八話
焼ける暑さは何処へやら、海の向こうから覗かせる太陽を待つ丘の家の朝は、斧が丸太を叩く軽快な音から始まる。
サンは足元に落ちた二つの薪を積み上げると、切株の上に新たな薪を立てた。なるべく力を使わずに、足元から腰へ肩へと力を繋げて腰から落とす。円を描くように振り下ろされた斧はまっすぐと木の真ん中へと落ちていき、再び軽快な音が響く。サンは額の汗を拭うと、割れた薪を掴み積み上げる。縁側の板敷き廊下を踏む音がしてサンは振り返った。
「支度ができた」
腕を組み、左右の腰に一本ずつ刀を差したカシは、積み上げられた薪の山に短く視線を走らせてそう言った。
「はい、師匠」
カシの家は港町を見下ろす丘の上にぽつんと佇む平家だった。縁側の先に広がる庭からは町と港が一望でき、庭の端には場違いな木が一本だけ生えている。家の中には囲炉裏と炊事場が一つになった居間に、風呂場、物置、寝室が一部屋という二人にはちょうど良いものだった。
縁側から居間に上がると、香ばしい魚と味噌汁の香りがした。腹の虫が身を縮めて歓喜している。ここにきて暫く経つが、毎朝過ごすこのひとときに飽きを覚えたことは一度もない。これからもないような気がする。二人分の茶碗に米を盛り、木の椀に味噌汁をよそう。開いた魚は大きい。これを二人で食べるのだ。
囲炉裏に火は入れていない。空が高くなり季節の変わり目を感じても、未だ火の期の残滓はしぶとく残っているからだ。
「おいしい」
味噌汁を飲んで心からこぼれた声に、カシも頷いて応えた。
「おぬし今日は?」
「うん、今日は配達があるよ」
この数週間でいくつかの仕事を手にれた。最初に手に入れたのは貼り紙をして回る仕事だった。それのおかげて街の道などを覚え、それが活かせる配達の仕事も請け負っていた。朝から夕方前まで働いて、稼ぎはだいたい銅判一枚、つまり壱半だ。銅判一枚は黄判十枚と同じらしい。壱半あれば安い宿に一晩、食事一回分くらいなら釣りがくる程度の額だ。人足たちはこれよりも少し少ない額を貰っているらしく、町の港で人足の子供達にこっぴどくやられたのには納得だ。
「師匠は今日はどうするの?」
「拙者も今日は町に出向く」
「何か、あるの?」
これを聞いたのは初めてだ。師匠のような人斬り業は稼ぎがいい分、仕事を頻繁に受けることはないらしい。まぁ、師匠ほどの腕があればという但し書き付きだけど。
「得意先がおってな。顔を見せに行き情報も集める。帰りはどうするか」
「俺はいつもの時間まで仕事だし、先に帰っててよ」
カシは静かに頷く。
サンは残った魚の肉を茶碗に入れると、熱湯をかける。魚の脂が艶っぽく踊るのを見て、たまらず口の中に掻き込んだ。
「おじさん、便り屋です」
サンは店の主人の返答を待たずに、手紙を置くとその場を後にする。次の便りはどこかと考えながら配達鞄の中を手で探った。
街の朝の喧騒にはもう慣れた。仕入れを捌くのと、開店の準備に忙しい店の大人達の邪魔はしちゃいけない。手紙を渡すのもさばさばと、配達だとはっきり伝えたらすぐに去る。もたもたしてると邪魔だと蹴りを入れられてしまう。配達の区域はだいたい決まっていて、配達先も同じ家だったりするから配達の速さも成長しているはずだ。
鞄の中から重厚な手紙を取り出す。中は一枚だけではないようだった。まるで何人かが一人に送っているような量だ。文字はほとんど読めないから、送り主と宛先を見てもなにもつかめない。早速その手紙の宛先へと足を向けた。
宛先の家は港町の中でも立派なものだった。何度も宛先を見比べて間違いないことを確認すると、門扉を叩く。すぐに一人の男が出てきて、手を出した。
「便り屋です!」
男は手に取り目を走らせると一瞬固まった。そしてサンに勢いよく目を向けた。
「他にはないのか? これだけか?」
サンは配達鞄を漁ってみるも、同じような文字は見つからない。
「ないです、それだけです」
「そんなわけあるか、烈刀士からだぞ! いつもは何かしらあるのに、手紙だけ? それにこんな分厚いってなると……」
気づけば男は額に汗をかいている。男はひどく動揺しているのか、まるで窮地に瀕しているかのような真剣ぶりだ。手紙の封をじっと見つめている。
「あ、開けるんですか?」
男はサンに目を向けると、唾を飲み込み目を固く瞑る。
「いや、それはならん。だがなぁ、坊主、本当にこれだけなんだな? 小包などはないんだな?」
そこまで言われると心配になってくる。
「俺が渡されたのはこれだけです」鞄を叩いてみせる。「だけど、そこまで言うなら確認してきますが」
