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Belief of Soul〜愛・犠の刀〜  作者: 彗暉
第十五章 紅の漣
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八十八話

 数回瞬きをして、サンはようやく自分が地面に横になっていることに気がついた。

 そうか、俺はまた死鬼(シキ)という人物の記憶を見ていたのだったか。

 サンは身を起こすと、立ち上がる気も起きず、そのまま足を抱えて呆然と地面を見下ろしていた。人を襲う鬼と言えども、虐殺する側を体験したのだから飄々としていられるはずがない。

 人が鬼に抱く恐怖はよくわかる。俺だって、鬼を前にすると毛が逆立つような思いに駆られて刀を握りたくなる。だけど、鬼が人に抱く思いもわかってしまった。あの虐殺から逃げようとする鬼の表情を見ればわかる。鬼もまた、人を恐れているのだ。

 鬼の住処である妖魔の森を荒らし、かつての姿を失わせて人の世に作り変えてきた人間こそ、鬼達からすれば鬼なのだ。

 横を見ると、カゲツも井戸の底のような影を顔に落として座り込んでいた。何を考えているのかはわからないが、一筋の明るさもない思考であることくらいはわかる。

 気配を感じて振り向くと、ハワが四本の腕を組みながら黄金の双眸で俺を見下ろしていた。


「〈大霊樹〉は、あんたらに血の記憶を見せたのだ。君の血に眠る先祖の記憶だ。何を見せられたかは知らぬが、我らリーフの〈大霊樹〉はあんたらを認めた。ほれ、あれを見てみなさい」


 ハワが指差した方には相変わらず目を閉じて横たわっているライガの姿があった。その上下する胸は安定し、顔色も悪くない。サンはハワの目を見返した。


「君の友人は助かった。あんたらが記憶を見ている間に〈大霊樹〉がライガの体の中の鬼の血を分解し、転化するのを止めた。それと同時に、体の機能を取り戻させるために莫大なルスによって満たした。目覚めるには数週間かかるが、その間に衰弱することもない。目覚めるまであんたらが身体を守ってやらねばならんがな」


「ルス……。とにかく、助かったんですね。ありがとうございます」


 サンの言葉を、ハワは手で遮った。


「言葉はいらぬ。〈大霊樹〉はあんたらを助けた」


 なるほど、恩を返せということだ。だけど、何をどうすればいいのだろうか。人は鬼を恐れ、殺すべきものとして信じている。鬼は人から自分達を守るために人と戦う。両者は自分達を守るために刃を向け合い、断ち切れぬ命のやり取りを繰り返す。


「アイラ=ハーリトの者は、南の自分達のアイラを奪われた人に恨みがある。だけど、彼らのアイラを返すことはできないし、返したとしても、もはやかつての森の姿ではないんです」


 人を憎むハーリトに渡せるものは何もないのだ。人がどれだけ死のうが、彼らが満たされることはない。

 ハワがサンの横に座り、黒い幹に七色の光脈を巡らす〈大霊樹〉を、腕を広げて指し示す。


「あの光が見えるであろう。あれはルスそのもの、世界の魂、命の源。すべての源なのだ。動物は生まれ出たそのときより、己の内にオルスを宿す。だが、肉体が滅びればオルスは自然に還りルスとなる。儂らウラドは〈大霊樹〉の種でな。数千年も生きた種は、莫大なオルスを宿していて、やがて死を迎えるときに〈大霊樹〉の芽となる。その身に宿した莫大なオルスが、ルスとなって森に命を与えるのだ」


 サンは、彗星のように光を張り巡らす黒い森を見回した。

 世界の魂であり、命の源であるルス。オルスは魂のことだとシーナさんは言っていた。鬼にも宿るオルス、人にも宿るオルス。だけど、死んでしまえばやがてルスという同じものになる。ハワはそう言っているのだ。

 鬼が信じるその世界の理を聞いても、サンは何も言い返す言葉はなかった。


「オルスだとかルスだとか、死んだら皆同じみたいなこと言われても、鬼が人間を殺したり餓鬼に転化させて人と戦わせてきたことは消えないし、それに対する恐怖は消えない。敵であることには変わらない。だけど、人が鬼の住処を奪い、命を奪ってきた罪が鬼をそうさせたかもしれないってことはわかる」


