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Belief of Soul〜愛・犠の刀〜  作者: 彗暉
第十五章 紅の漣
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八十七話

 死鬼(シキ)は己に処刑の宣告をしたためた手紙を丸めてゆっくりと握りしめた。そして、沸騰し始めた鍋の蓋のように笑いを溢し、やがて豪快に空笑を響かせた。そして、森の方を指差す。

 あっちは東だ。古い氏族が住み、元老院によって搾取されようとしている彼らの家。


「月夜美、教えてくれ。我はヴィアドラを脅かすあの鬼と変わらぬか?」


「なにをおっしゃいます」月夜美と呼ばれた女の伝令が語気を強めて死鬼の前に立ちはだかる。「貴方様こそがヴィアドラの魂であらさせられましょう? 鬼を退け、数多の刀衆を束ねた貴方様無くして、今のヴィアドラの栄華はありませぬ」


 死鬼は、柔らかな笑みで喉を鳴らした。


「そうか。そう言ってくれるか」


「いかがなされた」


 月夜美は、勢いが劣ることを知らぬ彗星の如き目で死鬼を見つめながら、死鬼の胸に拳を突きつけた。音が鳴るほど強く突きつけられたそれを、死鬼はそっと手で包む。


「いや、なんでもない。お前が友でよかった」


 月夜美は、刀を握るより茶を煎じる方がよっぽど似合う線の細い顔に、男勝りな笑みを浮かべる。何度も何度もそうしてきたように。


「手紙がなんであれど、貴方様の心に曇りはないはず。そうでありましょう、総長?」


 死鬼は応える笑みの中に獣のような怒りを湧き上がらせると、それを滾らせるように荒々しく砦の縁に身を躍らせて下を見下ろす。

 そこには、形や装飾もばらばらな戦装束に身を包んだ数百のモノノフ達が思い思いに待機していた。

 死鬼は、肺いっぱいに空気を吸い込んだ。


「モノノフ達よ!」


 その声に、モノノフ達は足を止め、手を止めて、すべての者が顔を上げて応えた。その目は、研ぎ澄まされて燃え上がる刃のようだ。

 その目に応えるに値するため、死鬼は声を張り上げる。


「廉潔なる初志に集うモノノフよ! 今一度、我らの刀の味を鬼に知らしめようぞ!」


 多くのモノノフが沸き上がる笑みに白い歯を覗かせて、斧や刀を掲げる。


「だが、鬼だけではない! 今、ヴィアドアラは魂を失いつつある! 商人が拵えた元老院は民を喜ばせるが、その性根は腐った根の如し! 我ら集いし刀衆の手柄に、民の心を奪われんと臆する元老院は、ついに――」


 死鬼は、手紙を投げ捨ててそれを指差した。落ちてきた手紙をモノノフ達が拾い、目を走らせる。


「――我の首を求めてきた。鬼との戦いを名声の道具とし、民の心と自由を操作せんとする商人の、醜い要求に翻弄されるのはもはやこれまで。國内部では、元老院に怯え屈した氏族が、この壁の向こうで切れない刀を研いで、民の上で踏ん反り返る始末。だが、我らは違う! 守るために生まれ、守るために生き、守るために戦うモノノフなり!」


 死鬼は、モノノフ達を睨みつけるように見下ろしたまま、後ろの森を指差した。


「今、この瞬間にも、鬼と戦い苦しんでいる氏族がいる。ヴィアドラの家族であり、友であり守るべきものだ。彼らを助けるのに、誰のゆるしが必要だというか。誰にそれを決める権利があるというか。元老院か? 否! 誰でもなくば神でもない! 愛と犠の覚悟を持って刀を抜けばよいのだ!」

