八十五話
ハワを筆頭に、アイラ=リーフの森の中に十五の鬼が槍を持って集まった。寡黙で、鼻が削がれたような面長の顔からは、どう見たって好意的なものは感じられない。体毛の一本も生えていないし、筋肉を隆起させていないときの鬼は、黒い石像のようだった。
そんな彼らが持つ槍の黒曜石のように見える刃は、火山の熱によって生まれたものではなくて、妖魔の森に生えている銀霊樹から造られたガラスの刃なのだそうだ。銀霊樹から紡がれる銀糸は、烈刀士の戦装束にも使われている。鋼の剣でも切れることはなく、羽のように軽く絹のように柔らかい。そんな特別な木から生み出された刃は、一体どれほど優れているのだろう。ひょっとしたら、人よりも優れた武器を持っているのではないだろうか。サンは、もぞもぞと脇下に手を入れて肩を強張らせた。
「こうも当たり前に鬼が目の前にいるなんてな。想像したことあるか?」
「するわけないでしょ。まさに、夢のようだよ。感謝するよ」
腹を決めたというのに、カゲツは腹のそこに収めたはずのものを言葉の陰にちらつかせる。
ハワに任命された鬼の隊長が、アイラ=ハーリトが人を捕らえているという場所の説明と、奪還するための手順、問題への対処方法、予備の作戦を説明して、三つの班分けが行われた。だけど、そこに俺達人間の席はない。
「あんたら三人は、極上の餌として動いてもらう」
隊長のその言葉に、カゲツが無表情のまま片頬を痙攣させた。サンは、カゲツが口から出す刃物で鬼達の機嫌を損ねる前に口を開いた。
「言いたいことはわかるけど、鬼一体でも相当骨が折れる。ハーリトの数は、俺達の何倍もいるんだろ?」サンは、槍を持った鬼達を手で指し示した。「カグラの力量もわからないし、互いを守り合うのは難しい。俺達の方が小柄だし、目につきにくく侵入しやすいんじゃないか? だから、俺達でライガを救出するから、囮はそっちでなんとかしてくれないか」
「その通り。サンの言う通りだ。それに、カグラさんを守りながら戦うくらいなら、サンと俺の二人のほうがいい」
ハワが笑いを吹き出すと、周りの鬼もそれに続いた。鬼の笑いが裾をひくように鎮まっていくと、カグラが一歩踏み出した。
「カゲツ様は、先攻的ではなく後攻的。太刀筋は、受け身強く守備が堅い。気は、相手の気と対となる。総合的に、相手の攻撃を凌ぐことに長けた御方」カグラはサンに目を向けた。「サン様は、先攻的強く、対複数は後攻的。太刀筋は、速さ極まり攻めに富む。気は、熱しやすく冷めやすい。総合的に、攻撃に長けているものの、護りもそれなりにこなす御方」
その評価に若干の引っ掛かりを覚えながらも、サンはカグラの言葉の続きを待った。
「それらを考慮して、龍人班では最初の攻撃者を囮に見せかけ、敵は次に攻撃してきたカゲツ様やサン様に注意を向ける。ですが、それこそが囮。最初の攻撃者が敵の裏をかく戦法です。護りの戦いに優れたカゲツ様、鬼火様を盾として、その補佐にサン様があたる三段構えの護り。龍人班の殿方の戦い方はわかっておりますゆえ、わたくしが合わせます」
サンは、唾を呑んでカグラの自信に満ちた、というよりも事実を突きつけるような物言いに、顎を引いて身構えた。
「わたくしは、いろいろなものを見ておりますゆえ」
カグラは、サンの視線に答えるように口に笑みを添えて目を伏せた。
「カグラは、あんたらよりも強いぞ。アル=アシャルの狂気と並ぶやもしれん」
ハワの言葉は少しばかり嘘臭かったが、風もないのにカグラの髪が揺らいだのを見て、サンは息を正した。
「カゲツ、たぶんカグラは俺よりも気の扱いに長けている。ここはカグラを信じよう」