「ハーリトを今のハーリトにさせたのは、人なのだ」


 ハワの堅い言葉に、サンは目を瞑って何度も頷いた。


「だとしても、もうどうにもならないだろ。俺になにができるっていうんだ。俺は龍人だが、鬼と戦う力なんだ。大切なものを守るための力なんだ」


「戦うだけが、力かね」


 ハワの言葉に、サンは顔を上げて黄金の眼の中に答えを見つけようとした。だが、ハワはそれよりも早く立ち上がり「もう帰る時間だ」と言って、近づいてきたカグラの方を向いてしまっていた。


「わからないのかサン。莫大なオルスは種と変わりないって言葉、あれ、お前は鬼からすると種と変わらないってことでしょ」


「話を盗み聞きしてたのかよ。もう、信じられないことばかりで、俺はどうしたらいいのかわからない。だけど、お前のその考えが正しければ、ハーリトの旗印が俺を殺さずに連れ去ろうとしたのには納得だな」


 サンは腰に手を当てて長く深い息を吐くと、ハッと気づいたようにカゲツに片笑んで見せる。


「お前はこうやって俺のもやもやしたものを晴らすことがある。その愛刀〝叢雲斬〟って銘はぴったりだな」


 カゲツは片眉を上げて乾いた目をサンに向けて首を振った。


「その天性の余裕から生まれる思考を少しでも働かせて、俺の言葉の意味をもうちょっと深く考えて欲しいものだけどね」


 ハワと話を終えたカグラが近づいてきて、サンとカゲツを見回した。


「ライガ様を連れて、砦に戻りましょう」


「俺達を本当に無事に戻すんだな」


 カグラとハワが愉快そうに笑った。


「えぇ。ですから、あなた方か呼ぶ鬼ではなく、ウラドとして意識してくださいませ、龍人様」


 その言葉に、サンはそうだなと呟いたが、カゲツの目はカグラの言葉の真意を射抜こうとするかのように静かなものだった。

 どの街のどの建物よりも背の高い黒い樹々の森を抜けて、サン、カゲツ、カグラは岩山の頂上で風を浴びながら南の方角を見渡した。

 ここまで来るのに半日。砦には一週間はかかるだろう。ライガは未だ目覚める気配はないし、背負える椅子を作ったはいいものの、ライガを固定して背負って山道を歩くのは至難の技だ。


「今日はここで夜を明かそう」サンは額に手を翳して、西陽に染まる妖魔の森を見渡してから体を腕で包んだ。


「やっぱりこっちは火季でも風が冷たいな。明日には山を降りたいところだな」


 カゲツが、火を熾すと言って荷物を地面に下ろした。カグラが着物の裾を翻してカゲツの方へ変わらぬ美しさをもって歩き始めたが、森から目を離してからのカグラはどうもぎこちないように感じた。サンとカゲツが話していても、カグラは会話に入ってくることはなく、静かな呼吸を繰り返して火を眺めていた。サンとカゲツが二人揃ってカグラを見つめるも、途切れた会話と視線に気づく様子も見られない。

 カゲツが咳払いをして、カグラがようやく目だけを動かしてこちらを見た。焚火がゆらめく紅い眼は、火を写しながらも紅かった。


「さっきから口数が少ないけど、なにかあったのかい?」


 カゲツの質問に、カグラは小さく首を振った。


「そっか。じゃあちょっと訊きたいことがあるんだけど」


 カグラは返事をすることも視線を合わせることもせず、ただ焚火の中に何かを見るように見つめている。風が吹くたびに、髪飾りの爪よりも小さな風鈴が雪のように儚げな音を転がした。その音を了解とでも受け取ったのか、カゲツが言葉を続ける。


「アイラ=リーフの森でハワが言った種のことだけどさ。あれって、ハーリトのアイラを築くために、サンに種になれって言ってるんだよね?」


 黙ったままのカグラの揃った前髪が風に靡き、焚火の火が爆ぜた。その音に驚いたカグラが肩をピクリとさせた。その様子に気づかないはずがなかったが、カゲツが並べる言葉は速いものへと変わっていく。


「ハーリトは、かつて俺達の先祖にアイラを奪われて恨んでいる。砦を襲い、壁の向こう側のかつての故郷を取り返そうとしているんだよね。それには血を流す必要がある。でもさ、ハーリトが真に望むのが自分達のアイラ復活なら、人との戦は忘れてアイラ=リーフの近くにでもアイラを築けばいいんじゃないのかな。リーフと協力してハーリトの中のどいつかが種になればいいでしょ」