男は頭を振った。
「いや、すまん。仕事の邪魔をしたな」
男は門扉の向こうへ去ってしまった。いったい何だったのか。だけど、良い知らせを受けとったわけではなさそうだ。連日謎ばかりが増えていく。この前の貼り紙業でも、なんて書いてあるかを尋ねたところ〝人生売ります〟なんて書いてあったらしい。おかしな話だ。あ、だけど外の世界には何があってもおかしくはないか。
その日の仕事も順調に終わったが、結局あの門番が求めたような包みはなかった。陽がまだ山の向こう側へ落ちる前に家につくと、師匠が食事を用意して帰りを待ってくれていた。
サンは箸で味噌汁をかき回しながら啜った。
「師匠は今日どうだった?」
カシは何も反応せずに咀嚼を続ける。サンはカシが飲み込むのを待った。
「特に問題はない。おぬしはどうだった」
サンは初めて見た手紙のことを話し、気になった言葉を尋ねてみる。
「――っていう手紙があったんだけど、烈刀士って何のこと?」
カシは再び黙って咀嚼している。やがて飲み込むと話し始めた。
「烈刀士はモノノフだ。四國に組みさないヴィアドラを守るために戦う者。その手紙は恐らく訃報、死の知らせであろう」
「そっか。モノノフって?」
「守るために戦う者のことを指す。そして烈刀士は、ヴィアドラの四國と言われる、蒼龍ノ國、皇燕ノ國、白鬼ノ國、巖亀ノ國、それぞれから選ばれた強者達のことだ。四國のしがらみに縛られないヴィアドラの真の戦士だ」
真の戦士か。守るために戦う者、モノノフ。かっこいいな。
「師匠よりも強い?」
「当たり前だ」
「手合わせしたことあるの?」
「ない」
「じゃあ、何で強いってわかるの。ぜったい師匠の方が強いに決まってる」
カシは鼻で嗤うと食事に戻ってしまった。なんで嗤うんだ。師匠はただの剣術だけじゃなくて、不思議な力まで使うんだから。
「そうだ、師匠、俺も強くなりたいんだ。修行をつけてよ」
「修行ならすでにつけておる。気づけぬとはな」
サンは自分の顔が熱を持つのを感じた。すでにだって? そんなはずはない。未だに刀を握らせて貰えてないし、剣の振り方だって教わってないんだ。そこまで考えて頭の中で何かが繋がった。
「あ、薪割り!」
そうか、力をつけることが最初の修行だったんだ!
「それなら上達したよ。それに見てよ、こんなに筋肉がついたんだ。合格でしょ?」
カシはサンの小さな力こぶを見て、またもや鼻で嗤う。サンは咄嗟に捲っていた袂で力こぶを隠す。
「わかっておらぬな」
そう言うと、カシは空になった茶碗の上に箸を起き立ち上がると、縁側から月光降る庭へと降りた。
「終わったらこい」
サンは口に全て詰め込むと味噌汁で一気に流し込み、木刀を握った。
「それはいらぬ」
サンは口を必死に動かしてやっとのことで飲み込む。
「だけど」
「いらぬと申した」
「はい」
サンは何も持たずに庭へと降り立つ。腹がまだついて来ず、一人で勝手に揺れるような感覚だ。
カシはサンにいつもの斧を手渡した。
「割れ」
サンは言われた通りに木材を立てて、足元から腰、胸へと力を動かし腰で下ろす。いつもと変わらず軽快な音を立てて、」斧が輪切りの丸太に振り下ろされる。自慢げに斧を肩に担いでカシの方を見る。
「それで?」
それはこっちが言いたいよ、と思わず困惑する。見事に割れた薪とカシを交互に見る。
「おぬし、近頃腕や背中を痛めてはおらぬようだが」
なにが言いたいんだろうか。そりゃ何週間もやってればある程度の力もつくし、コツも掴んだから当然だよ。
「わからぬか。ならば終わりだ。明日も励め」
カシはサンに見向きもせずに居間へと戻ってしまう。サンは食い下がろうと声を張り上げる。
「し、師匠は言葉が足らなさすぎる! なにが訊きたいの? 教えてよ!」
カシは立ち止まるとサンを見る。
「さようか。拙者が言葉足らずとな。ならば訊く、薪割りをさせた意味は?」
「力をつけるためでしょ。力がないと木刀も振れないもんね」
カシは再び居間に向き直ってしまう。どういうことだ? 近頃腕や背中を痛めていないなと師匠は言った。そうだ、だって力がついたから。最初の頃は――。
サンはハッと顔を輝かせた。「わかった! 薪割りのコツをつかませるためか!」
師匠の背中は肯定も否定も見せない。サンはねじ切れるほど脳みそを絞った。
「そうか! 体の使いかただ! 昔より腕も痛くないし、かなりの数を割れるようになったのは、体の使い方が上手くなったからだ! そうでしょ!」
カシは振り返ると満足そうに一つ喉を鳴らす。「ならば、それを持て。稽古をつけてやる」