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Belief of Soul〜愛・犠の刀〜  作者: 彗暉
第十五章 紅の漣
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八十三話

 カゲツは、俺とカグラから人二人分ほど離れてついてきていた。それもそうだろう。初対面でない俺ですら、カグラが鬼となんらかの関係があることを知って動揺したのだから、慎重深くて慎ましい考え方をするカゲツの心中を察するのは容易い。

 しかし、砦の南側にいたカグラがなんでこんなところにいるのだろうか。彼女と最初に会ったのは、まだ十二歳かそこらのときだ。師匠に連れられて雪降る山を越えて訪れた鉄刀町で出会った。赤い眼に、どこか壊れてしまったような暗さを湛えた彼女は、俺と同じく幼かった。そして、次に会ったのは俺が龍人となり烈刀士となった後の十六、七歳頃。烈刀士(れっとうし)になって初めての休暇で過ごした〈鬼目郷(おにめきょう)〉で出会った。龍人として心に余裕がないときに、独りではないことを教えてくれた。今思えば、カグラがここにいることがおかしい。遥か離れた場所にある無色(むしき)の鉄刀町から、蒼龍ノ國を越えて四國ではないヴィアドラの極東に来ることになった理由は、はたしてどんなものなのか。烈刀士ノ砦に手紙を届ける便屋の親子のようなものだろうか。

 横目でカゲツの皺がよった眉間を見ながら、サンは一人で頷き鼻で息を吐く。どんな理由であれ、今の状況は罠に足を踏み入れるようなものだ。鬼火が鬼に襲われ、ライガは復讐にとらわれ消えてしまった。そこにちょうど良くライガの居場所を知っているカグラが現れ、ライガの場所に案内する——鬼に捕らわれている可能性が高い今——と言うのだから、そこについていくのは正気じゃない。それでも、これがライガに近づける一番の可能性なのだからたまったものじゃない。

 サンは、森を歩くには似つかわしくないお姫様のような着物を纏っているカグラの後をついて歩いた。

 凛とした佇まいに森の主とでも言わんばかりの雰囲気を湛えるカグラは、しきりに周囲に目を走らせていた。それだけではない。気を周囲に張り巡らして探っているのがわかる。もしも鬼が仲間だというのなら、何に警戒しているのだろうか。


「カグラさん、あなたに訊きたいことがある」


 カグラは振り返らず、カゲツの言葉に「今は無駄な時間を重ねたくはありません。ですが、この状況は、殿方達には疑問しかありませんね。もし、足の運びに障りあるならば、なんなりと」


 サンは振り返ってカゲツを見た。どうやら、カゲツはほいほいと美人の後をついていった俺のことも警戒しているらしい。俺を見る目はお世辞にも優しいとは言い難い。カゲツが、俺とカグラを見回すと質問を始めた。

 なぜライガが連れ去られたことを知っているのか、鬼との関係性、そして、カグラは何者なのか。

 カグラは短く答えた。一つ目には、ライガを連れ去った鬼達を知っているから、二つ目には、同志であると、三つ目には、己の道を進む者と答えた。

 それを聞いたカゲツの眉は強張って痙攣していて、今にも唾を吐き出しそうだ。腕を組みながら顎をさする足取りは、必要以上に力んでいる。それも仕方ないだろう。答えはあまりにも具体性に欠けるものだ。カゲツの皮肉並のものを湛えている。

 サンは、カグラの背中に今まで抱き続けてきた疑問を投げかけた。


〝人は罪深く、黄金の褥で眠り、笑う〟


 カグラは、すぐにわかります、と言ってそれ以上は何も語らずに森を進んだ。

 それからどれほどの時間が経ったのだろうか。いつ着くの? もう着く? と何度も訊きたくなるほど歩いた。やがて、森の樹々や草、大地に走る光脈が薄緑色の光を帯び始め、森の中は幻想的な光に満ち溢れた。もう夜になったのだ。夜になると、妖魔の森は光を帯びて、昼の鬱蒼と人を潰すような姿は鳴りを潜め、蛹から解放された蝶のように本当の姿を見せる。