 死鬼の言葉に頷き、胸を叩くモノノフ達。

「貴殿らはモノノフか?」

 モノノフ達が声をあげて応える。

「貴殿らはモノノフか?」

 獲物を掲げ武者震いするモノノフ達の怒号が砦の壁を震わせる。

「ならば抜け! ならば斬れ! 守り通せ!」

 鬨の声は砦をも震わせ、大門が地鳴りのような音を立ててゆっくり封を切るように戦の始まりを告げる。死鬼は刀を抜きはなち、その身を白緑の羽衣に染め上げて、白く光りを帯びた肌に鮮血の隈取を浮かび上がらせた。

「駆けよモノノフ! 烈風の如き駆け刀を振るえ! これより、我ら刀衆は烈刀士と改め一つとなる!」


 サンは、武者震いする体の感覚が、死鬼のものなのか自分のものなのか、わからなかった。きっとどっちもなのだろう。俺は今、烈刀士の誕生、その瞬間にいるのだ。 

 刀衆としてばらばらだった者達は、烈刀士となって狼の如く森を駆けた。そして、皆が羽衣や闘気の鎧を身に纏い、驚いたことに水の上を駆けて河を渡って見せた。

 みるみる内に河の向こう側へとたどり着き、俺とカゲツが烈刀士になるべく龍人の祠を目指したときに、最初に足を踏み入れた妖魔の森へと入っていく。

 鬱蒼とした妖魔の森は、黒と緑が混ざりきっていない絵の具のように色が絡み合っていた。黒い樹皮をもつ草花に覆われた森は、まるで〈大霊樹〉の恵を受けた森のような姿だった。烈刀士が生まれた遥か昔の森は、俺達が足を踏み入れたときとは似ても似つかない姿をしている。

 森に入って十分も経っていないだろう。先頭を走っていた烈刀士が、突如現れた黒い影に飛びつかれて地面で縺れ合う。


「きたぞ!」


 死鬼が叫ぶと同時に、森のありとあらゆる陰から鬼が襲いかかってきた。

 瞬きをする余裕もないほどの乱戦状態に樹々は斬り倒され、森に陽光が射し込んでくる。その光に曝される筋肉を隆起させて黒光りする鬼と、闘気や羽衣の技を駆使して優美に、ときに空を裂く雷の如く舞う烈刀士達。

 鬼が一体倒れれば、別の場所で烈刀士が一人倒れる。そんな熾烈な戦いも、銀骨の鎧を纏った鬼の長である旗印の首を死鬼が討ち取ると、烈刀士の勝鬨の声に変わった。

 死鬼が旗印の首を掲げて、それを東の方向へ、森のさらに奥へと向けた。


「まだ終わりではないぞ同胞よ。これより鬼の巣を破壊し、氏族を助け出す」


 烈刀士達は凄まじい速さで森を駆け抜けていく。森の姿も、幹が太くなり葉と枝の屋根が高いものへと変わっていく。妖魔達は、烈刀士の気配に気づいて身を隠しているのだろう、一体も姿を見せることはなかった。

 やがて開けた場所に出ると、黒く家よりも太い幹の樹々が巧みに曲がり、絡み合って地面よりも高い場所にできた足場があった。だが、その姿は成長過程で曲がったにしてはあまりにも規則的過ぎる。

 突如、背後から殺気を感じて死鬼が羽衣を纏った。羽衣の白緑の輝きは、俺の羽衣とそっくりな色合いをしている。その羽衣を貫かんと、黒い樹の枝が動き羽衣に突き立つ。黒い樹々は意識を持ったかのように枝や根を動かして襲ってきた。さながら鞭のように動く生きた樹々を相手に、死鬼や他の烈刀士はそれぞれの技を使い応戦する。


「妖術だ、ぬかるな! 鬼も近くにおるぞ!」


 死鬼の警告虚しく、烈刀士の一人が動く木の枝に体の上から下までを貫かれる。

 死鬼の羽衣の輝きが増して、光輝く白緑の刃を生み出して宙を翔けさせ、家ほどもある太さの樹々が軽々と切り倒されていく。樹々のさらけた切断面が焼けて橙色に染め上がり、同時に、どんぐりが落ちてくるように樹から鬼達が降ってきた。