知らない人物を見るかのようなカゲツの眼差しに、サンは肩をあげて見せる。カゲツは、言っても無駄だとわかっているのか、小さく首を振ると頷いた。
西へ向かって森の中をひたすら歩いていると、巨人の足のように太い大樹の樹皮が白色の光を帯び始め、夜になったことを教えてくれた。地面の根から葉脈のように張り巡っている光脈は、俺達が知っている緑色の光を発していなかった。よく見ると、その光は太陽の光を浴びた霧のように、七色を帯びている。
数時間は進んだのだろう。空の様子がわからない妖魔の森では、この発する光だけが時間の経過を教えてくれる。
白く淡い光が森を包み始めた頃、先頭を歩いていた隊長の鬼が地面に伏せた。それに倣って他の鬼達も伏せていき、サンとカゲツも木の根に隠れるようにして腰を落とした。
隊長が振り向き、俺達にこっちに来いと手を動かす。
隊長の場所からは、木の柵で境界線を作った簡易的な野営地が見えた。一つ一つが人の作るそれの倍の大きさがある。だが、机や家という集落にありそうなものはない。あるのは、切り倒された木々と濡れた切り株、人が身を丸めたような大きさの黒岩が点々としているだけだ。
黒岩の周りに、焚き火を囲むように鬼達が座り、黒岩の数だけ鬼の輪が出来上がっていた。鬼の集団は、その黒岩の滑らかな表面に、黄色い肉を乗せていく。水が蒸発するような音を立てて肉が焼けていくのが見えた。あの肉は、妖魔の肉だ。
石を取り囲んでいない他の鬼達は、表面が乾いていない一際大きな切り株に集まって、切り株から垂れる液体を木べらで掬い、木を土のように練り上げて造ったとしか思えない木製の壺に入れている。
「あれは何をしてるんだ?」
サンの疑問に、隊長は喉を鳴らした。
「ことが済んだら、教えられるかもしれん。だが今は」
隊長は、集落の中心にある、藁で作った絨毯のようものを指差した。よく見ると、藁の下に木の棒が並んでいるのが見えた。
「あれは、地面に蓋をしているのか?」
「そうだ。あの中に、捕えた人間がいる」サンが、刀の柄に触れたのを見て、隊長は重石のような声を出す。「殺しは控えよ。人間と手を組んだことはいずれ気づかれる。もし殺せば、そのとき我々ウラド同士の殺し合いが始まるのだ」
そう言って、隊長は風のように森の僅かな夜陰に紛れていった。
カゲツとサンは、互いの内側の思考を確かめ合うように見つめ合った。
「カゲツ、言いたいことはわかる。だけど、廉潔なる初志は〝大切なものを守る〟だろ。俺達は、ライガを守るためにこうしているんだ」
「ライガの言葉の受け売りじゃないか」
サンは苦笑をするも、その目は柔らかかった。「そうだ。仲間が教えてくれたんだ」
「手柄としては、最高なんだけどね」
カゲツの考えはもっともだ。鬼を退治する烈刀士が、鬼同士を殺し合わせる機会を見逃すはずがない。それに、鬼を助けるようなことも。
「それでも、だめだ。殺さない」
サンとカゲツは、刀を抜いてすぐ横で身を伏せているカグラを振り返った。カグラは、やはり動きにくそうな着物を纏っている。あれで、本当に戦えるのだろうか。
カグラが紅い眼で静かに見返してくる。その眼は冷静で、逆に俺の中を覗かれている気分になった。
サンとカゲツは顔を見合わせると、頷いて木の陰から飛び出した。野営地で肉を囲むアイラ=ハーリトの鬼達はこちらに気づいていない。
「おい鬼! 仲間を返してもらおうか!」
サンの張り上げた声に、野営地の鬼の全員がこちらに顔を向けた。黄金の双眸に、漆黒の肌。丸太に座っているのに、俺達よりも高い位置に頭があった。
本能的な恐怖は、すぐさま気を掴む手となった。身体中に小さな雷が走るように、爪先まで一気に剣気が体を活性化させていく。