 岩の多い坂を上り、ようやく森がひらけた。ぽっかりと開いたその場所は滝だった。眼下には滝つぼが飛沫を舞い上がらせ、月の光から創り出した虹を纏っていた。


「ここで、先の質問に答えるとします。あちらへ」


 三人は、空気のように細かい飛沫を頬で感じる距離まで滝壺に近づいた。カグラが立ち止まり、二つの月が支配する夜空を仰いだ。

 二つの月のが弧を描いた姿をなぞるように腕を動かすと、簪を髪から抜いて艶やかな黒髪を解き放つ。肩を見せ纏っているものをその身から滑らせていく。純粋無垢な姿はあまりに白く、体の線一つ一つに勝る美しさはこの世にないとさえ思わせる。その命の芸術が、宙に軌跡を描き始める。

 これは、舞だ。しなやかに、はらはらと降る雪花の如く月光をその身に召す姿に、サンとカゲツは呼吸も視線も奪われて立ち尽くした。

 滝の飛沫に浮かぶ朧月、純白の肌に召す光は、飛沫の宝石を散りばめて月虹に煌めく。光と世界の境界が混じり合い、飛沫は霧へと姿を変え渦を巻いていく。カグラも虹色の砂の風となり、景色の一部になっていく。世界が七色の砂の光に満たされて、やがて景色を描き始め、その様子はさながら動く紙芝居だった。

 物語は、焼けた森の中を走る鬼の姿から始まった。腕には鬼の赤子が抱かれて、今まで戦ってきた鬼の憎悪にまみれた眼はそこにあらず、あるのは悲鳴を溢れさせる黄金の眼だけ。鬼が後ろを振り返るその間際に銀光が閃き、鬼の体と赤子を両断する。森に火を放ち、鬼の首を槍に突き立てて踊り祝う人間達。焦土となった森から、満身創痍で歩く鬼の集団の先には、切り立つ北の雪山があった。

 四本の腕を三本に、片足を失った鬼や片目を失った鬼。妖魔を引き連れた満身創痍の鬼達が、子供の鬼と額の銀色の角を重ね合わせて黄金の目を濡らす。鬼達は立ち上がり牙を剥き、槍を持つ。隊列を組んで突き進むは、拒絶以外のみを湛える灰色の石の壁。

 幾百の鬼が黄金を垂れ流し大地は金色に輝く。人間は、黄金の大地の上で酒を飲みかわし、踊り、祝い、笑う。

 光の景色が眩い光を発して、再び風となって崩れていく。

 体に響き渡る滝の音に気づき、サンは思い出したように呼吸をした。目の前には、着物を纏ったカグラが、黒く艶やかな髪を結って簪を刺しているところだった。


「おわかりになりましたか? 彼らは、家を奪われ、子を殺められ、北に追いやられた。彼らの血が大地を濡らし、その上で人間は笑って生きているのです」


 黄金の褥で眠り、笑う。それが罪なのか。

 カゲツの荒い呼吸が聞こえてきた。


「だとしても、鬼だって人を喰らう」


「敵だと仰りますか」


 カゲツは、荒っぽく「あぁ、そうさ」と言って俺にも同意を求める目を向けてくる。カグラも同様に、俺の意見を待っている。


「鬼は、人の脅威には変わらない。仲間達を殺したやつを、敵じゃないなんていうやつはいないだろう」サンはカゲツにまっすぐと向き合うと、その目を見つめる。カゲツは少し狼狽えたように、目の光を弱くした。「だけど、お前も想像できるはずだ。鬼が居場所を奪われた恨み、子供を殺された嘆きが。あいつらは敵だけど、心があるんだ。だから……」


 だから、なんだと言うのだろう。サンは、地面に目を落として黙り込んだ。カゲツが、カグラに喰らい付くような視線を向ける。


「だいたい、さっきのは一体なんだい? 信頼させておいて、俺達になにをした。気付いたら目の前に景色が広がってて」


「信頼してくださっていたのですか?」カグラが、本当に楽しそうに小さく笑った。「殿方には幻覚をお見せしました」


 カゲツが、大きな声で一笑に付した。そして腕を横に広げて、サンを見る。


「聞いたか? 幻覚なんだよサン。なにが本当かも怪しい。この女の姿だって幻覚かもしれない。あんな人離れした美しさが本物なわけがない。それに、黙って幻覚をかけるなんてのは敵にすることだ」


「人離れした美しさ?」サンが眉を寄せる。


 カゲツが振り払うように首を振りながら、手で眼前を払いのける。


「そんなことは言ってない。俺が言いたいのは、その幻覚は俺達を殺せる可能性もあるってことだ。これはやっぱり罠で、この会話だって実は時間稼ぎで――」


「時間稼ぎなのはあっているぞ人間」


 すぐ横の岩からしゃがれた声がして、サンとカゲツは口を噤んで振り向いた。咄嗟に抜いた刀の鋒が指す場所には、口に笑みを湛えた鬼が岩場に胡座をかいていた。

 背骨を貫く鋼の冷たさは、滝壺の横にいるからでも夜だからでもない。サンとカゲツは気を練り上げた。サンの体から白緑の光が巻き上がり羽衣となって全身を覆い、カゲツは藍色の気を体に纏った。

