かさず毎日鍛錬を続け、今では風を切りつつ寸止めもうまくいくほどになった。脇を締め、つま先ではなく土踏まずと踵で体重と力を操作するのだ。

 勢いよく振られた木刀が風を切り、庭にある一本の木の幹すれすれで止まる。指二本分くらいかな。師匠は一本も満たないくらいの寸止めをするが、今の俺には難しい。当てるのは簡単なんだけどな。

 サンは家の玄関に続く街道の方を見やる。そこに求めた影はない。

「にしても。遅いな師匠」

 帰りは三時くらいになると言っていた。時計は読めないが、片方の針がある場所に来たら三時だということは教わった。それなのにその針は三時の場所を通り越している。師匠は言ったことを破ったことはないし、帰ってくる時間はいつもぴったりだったのに、今日は明らかにおかしい。

 サンは荷物をまとめ、木刀二本を腰に差すと、戸締りを確認して家を出て町を目指した。

 家から町へは意外と時間がかかる。もしも丘の急斜面から転がり落ちるか飛べるかしたら、ほんの数分とやらでたどり着けるのに。歩いていくと、いくつもの小さな丘と、妖魔に襲われた草原を越えていかねばならないのだから面倒だった。

 丘から草原に変わるところにある大きな岩までたどり着くと、顎の下に滴る汗を拭って気持ちを入れ替える。あと半分、まだ走れるぞ。

「おいおい坊主、そんなに急いでどこいくかい」

 ぎょっとして声の方を見ると、今の今まで何もいなかったはずの岩の上に、小汚い男が長い無精髭をぼりぼりと掻きながら座っていた。気持ち良さそうに顔を浮つかせている。きっと酔っ払いだ。

「どこって、町だよ。それより、これくらいの背丈で、腰に同じ長さの刀を二本差した男の人をみなかった? 戦装束で笠をかぶってたと思うんだけど」

 男はあからさまに嫌そうな顔をしてみせる。

「なんだいそれは人斬りだろう。そんな物騒なやつ見かけたら尻見せて逃げるって。坊主はあの丘の上の家の子かい?」

「そうだけど。師匠を見てないんだね。それじゃ」

 走り出すサンを見て男が慌てて岩の上に立った。

「おいおいちょっと待って待って。その人斬り殿様は刀を二本って言ったか?」

「そうだけど?」サンは眉を寄せる。「知ってる?」

「同じ長さの二刀流?」

「そうだけど」腰に手を当てて男に向き直る。「知ってるなら教えてよ」

「いや、知らない。そんな獲物を二本も振り回せる人間いないもんね。坊主も二本木刀差してるけど、恥ずかしいよ?」

「うるさいな。もう用はないから、じゃあね」

 サンは再び走ると岩の方を振り返る。だが、男の姿はすでになかった。


 町の門では、石橋を関所番ではない男がせっせと掃除していた。堅い箒で必死に擦っている場所には黒い液体の跡があり、必死でこすってはいるが落ちている様子はない。サンが横を通り過ぎると、男が腰を伸ばすために腰に手を当てる。

「ったく落ちやしない!」男が汗を拭い腰を叩きながら叫んだ。

「だが、落としてもらわにゃ困るわな」関所番が興味なさそうに言う。

「血は乾く前に言ってもらいませんと落ちんのよ! それくらいわかるでしょうに」

 あの黒い跡は血だったのか。サンは通り過ぎてから振り返って驚く。だとしたら凄い出血じゃないか。やっぱり物騒なこともあるんだな。そう思いながら町の中に入ると、街はすでに提灯が灯されていて、空よりも少し早く夜を迎えていた。

 師匠ならあの旅籠にいるかもしれない。人混みをかき分けて進んでいき、旅籠にたどり着いて玄関の前で硬直する。さっきと同じ黒い液体の染みだ。石畳のその染みはまだ湿り気があるようだった。