一番近い場所にいる鬼が立ち上がった。そして、喉を震わさずに発する空気が抜けた声で何かを言った。他の鬼達の鼻で嗤う声が野営地に転がった。
鬼の漆黒の肌の下の筋肉が筋立っていくのが見えた。それは鎖骨すら隠すほど盛り上がり、漆黒の肌は膨らむ筋肉に耐えきれないと言わんばかりに張り詰めて滑らかな金属のようになっていく。
筋肉を隆起させた鬼は、羽衣の盾を打ち破るほどの剛力を誇る。そんな鬼を目の前にして、平然としていられる者はいない。気がつけば、隣のカゲツが藍色の気を揺らめかせて体に纏わせていた。
鬼が地面を蹴って、二本の腕で大振りな突きを繰り出してくる。剣気で活性化させていなければ見切れないその速さに、カゲツは気を纏わせた刀で受け流した。
サンとカゲツは付かず離れず距離を保ったまま鬼と距離をとった。鬼達が、肩を回したり首を鳴らしたりして、獰猛な笑みの下に銀色の牙を覗かせて立ち上がる。
囮になるって言っても、これじゃあほんの数秒しか保たない。カゲツの表情は固く、どこか血の気が引いているようにも見えた。
体を肥大化させた鬼が突っ込んできて、四本の腕で拳を繰り出してサンとカゲツを翻弄する。さらに、他の鬼がカゲツの背後に回りこみ、体を捻りその豪腕を鉄鎚のごとく振りかぶる。サンは、咄嗟にカゲツと鬼の間に飛び込むと、鬼の拳を羽衣の拳で受け止めた。
「カゲツ、びびってるのか?」
鬼の拳を受け止めた羽衣で鬼の拳を包み込み、握りつぶさんと力を込める。鬼は顔を歪ませて吼えると、腕を振り払い飛び退いた。
「アル=アシャル!」
鬼の一体が、ふわついた声をあげた。気の操り方によっては、相手の心の流れも感じ取ることができる。恐怖、怒り、興奮の権化である戦場だと、それはことさら鮮やかに映し出される。感じるのは、鬼達の中に漣立つ俺への恐怖だった。
「やるぞ、カゲツ!」
サンは五つの光剣を生み出し、鬼達の真ん中に飛び込む。鬼は一瞬ひるむように円を作ったが、死角になったサンの背中を狙おうと、数体の鬼が拳を絞り襲いかかった。カゲツが雄叫びをあげて、燃え上がる炎のような気を纏いながら、その鬼達の攻撃を受け止める。鬼の攻撃を受け止めたカゲツはそのまま地面に転がり、伏せたままサンに顔を向けた。無防備なカゲツに向けて、鬼達が腕を振り上げる。円の中心にいたサンは、独楽のように体を回転させて、白緑の閃光を放ちながら羽衣の波動で鬼達を吹き飛ばした。
野営地の鬼が地面に倒れこみ、急いで立ち上がり円の中心に目を向ける。アル=アシャルの狂気に死を感じながら。
だが、光が消えた場所にサンとカゲツの姿はない。そこには、さながら俯いて咲く一輪の花のように目を伏せて佇むカグラ。簪に片手を添えて、艶やかに佇む姿に、黄金の双眸はなにが起こるのかと固まった。
澄んだ空気が微笑むように、簪の風鈴が一つ響く。簪から解き放たれた黒髪が、森の白光に艶めいて、裾を引く風鈴の音に揺らめく。白くしなやかな腕が、樹々を撫でる光風のように宙を滑る。
サンは、野営地の外からその様子を眺めていた。カグラと隊長からは、ことが済むまで野営地の外に目を向けていろと言われたが、カグラの舞から目を逸らすことができない。逸らしたくなかった。
カグラの踊りは、指の一本一本まで降り始めた雪のように繊細で柔らかく、髪の先まで
絵に描きとめたくなるほど美しい。自分の吐息がカグラの舞を汚してしまいそうで、呼吸すら呑み込んだ。
カグラは風が去った平原の草のようにその身をとどめ、手に持っていた簪の風鈴を一つならす。その音が空気に溶けると同時に、野営地の鬼は糸の切れた人形のように地面に崩れ落ちた。
「終わったみたいだな」カゲツは振り返り、地面に倒れこむサンを見て、息を呑んで膝を突いた。「おい、どうしたんだ。しっかりしろ! サン!」