 鬼が、銀色の牙を覗かせてひどく楽しそうに笑った。


「儂を斬るかね人間。それも一興、斬った後にどうなるか」


 鬼が、黄金の目で滝壷の周りを見回した。サンとカゲツは、その視線を慎重に追いかける。

 サンとカゲツは、口を開けて息を呑んだ。

 百はいるだろう。滝の崖や、そこらの岩の上、崖の上の夜陰の中から黄金の目が俺達を見下ろしている。



「カグラ、これは」サンの乾いた声は、滝の落ちる音にかき消された。

 刀を向けられている鬼が人の二倍はある背丈を示威するように立ち上がる。それに見下ろされたサンとカゲツは、じりじりと踵を地面に押し付けて呼吸を細くする。

 その二人の様子を見て、鬼は眉らしき部分を歪ませて、銀色の角の横を指で掻いた。


「カグラよ、儂は心底優しく接しておるのだが、なにか間違っておるかの」


「いいえ、長老様。殿方は烈刀士、鬼を狩る者であらせられますゆえ、そう簡単に心は開かれません」


 鬼は、削がれたような鼻に空いた縦長の鼻腔をひくつかせて喉で笑った。


「肝心なことを忘れておったわ。儂は、アイラ=リーフの長老、ハワラビイ。皆には、ハワや長老と呼ばれておる」


 鬼の、喉を震わせないように発する奇怪な言葉に、サンとカゲツは張り詰めた表情を歪ませる。

 カグラはその二人の様子に微笑むと、二人の前に進み出て白く細い腕を広げて周囲を示した。


「アイラとは、氏族のこと。リーフとは氏族の名前、殿方で言えば家名のようなものと思ってくださいませ。アイラ=リーフ、ヴィアドラには無い言葉ですね」カグラは、長老と呼ばれた鬼を柔らかく手で示し、微笑んで見上げた。「そして、この御方が氏族の長であらせられます、ハワラビイ様です」


 ハワラビイという鬼は、銀色の牙を覗かせて口角をあげた。そのおぞましい顔から、サンは視線を逸らすことができずに、ぎこちなく唇を上げて笑みらしきもので応えた。


「自己紹介が終わってなによりです。それで、次はどんな楽しいことが待ってるんですか」


 カゲツは、気丈にも薄い石灰石みたいな声でそう言った。こんな状況で皮肉を言えるのは、。ライガに自慢できるくらい流石と言ったところだ。

 ハワラビイは、相変わらず見るに堪えない笑みを見せている。だけど、不思議とその顔には親近感を覚え始めていた。なんというか、鬼らしくないというか、柔らかいのだ。


「いやいや、自己紹介は終わってはおらんと思うぞ、若き人間よ。ほれ、名前はなんというのだ」


 ハワラビイの黄金の双眸の中にロジウスと師匠が映った。なぜだかはわからないが、それに見つめられたサンは刀を鞘に収めて、カゲツにも頷いて見せた。カゲツは言葉にならない声で呼吸をすると、勢いよく刀を鞘に収める。


「俺は、サンだ。無色の生まれで家名はない」


 サンは、下げた視線のままカゲツを向いて、眉を顰める。意図を汲み取ったのか、カゲツは息を顰めて唸った。


「カゲツ。蒼龍ノ國、月見里(つきみざと)生まれだ」


 ハワラビイは四本の大きな腕を鳥のように広げた。サンとカゲツは、思わず腰を落として鯉口を切った。鎺を見せた刀に反応して、周囲の鬼が立ち上がり空気がざわめく。ハワラビイが周囲を見回しながら、落ち着かせるような身振りをした。


「これはすまん。サン、カゲツ、驚かせるつもりはなかった。それを、収めてもらえるかのぅ。抜かなくとも、殺気が匂うゆえ」サンとカゲツの鎺が鞘に収まったのを見て、ハワラビイは一つ呼吸をおいた。


「単刀直入に言おう。儂らに力を貸して欲しい。なに、損はさせんよ。友人のライガを助けることにも繋がることだ」ハワラビイは、牙を見せずに微笑んだ。「どうだね?」

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