 血痕を避けて暖簾をくぐり中に入ると、受付の若い男が忙しそうに数人の客に囲まれていた。不安そうな客を静かになだめようと必死だ。

 受付の若者の苦労を与り知らぬか、廊下の奥から袖をまくり、湯気立つ桶に白い清潔な布を持った仲居が小走りにやってくる。その仲居の走る廊下の反対側から走ってくる仲居の手には同じように桶があったが、そこには真っ赤に染まった布があった。それを見た客がその布を指差して受付の若者に詰め寄る。サンも血の匂いに眉を顰めた。

 真っ赤に染まった布から血の臭いがぷんぷんしてきた。その布を持った仲居はサンを見るとハッと息を呑んで立ち止まった。あの女性は初めてここにきた時に、洗濯や言葉遣いを教えてくれた仲居さんだ。

「サンちゃん! 今すぐにあの部屋に行きなさい」

 サンは言われた通りにそうした。なにがなんだかわからないが、心臓が冷たく感じるほどに嫌な感じがする。

 襖を開けて最初に感じたのは、喉に張り付くような酷い鉄の臭いだった。続いて番頭の真剣で苛立った指示を飛ばす声が聞こえ、畳間に横になった誰かの背中を赤黒い布で押さえている姿が目に入った。振り向いた番頭と目が合った。

「サン。お前は部屋の隅にいなさい」

 口を開きかけたサンは、後ろから忙しそうにやってきた仲居にどかされて部屋の隅に追いやられる。

 仲居さんの手には新しいお湯の入った桶と白い布があった。部屋の緊迫して苛立った空気、血の臭いに耐えられず袖を口にあてながら、怪我人が誰なのか考えながら部屋の端を歩いて近づいていく。心のどこかで怪我人が誰であるのかを冷静に受け止めつつ、それを否定する自分を感じながら。

 怪我人の汗だくで小刻みに震える青ざめた顔を見て、腹の底から震えそうな息を漏らす。今息を吸ったら泣いてしまいそうだ。なんで、こんなことになったんだ。番頭が顔を上げて俺を見る。その目にはなんと声をかけたらいいかわからず、同情に揺れているようだった。やめてくれよそんな目は。

「サン、大丈夫だ。今この町で一番の医者を呼んである。大丈夫だ」

 そう言いつつ、番頭は必死にカシの背中を押さえつけながら自分の肩で汗を拭った。布から滴る血を見ながら、番頭は悪態をついた。

「これでは……。まだか、医者はまだか!」

「その医者はどこの人ですか? 俺が探してきます」サンは震える声を締め上げて番頭に尋ねた。

 その場所は配達の範囲内にあることがわかると、サンは一目散に走った。どんなに強面の人足にぶつかろうと、脇目も振らずに走った。人通りの中に、旅籠の仕着せを纏った仲居と異国風の老人が人混みの中を必死に通り抜けようとしているのが見えると、人混みを無理やり掻き分けて近づく。

「あんたが医者か!」

 老人は不満を惜しげも無く深い皺と白くなった眉の顔に表した。サンは仲居が重たそうに持っている大きな四角くて硬そうな革張りの鞄をもぎ取ると、道の者にどくように叫びながら進む。

「はやくついてきてよ!」

 サンは後ろを向いて老人に叫んだ。無性に腹が立ってしまってどうしようもない。

「わたしのディナーを邪魔しておいてよく言うわい」

 ディナー? なんだそれ。それより医者ってのは人を救うためにいるんだろ。それなのになんでこんなにもめんどくさそうなんだ?

 サンは深呼吸すると足を止め老人を振り返る。

「俺の師匠が血だらけで意識がないんです。だから、急いでください。お願いします」

 老人は白い眉毛を両方あげた。なんだ、俺の様子がそんなに変だって言うのか? こっちはこれで精一杯なんだって!