「でたぞ! 気を引き締めぃ!」


 烈刀士の滝を切るような掛け声が響き、森の中は再び戦場と化した。

 猛り狂う樹木とそれを操る鬼、鬼よりも鬼らしい形相で刀を振るう烈刀士。

 鬼達は皆揃って体の線が細かった。それはまるで女のようで、筋肉を隆起させているものはいない。子供だろうか、小鬼を庇い森の奥へと逃げる鬼、身を丸めて震える鬼……。

 烈刀士は、すでに戦いを放棄した鬼達に迷いなく刀を振るった。背中を切りつけ体を両断し、鬼に抱かれた小鬼を引き剥がし、やめるよう懇願する鬼の目の前で首を落とした。

 涙を流す鬼が地面に膝を突き、見上げてくる目から零れ落ちる生への渇望と震える混沌は、人と何ら変わりなかった。だが、死鬼の手が止まることはなく、サンが死鬼の体の中でやめるように叫ぶよりも早く、その顔に刀が滑り込み四つの肉塊へと姿を変える。

 これは、虐殺だ。人は鬼を虐殺しているのだ。

 烈刀士達が戦装束を金色の返り血に染めて勝鬨を上げた。ある者はその目に陽射しに焼ける鉄板のような光を湛え、ある者は口を歪ませて仲間の亡骸の前で膝を突いて目を重く伏せた。


「同胞よ、散った桜は後で讃えようぞ。彼らもあの世で仲間の心配をしておるはずだ。さぁ探せ、食われておらぬ者達を助け出せ」


 烈刀士達は、背が高く到底登れない高さにある、蔦で編まれた檻を見つけ出し地面にそっと下ろした。

 そして、皆が呆然と檻の中を見つめる。思わず腰を落とし、目頭を押さえて地面に拳を突き立てる者。何度も何度も名前を呼ぶ者もいる。目に濡れた薄い刃を湛えて立ち尽くす者までも。

 そんな呼び声に応えるかのように手を伸ばす檻の中の者達は、鼻をすするような引き笑いを呼吸の如く響かせ、白目に黄金の血管を血走らせていた。爛れた土のような色に変わってしまった皮膚には獣のような毛を生やし、もはや人ならざる姿に成り果てていた。


「餓鬼に転化したものはもう戻らぬ」


 月夜美が、手にしていた刀を落とし、霧のように消え去りそうな足取りで檻に近づくと膝から座り込んだ。月夜美を切り裂かんと檻から突き出された餓鬼の腕に触れそうなその距離で、月夜美は一体の餓鬼に、さながら今にも溶けて落ちそうな氷柱の眼差しを向けている。


「お父様……」


 月夜美が目を閉じて、頬を伝うものが地面に触れる。再び開いたその目にはぬくもりすら凍らせるものを湛えていた。


「あとは、わたくしが」


 地中奥深くの静けさを纏った言葉とは裏腹に、再び握った刀は震えていた。そして、その刀が一閃のもとに餓鬼を、父と呼んだそれを斬り伏せる。


「総長! こちらにきてくだされ!」


 檻を樹から降ろしていた烈刀士の一人が死鬼を呼んだ。死鬼は月夜美の動かない背中から目を離し、呼ばれた方に足を向けた。そこには、大量の檻が地面に降ろされていた。死鬼はその檻に刀を走らせ、なににも変えられぬ熱い魂の鳴動を噛みしめる。

 檻の中から震えながら出てきて烈刀士にしがみつく者達。

 無事な命もあったのだ。

 サンは、烈刀士達の達成感と感動に満ちた再会の中に、しかし涙も喜びも見いだせずにいた。その足元に広がる黄金の血の海に目を落としながら、意識が白く霧がかって茫洋としていくのを、呆然と噛みしめるだけだった。

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