 カゲツの言葉を聞いてもカグラが表情一つ変えなかった。だが、一度瞬きをすると、呼吸をするように語り始める。


「ウラドは同じ〈大霊樹〉から生まれ出た者だけでアイラを築きます。ウラドという種族としては同じものですが、〈大霊樹〉の種となったウラドのオルス、すなわち魂が宿す信念や意思、思念などを色濃く受けています。ハーリトは人を倒すことが魂に刻まれ、リーフは共存を望む。両者はウラドであっても、根では繋がれない。ですから、リーフはハーリトを助ける気持ちはあっても、受け入れることができないのです。受け入れれば、リーフはリーフで無くなってしまう。ハーリトもそれは同じなのです」


 カグラは膝で揃えていた手を握った。


「どんな生き物、草や木でも生きるために抗います。ハーリトも同じ。本来ならば奪われたものを取り返すのが道理。ですが、その力はハーリトには残されておらず、育むためのアイラを築くだけの種となる個体すら育たない。他者のものを奪って生き長らえなければならないのです。ですから、ハーリトはリーフのアイラの樹を殺してそこから純粋なルスを啜っているのです。リーフもそれは百も承知であるものの、自分達のアイラを壊されることに黙っていられましょうか」


 カグラは目を閉じて、やまない雨のような息を吐いた。


「長老様がサン様に言った種の話をどう受けとるかは、サン様次第。ですが、カゲツ様が仰った、サン様の力をハーリトが武器にするという心配はお捨てくださいませ。ウラドは我々人間のように秘術の類は使えませんゆえ」


 カゲツが鼻で嗤った。


「言葉を並べて状況を説明しただけで、俺の肝心な質問に答えてないよ」カゲツが目を細めてカグラの目を覗き込むように身を僅かに乗り出した。「サンに、ハーリトの種になるように力を差し出せって言ってるのか訊いているんだ」


「それは、サン様の受け取り次第でありますゆえ、わたくしにはなんとも」


 逡巡もなく返された言葉に、カゲツは面食らったように言葉を失っていたが、目に映る焚火の揺らめく火が心情そのものを語っているようだった。

 サンは、沸いた湯を木の杯に注いでカゲツに手渡した。ハワが〈大霊樹〉の恩恵である力を使って、黒い一本の枝から作り出してくれた取っ手付きの杯だ。カゲツは口をつけようとして、その杯だと気づくと明け透けに顔を顰めた。


「まぁ、カゲツも熱くなるなよ。俺のことを心配してくれてるんだろうけど、少し考えすぎだよ」


 カゲツはその言葉を聞いて、サンの顔を改めて見るように見返した。その咎めるような表情に、サンは思わず苦笑する。


「だいたい、お前はなんだってこの女を信じるんだ? 俺と同じで、あの滝で鬼に囲まれた状況だったから信じたと思ったけど、それにしては信頼しすぎだ」そこまで言って、カゲツは杯を手から落とし、刀を掴んで立ち上がった。「まさか、女の術に――」


 サンは立ち上がって、カグラの方を向くカゲツの肩を掴んで自分に向き合わせた。


「違う、カゲツ。俺はカグラのことを無色にいた頃から知ってるんだ。それに、俺が龍人の力に苦しんでいるときに、力づけてくれたんだ」


 カゲツの目の下が痙攣した。


「力づけた……。そうかい、だから俺の考えよりも、この女の言うことを尊重するってわけか」


 カゲツはサンの腕を振り払うと、毛布にくるまって焚火の横で目を覚まさないでいるライガを見て、歯を食いしばって息を殺した。そして、焚火を跨ぐと影が色濃くなった山肌を降りていってしまう。


「おいカゲツ!」


「用を足すだけだ!」


 サンは石に腰を下ろすと、カグラを横目でちらりと見る。相変わらず、カグラは焚火を遠い目で見つめていた。


「なんか、すまない。だけど、カゲツの言うことは正しいと俺も思ってるよ」


「受け取るのは、サン様次第です」


 サンは頷きながら杯を手の中で回して息をつく。


「サン様」


 サンはカグラに顔を向けた。


「力づけるのは一瞬のこと。支え続けることの苦難には、到底勝るものではありません」


 そう言って、カグラは赤子のように静かに息をして目を瞑るライガに目を向けた。

 サンは息を呑み、山肌に友の姿を探す。だが、西の遥か遠くの山脈に陽は落ちて、藍色の空の下に広がる世界ではその姿も見えなくなっていた。


「支え続けるか。カゲツ——」


 そう言い終わると同時に、サンが目を凝らす斜面の下の方から、爆発音と共に火柱が熱風と緋色の渦となって、夜陰を喰らわんと天高く昇った。

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