「ならなんで止まってるんだ? 急がなくていいのか?」

 サンはみるみる顔が熱くなり、胸から喉に膨張する言葉の数々を感じるが、それをバネに重い鞄を持ち上げて旅籠を目指した。


 部屋の空気は先ほどと変わっていなかった。忙しなく仲居が行ったり来たりしている。部屋に入った医者を見るや否や部屋を支配する空気が一段冷めたように感じられた。

「状態は?」老人の医者が素早く訊く。

「背中に袈裟斬りの傷で、肩から腰まである」少しでも気を緩ませれば弾けてしまいそうな冷たい早口で番頭は言った。

 医者は頷くと、袖から小瓶を取り出し、中身の透明な液体を瓶から手に垂らし、揉んでぱたぱたとさせて、番頭が押さえている布を少し剥がし傷の具合を確かめる。液体の匂いなのだろう。鼻を突き抜けるような匂いが一瞬したかと思うとすぐに消えた。

「これは間に合わないな」

 部屋の空気が凍りつき、サンは数人の目線が自分にちらりと向けられたのを感じた。

 医者が愉快そうに笑い始め、狂ったのかと皆が医者に視線を注ぐ。

「あぁ、死ぬってわけじゃない。縫うのは間に合わないって意味だ。そこのサンとやら、わたしの鞄から赤色の蓋の小瓶をとってくれ」

 サンは言われた通りにそれらしき小瓶を取った。

「蓋を取ってそれを私に飲ませてくれ」

 医者は口を開けると上を向いた。サンは小瓶の中の薄く透き通った緑色の液体を、医者の口に流す。それを医者は飲み込むと、酸っぱいものを飲んだかのように体を一つ震わせた。

「いい助手じゃないかサン。さぁ、始める。傷の深い肩の方から処置をする。そこから腰の方に少しずつ布を剥がしていってくれ」

 そう言い、医者が肩に触れ始めるとすぐさま異変が起きた。それは師匠の不可思議な技を使うときに起こる空気が歪むのと同じだ。太陽に熱せられた鉄板の上で揺らめく空気のように、ゆらゆらと空気が歪む。それが医者の手と師匠の傷の間で起きている。

 カシの傷口から血が流れなくなっていく。触れた場所の傷が塞がり、僅かな線となっていき、腰まで触れた手が離れると傷らしい傷は無くなっていた。

 周囲からは不気味がる不安げな声が漏れる。まるで異様なものを見て嫌がる声だ。確かに不気味かもしれない。あれはなんなんだ? 師匠にもなんだか聞いちゃいけないような気がして聞かなかったけど、すごい技だ。サンは一人興奮して塞がった傷を眺めた。本当に線が一本あるだけだ。

 医者がひどく疲れたようにこめかみを押さえて息をついた。その顔は本当に疲れたのかやつれているようにも見える。

「サン、青い蓋の小瓶を取ってくれ」

 サンはその小瓶を手渡すと、医者は勢いよく飲み干した。座ったまま後ろに手をつき、痛みにでも耐えているのか、顔を歪ませたままカシの背中を眺めている。

「流れた血が多すぎるが、傷は塞がった。刀の傷はくっつきやすくていいものだな。あとはこいつ次第だ。ったく、なんだってこんな傷を? あぁ、知りたくない。今のは独り言だ。それで、治療代はどうする?」

 皆がそわそわと身じろぎするのが聞こえた。番頭は一瞬サンを見たが医者に視線を移すと自分が払うと平然と言い、部屋の空気が軽いものになる。

「なら結構、わたしは戻ることにしよう。明日診療所にきてくれ」

「手形でいいか?」

「もちろん、ヴィアドラ通貨じゃかさばるからな」

 安い治療代ではなかったんだ。番頭さんのため息がおもい。番頭さんにはいつかこのお金を返さなくちゃな。

「サン、わたしは先に戻っているから荷物を頼んだよ。あ、瓶は割らない方がいいぞ。一瓶、壱両(いちりょう)はするからな」

 それってどれくらいだ?

 サンが尋ねようか迷った瞬間、部屋の空気が腰抜けた。番頭の真っ白で軽石のようにすかすかな表情を見て、サンはとにかく大変な金額なのだろう想像できた。これは、きっと返せないやつだ。サンは鞄の取っ手を強く握りしめる。ゆっくり運ぼう。

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